苛立ち

文字数 3,949文字



大我はマナを尾行している。雑踏というほどでもないが、街の中心部とも言える場所でカバンを抱えたビジネスマンやら、スーツ姿の女性会社員などが多く、大我の年代、中学生はあまりいない。マナを見失うまいと大我は早足になりながら、一定の距離を取り、街に紛れ込んでいく。コンクリートやら石、アルミニウムなどの灰色の配色、街は止まっているようで、人の行き来で街自体がじっとしていない。動く人と、動く街が渦となって、個人を、個性を、消していく。大我は誰にも気が付かれていない。マナは街の法則に逆らうように人の目を集めていた。
大きな交差点にたどり着いたところで、マナは足を止める。午後の弱い日差しが、マナの染められた金髪を照らす。ひどく安っぽくケバケバしくなっているが、繁華街の造花飾りのように、その安っぽさに魅力が備わっていた。周りのスーツ姿の男たちは、マナをチラッと見て、見ていることを世間から気付かせないように、すっと目線を遠くにやる。昼間なのに、夜の魅惑的なハリボテが置いてある。夜の楽しさを知る男にとっては無視できない存在となっている。大我は、街ゆく男たちがマナをチラ見していることに腹を立たせていた。あれは、さっきまで、挿れていた自分のもの。その魅力を目で奪おうなんて許せない。全部自分のものだ。誰にも見せない、誰にも触らせない、誰にもやらせない。
大我はマナを必死で見ていた。見ていることに気が付かれたら、マナは離れていくだろうが、でも、見ていたい、見ていることを知ってもらいたい、そばに居て欲しい。大我はマナの存在が欲しくてしかたがなかった。いつでも一緒にいて、触っていたい。人を自分のものにしたいなんて、これまで一度も思ったことがなかった。大我はマナの虜になっていた。マナは自分のものだ、もし、他の男が触ろうとしたなら、盗られたら、殺すしかない。
大我は自分の欲望、マナへの独占欲、性欲、情欲に支配されていた。その欲にしがみついていた。そうしないと、まともにいられない精神状態だった。同時に、自分に起こっていることも理解していた。殺道なんて、もう、どうでもいい。でも、始めたからには、この地獄めぐりを止めるわけにはいかない。それを止めると、自分が消える。
黒塗りの高級車が来るかと、大我は道路を見て、マナを見てを繰り返していたが、高級外車なんて来なかった。革靴に柔らかい素材のズボン、厚手のジャケット、サングラス、ふさふさの白髪。小綺麗にした老人が笑いながら歩いてやってきた。その姿を見つけるとマナが弾けるような笑顔で小走りに寄っていく。
あんなインチキなジジイに、なんて顔してやがるんだ!
大我の嫉妬は一気に燃え上がる。体の芯に熱い熱が湧き、まるで冷静になれない。あれは自分のものなのに、なんで持っていく!取り返さないといけない!まるで権利を侵されたような焦りを感じて、マナの相手である小綺麗な老人に対して侵略者、略奪者に対する怒りを感じ、自分以外の男に笑顔を向けるマナに対して裏切り者に対する怒りを沸沸とさせていた。早く殺したい。あの男が、マナと繋がる前に。
 マナと男は並んで歩いている。たまにマナがうな垂れるように男に擦り寄る。その度に大我は嫉妬でめまいがする。大我は尾行しながら、嫉妬を冷静に捉えようとしていた。なんで嫉妬する必要がある?マナと自分は結婚しているわけでもなく、恋人というわけでもない。しかし、離れがたい存在でもある。それは自分にとって、初めて体を許し合ったからだろうか?自分にとっては初めての女、しかし、マナにとっては大我は一番初めでもないし、一番の男でもない。ただ、その場で、気に入っただけの行きずりの男。大我にとってのマナの価値とマナにとっての大我の価値には大きな隔たりがある。意味街が違う。
存在の比較では自分は負けている。
なんて不公平なんだ!
こんなに好きなのに!
