線破

文字数 3,390文字


 「ねえ、暇?付き合ってよ。ってか、その前に、君、汚いね。」
 綺麗なマナに汚いと言われ大我はたじろぐ。恥ずかしくて惨めな気持ちがする。顔を真っ赤にし、萎んだように泣きたくなった。これまであまり感じたことがない感情が大我に沸き起こっている。マナに言い返さないといけないと思いながら、口の中に言葉が張り付いて出てこない。本当は走り出して逃げたかったが、マナの肌は白く綺麗で、目は大きく澄んでいる。形の良い鼻に欠点はない。なにより、ふっくらと膨らんだ真っ赤な唇が、隠微な想像を掻き立てる。顔は小さいが艶やかなのだ。指は透き通るように白い、そして、細く儚い。
 「何じっと見てるの?ちょっと、君、臭いから綺麗にしようよ。ついてきて。」
 マナは毅然とした冷たい感じから、少しだけ感情を緩めて、少し親しげに大我に話しかける。微笑みだった。大我はその微笑みに胸を貫かれたような衝撃を受けた。魅惑的なマナの表情に虜となってしまった。興味が湧き上がるが、その興味は親しみとか、淡い恋心とかではなく、もっと焼け焦げるような激しい情欲だった。
 「ついていきます。」
 大我は小さな声で答えて、緊張した面持ちでマナについていく。雑踏の中、灰色の冬の街、マナだけが極彩色の花のように色を持っていた。真っ黒に薄汚れた大我は、花につられた蛾のようにふらふらとついていく。街ゆく男たちはマナの華に引かれたが、大我の闇には気が付きもしなかった。大我の姿を捉えていたのは、町中にばらまかれた黒い一つ目の鳥だけだった。

 「・・・いい女だな。」
 「ボス、おそらくこの辺りにいるはずです。大我くん、こんな寒空でたいへんだろうに。」
 「・・・ん?」
 「ボス、どうかしましたか?」
 「・・・いや・・なんだっけ?」
 ボスと山岸は大我を探して近くまで来ていた。マナの後ろに大我が歩いていたが、マナの存在感が目立ち、ボスと山岸は気配を消した大我を見逃してしまう。

