三人目の母

文字数 3,413文字


 大我は対面のビルに潜んで原井のマンションを覗き見ている。夕方、部屋の明かりが点いた。こちらからは見えないが、覗き見できる。可視の一方通行の優位性にしがみつき監視する。原井は痩せた黒髪の女で、一人暮らしのせいか、ほぼ無表情だった。泉のような柔和な表情や、恵のような相手に融合するような表情は見せない。一人でいるからそれは当たり前かもしれないが、平たい表情が張り付いているように馴染んでいて、誰も寄せ付けないように見える。あの表情は、父のそれと似ている気がする。それに部屋の様子も、白い壁ばかりが目立ち、調度品の類は何も置いていない。大我にとって馴染みやすい部屋の様子だった。 
観察したところで、何も大きな変化がないだろう。解った点としては、一定のリズムで生活しているので、立ち入ることが難しいように感じる。原井は引き算は得意だが、足し算に難色を示す生活をしていると大我は判断した。

「大我、おはよう。やっといたよ。でも、なんで、こんなことするの?」
稔が登校中に話しかけてきた。理由は聞くなと言っておいたが稔は知りたがる。大我は面倒だと思いながら、稔の利用価値を見つけていた。
「ありがとう。で、返事は来てたの?」
「うん、真夜中に送って、真夜中にね。内容を転送しておくね。これ、大我のお父さんの仕事の手伝いか何かなの?」
「あまり、聞かないでくれないか?それと、さっぱり忘れて欲しい。」
「ああ、そうだったね。ところで、昨日の晩、東堂ボスがうちに来たんだ。で、大我と柊さんのことを聞いたんだけど、同じクラスにいるだけだと言っておいたけど、なんでそんなこと聞いてくるんだろうね?もしかしたら、柊さんのお母さんが死んだことが、稲尾泉さんの死んだことと関係があるのかな?」
藪から棒な稔の質問に言葉を失う。ボスは何か気が付いている、いや、繋げようとしている。証拠なんてないんだから、放っておけばいいけど、でも、稔を使って、監視しているのに違いない。もし、稔が昨日の自分の様子をボスに伝えていたのであれば、疑いは晴れるかもしれない。ただ、稔が消えて欲しい。もし、池原グループをやっつけた記憶をボスに言われると、全てがダメになる。こいつは危険だ。大我は表情を極力殺して、差し障りない返しを考える。
「稔、叔母さんが死んだこと、朝から聞きたくないんだけど。でも、柊さんのお母さんって死んだの?」
「・・・らしいよ。・・・ごめんね。」
稔は不可解な顔を一瞬して、しかし、何か察したように沈んだように返事をした。大我は稔が何かをボスから聞いているのか気になったが、ここで詮索するような真似をすると、自分の首を絞めてしまうことになるだろうから、これ以上の追求を諦めた。
「・・大我、なんか落ち込んでいるみたいだから、あとで曲を送っておくね。長い曲だけど、いい曲だから、聞いてみてね。」
稔は大我に古いロックの名曲を勧める。大我は興味ないが、稔の趣味に合わせて聞いて感想を言う。ただ、ほとんど洋楽なので、歌詞の内容がわからず、音楽そのものの感想を言うしかない。曲の名前も見ないが、気に入ったものは番号をつけて、何度も聞いている。

