順番

文字数 3,751文字

 走りながら、池原を懲らしめる作戦を考えたが、今はやるべきことがある。だが、気が進まないので、稔のいじめ問題解決に思いを巡らす。
 「しがみつく」
 圭の言う言葉が思う浮かぶ。面倒なことがあると、楽な方に目的を見つけ、そこにしがみつこうとする。しがみついている間はもっともらしいことを考えるが、それは正解ではない。大我は、ずっと前から父に見透かされたように思い、少し恥ずかしい気がした。今やるべきことは決まっている。それが、いくら嫌なことであっても、そこから逃げてはならない。
 十キロ走った後のクラスメートたちのほとんどは大汗で、肩で息をしていたが、大我は汗の一滴も書いてないし、まったく疲れてもいなかった。しかし、ここで平気な様子を見つけられると、印象を残してしまうので、わざと水で顔を洗い、くたびれたようにヘナヘナと歩いた。
 「パン買いに行かなくっちゃ。」
 一緒に昼飯を食べる席が近いだけの友だち、おとなしい谷と地味な田中に大我はそれとなく告げる。
 「ああ、大我のところ、お母さんいないんだっけ?」
 おとなしい谷はデリカシーのないことを言い、地味な田中が触れてはならないと会話を消しにかかる。大我は、自分が常日頃からさりげなく作ってきたプライバシー予防線が機能していることを確認すると、パンを買いに教室を出た。
 本当は腹など減ってないが、食べない事実を観察されると、いらぬ目を増やすことになるので日常を演ずる。と同時に、稔のことが気になって、パンを買った帰りに稔のクラスに寄るつもりだった。が、購買部でパンの順番を待っている時に、稔が数人に取り囲まれて校舎の外に連れ出されるのが見えた。稔の肩に池原が手をかけている。行き先は体育館の裏だろう。パンの順番から離れて、バレないように尾行をした。稔は先生を呼んで来てくれと言っていたが、それが解決になるとは思えない。呼びに行くことで、それが判明すると面倒なことになる。いじめの標的になっても、べつに辛くはないが、エスカレートした際に絶対負けない自信があるが、それによって、色々と正体を嗅ぎ付けられるのでは?と思っていた。稔の周りにいるのは池原と手下が四人。三十秒もあれば、すべて片付けることができる。

 「おい、稔、ちょっと、突っ立ってろ。倒れたら、パンチで済まなくなるから、しっかり立ってろよ。」
 池原が首を斜めに構えて、見下ろしように稔を脅す。理由なんてなくて、ただ、気に入らないからと、抵抗しないからと、稔は標的にされていた。体育館の裏は細い通路になっていて、外を囲むフェンスの裏は森になっている。どこからも見られることがない場所だ。稔は表情が消えて、萎んだような顔をしていた。昼休憩中、三十分ほど上半身を殴られるのだ。昨日の殴られた箇所も痣になってまだ疼くが、完治など待ってはくれない。稔は諦めて、踏ん張った。膝に力が入る様子を見て、池原は稔の膝の力が抜けるまで攻めようと決めた。池原は右の中段突きを稔の腹をめがけて突き出した。左の引き手を意識した空手の基本練習通りの突きだった。拳は稔の胃の上部あたりを突き上げ、胃液が食道を登ろうとする。重い痛みとともに、熱いように感じられる酸っぱい胃液が喉元まで迫ってくる。稔は必死に堪えた。胃液は下がり、次の攻撃に備えて、腹筋に力を入れたが、池原は腹に力を入れたのを見て、今度は肘を直角に曲げ、体を素早く回転させ、左フックを稔の頰に打ち込んだ。鈍い衝撃が稔の脳を揺らす。目の前がチカチカと暗くなり、立っているのもやっとだが、その時、池原の後ろに立つ四人が倒れこむように見えた。音もなく、素早く動く人影、誰だろう、いや、何だろう?
 池原の後ろに四人が並んでいた。ニヤニヤと稔が殴られているのを見ていた。そこに集中していたので、大我は動きやすかった。稔だけは、正面から大我を見ることができるので、稔の顔にフックが打ち込まれたのは、攻撃のチャンスとなった。大我の手は一見、しなやかに見えるが、実に硬い。全ての指が小さな頃からの鍛錬により硬化している。手を瞬時に連続水平移動させ、四人の傍観者たちの首の骨の少し上、後頭部の根元のある部分に指先を次々と突き刺していく。打撃面を小さくすれば、一点の打撃力は何倍にもなる。体全体をしならせて、軽く素早く指を振れさせ、突く瞬間に筋肉を絞り、体全体の動エネルギーを指先打撃に一点集中させる。後頭部の頭蓋骨の奥には小脳という部分があり、体のバランスをとって、スムーズに手足を動かしたり、体の向きを整えたりする働きを担っている。この小脳に、これまで受けたことがないような強い一撃を打ち込まれると、体の動きがパニックを起こし、立っていられなくなり、さらに、その衝撃は小脳を超え、その奥にある脳幹に衝撃波となって到達する。呼吸や心拍を司る生命活動の中枢部分があり、この中にある脳幹網様体賦活系という組織は「意識」にとって非常に重要な機能を持っている。今までにない強い衝撃がここまで伝わると、体はまともに立っていられなくなり、脳を衝撃から守るために、意識を遮断する。四人は静かに、しかし唐突ではない倒れ方をして、テレビの電源を切られたように、意識がすっぱりと失われた。
 同時に稔も、素早く動く人影を見ながら、フックによる脳震盪で意識が失われる。
 「一発で仕留めた!おい、見ろよ!」
 池原は得意げに振り返るが、そこには四人の倒れた姿。次の瞬間、首の後ろに強い衝撃が走り、脱いだシャツを床に立てるように置いて、それが萎むようにゆっくりと倒れるように、池原はフニャフニャと意識がかすみ、体が萎んでいった。
 大我の目の前に六人が倒れ込んでいた。周囲を見て、誰かがいたら、自分も倒れこもうとしたが、視線は全くなかったので、そのままカニ走りで音もなく立ち去った。