 「ああ、ついてきてたんだ。逸れたのかと思った。玄関まではいいけど、部屋には入らないでね。」
 女の匂いで充満した部屋だった。広いマンションは間接照明で眩しくはなく、しかし、その薄暗さが、マナの存在を大きく映し出す。柔らかな光が、マナの顔の曲面を儚げに映し出す。見惚れる大我。部屋に入らないでと言われたが、犬のように待たされると切なくなってしまう。マナは部屋の奥に行きカゴを持ってくる。
 「服脱いでこれに入れて。洗濯するから。さあ」
 いきなり脱げと言われて、大我はまごついたが、しかし、マナの命令であれば、逆らうことができない。薄暗い中、輝くほどの存在感を放つマナの前で、薄汚れた服を脱ぐ惨めさで、大我はめまいがしたが、同時に鼓動が激しく脈打ち、喉が渇く。
 大我は自分で皮を剥ぐように黒い汚れを脱いでいく。皮をはいだところで美しい中身が出てくるわけでもないが、大我は人殺しの中身を見透かされるのではないかと、戦慄する。惨めさと恐怖、戦慄で参ってしまいそうだが、しかし、どうにも大我の股間は膨れ上がっている。
 「さあ、全部脱いでよ。その汚れたので部屋の中ウロウロされるのヤだから。」
 見下したような冷たいマナの声、しかし、大我はその声に囚われる。目の前で言われたが、耳元で響くような女の声。首筋に冷たいものを感じた。神経が参ってきたのかと思ったが、この冬の最中、裸にされて、しかし、汗がつたっていた。
 「ほら、全部よ。最後の脱いで。あんたの小さいの見てもなんでもないから。さっさと脱いで。」
 男ではない、子供扱い。大我は怒りを感じたが、そのおかげでそそり立った大我の股間はすっかり萎んでしまった。しぼむと冷静になるのか、必死で手で股間を隠しながらパンツを脱いでカゴに入れた。
 「武士の情け。」
 少し笑ったマナはそう言うとバスタオルを大我に渡す。ひん剥かれた大我は言うことを聞くしか方法がなく、バスタオルで下半身を隠した。
 「スリッパ履いて、ついてきて。」
 フローリングはピカピカで、壁にはシミひとつない。天井はマンションなのに少し高めで開放感を感じる。それに奥にある窓は大きく街の全景が広がって見える。ソファーやローテーブルは大きく立派なものが揃えてあり、壁いっぱいのテレビ。稲尾泉の家もお金持ちのそれだったが、ここもベクトルは違うが価値が高いものが揃っている。
 お風呂に連れて行かれた。真っ白なバスタブは大きく、心地よい清潔感にあふれていた。暖かい湯に使っていると、寒さと乾燥でひび割れていた全身が潤っていくのがよくわかった。山ごもりから降りた時に感じる文明の暖かさを他所の家で感じるとは思わなかったが、その感触が懐かしかったし、この場を身近に感じさせた。
 風呂から上がるとタオルと下着と男物の部屋着が用意されていた。大我はその自分のために用意されたが、自分のものではない部屋着に対して嫉妬を感じた。しかし、着るしかない。
 「さっぱりした?」
 そう言うとマナが覗き込むように大我に近づいてくる。急な接近に大我は部屋着に対する嫉妬をすっかり忘れ、潤うマナの瞳に吸い込まれていた。
 「ありがとうございました。」
 「そうよ、感謝しなさい。あんたみたいなホームレス、風呂に入れて部屋に入れてあげたんだから。でも、思った通りね。」
 「なにがですか?」
 「可愛い顔してる。ちょっと若いけど、好みのタイプ。」
 太陽は傾きつつある。部屋は外より薄暗く、闇がうっすらとかかっている。白が、よく見ると灰色になる時間だった。思考は弱まり、皮膚感覚だけが突き出てくる昼下がり。マナは白く冷たい手を風呂上がりで湯だった大我の顔にそっと当てる。その温度差に大我は異物感を覚えたが、それが、すぐに侵食されていくように馴染んでいくのも理解できた。マナは大我の顔を手繰り寄せて、舌の先を唇から漏らすように淫美に出すと、かぶりつくように大我の唇を奪った。突然のことで大我は戸惑うが、それ以上に強烈な電圧が胸を瞬時に撃ち抜いた。マナの舌先が大我の口の中で泳ぎ、大我の舌先を探し出す。溶けるように舌先は交わり、大我も我慢できずにマナにしがみつく。大我の内側にマナの体はすっぽりと包み込まれたが、マナの存在は大我に飲み込まれることはなかったが、大我の方がマナの存在にすっぽりと取り込まれてしまった。マナの舌の動きが電気を放つように強い刺激で大我の脳を滴り這う。ビリビリとした刺激が大我の脊髄を意地悪に高揚させる。二人は絡みながら、はまり込む行き場を探りながら、衣服を器用に捨てていく。顔と顔が張り付き、胸と胸が合わさり、太ももと太ももが汗ばんで重なる。二つの体は一つになろうとしていた。マナは初めからそのつもりだった、大我はそんなことを思いもしなかったが、体は従順にマナに従い、行動を起こそうそしていた。
 もつれ合うように二人の体は絡み合い、口で、指で、表皮でその存在を確かめ合いながら、ガラスの向こうの、灰色がかった昼下がりの景色は背景にもならず、部屋の中の外光を照明が消し去るような光量不足な静かな部屋で、体の色、血色だけが艶めかしく存在し、体温が合わさり、暖め合い、激しく擦れ合う。
 これは、愛でも、恋でも、憧れでもない。情欲だった。マナは大我を招き入れ、大我はそれに答えた。寂しかったわけでも、恋しかったわけでもない。感情なんて全くなくて、ただ、その姿が欲しくて、体が欲しくて、それに手を伸ばし、触り尽くし、舐め尽くし、混じり合っただけだ。
 全力疾走後の息切れ、事が終わり、二人はぐったりと重なっていた。目を開けるとすぐそばにマナがいて、髪の匂いを嗅いだ時、大我は自分のしたことに気がついた。あまり興味がなかったが、すっかり体は酔いしれていた。柔らかなマナの体を指でなぞり、柊あおいの少し硬い白い肌を思い出した。熟するとはそう言う事なんだろう。マナと比べた事、柊あおいにできなかったことをした事、柊あおいの存在に対して、申し訳ないような、後戻りできない後悔を感じた。
 「今、他の女の事、考えたでしょ?腹たつ、離れて!」
 マナはキッと大我のことを睨み付けると、強い力で大我を押しのけた。困惑する大我は裸の自分をマナの前に晒したことが急に恥ずかしくなったし、裸のマナの美しさに見惚れてしまった。もう一回、やりたい。
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