ようやくここになって、大我はマナのことが好きだということを認めることができた。それまでは使命の延長線上での出来事として捉えていたが、それでは済まないことになっている。しかし、マナが絶対的な存在というのも、昨日会って、そりゃ、体を貪り会ったが、実際のところは誰とだって寝るようなアバズレなのだ。たしかに見た目は好みと言っていたが、自分のことを一番にしているようには思えない。
尾行している二人はオープンテラスのあるレストランに入っていった。十二月となればそれなりに気温も低いが、屋外型の筒型のストーブに火がついており、灯油が燃える匂いをかすかに漏らし、熱気が空気を歪ませていた。正午前だが席はほとんど埋まっていた。大我は立ち止まると目立つので、一旦通り過ぎると、道路の向かい側に回り込み、小さな雑居ビルの外階段に監視場所を見つけた。遠くで見ることによって少し冷静になることができた。小綺麗な老人は、よく見ると腹も出ているし、足の筋肉も少ない。小綺麗にしてシルエットをごまかしているが、生き物としては老体で弱いことがよくわかる。戦う生き物としての能力は自分の方がずっと高いだろう。それに笑顔を向けるマナは、やはり、綺麗だ。三十歳には見えない。二十代前半でも通る。これまであった三人の母親候補とは比較にならない。世代が全く違う。
 マナが母親であることは考えにくい。いや、母親だとすれば、自分はとんでもないことをしてしまったことになる。近親相姦、マザーファッカー、まさに畜生道の所業だ。大我は薄汚れた雑居ビルの冷たい外階段で世界から疎外されたような劣等感、奈落の底の絶望を感じた。汚れた自分、異常な自分、ダメな自分。なにが異常で、何がダメなのかも解らなくなっている無能な自分。そんなクソ、存在していいのだろうか?と自己否定をする大我。
 しかし、大我は冷静になろうとする。理性を呼び覚まし、自分が何をしようとしているのか、何をすべきなのかを思い出す。「本当の母を探し出し、殺す」マナは本当の母親なのだろうか?母親を抱きたいなんて、子供が思うはずがない。それは生き物として能力が高い自分は感覚で理解できるはずだ。これだけ恋焦がれるのなら、マナが母親なわけがない。母親である可能性がないのならば、マナに執着する必要はなく、畜生道のマナは候補から除外して、次の候補、餓鬼道の母のところへ行くべきだ。
だが、今、他の男といるマナを放っておいて、次に進むなんてできない。今は、マナじゃないとダメなのだ。これは理屈とかじゃない。欲なのだ。それに今までの四人の中から一番好きな女を選べと言われたら、ずっと一緒にいたいのは誰かと言われたら、マナになってしまう。どうしてもそばにいたい。その場を死守したい。
大我は、母親の存在というものが、結局、どういったものなのか理解できないでいた。自分は、そこから生まれた、そこから始まった。母親はスタート地点であり、途中までの伴走者であり、一番近い理解者であり、一番遠くにいるべき異性でもある。どうしてもゴールにならない存在である。それはなんとなく理解できていたが、母親を知らずに育ったため、感覚で理解できない。スタートを出た瞬間、ゴールを目指さないといけない。スタート地点から一歩出た瞬間、スタートは過去になる。時間の経過とともに過去は消える。スタートは消えて当然なのだ。
母を殺す母殺道、自らの始まりを、自らが消す。菩薩とは菩提薩埵の略語、菩提薩埵とは悟りを求める衆生、一切の生きとし生けるもの。菩薩が母殺であれば、悟りとは、母親を殺してこそ、開かれるものなのかもしれない。生きるということは、自己否定をして、自分を高める修練の連続であり、己に合えば、己を殺す。古びた過去の自分を殺し続け、新しい自分に変わり続けることが生きることである。だとすると、スタート地点を自らが殺すことは、生きることにとって必要なのだ。カマキリの子供は一番初めに、自分の母親の体を食べるのだ。そうやって、世界に生み出され、戦い、次の世代を残し、死んでいくのだ。
大我は楽しげに食事をとるマナと男を見ながら、その怒りを紛らわそうと、殺道のことを考え、それを自分の中の正義として捉え、正義に殉じることで、俗世から一段上に立とうとしていた。幼稚な現実逃避だが、今の大我にとっては、心の安定を保つのに必要だった。もし、そういった嘘の哲学を掲げないと、感情に任せて、白昼堂々とマナと男を殺していただろう。戦争をしたいが、戦争が出来ない国家が、尤もらしい正義を語り、戦争の準備をしているのと似ているほど、惨めなほど幼稚だった。
いくら大我が自らの高尚な考えに浸っていようとも、マナと男は楽しげな恋人同士のような雰囲気で昼間からイチャイチャしていた。大我は黙って見過ごしているふりをしているが、内心は、敗北感、悔しさ、惨めさ、怒りに溢れかえっていた。なんであんなジジイとマナが一緒にいる!なんで正義の自分が、まともな自分が、影から覗くような真似をしなくてなならない!ご飯なんて、さっさと食べろ!そうして、さっさと帰ってこい!嫉妬のじめっとした視線を向けていたら、ようやく食事が済んだようで、店から出るのを待っていたが、入り口からは、なかなか出てこない。ジジイが死んだのかと期待したが、それでも遅い。外階段から焦ったように身を乗り出して、オープンテラスのある建物を見上げると、その建物がホテルであることがわかった。大我は急いで外階段を降りた。食った後は、部屋にしけこむんだ!そうはさせるか!感情的になった大我は、冷静さを失いつつ、向かいのホテルに向かった。はやく、あの二人を、引き離さないといけない。これ以上、あんなジジイにマナを触らすわけにはいかない!
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