 教室でパンをかじりながら、仕留める順番があれで良かったのか考えていた。対面する稔の池原の攻撃で意識が飛ぶだろうと判断して、後ろの四人から仕留めたが、本当は対面する稔を自分で確実に仕留めて、目撃される可能性を確実に消した方が良かったのでは?と思ってしまう。池原のフックなんて、本当に効いたかどうかわからない。殴られながら、実のところ、自分が四人の後頭部に一撃を加えているのを見られているかもしれない。もし、稔が見ていたら、稔はなんて言うだろう?いや、言う前に消す必要が出てくる。本当は、稔の言う通り、先生を呼びに行くが順番としては正解だったのかもしれない。
 「おい、池原や戸高が体育館裏で倒れてたって!見に行こうぜ!」
 もう発見されたらしい。弁当を食べ終わったおとなしい谷と地味な田中はカバンに弁当箱を納めて、代わりに本を取り出した。見に行くことはないようだ。
 「谷、田中、見に行く?」
 「行かないよ。もし、そんな無様な姿を池原が見られたら、絶対にちょっかい出してくるし、稔みたいになりたくないし。」
 「稔みたいって?」
 「大我、知らないの?稔と仲良しなのに。夏休み明けから、なんか、塾の成績で稔が池原の上行ったからって、逆恨みされて、いじめてたんだよ。ああ、大我って塾とか行ってないから知らないか。」
 おとなしい谷が失言をした後、地味な田中が谷の袖を引っ張る。わかりやすい同情のようなものは、案外腹がたつ。大我は正直なところ、二人とも嫌いだったが、おとなしい生徒としてクラスに馴染むのに田中と谷は、ちょうど良いから一緒にいる。本当は、池原たちのように首の後ろをスパッと突いてやりたい。

 大我は稔と一緒に学校から帰るつもりだったが、一人で家に帰った。一方で、倒れた六人は保健室に軟禁されている。医者が学校に呼ばれ、六人を診察し、どうやら脳震盪を起こしたらしいと、大事を見て経過観察をしている。倒れた六人も何があったか理解できてないので、医者に従い、保健室のベッドで横になっている。一番意識がはっきりしていたのは稔だった。稔は一瞬気を失った程度だった。稔はこれをチャンスと、池原たちに囲まれて殴られたことを駆けつけた先生に言った。池原たちは、自分たちを何者かが襲ったことは間違い無く、原因を誤魔化すと、また不意に襲われるかもしれないとイジメのことを正直に話した。先生たちは池原たちを注意しながら、稔の交友関係を疑った。稔を助けるために、恐ろしいものが動いたと思ったが、それを誰も見ていない。「守護霊とかそういうものが・・」と漫画が好きな理科の高城先生が他の先生に言ったが、何も言われず無視された。保健室のベッドは4つしかなかったが、稔は優先的に一人で横になっていて、池原はフラフラしながら稔に近づいて、先生がいたからか、守護霊が怖かったのか、はっきりしてないが「これまでのこと、ごめんなさい。」と謝った。先生方はとりあえず、何か解決したかのように振る舞い、池原の手下四人は、そんな先生方に促されて、なぜか拍手をした。

 大我は家に帰ると、母親ノートを取り出した。上から順に名前が書いてあり、メモもその名前の順番で各2ページづつ圭の手書きでまとめてある。一番初めは「板橋明美」一番最後は「稲尾泉」。ガイドに沿って順番を守った方が効率的に違いない。
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