二人目の母

文字数 3,452文字

「泉伯母さんは、僕の父の姉になります。」
「・・・君、名前は?・・」
「橘大我です。父は橘圭と言います。父は今、出張でいなくて、叔母のところで世話になっていました。」
「・・・そうか。俺は捜査第1課の課長、東堂裕次郎だ。よろしく。ボスと呼んでくれ・・」
 浅黒い顔をしたボスの髪は七三分けがきっちりと固まっていて、風が吹いたぐらいではビクともしない。小太りなのでスリムなスーツの首元が苦しそうだと大我は思ったが、サングラスの奥の鋭い目が気になってしょうがない。あれは猛禽類の目だ。獲物を狙って観察している。
「大我さんは、泉様の甥っ子だったんですね。知らなかった。泉様は私たちに何もおっしゃらなかったから。」
家政婦の一言でボスは大我をじっと見た。口は真一文字、まだ四十代半ばだが恐ろしく貫禄があり、圭とは違って、故意に作られた意志の気配を持っていた。マイナスのみを探る監視カメラの冷たい視線のようだ。大我は自分にとって迷惑な存在になるだろうと思った。
「・・・大我、君はこの近くの中学校に通っているのか?ちょっと前にその中学校に行ったんだ。変な事件があったのを覚えているか?いじめっ子が気絶した事件だ・・」
「僕はそこの中学校です。先々週ありましたね。同じクラスの池原がやられていました。友達の稔も一緒にいたようです。」
「・・・となると、あの事件と、この事件の接点は君だけだ。君に関わるものが、傷跡のない傷害事件の被害者となっている・・・」
「怖いですね。」
「・・・まったくそんな風に見えないが、君は本当に中学生か?君にはちょっと聞きたいことがある・・」

大我は東堂の部下であるベテランの山岸刑事に昨日の晩のことを聞かれた。落ち葉のように嗄れた優しさのみの熱血漢が、通り一遍のことを丁寧に聞いてくる。それでも部屋で寝ていたとしか答えようがなく、それは事実だった。自分が加害にまったく加わってないので、嘘をつく必要もなく、平然と事実だけを述べた。事実を述べながら、稲尾泉が話していたことの矛盾点を思い出していた。圭と離婚して、稲尾の家に嫁いだが、その稲尾が3年前に死んだ。だとすると、圭と泉が、この家で写真を撮っていることはあり得ない。それに三人が庭で遊んでいる写真を撮ったのは、もう一人の誰かなのだ。小さな子供と父母の三人親子が三人で写真に収まるなんて殆どない。夫婦のどちらかが子供と一緒で、どちらかが写真を撮るだろう。夫婦であればお互いを撮り合うのだ。わざとかもしれないが、稲尾泉の証言は辻褄が合わなかったのだ。それに、肌で感じた血の繋がりは、父の姉だということであれば納得がいく。それに泉は圭のことを呼び捨てにしていた。二人の顔もよく似ていた。泉の存在感に騙されそうになったが、大我は泉が母ではないだろうと二日目から思っていた。しかし、それでも、父以外の血縁者と初めて会って、嬉しかったことに変わりなかった。なにしろ、稲尾泉は大我に対して無条件の許容をしていた。それは大我に伝わっていた。嬉しい存在に変わりなかった。
誰が殺したんだろう?
ここまでの事実として、泉を殺した者がいる。それは誰だか解らないが、憎むべき相手に違いない。大我は近親者を失った。だが、それは長いこと生活を共にした者ではない。思い出などはここ一週間一緒に過ごした記憶だけだ。それはかけがいがないかもしれないが、時間が積み重なってはいない。膨らんでいるが、風船のように軽いのだ。確かに叔母を、優しい泉を殺した相手に対して憎悪は浮かぶ。しかし、それが自分が思うほどの熱量を持っていないことに当惑している。だが、きっと忘れきってしまうことはできない。

「・・・山さん、小僧はどうだった?・・」
「淡々としてました。叔母が殺されたショックが大きかったんでしょうね。」
「・・・本当にそう思うか?・・」
「確かに、なんで平気なんだろうとは思いましたが、どちらにしろ、小僧は叔母を殺してないですね。現場にあった足跡は、小僧のものより小さかったですから。」
「・・・そうか・・あと、小僧の父親と稲尾泉の関係は調べてくれ。」
「それ要りますか?あまり稲尾家一族のことは深入りしてはならないと署長からは釘を刺されています。歴史ある名家はややこしいようです。」
「・・・そうか、だが、調べろ。それは我々の正義のためだ・・」