学校に着くと稔とはクラスが違うので別れて自分のクラスに向かうが、そこには柊あおいの姿はなかった。クラスのみんなはあおいの母が死んだことを知っており、それで休んでいると理解していた。昨日休んだのは、あおいと自分だけだったが、どうも、朝のホームルームで先生から連絡があったらしい。
「おい、大我、知ってるか?柊の母さん死んだの?」
「うん、朝、稔から聞いたよ。柊さんも大変だろうね。」
「でも、大我も叔母さん無くなったんだろう?あのお金持ちの。なんか、噂になってるんだ、殺し屋がこの街にいるんじゃないかって。」
おとなしい谷が親切のつもりで大我に話しかける。あいかわらずデリカシーがないが、装飾のない情報は大我にとって重要だった。そこに田中が割って入って谷を制止しようとしたが、大我は構うことなく谷に聞きただす。
「殺し屋だって?誰がそんなこと言っているの?もし、そんな奴がいるんなら、俺が叔母さんの仇を討ちたい。」
田中は、ほら見ろとばかりに谷を睨みつけたが、谷は御構い無しで
「刑事さんだよ。下校中に色々聞かれたんだ。その時、殺し屋がいるって面白そうに言ってたんだ。」
「刑事って、小太りのサングラスかけた中年?」
「ちがうよ。校長室に来てたボスじゃないよ。宇梶刑事って、若い刑事の人。自分で言ってたよ。たまにうっかり変なこと言うから「うっかりデカ」って言われているんだって。で、そのうっかりデカが、手当たり次第に同じことを聞くんだ。やばい奴を見てないか?やばい奴が学校にいないかって。でもさ、中学生の殺し屋なんていないよね。家でその話したら、お父さんが警察に電話してたよ。変なこと言うなって。」
「変な刑事だね。うっかりデカってふざけすぎてるよ。」
大我は少し苛立っていた。バカな刑事に噂を流させているのは、間違いなくボスだ。そのボスは俺に対して疑いをかけているし、あぶり出そうとしている。こうなると、ボスを殺さないといけない。

「君が、メールくれた橘大我くん?」
「はい、橘大我です。来てくれてありがとうございます。」
「原井です。こちらこそ感謝しています。ここ、寒いけど場所変える?」
薄暗い公園で待ち合わせにやって来た原井は、表情を和らげることなく、情報源である大我に興味の目を向けている。
「はい、ここなら誰にも聞かれないので、ファミレスとか行くよりかはいいです。」
「でも、薄暗い公園で長話してたら、通報されるわよ。今は監視社会なの。平穏に見えて、平穏じゃないのよ。だから、私たち理解ある大人が戦って、正していかないといけないの。それに、外は寒いじゃない?私の家、すぐそこだから、いらっしゃいよ。お腹空いてるでしょ?」
家に誘うところだけ、何か暖かな表情を原井は浮かべた。昨日、遠くから見ていた感じと少し印象が違った。年齢は四十代とあったが、それより一見若く見える。だが、近くで見ると痩せているからか、年相応に感じる。非常に痩せていて、何か疲れているようにも見える。そんな雰囲気で相手を労うような優しい表情を浮かべると、何か非常に暖かに感じる。悪い人には見えないが、しかし、泉や恵のような母性を全く感じない。独身者であるからそうなのだろう。この人が母親とは到底思えない。だが、父、圭と似たような雰囲気はある。自分にも備わっているが、孤独感を非常に感じる。
「さあ、入って。」
昨日観察していた通りの、殺風景な部屋だった。白い壁ばかりが目立つ。床には段ボールが数箱転がっており、その中は書類や書籍でいっぱいだった。
「何にもないでしょ?でも、私にとっては十分なのよ。一人で暮らしているからね。もし、私に子供がいたら、君ぐらいの歳になっていると思う。」
部屋の明かりはLED証明で、目に痛いぐらい白い。壁の白ばかりが目立ち、フローリングも白い光で冷たく見える。余裕とか寛容さが感じられない部屋だった。だが、それは大我にとって見慣れた日常のようで、豪華で趣味の良い泉の家や、生活品で溢れているが、整然と片付けられていた恵の家と違って、何か生活の重要なものが欠けているようで、女性の一人暮らしの家だが、まるで男の部屋のように思える。ここに圭が住んでいると言っても、違和感がないように思えた。大我にとっては、居心地がいいわけではないが、日常の延長にいるように思える。
「大我くん、まず手を洗って、うがいをしてね。で、上着はそこにかけておいて。」
それを済ませると、促されて二人がけのテーブル席に着く。真正面に原井知世が座っていて、じっと大我を見る。
「こうやって、直接問い合わせてくれるって、あまりないけど、たまにいるのよ。でも、私としては、直接声が聞けるって、助かるの。お父さんは、ほとんど家にいないって、書いてあったけど、そういった家庭は増えているのよね。それに対して、大人は、あなたたち子供を守る必要があると思っている。私たちは、子供達のために戦いたいと思っているの。仲良く不自由なく暮らしていくためには、願うだけじゃなくて、戦わないと、権利を得ることができないからね。誰かと戦うんじゃなくて、社会と戦わないといけない。社会が正しかったことなんて、有史以来一度もなかったんだから。」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み