四人目の母

文字数 3,851文字

 「・・・まだ、見つからないのか?」
 刑事課課長の東堂、ボスは窓際に立ち、ブラインドの隙間に指を突っ込み、外を眺めながら、太陽の眩しさにイライラしたのか、大我の行方を掴めないのか、その両方なのかハッキリしないが、強い口調で山岸係長に質問する。
 「はい、まだ見つかっておりません。しかし、私は、中学生の大我くんが、三人の女性を殺したようには思えないんです。ボスの思い込みではないのですか?」
 「・・・まだ、そんなことを言っているのか?不審死、接点は橘大我、死亡推定時刻に現場にいた。死因は不明だが、そんな偶然があるか?これ以上被害者を出してはならない。大我の逮捕、いや、確保が先だ。ところで、原井知世と稲尾泉の関連はあったのか?」
 「それは全く無かったです。稲尾泉と柊恵のような関係はありませんでした。」
 「・・・じゃあ、原井知世と柊恵の関連も無いのか?」
 「はい、それも全くないですね。原井は雑誌編集者を経て、フリーライターとして社会問題に切り込んでいたようですが、その取材の対象に稲尾泉、柊恵はありませんでした。ただ、彼女は独身なんですが、子供がいるようです。父親になる男に引き取られたようです。」
 「・・・三人の共通点は、母親ってことか。」

