放浪者の狂詩曲

文字数 3,582文字



 翌朝、玄米パンとサラダと水といった体が冷え切るような朝食を用意してもらった大我は、仕方がないように飲み込んだ。栄養を摂るといった点では十分なのだろうけど、修行の時、山で狩をして食料を得た経験、イノシシの腹を捌いた時の血の熱さ、湯気が立つ火傷しそうな血潮に手を突っ込んだ経験がある大我にとっては、菜食主義の食事は、やる気の失せた家畜の餌のようにしか思えない。
「あからさまに不服そうな顔をしてるわね。でもさ、動物性タンパク質なんて、取らなくても生きていけるのよ。動物の命を奪ってまでも生きる必要って、人間にないからね。それに家畜の生涯を考えてみてよ。ただ、殺される、食われるために、餌を食わされ、太らされるって、あんまりにも残酷でしょ?そこまで罪を背負わないと生きていけないって、だったら、人なんて必要ない。」
大我の不服そうな顔を見て、知世もイライラして、我慢できずに朝から高潔な持論を述べる。そのキャプション付けに大我は更にイライラした。何も犠牲にせずに生きていくことが正しいって、誰が決めた?だったら、ライオン、トラなんかの肉食獣は悪党だらけだ。草食動物こそが正しいって、そんなわけがない。生き物とは、正しいとか、正しくないとかの線引きをすべきではない。大我は喉元まで、その理屈でいっぱいになっていたが、それを訴えるための根拠がなかった。正しさで分別できないならば、何で分別する?その基準みたいなものが、全く思い浮かばなかったのだ。生き物の目的って、なんだ?生き物が生きている意味が無いわけじゃ無いだろう?その意味を決めるのは誰だ?みんながなんとなく決めているんじゃ無いのか?

「おはよう、大我。今日はあの活動家おばさんところから登校?ボヘミアンだね。」
「ボヘミアンって何?」
「放浪者だよ。」
だったらそうだ。と大我は思ったが、稔には言わなかった。知識をひけらかして、何らかの畏敬の念を得ようとした稔は、黙り込んだ大我に対して物足りなさを感じた。
「大我はボヘミアンだから、曲送っておくね。クイーンの「ボヘミアンラプソディー」名曲だから聞いたことがあると思うよ。」
「ありがとう、あとで聞いておくよ。ところで、このことクラスの連中とかに言うなよ。」
「ボヘミアンラプソディーのこと?」
「じゃなくて、原井さんところに泊まっていること。僕も悩んでいるんだ。お父さん、家にいないし、おばさん死んじゃったし、そういうの相談したいんだ。」
大我は自分が気の毒な被害者であることを強調して稔に口止めをする。
「わかっているよ。クラスの誰にも言わないよ。柊さんとかには絶対に言わないよ。」

「おはよう、大我くん。」
柊あおいは学校に来ていた。怯えたような笑顔をしていたが、それは、何か親密さを伝えてているようだった。大我は、あの夜のことを思い出して、これが本当の人生なのか?それとも幻想を見せられているのか、とにかく、地に足がつかない感じになった。あの時、お互いが、よく解らないままに、体を繋げようとした。その興奮と幻想的な心地よさ、記憶に閉じ込められそうになるが、しかし、現実からは逃げられない。今は、学校で、社会的な生活に身を置いている。しかし、強烈に甘い思い出は、鎌首を擡げて、目を見開くべき現実を食い散らかそうとする。
「柊さん、おはよう。」
優しく返しながら、大我の頭の中では、柊あおいは裸になっていた。本当の母親を殺すとかどうでもいいんだ!俺はあの続きがしたいんだ!殺道継承とかどうでもいい!そんな大それた者に成りたくもない、ただ、気持ちよさとか、好き勝手とか、そんなのに流されたい!どうでもいい存在になりたい。そうだ、放浪者だ!
切ない欲望を抱えた大我は、自分の存在を卑下したくて、転ばせたくて、仕方がなかった。つらい修行が無駄になるのは、勿体無いかもしれないが、そんなの全部捨てて、そよ風に飛ばされるように単純に快楽に流されたい。
だが、柊あおいとの夜を思い出すと、そのあとの、柊恵を思い出さないわけがない。
お母さん、僕は、人を殺してしまったんだ!
頭の中がこんがらがっている。殺人とセックスが目の前に同時にあった事実は、十二歳の少年にとっては動揺するのに十分過ぎた。大我は、授業が始まっても、黒板を見ることができない。窓の外、風がなびく青い空を眺めて、自分のしたことを考えてしまう。
(もう、取り返しがつかない。人を殺したんだ。クラスの連中にそんな奴は一人もいない。まだ、普通の人生も始まってないのに、それは終わってしまった。僕に残されているのは、殺道の道だけになってしまった。まだ見たことがないお母さんは、僕が人を殺したことをどう思うだろう。願わくば、柊恵がお母さんだったら、まだ、マシだ。僕が人を殺したことで悩むお母さんは、すでにいないことになる。悲しい思いをする人がいない方がいい。でも、どっちにしろ、お母さんに謝らないといけない。)
昼休憩になった。田中と谷と並んでお昼ゴハンを食べる。お弁当の中身は玄米パン、青野菜、人参と蒟蒻をねりゴマで和えたもの、高野豆腐のチーズがけ、里芋の甘酢がけ。しっかりとした味付けがされているが、体に熱を生み出そうとしない菜食主義弁当。
大我は冷え切ったものを食べたあとに考える。もし、田中と谷が、自分が伝統で人殺しをする係になっていると知ったらどう思うだろう?たぶん、二人は離れていくだろう。いや、僕が離れていくべきだろう。みんなと違う生き方をしているのだから。でも、今までもそうやって、違う生き方をしてきたのだから、もう、ずっと前から、離れていたんだ。それだと、放浪者というより、異邦人だろう。で、自分の生き方を推奨する国はどこにもない。だったら、放浪するしかないわけだから、やっぱり放浪者だ。
一生放浪して、誰とも理解し合えないように生まれたわけだ。だから母親は要らないわけだ。でも、そんな疎外感を感じ続けなくてはならないのだったら、生まれてくる必要もなかったんじゃないのか?

