理性と感情

文字数 2,265文字


 初めてやり遂げたという満足感が湧くわけでもなく、ただ、選択間違いを犯したのではないかという後悔の念が渦巻いていた。恵は母ではない。いや、もしかしたら母なのかもしれない。確証を得る前に実行に移してしまった。実行は落ち着いた心境ではなく、ただ、焦りから生まれ、反射神経で行なった。殺人技が体に染み付いているので、理性が効かないと止めることができず、すんなりと実行できることがよく解った。体は思いや意志で動くのではなく、反復で染み込んだ練習の成果、積み重ねの鍛錬によって動くのだ。その動きは、動かしたことがない動きはしない。体の可動域は、体験に限られる。
 そういった実感は大我に自信を与える。これまでの訓練は無駄ではなかった。しかし、同時に表層には現れないが、生まれてからのあれだけの訓練の目的が「人殺し」だった事実が気がつかない濃い影となり、大我の足元から伸びて消えることなく、艶なく染みる。

 大我とあおいは警察署に連れて行かれて、ボスの指示で取り調べに近い聞き込みを受けた。大我はあおいと宿題をしていると恵が部屋に入ってくるなり倒れたといい、あおいは大我と部屋にいたところ恵が入ってきて、その様子を見て倒れたと言った。
「・・・宿題の内容はなんだ?」
ボスの疑念は宿題の内容だったが、大我は数学の宿題と説明し、あおいは宿題を一緒にしているとは言わず、大我と部屋で学校のことを話していたと言った。ボスは二人の見解の違いを男と女の違いではないかと思っていた。男は理由で生きる、女は感情で生きる。ボスはその答えを導き出したことに満足していた。
 「・・・二人を一旦返せ。だが、定期的に観察しろ。」
 「ボス、あの子たちは被害者ですよ。」
 「・・・被害者だったら、涙の一つでも見せるはずだが・・」
 「ショックが酷くて、自分を失っているんですよ。」
 山岸刑事はボスの追求を防ごうとした。子供達はかわいそうだからそっとしておくべきだ。人情家の山さんの思いはボスに伝わったかどうかわからないが
 「・・・だったら、定期的な観察は重要だ。まかせたぞ。そうだ、昼飯にしよう。チャーハンとライスを頼んでくれ・・・」

 「大我くん、これからどうする?」
 警察から出て、二人は並んで歩いている。あおいは大我に対して探るように呼びかける。大我は用事が済んだから、柊の家にいる必要はないと思っている。だが、このまま去るとあおいが事実を話す危険がある。
 「柊さん、僕にどうして欲しい?」
 「・・よかったら、まだ、うちにいて欲しい。」
 大我は黙り込むしかなかった。柊あおいは、自分の母親が、僕に殺されたことを理解してないのか?目の前で見たことを無かったことにしたのか?衝撃的すぎて、記憶から飛んでしまったのか?もしくは、望んだ結果だったのか?大我は理屈であおいの気持ちを捕まえようとしたが、理屈には限界がある。どうしても理屈には原因がいるのだ。その原因が不明なら、結果も不明になってしまう。
 大我はあおいと歩きながら、あおいが考えていることを考えていた。こんなに近くにいるのにさっぱり分からない。もし、あの時、恵が部屋に入ってこないで、あおいと繋がることができていたなら、あの続きを行なっていたなら、もしかしたら、あおいが今考えていることをすんなり理解できるのでは?と思ってしまう。あおいの吐息が目の前にあり、その温度まで感じていた。あの時、あおいの考えていることは、自分と一緒になろうとしていた。そのあおいの感情は理解できたし、それを受け入れたかった。でも、なんで受け入れたかったんだろう?大我は、自分の感情さえも理屈で考えようとしてしまい、考えが進まなくなってしまった。あおいは黙り込む大我に対してイライラした。自分はそばにいて欲しいと言ったのだ。気持ちを晒したのだ。なのに、なぜ黙る!あおいの感情は爆発寸前だったが、押し殺した。
 「・・そうよね、大我くんもショックだっただろうから、うちにいるのは、ちょっと無理よね。ごめんなさいね。」
 謝る必要もないのに、謝るあおい。自分の感情を押し殺して、逃げ道を用意したのだ。それでも黙っていたら、思い切り蹴り飛ばしてやろう。
 「ごめんね、僕は家に帰るよ。」
 大我は心弾んでいた。あおいはなぜか、何が起こったか理解してない。自分の家の不幸に大我を巻き込んでしまったと思っている。大我の中で理屈が通ると、感情は落ち着き、自分のことを考えたくなった。ただ、あおいは大我の感情の変化に気がついていた。厄介者扱いして!と少し腹が立っていた。その後ろに山岸刑事から指令を受けた、若手の刑事、宇梶が尾行していた。独身男の宇梶は、二人が並んで歩いている様子を見て、恋人同士のように見えて羨み、イラついていた。
「親が死んだのにデート気分じゃないか!」

 あおいを家の前まで送ると、荷物を持って大我は一人、自分の家に向かった。宇梶は役割では大我を尾行するべきだったが、山岸刑事から「二人の心のケア」と言われていたので、当然のようにあおいの家の付近に残った。美少女であるあおいを見るのは、宇梶にとっても悪い仕事では無かった。
 「最近の女子中学生は子供じゃないな、いや、そんなことを考えてはダメだ。彼女は母親を突然亡くしてしまったのだ。でも、かわいいな。仲良くなってみたいな。いや、俺は刑事だ。そんな未成年の女の子に気をとられてはいけない。」
 市営住宅の真ん中の公園で、宇梶は割と大きな声で独り言を繰り返して言っており、徐々に周囲に人が集まりだしていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み