生きづらい人

文字数 3,769文字


 知世は大我の問題を解決しようとしている。別に人のことだから放っておけばいいのにと大我は思うが、何かに挑んでいなきゃ済まない人なのだろうと知世を眼の前にしてイラついた。
 「子供達の生活環境は、もっと改善できると思うの、そうしないといけないのよ。」
 正しさをどこから拾ってきたのだろう?正しさなんてないのに。大我は熱心な知世の質問に辟易しだした。稔が作成した大我のお悩み相談は、内容は薄いが悲観的な蛇足がいっぱいついていて、そりゃ、確かに早めに手を打たないとって思わせる内容だったが、もし、自分が相談を受ける立場なら、まず、寄り添うことを考える。大変だったね、辛かったねなどと歩調を合わすもんだか、知世はそんなことをしない。何かしらと戦おうとしている。問題は解決すべきだと信じて疑ってない。
 「世界にもう少し寛容さとか、優しさがあれば、大我くんみたいな思いをする子供は減ると思うの。だから、世界を変えなくてはならないの。今の世界は堕落しているから。」
 今の世界が堕落しているって、だったら、いつの世界が堕落してなかったのだろう?科学技術は変わろうが、人はあまり変わってないに違いない。鎌倉時代から橘家は殺道を受け継いでいる。人殺しの需要がずっとあるのだ。悪い奴や、人を殺してでも、自分にとって都合が良い状況に持っていきたい奴が、いつの世の中でも、ずっといるのだ。もし、今の世界が堕落しているというのならば、世界はずっと堕落している。大我は知世が幼い精神状態なのでは?と思い始めていた。自分が見える範囲での正義にしがみついて、それを流布すること、いや、あわよくば強制しようとしている。それだと独裁者と変わりない。しかし、自分は世を正そうとする正義の味方だと疑っていない。
 「でも、堕落してない世界ってどんな感じなんですか?」
 我慢できずに大我は反論する。知世は少し驚いて、不機嫌な顔をした。
 「あなたが住みやすい世界よ。それは私にとっても住みやすい世界。みんな優しくて、賢くて、責任感が強くて、勤勉なの。みんなが世界をよくするように働く世界ね。そういった世界では、子供達も悪さなんてしないで、いじめもしないで、仲良く笑顔になるはずよ。」
笑顔になるのは、人の失敗を笑う時とかもあるし、馬鹿にする時だってある。堕落してない世界では、それはダメってことだろう。大笑いは無いが、安心を得るための薄ら笑いしかない世界だ。でも、それは今の自分の世界でもある。大我は、考えたくもなかったが、自分の置かれている立場を思い浮かべた。殺道の継承のために生きている。それ以外には目もくれず。クラスの連中が、いじめや破壊活動をして馬鹿みたいに笑っているのを見て、つまらない連中だと思っていたが、でも、しょうもないことで思い切り笑ってみたいと密かに思っていた。使命があると、それを果たすまでは無邪気な笑いが浮かばない。
 使命や理想のために、己を捨てて、そこに潜む。
 知世を見て、息苦しさを感じたが、それは、考えたくもないが、自分と同じではないかと思い始めた。そうなると、知世の存在が疎ましくもあり、しかし、親近感を感じてしまう。
 「大我くん、私ね、結婚はしなかったけど、子供はいるの。でも、育てることはなかったの。もし、その子がいたらって思うけど、どこかにいるの。だからね、世界をね、もっとよくしなくてはって思っているの。」
 大我は表情を変えたわけではなかったが、知世は大我の思いに少し感づき、理想論の背景を語った。自分の思いは決して思いつきではなく、魂から生み出されたものだと知世は大我に伝えようとしたが、大我は目の前の知世が母である可能性が伝わった。圭が知世と付き合っていた。これは十分にあり得る。雰囲気、性格から二人はおそらく自然に付き合えるだろう。で、圭は自分を作って、逃げた。知世は追いかけることもせず、その責を背負い込んだ。あり得る展開だった。
 ぐううう
 タイミングよく大我のお腹が鳴った。知世がアラっとした顔をして、今日初めて嬉しそうに笑った。その笑った顔が大我の胸にギュンと突き刺さる。まるで岩を突き破るが如く、本当に強い衝撃を大我の心に響かせた。大我は、それがなんなのか理解できなかったが、さっきまでに溜まったイラつきが無くなった。
 「ごめんね、そうよね、お腹すくよね。作ってあるの。準備するから手伝って。」