授業が終わり、柊あおいが話しかけたそうにしているのをあえて無視して大我は教室から出た。アスファルトがギラつく帰り道に、一人でいることに安心と不安を同時に抱えながら、稔に送ってもらったクイーンの「ボヘミアンラプソディー」を聞く。静かに曲が始まり、何か訴えているようだが、英語の歌詞は理解できない。しかし、歌が沁みる。美しい絶望のようなものを聞かされているように感じた。曲がアップテンポに転調する頃に、こっちを見ている男の姿を見つけた。おそらく尾行していると思われるが、まるでこちらに存在を示すような尾行をしている。目つきが悪く、体つきが良い。おそらく刑事だろう。下校中とかに聞き込みをしていたというの聞いたのを思い出した。
「君、橘大我くんだよね?叔母さんのことは大変だったね。ところで、君は柊さんが死亡した時に、家に居たね?これは偶然なのかな?」
「すいません、何のことですか?ところで、あなた誰ですか?」
「僕は刑事だ。宇梶っていう。ボスから言われて君に話を聞きに来た。」
大我は正面切って疑われている事が、少し可笑しくなってきた。まるで犯人扱い。何も事情を知らない奴が、わかったように捜査してやがる。何を基準に俺を裁こうとしているんだ!大我は急に腹が立ってきた。何からに収めようとする連中、それは正義のためだという。正義って誰が決めた?人殺しは悪いことに違いないが、でも、事情があるんだ!
「まあ、突然そんなこと聞かれても嫌だよね。でも、ボスから言われたんだ。」
「宇梶さんはボスから言われたら、なんだってするんですか?僕は叔母さんを殺されたんだ。それを思い出したくないし、柊さんのお母さんが死んだのもショックだったんだ。なのに、なんで、色々聞かれないといけないんですか?」
「でも、僕にとっては、それが仕事なんだ。僕だって聞くのは嫌だよ。中学生の君が殺人犯だなんて思ってもないよ。でも、ボスがそうかもしれないって考えているんだ。ボスが言うことは、刑事にとっての僕には正義なんだ。」
「それ、本気で言ってますか。」
「もちろん、本気だとも。ボスは、東堂課長は、すごい人なんだ!正義を唯一知っている警察官なんだ!だから君を疑うことにしたんだ。ボスが言うことは絶対だからね。でも、君に対して同情もしている。被害者なのに、加害者として疑われて、嫌な思いをしているんだろうなあって。大我くん、君のことを救いたい、助けたいって、気持ちも僕は持っているんだ。」
支離滅裂な事をいう宇梶刑事を見て、大我は宇梶がボスに精神をごっそりやられていることを理解した。こんな奴に自分が負けるわけがない。こんな奴に捕まるわけがない。余裕が出てくると、ファミチキが食べたくなってきた。肉を食えばイライラが収まりそうだ。
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