「大我くん、大変だったね。」
朝の教室、感傷的な表情で柊あおいが大我に近づく。大我は稲尾の家にいることも出来たが、現場検証やまったく知らない稲尾一族が出入りするようになったので、自分の家に帰っていた。学校にも普通に通っていたが、泉の元にいた頃の明るさを大我は失っており、いつの間にか元の生活、おとなしいグループ所属、目立たない存在に戻っていた。
「おはよう、柊さん。大変だったって、何が?」
「あの・・大我くんの伯母さんのことだけど。」
「なんで知っている?誰も知らないはずだけど。」
稲尾家の親族が事件のことを隠した。嫁いだ泉は稲尾の血が入ったものではないので、葬儀も簡単なもので済ませたらしく、大我も呼ばれなかった。泉の葬儀に参加できなかったことは、大我の心に小さな淀みになっている。
「えっとね、近所の人から聞いたの。稲尾泉さんが死んだってことを。で、甥っ子がその時一緒に住んでた、その甥っ子が大我くんって知ったの。もちろん、誰にも言ってないよ。」
なにやら設定説明のような柊あおいのセリフに大我は不信感を抱いた。こいつ、何を知っている?場合によっては、消さないといけない。
「もし良かったら、うちに来ない?狭いけど、お母さんがね、稲尾泉さんと知り合いで、今回のことを聞いて、大我くんが大変だろうって心配しているの。」
思ってもみない誘いだった。リストに載っているから柊恵は母かもしれない。多分違うだろうが、違うことを証明する必要はある。柊恵は泉が言ってた「人間道」にあたる。ボスとい呼べという刑事から「君は本当に中学生か?」と疑惑の念を持たれたことを思い出す。圭との生活が長くて、普通の家族という者がよく解ってないのだろう。泉は死んだのに、この世から消えたのに、自分は取り乱すことはなかった。冷たい水に沈み込んだような、抜け道のない悲しみは感じていたし、何か自分からもぎ取られたような喪失感もあった。だけど、平気でいられた。人の死にしがみ付くことはなかった。それが隙になった。ボスの注目を引くことになってしまった。目の前の柊あおいは期待を込めた熱視線を送っている。
「いいのかい?ご飯のこととか困っていたんだ。でも、誰にも言わないでね。」
大我は明らかに態度を変えた。弱々しい惨めな男を演じた。そのワザとらしさ、演じる大我も恥ずかしくて仕方がなかったが、柊あおいの目が輝いた。もしかして、柊あおいは自分のことが好きなのだろうか?と初めて大我は気が付いた。じっと見る、あおいの目は朝の光を浴びて、透き通る茶色が輝く。その目は、大我にとって好ましいものだった。

 「わが家へ、ようこそ!」
 夕方、大我は手荷物を持って柊あおいの住む市営住宅の二階、鉄の扉を開いた。待ち構えた柊あおいは嬉しそうに迎えた。その後ろに明るく振舞うように勤めているが、どこか引きつった表情の小柄な中年女性がいた。
 「はじめまして大我くん。あおいの母です。あと、あおいの弟、健太郎。」
 「・・こんにちは、ぼく、健太郎。よろしくお願いします。」
 柊恵の後ろにまとわりつき、隠れるように、五歳の健太郎は恥ずかしそうにヘラヘラと大我に挨拶をする。自分は、健太郎の年頃に、ああやって照れたりし、圭にしがみ付いたりしなかった。大我はそれを見て「軟弱なバカ」と腹が立った。同時に、自覚は無いが何か羨ましさを感じていた。
 市営住宅にはリビングダイニングと別に三部屋あった。夫婦の寝室と兄弟の部屋、そして本棚とソファーがある部屋。生活は八畳ほどのリビングダイニングで行われ、寝るのは各部屋となっている。大我はソファーのある部屋を宛てがわれた。しかし、その部屋は大我の部屋になったわけではなく、いつでも誰もが出入りして、雨の日は洗濯物を干すこともあるという。先日まで住んでいた泉の家の自分の部屋は、この住居全部ぐらいの広さがあった。
 「大我くん、ごめんなさいね、稲尾さんの大邸とは違って、ここは狭いのよ。ちょっとの間だけになると思うけど、我慢してね。」
 柊恵は大我に長居はしないようにとメッセージを添えた。大我はそれを理解した。
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