兆し

文字数 3,549文字



 「・・・警察官が刑事に質問する事態が起きた・・」
 「ボス、宇梶の奴、張り込みが下手なんですよ。ああ、なんて事してくれたんだ。捜査一課の面目丸つぶれだ。」
 「・・・山さん、なんで橘大我に宇梶を付けなかった?」
 「えっ、だって、大我くんは被害者じゃないですよ。お母さんを殺されたのは、あおいちゃんですよ。」
 「・・・山さん、刑事の仕事を理解しているか?」
 「もちろんですよ。市民の生活を守るのが我々の使命です。」
 「・・・それは違う。我々がすべきことは、不安な要素を消すことだ。見える範囲で世界を安定させる。それこそが重要なのだ。優しさや正義など必要ない。」
 山岸刑事は言葉を失い、ボスに向かって険しい表情を作った。同意と懸念が入り混じった顔に見せているが、実のところ言葉と一緒で、中身は失われていた。

 大我が家に帰ると、玄関の前に稔が待っていた。大我は平静を装いながら、ものすごい速さで想定する。泉が殺された、叔母が殺されたからお悔やみに来た。これだったら問題ないが、家系を探られると面倒な気がする。恵が死んだことに関わりがあるのか聞きに来た。今日、学校を休んだのはあおいと自分だから、気になったのかもしれない。だが、あおいの家に泊まろうとしたことを知られると、学校でセンセーショナルな情報となると面倒な気がする。どちらにしろ、稔が家の前に立ち塞がるのは面倒だ。どうやって帰ってもらおうかと大我は考えながら、淀んだ表情で声を掛ける
「稔、どうした?」
「大我、大変だったね。叔母さんが亡くなったんだろう?大我のお父さんがいない間に叔母さんの家から通っていたんだね。姿を見なかったから、どうしたんだろうって思っていたんだ。」
知らないうちに行動が見られている。大我は圭の言う通りだと思った。小さな隙が、大きな間に勝手に育つ。学校に通ってて、全く興味を持たれないようにするのは難しい。
「・・うん、大事な叔母さんが亡くなって、辛いんだ。」
大我は「放っておいてくれバリア」を張った。センシティブな感情を表に出せば、大概の人は距離を置く。
「大変だろうね。協力するからなんでも言ってよ。」
お節介が一番厄介だと圭は言っていた。人のためでなく、自分の満足のために、困った人に施しをしたがる我儘な人が一定数いる。そう言った人とは付き合うな。と圭は言っていたが、稔がそのタイプになるとは思っていなかった。普段虐げられている人が、自分より立場が弱い人間を見つけ、それを世話することによって、自分のポジションを上げたがる。しかも見返りさえ期待してくる。自分のために生き物係をしたがるような奴。うさぎは見返りをくれないが、その姿を見て、自分を善人だと定義付け、アピールするような連中。大我はそういった連中が嫌いだ。嘘ばかりの弱っちい薄ら笑いが嫌いだからだ。稔はそういった人種のようだった。それが見抜けなかった自分が嫌になる。
「いいよ。放っておいて欲しい。」
「放っておけないよ。大我は僕の友達じゃないか!」
僕の友達だから助けたい。これこそが思い上がりなのだ。自分が主人公で、周りの人間は脇役であり、自分の人生を彩るために用意されたエキストラと考えている。大我はイライラしていたが、ここで悪態を付くと、主人公だと思い込んでいる弱虫が、主人公の意に沿わない奴がいると騒ぎ立てるに違いない。
「ありがとう。でも、今日は放っておいてほしい。ごめん。」
謝意と謝罪を被害者がする。しかし主人公は、自分の為に自分の意思を突き通そうとする。
「そうはいかないよ!で、僕は大我のために何をすればいい?」
なんで、あの時、稔を池原から助けたんだろう?こんな面倒な奴はいじめにあって当然だ。池原の目の付け所は正しかったんだ。
「稔、だったら、僕のことを放っておいて欲しい。叔母さんが死んで、悲しいんだ。」
大我は稔から逃げるためにそう言ったが、泉が死んだことを考えると、涙が出ていた。それに、母かもしれない恵を殺してしまった。恵の首を突いた柔らかな感触が右手の中指に残っている。やってしまった重大な事、死んでしまった優しい人、頭では、理屈では、それは済んだことになっているが、心が締め付けられて、絞り汁のように、涙が湧き出る。一度出始めたら、涙は枯れることなく、少しずつ沁み出て行く。大我の理性と感情は切り離されていて、面倒な稔から逃げることを考えながら、心は二人の母の死を悲しんでいる。大我は沈んでいく気持ちに引きずられて、海底深くに引きずり込まれ、呼吸が出来なくなって、その水圧で潰れそうになっていたが、理性は、理屈は、水面で稔をじっと見ている。
「・・本当に悲しいんだね。僕は、大我のことを疑ってしまっていたんだ。そんなはずはないよね。やっぱり、違ったんだ。ごめんね。」
稔が意気込みを捨てて、捨て鉢で話してきた。さっきまでの嫌な雰囲気は消えた。大我は危機を悟り、悲しみを捨てることが出来た。
「稔、それ、どういう意味?」
「校舎裏の失神事件で、僕は、池原に殴られて失神したけど、その時に、大我がみんなをやっつけているのを一瞬見たんだ。でも、それは、気を失う前の、見間違えだったんだろうね。それに、東堂ボスが言ってたんだ。校舎裏の失神事件と稲尾泉さん殺害事件の犯行手口が似ている。怪我がないのに殺せる技を使っているっていったから、僕は、大我が僕を助けてくれて、でも、叔母さんは殺したって思ってしまったんだ。」
大我は戦慄する。
「なんで、僕が叔母さんを殺す必要があるんだ!叔母さんは、僕に立派な弁当を作ってくれたし、あの大きな家に住まわしてくれたし、面倒を見てくれたし、なにより優しくしてくれた。そんな叔母さんを僕が殺すわけないじゃないか!」
これは大我の本音であり、全く嘘はない。だから声を荒げて稔に言う。真実を声に出すと、音に迫力が生まれ、説得力が生まれる。大我もそれを理解しているから、真実のみを声に出した。真実だから、そう思っていたから、大我は涙さえ流した。
「ごめんよ、大我。つい、そう思ってしまったんだ。もし、大我が池原たちをやっつけたのなら、その方法を教えてもらおうと思ったんだ。」
校舎裏失神事件の目撃情報で脅して、殺人技の公開を迫る。大我は稔を甘く見ていたことを痛感した。弱虫はしゃがんでいるだけじゃない、虎視眈々と反撃を狙っている。大我は稔との関係をどうしたものかと考えた。いや、関係ではなく、その存在を残しておいていいのかと考えた。目撃者は消すべきだろう。だとするとあおいも消さないといけない。二つの実行を見られたのだ。だが、これ以上、自分の周りで人が死ぬと、ボスも黙っていないだろう。なんて面倒なんだ!大我はイライラし始めた。圭はどうやって、バレないように殺人をしているんだろう?それに、圭がこのことを知ると、怒るに違いない。そう思った途端、大我は恐怖した。圭は、ダメだったら、次の大我を見つけなくてはと言っていた。圭に消されるかもしれない。消されたら、あおいとのあの続きが出来なくなってしまう。
「稔、もし、僕に対して申し訳なく思っているのなら、少し手伝って欲しいことがある。」

