嫌だけど家族

文字数 3,706文字


 大我は仕方なく玄関を開けると、すぐに後ろ手でドアを閉めた。
 「なんだ、おめえ?借金豚のガキか?」
 二人の男が立っていた。大我は躊躇することなく一人目の男の太ももにローキックを当てる。大我の脛と男の太ももと十字に重なる。打撃は面ではなく点で打ち込まれた。打撃は接触面積が小さいほど威力が増す。借金取りの太ももの筋肉を切断した。重い痛みで男がうずくまったところに大我は膝蹴りを入れ、鼻を砕いた。もう一人の男が、瞬時に行われた暴力についていけず、パニックになり怯んだ。大我は、怯んだ男を追いかけるように右手右足を同時に一歩踏み込み、踏み込みの勢いを利用して腰を回転させ、左の肘を怯む男の顎に打ち付けた。顎への強烈な打撃は脳を激しく揺らし、脳はその衝撃から身を守るために、リセットするように意識を遮断させる。瞬時に借金取りはスクラップにされた。大我がすべきことは、そのまま去っていくことだったが、ドアを開け、部屋に入った。
 「お母さん、やっつけたよ。」
 「マジで?タイガー、やるじゃん。」
 良美はファミチキで油まみれになった手と顔で見上げて、一個残ったファミチキを大我に差し出す。油と食いカスまみれの丸い手で握られたファミチキは、外袋が油染みだらけだった。大我はそれを受け取ると、その温かみに嫌悪を感じならが、袋を破き、グシャグシャに口へ押し込んだ。手や口は油まみれになり、良美はそれを見て笑った。
 小さな意識の共有が、まるで自分をどこかに閉じ込めるような狭苦しさを感じさせる。その惨めさが、良美を母親と思いたく無いが、それも仕方がないと錯覚させるような説得力を持ち始めていた。同じ家にいて、同じものを食べるとは、そういうことなのだろう。
 大我はゴミの中で興味のないテレビを見ていた。良美はテレビを聴きながらスマホで欲しいものを物色して、買っている。カード決済とかポイントとか色々駆使しているようで「買えんのか!ボケが!」「通った!」などと独り言が漏れる。これだけのモノに埋もれて、まだ、何が欲しいのだろう?関心を持ちたくないが、視界に入るので気になる。それを見まいとして、テレビに集中するが、テレビでは大食いとか早食いとか、ブタ良美の権化のようなことをずっと流しており、それに良美もチラチラと見て「うまそう」などと言っている。ゴミを見るか、豚を見るか、それを育てるメディアを見るかしか選択肢がない部屋だった。大我はさっきの暴力を思い出して、頭の中でもっとよい攻撃はなかったかと考えながら、いつの間にか眠った。
 真夜中になり、大我は気配を感じて起きた。まっくらな部屋の中、カサカサとかすかな音がする。それはあちこちからして、まるで部屋の中のレジ袋が呼吸をしているようだったが、足の先や首のあたりにさらっとした接触を感じた。大我は理解した。ゴキブリがたくさんいるのだ。修行中、山の中で眠っていると小さな虫が汗につられて、体を触りにくるが、それが街の中のゴミにあふれた部屋でも、それが行われているようだ。だから大我は、再び眠りについた。
 大我は明け方、寒くて目が覚めた。暖房が止まっていた。テレビもつかなかった。良美は眠っていた。日付の変更とともに電気が止められたようだ。ゴミが熱を吸っていたので、数時間は暖かさが続いていたようだ。大我はいっそのこと、このゴミに火をつけたらどうかと思った。欲と豚を火葬するのだ。大我はガスコンロで火をつけようとしたが、ガスも止まっていた。ゴミに包まれ、寒さに苛まれると、残りカスになったようで、生きているのが嫌になってくる。
 「さみー!」
 デブの脂肪の熱が放射しきったようで、良美は耐え切れず起きた。
 「また、電気止めやがって!死ぬだろうが!」
 大我はうるさいデブに「だったら死ね!」と言いたかった。
 「生きる権利って、誰にだってあるんだろうが!」
 そんな権利なんて、多分無い。大我は反論したかった。生きる権利ではなく、生きる時間が正解のような気がする。長い人もいれば、短い人もいる。奪われる人もいれば、奪う人もいる。ただ、それだけなのだ。良美は思いのまま生きる時間が欲しいのだろう。寒くなくて、暑くなくて、欲しいものが手に入り、食べたいものを食べたいだけ食べて、働くなんて出来ない。豊かに消費するだけの時間が欲しいのだ。クソ豚が!と、いちいち腹立つが、じゃあ、自分はなんだろう?自分の生きる時間は、人の生きる時間を奪うことに費やされている。柊めぐみの慎ましく生きる時間を奪った。原井知世の戦う時間を奪った。郁背マナの交尾する時間を奪った。つぎに奪うのは、豚の貪る時間だろう。そんな権利は自分にあるのか?「そもそも権利なんてものは、まやかしなのだ。」圭が言っていた。父に言わすと、権利なんてどこにも無いし、それはつつがない世の中のための便利なハリボテらしい。