 ほうれん草と豆腐の香草とオーリーブオイルがけ、厚切りレンコンを照り焼きにしたもの、こんにゃくを細かくして胡麻ダレで和えたもの、それと玄米ご飯。魚、肉類は全くない。菜食主義に何の共感を持てない大我にとっては、物足りない献立だった。
 「お肉がないって、思っているでしょ?それ、間違いだから。」
 得意げな顔で言う知世に対して、大我は少しイラついた。圭が言っていた言葉を思い出す。「人間は、もともと狩猟、動物を殺して、その肉を食べていた。そのため、獲物を追っかけて生活していたが、移動を止め、農耕を始めてしまった。土地にしがみついたんだ。だから領土争いの戦争が始まった。それに、狩を止めて、生き物としての退化が始まった。本当は自分より小さな生き物は殺せるし、大きな生き物を殺す知恵もある。でも、それを捨てたんだ。それは人間の間違いの始まりだと思う。」山の中での修行中、息を潜めて食べるための獲物を追う時、大我は生き物の真実を感じていた。じっと息を潜めて、生きるために殺す獲物を待つ。気配を悟られないように、心を無にし、自然と一体になる。しかし、奥底では、自分の存在を活かすために、糧を得るために集中する。その時の、まっさらで、真っ黒な気持ちの広がりは、生きるための活力にに満ちている。それを手放すことは、生きることを拒否するように、心もとない。肉を食べないと野生が死ぬ。
 だが、ここで反論しようものなら、面倒な気もしたので、我慢して食べた。期待してなかったが、肉のない物足りなさは、こんにゃくやレンコンの歯応えで、何となく満たされた。それに、知世の料理は素朴だが装飾がない味付けで、確かに美味しく感じた。
 「意外に美味しいですね。」
 「意外とは何よ!」
 知世は大我の料理への賞賛と、思っていた返事で気を良くして笑顔で言い返した。しかしその後に、化学調味料の講義が始まった。合成した旨味に慣れると味覚が破壊され、神経が鋭くなり、怒りやすくなると、ヒステリックに説明を始めた。大我は、面倒だと思いながら仕方なく聞いた。せっかくの美味しさも、萎びてしまった。だけど、残さず食べた。動物を殺さなくても、満足いく食事が出来ることは理解したが、これがずっとだと、おそらく、どこかでイライラが溜まってくるようにも感じた。
 「大我くん、もう遅いから、泊まっていく?家帰っても一人でしょ?」
 「いいんですか?」
 「ずっとは嫌だけどね。二、三日ならいいわよ。色々、聞きたいし、生活見てると、何が大我くんに足らないか分かるし。」
 観察するために残れと言われると、お前に何が分かる!と怒鳴り散らかしてやろうと思ったが、そんなことはすべきでないことは理解しているので、従順な顔をして感謝を述べる。

 皿洗いや、風呂掃除をさせられて、きっちりとシーツが伸ばされた布団を敷いてもらい、大我は眠りに就こうとしたが、なかなか寝付けなかった。腹が減っているわけではないが、肉を食べなかったことで、何か物足りない感じが体の奥底からしてイライラする。心が落ち着かなかった。鳥のモモ肉の滴る油を吸いたいし、歯応えのある肉に齧り付きたい。生姜の聞いた牛丼をかき込んで、体を熱くしたい。分厚いとんかつを喰いちぎりたい。胸が空くように肉を恋しがっている。血が足りないように、不安なのか、神経がささくれて、小さなことが気になって仕方がない。神経が冴えて、音に敏感に鳴っている。リビングダイニングから、かすかに聞こえる音が気になる。トイレに行くという設定で起き上がり、リビングをそっと覗くと、知世が袋を並べてゴミの分別をしていた。ゴミは全て洗われて、乾かしてあり、清潔なゴミとなっていた。それを細かく、燃えるもの、燃えないもの、プラスチックと分けている。その量は少ないが、しかし、減容したり、種類でまとめたりと作業は多かった。大我は、大したゴミの量でもないのに、ここまでしないといけないのか?と思ってしまった。分別作業をしている知世の背中は、まるで囚人のようだった。分別は未来の為らしいが、それを行なっている知世の背中に未来は、全く見えなかった。薄暗い部屋、静かで、精密で、鬼気迫り、絶望感しか見えないゴミの分別。ゴミの分別など、誰でもしていることだが、菜食主義の食べ物を食べて、事細かな添加物の説明を聞いて、綺麗な正しい世界についての思いを聞いた後に見たら、何か呪いのような行いに見えて仕方がなかった。
 息の根を止めてあげたら、楽になるだろうな。
 大我は、知世の背中を見て、正しい行いを、罪を背負ったように処理しているように感じて、その息苦しさに哀れみさえ感じていた。もっと、適当に、楽に生きればいいのに、それが出来ないんだろう。変な使命感から解放してあげたい。
 大我は、人殺しを、肯定し始めていた。
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