大我はノートに書かれていた住所を元に原井知世の住むマンションまで来ていた。自分の住む家から三つ駅が離れていた。初めて来る街だった。住宅街ではなくオフィス街で、その合間に背の高いマンションが紛れていて、コンビニには駐車場がない。学生が歩いていると変に目立ってしまう。ホワイトカラーの会社員がかばんを持って流れている。タクシーが止まり、バスが発車し、片側四車線の道路は混んでいる。都市高速が空を覆い、信号は引っ切り無しに色を変える。大我は街の動きに合わせて動いていると、紛れることは簡単だと思ったが、誰も立ち止まらないので、動き続ける必要がる。原井の住むマンションの様子を観察したいが、通りに面していて、入り口にはセキュリティーがあり、カードがないとエントランスに入れない。そこに立ち止まると目立つ。行動は監視されているし、監視カメラも動いている。仕方がないので少し離れたバス停に座ってバスを待つふりをしていたが、中学生の大我は場違いで、家出か何かと思われて通報でもされたら、すぐにボスと対面することになるだろう。しかし、街行く会社員達は、そこに大我がいることい気がついてないように見えた。何か用事があって移動しているのであって、それ以外に時間を費やすことが無駄だと思っているように見えるどころか、仕事以外に興味がない様子だった。居住地を行き来し、見上げて部屋の場所を確認する。四階の右の部屋。バルコニーはあるが、ガラス戸がしてある。観察するのなら、対面のビルの方がいいだろう。
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