学校

文字数 3,730文字

 大我は日本史の授業を受けながら、殺道の継承者たちが、歴史に関わったことがあるんだろうか?と考えてみた。公に殺されたり、高齢で死没する場合に関して、殺道は関係なさそうだが、歴史上の人物の戦乱時の突然の死や、誰かにとって都合の良い死による退場などは殺道が関わっているのではと考えてしまう。しかし、圭によると、殺道は証拠を残してはならないし、記録も取っていないそうだ。実施の経験は体に残り、記憶は残さない。これが心と体に良いそうだ。しかし、大我は人を殺しといて忘れることなどできるだろうか?と考えてしまう。今は覚えた技を試したいと思っているが、実際にそれを誰かに使うとなると、躊躇してしまうだろう。やってはみたいが、やってはならない。肉体と精神が一緒になると相反する。精神と切り離された肉体主体による行動が出来ないと、継続が難しいだろう。
 板橋明美、富山良美、郁背マナ、原井知世、柊恵、稲尾泉
 目は黒板を追うが、頭の中にはノートに書かれた六人の母の名前が並んでいる。圭が書いた順に名前を覚えていた。おそらく、この順番に調べてみろということだろう。この中に自分を生んだ母親がいる。だが、育ててもらった覚えがない。産むだけ産んで、そのまま。実際に会うとなると、大我は落ち着かない。会って、これまで放っておいたことに、誕生日にいなかったこと、母の日にいなかったこと、雨が降った日に帰って家にいなかったこと、三者懇談、運動会にいなかったことに対して、散々文句を言って、それから「お母さん」と呼んでみたい。そのあと、使命を果たさないといけない。
 どの方法で実施すればいい?師匠である父に聞けばいいのか?それとも、産んでくれた母親に聞けばいいのか?会ったこともない母親を特定し、殺さなくてはならない。そんなことをする必要があるのだろうか?大我は、答えがない問答にしがみつき、出口を誤魔化そうとしていることを理解している。だが、この難しい問題は、どちらにしろ、解かなくてはならない。
 頭の中の、六人の母の名前の中に柊の名前を見つけ、柊なんて名前はそんなに無いから、柊あおいの母親なのでは?と思ったが、記憶したノートの中身、柊恵についての情報の中に、娘、あおいという記載が確かにあった。思い出して、一瞬、脈拍が乱れるほど戸惑ったが、呼吸はすぐに整う。自分の本当の母親は一人しかいない、五人は偽物だ。一人はこれで取り除かれる。だが、自分があおいと兄弟ということも考えられる。それに、柊あおいの視線を感じることが多い。分かりきった嘘に時間をかけるべきでは無いが、もし、それが分かりきれない真実だとしたら、嘘蜘蛛の巣に絡まり、身動き取れず、餌食になる。柊恵は9割母親候補除外だが、父の教えでは、絵を描く際は、全体の骨格から描くのではなく、端の細部から仕上げるようにと言われている。必要ないと思い込んではダメだ。と、同時に、あおいが兄弟だとしたら、姉なのだろうか?と思った。