 「タイガー、役所行くぞ。ついてこい!」
 良美は昨日から来てた服を脱ぎ捨て、箱から新しい服を取り出して着はじめた。背中は脂肪で盛り上がり、足も太く、全てが脂肪にまみれ醜かった。また、それを一切隠さないし、恥じようとしない良美の態度も世界に対して横柄に感じられた。本当に嫌な豚だった。
 のしのしと朝の街を良美が歩く。それに着いていく大我。その時点で気がついた。朝8時といえば、登校時間である。見慣れた制服の学生たちが行き来している。中学生たちは巨漢の良美をチラ見している。大我は「しまった!」と絶望した。こんな豚と一緒にいるところを見られたら恥ずかしい。それにその豚を「お母さん」と呼ばないといけない。黙って目立たず歩こう。豚の飼い主に見られないように振る舞おう。豚の下僕に見られないようにしよう。豚と関係ないようにしよう。巨漢の良美から離れて着いていく。良美は振り返るような配慮を持ち合わせていない。
 「おい、タイガー!」
 不意に良美が大我を呼んだ。タイガーであって、大我ではないことにしないといけない。とっさに浮かんだ言葉で大我は逃げようとする。
 「なんだい?ピグレット!」
 タイガーとピグレットというプーさんの設定で突っ切ろうとしたが、ピグレットという言葉に良美は激怒した。真っ赤な顔して振り返ると叫ぶ
 「なに!ピグレットって、豚のことだろうが!このクソ、タイガー!お母さんって呼べよ、お母さんってなあ!」
 大我はたじろいで、時間を失った。豚の向こう側に目を見開いた知った顔の女子中学生がいた。綺麗な顔をしているが、その美しさは白く引きつっていた。柊あおいは驚いていた。じっと見ていた。大我は恥ずかしくて死にたくなった。こんな豚がお母さんってことを一番知られたくない人に知られてしまった。悔しかった。豚に消えて欲しかった。自分も消えてしまいたかった。固まって見つめる柊あおいに気がついた良美がまた吠える。
 「なんだ?クソメス!なに見てんだ!」
 狂った豚にたじろぐ柊あおい。しかし、あおいは目をそらさないで、久々に見た大我を見逃すまいとしていた。それは大我にとって、辛い視線だった。大我はどうにかして良美は母ではない、ただの豚だと説明したかったが、どうやって説明すればいいかわからなかった。何かを言えば、それは言い訳となり、良美が母親で、家族であることを認めてしまうことになる。それはあってはならない。しかし、その豚は「お母さんと呼べ!」なんて言っている。それは聞かれている。自分が「タイガー」なんて呼ばれているのを聞かれている。
 「違うんだ・・・。」
 通り過ぎる際に、小さな声でそういうのがやっとだった。柊あおいに聞こえたかどうか分からなかったが、言わないと、恥で体が燃えそうだった。
 そんな散々な思いをして、ようやく着いた市役所入り口付近で大我は待たされた。生活課の窓口では良美が顔を真っ赤にして大声で役所の人間を恫喝していた。世の中のありとあらゆる不平を口にし、盛りに盛った人権を主張する。何もしないでも、贅沢に暮らせるのが当たり前であることを声高々に主張する様子は、同じ人間であることが恥ずかしくなるような内容だった。役所の人たちは交通事故にあったように逃げ場のない不幸に突き落とされていた。
 もし、大我が、この場で豚を公開処刑したら役所の中では、悪の怪人を倒すヒーローになれるだろう。もちろん警察が来て、逮捕されるだろうが、市役所内の皆は心の中で拍手喝采するに違いない。それほどに良美は嫌な熱気に満ちていた。
 「電気は通るように連絡いたします。」
 しかし現実では、役所は根負けした。デブのわがままに屈したのだ。声が大きいものが勝つなんて、決して許されることではないが、悪意に屈することで、救われる命もある。

 「馬鹿どもが、犬のくせに人間を管理しようとするのが間違いよ!」
 勝ち誇って良美は役所を出た。馬鹿は立場の勝敗に拘る。優位に立って、支配すること執着し、自分の思うようにしたい。それが幸せなことか、楽しいことであるかは関係ない。だから、幸せになれないし、楽しくもならない。独りよがりな小さな愉悦にはまり込むだけだ。
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