 眼下には、地方都市の街並みが広がっている。高くても二十階程度のビル、その合間に小さな家が並び、道路は狭く網目のように広がっている。不揃いな細胞に、不出来な血管が張り巡らされ、そこに流れの悪い血が巡っているようで不効率に見えるが、街は思った以上に生きていた。成り行きで出来上がったような完成図は、まだ完成しておらず、いつ不能になっても不思議では無いが、しぶとく息づいている。複雑に入り組んでいても、どこかでバランスを取ろうとして、それが理想では無いが、それよりも強い完成を作り得る。そのうち終わりが来るであろうが、しかし、放っておいたら、滅びないだろう。絶え間なく動き続ける小さな都市の無限を大我は感傷深く眺めていた。
 隠れるなら低い場所、地上、高い場所と色々あるが、地上では知らぬ間に追い詰められるだろうし、地下ならそのうち果てる。高い場所は孤立するが、長いこと見つかりにくい。「人は探し物をするとき、上を向かない。」圭が山で教えたことが、街中でも通用している。
 昼の間は、することもなく、こうやって街を眺めている。暗くなると、オフィスビルも人気がなくなり移動が容易くなるので、大我は鉄板製の外階段を音も立てずに降りて、ビルとビルの隙間の産道から抜け出るように夜の街に生まれ落ちる。大我は暗く冷たい石畳に自ら産み落とし、誰からも見られず、誰からも歓迎されず、闇に紛れるように、世界に入っていく。
 もう十二月になっていた。あと一ヶ月で本当の母親を見つけないといけない。そして殺さないといけない。大我はそれを考えると、足元のビルが崩れるような不安感を覚える。稔から送ってもらったスマホに記録された「ボヘミアンラプソディー」を聞く。人殺しをしてしまい、それを嘆き、母親に助けを求める歌詞の内容だと調べて知った。大我は稔は何かを掴んでいる思い、稔との連絡を絶ったが、稔からは「どこにいる?」「警察が来たよ」「この曲を聞いて」と一方的なメッセージが届く。これまでの世界と関わりを絶ったなかで、これまでの世界からの呼びかけは、邪魔なようで、しかし、暖かさを感じずにはいられなかった。
 遠くの黒っぽく見える山が空の果てを塞いでいる。建物の凸凹がうねって、目前の空間の広さを引き裂いている。その隙間に、大我はピンクと白と青と黄色の小さな動く点を見つけっていた。派手な格好の女、母候補である郁背マナだった。今、マンションの入り口から街に出ていく。派手な熱帯魚が灰色のドブ川に流されたように、ひどく目立った。この時間に出るということは、今日は火曜日だろう。火曜は昼に出ていく。昼日中の尾行は、追いかける方が目立ってしまうが、暗闇のように見失うことも少ない。曜日ごとに出ていく時間が違うが、行動の概要を知るには、昼の方が良いこともある。大我は悩むことなく、音もなくビルから駆け下りた。
 日中のオフィス街、ビルの谷間の産道を抜けると石畳に転がり出る。行き交うビジネスマンたちは一瞬目を向ける人もいるが、意味不明な中学生に注意を引くほど暇では無いし、関わりを持つことで時間を失いたくないのだろうから、案外注目されない。しっかり見ているのは、街中の一つ目の黒い鳥たちぐらいだろう。大我は埃を払うと、石畳から立ち上がり、灰色の街に紛れていく。道路の向こう側に派手な郁背マナの姿を見つけた。向こうはこっちを見ていない。これで見る側の優位に立てた。
 完全には新しくなりきれない街、古い商店街や、空き家があり、最新のファッションビルやオフィルビルが混ざっている。大通りは広いけど、裏道は古い規格のまま、大きな車が離合するのには向いてない。見慣れているが、突き放してみると混乱している。その中に、白いジャケット、真っ青なのミニスカート、ピンクのカバン、黄色に見える金髪と、街の灰色を跳ね返すような鮮やかな色を郁背マナは目立った。岩山に飛ぶ一匹の蝶のように、目を引く。また、マナは、細面だが、目が大きく、鼻筋は通り、膨らんだ唇は魅惑的だった。三十歳には見えない。もっと若く見える。
郁背マナは表通りの道端で立ち止まり、キョロキョロしながら何度もスマホを見ている。
 それを裏通りの角から見張っている大我。郁背マナは待ち合わせか何かをしているのだろう。と大我は見ている。相手は誰だろう?そこに黒いセダン、Sクラスのベンツが乗り付ける。マナはドアを開けるとサッサとベンツに乗り込んだ。ベンツは無理やり車の流れの中に入り込んでいった。通りに出て黒いベンツを目で追ったが、それに意味はない。明日の朝まではマナは帰ってこない。また住処であるビルの屋上に戻ろうかと考えたが、日中にオフィスビルに入っていくと、あまりにも不自然で目立つ。警察に電話されたら、すぐに特定されてしまう。原井の家から出て二週間経つ。まだこんな近くにいるだろうとは警察も思うまい。それに疑わしいだけで、なんの証拠もないのだ。指名手配までは出来ないだろうし、町中の監視カメラの映像を探るのは、まだ先だろう。いや、始まっているかもしれないが、こんなオフィス街ではないだろう。なにしろ、街は人を隠すために出来ているのだから。
 大我はビルのガラスに映る自分の姿を見た。流石に小汚くなっている。黒いダウンジャケットは、ツヤをなくし、さらに闇を含んだようにくすんでいる。黒いズボンも、埃汚れみたいなもので、白けてきている。寒いから汗をかいてないが、自分が思うより悪臭を放っているに違いない。靴下を履き替えたい。原井の家を出るときに、財布から抜き取ったお金はなくなろうとしている。山に籠もればお金がなくとも生活はできるが、街中ではそうはいかない。街は人の生き物としての能力まで隠すように出来ている。
 大我は夜に屋上に戻るまで時間を潰すために冬の街を歩いている。石畳は固く、膝に衝撃が溜まっていく。土の上を歩くように人の体ができていることを思い出す。おそらくそれに気がついているのは、ほんの少ししかいないだろうと思うと、大我は少しだけ誇らしい気分になる。
 「あれ」
 思わず大我は声を漏らした。目の前から派手な女が歩いてきた。郁背マナだった。何があったかは分からないが、車から降りて歩いていた。金髪を揺らして、目は大きく、だから表情を消すと、ひどく冷静に見える。真っ青なミニスカートから伸びる足は、白く、細く、長い。動くたびに筋肉の張りが見える。しかし、柔らかな感じがする。女としての色気が強い足であり、非常に魅惑的だった。灰色の惨めな街に、一輪の大花を落としたような、目立ちようだった。すれ違う男たちは、何気にマナの事を振り向きざまに目で追っていた。どんどん近づいてくるマナを見つめていると、マナの華によって視界が、世界が一杯になっていくような感覚に見舞われた。大我は花を見つけたミツバチのように、マナに強い興味を持った。目の前まで花が近づいてきた。ミツバチのように吸い付くように近づきたかったが、そんなことをすれば、花は去っていくだろう。ここで逃すと、蜜を吸うことができない。だが、何を言って近づけばいい?大我は迷いに迷った。またひとりぼっちのビルの屋上に戻って次の機会を待つこともしたくなかった。大我は迷った挙句に、勝負に出た。
 「お母さん!」
いきなりの大我の問いかけにあからさまに困惑を含んだ不快な顔をする郁背マナ。
 「はあ?何あんた?知らないんだけど?」
 「郁背マナさんですよね?」
 「えっ、なんで私の名前知ってるの?怖っ!」
 大我は間違った手段をとってしまったと後悔した。恥ずかしくて顔が真っ赤になる。
 「すみません、間違いです。ごめんなさい。」
 大我は慌てて取り消そうとした。間違いを恥じているのでなく、自分の行動を恥じているのでもなく、郁背マナがきれいだから、恥ずかしくなってしまった。認めた美に見下されると、何か自分が小汚く、存在が相手に追いついてないような惨めさを強く感じた。消えてしまいたい。大我が恥ずかしさで、いたたまれない気持ちで立ち去ろうとすると、郁背マナが大我の背後から肩に掴んできた。大我はマナのふわっとしたいい香りを感じた。
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