 「大我、アレやってよ、カニ走り。」
 陽に照らされ、グラウンドは眩いばかりに白く輝いている。空気は乾いて、空はすみれ色に透き通っている。体育の授業前、ダラダラと集まる際に、大我はリクエストに答えて、まっ白なグランドをカニ走りで横断した。大我の周りが言うカニ走りとは、右手右足同時出し、次に左手左足同時出し走りのことである。一般的に駆け足、また、歩行においても、右足が前に出た時は右手は後ろに引き、左手が前にくる。つまり、手と足の右左が逆になっている。これは体の芯を真ん中にして、手足が動いていても、芯である本体を安定させるための動きだが、大我は緊張した行進のように、右手と右足を同時に出して、歩くのではなく、走ることができる。体の軸は左右が突き出るたびに、突き出た方に持っていかれるので、重心移動が激しく、体、上半身が安定しない走り方になる。それに、体が裏表と反転しながら走る様は、滑稽で、単純な笑いや興味を引くことになる。大我が唯一公開している特技の一つである。
 「あははははは」
 クラスメート達は無邪気に笑うが、カニ走りが案外難しく、ある程度の訓練が必要なことに誰も気がついていない。大我には笑うクラスメートがバカに見える。だから、ヒラヒラと左右に反転して走りながら、思わず笑ってしまう。だが、大我は見逃さなかった。柊あおいが、大我の走る姿を見て、笑うどころか、不快な表情を浮かべているのを見つけてしまった。ハリボテの評価は一律の方が便利である。破けを見つけると、突然の暗闇に放り込まれるような嫌な感じがする。しかし、これは追ってはならない。追うことによってハリボテそのものが崩れる。
「おーい、集まれ!橘、ふざけてないで集合だ!」
若い体育教師の田中が目を細めてグランドに出てきた。中学生達は仕方がないように整列を始める。大我も注意されたので、急いで列に紛れ込む。
「今日はマラソンをする。十キロマラソンだ。ふざけなかったら授業中に終わる。終わらなかったものはサボっていたと判断する。早く帰ってこないと教室で着替えることができないぞ!あと、昼休憩が短くなる。」
一同からマラソンに対するブーイングがあったが、田中は素知らぬ顔をして説明を始める。
「学校を出て右に行って、公園まで進み、戻ってくる。折り返しの公園で副担任の下山が見張っているからな。チェックがそこで入る。サボったり、逃げたりしたら、すぐわかるからな。じゃあ、スタートするぞ。それと、橘、おまえ、さっきのカニ走りでマラソンできるか?」
大我にとっては簡単な話だったが、ここで目立ってはならないと
「先生、無理です。十キロなんて、やったことありません。」
「そうか、でもな、昔の飛脚は、あの手足同時出しで遠くまで走っていたらしいぞ。なにやら、体が疲れないらしい。お前ならできると思ったが、無理か。」
「はい、無理です!もし命令したら虐待って訴えます!」
ここでクラスメート達が笑った。田中も笑っていた。大我はカニ走りの話題の時だけ、注目を集める、その時だけ人気者になれた。おとなしい普通の子であることは大事だが、あまり普通で特徴がないと、稔のようにイジメの標的になることがある。圭は「何か意味のない特徴を持って、周囲に少しだけ存在感を示せ」と言われたことがあった。小学校の時は手品を芸として自らのキャラクターを作っていたが、上手だったので話題になり目立つようになってしまった。その反省から、本当に役に立ちそうにない、滑稽な見せ場としてカニ走りを披露することにした。
 田中が笛を吹き、マラソンがスタートした。大我は真ん中ぐらいのグループでゆっくりと走り出した。隣にはダルそうに走る池原がいた。稔は隣のクラスだが、池原は自分のクラスで問題を起こすと内申書に悪いことが書かれるだろうと、同じクラスの人間をいじめるようなことはしなかった。教師達は、底抜けも多かったが、それ以上に、安定志向が多かった。自分のクラス内での犯罪は止めるが、自分のクラス外のことに責任を負いたくない。何もないのが一番と思う教師達が、問題を見えない出来事に変えていく。稔の苦悩は、悔しさは現実にあるが、教師達には見えない、知らない出来事になっている。まあ、教師達だけを責めるわけにもいかない。同じクラスの連中もそうなのだ。自分に降りかからなければ、人の不幸は、見えない、聞こえない、遠い出来事なのだ。
 「おい、橘、あの走り方って、追い突きみたいだが、お前、空手とかやってんのか?」
 走りながら池原が大我に話しかけてきた。確かに武術の体重移動そのもの動きで、追い突きみたいだというのなら、空手をしていることになる。だが、空手道のことは知らない。知っているのは殺道だけだ。
 「え、そうなの?空手の動きみたいなの?池原は空手とかしてるの?」
 「うっせえな、それはどうでもいいだろ?お前は空手じゃないのか?柔道?剣道のすり足なのか?相撲はないな、お前、太ってないからな。」
 「違うよ、お父さんが昔、子供相手の体操教室をしてて、そこで教えていたんだ。知らないか?橘体操教室ってのが、あったんだ。」
 「知らねーよ。お前の親父、そんなことしてたのか?でも、橘はカニ走りだけで、あとは運動神経普通ってことか、冴えないな。」
 池原は何か、がっかりしたような様子だった。大我はその様子から、池原は、おそらく、空手をしていて、そこで習ったことを格闘技経験者である誰かに試してみたいのだろうと理解した。確かに習った技は試してみたいが、大我が修行する殺道の技は、試すと問題が多い。ただ、大我はカニ走りの動きは、追い突きではなく、殺道の「倍速の足」だと説明したかった。空手より歴史が長いのだ、お前の未熟な格闘技とは違う、格闘ではなく、一方的に相手を消すための技の一部なのだ。と言いたいが、言ってはならない。殺道は極秘であり、周囲にそのことが知られたら、現在の継承者である圭に消されることになる。
 池原と話していても面倒な気持ちになるだろうからと、距離を置くことにした。だが、友達である稔をイジメていることに対しては、少し腹が立つ。
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