タンパク質

文字数 3,695文字


 大我は帰って知世が作ったご飯を食べたくなかった。イライラが募り攻撃的になるだろうと思われたからだ。大我の事を、刑事が、ボスが、疑い始めている。自分の至らなさに対して情けなく思うのではなく、嗅ぎつけたボスに対して怒りが湧いていた。その煩わしさは、タイミング悪く入ってきた恵に原因があり、そもそも、母を探し出して殺さないといけないという橘家の、殺道の仕組みに対して、その煩わしさにイライラして、その家に生まれた自分の運命を悲観的に捉え、やりようのない怒りが湧き、それを暴力的な手段で解消したく、体が疼いていた。暴れたいのだ。身につけた精巧な殺人技ではなく、思うがまま人を掴んで引き裂くような、野性的な暴力の衝動に囚われている。誰か喧嘩を売ってこないだろうか?路地裏の不良のような安直な思想に大我は堕落していた。きっかけを自分から作ろうとしないだけまだマシだったが、飢餓状態の野犬ように張り詰めていた。
「くそ、誰か殺したい。ボコボコにして、潰してやりたい。」
一人小さな声でつぶやく。胸に溜まった悪い熱気を外に出せば、胸は悪い熱で焼き切れることはないだろうと思ったが、吐き出すほどに、熱は増した。だから、口をしっかりと噤んだ。まだ、人でなくてはならない。落ち着こうとして、畏怖の存在である圭のことを思い浮かべる。あたりは日が傾きだした。圭は、野営の最終日の夜に、焚き火を囲んで教訓めいた事を言っていた。それを思い出すことに集中した。

「橘家の殺道は、鎌倉時代より始まり、戦国の世を駆け抜け、江戸時代も暗躍していた。何も史料は残ってないが、こうやって技とか、心得を口頭で継承したり、体に叩き込んだりしてきた。その教えの中で、肉食の恒常化というのがある。毎日のように動物性たんぱく質を取りなさいといのものなのだが、それは、回復力がある体を作るためってのもあるのだが、肉を食べると、重要な効能がある。精神が落ち着くんだ。今だったら、別に教えなくても、何処でも肉は手に入るし、肉を食べるのは別段おかしなことじゃない。でもな、明治時代前は、肉食なんて無かったんだ。でも、橘家は肉を日常的に食べていた。なんでかっていうと、動物性たんぱく質を取らないと、性格が凶暴になり、人間が穏やかじゃなくなるんだ。人間はもともと、すごく凶暴で、攻撃的な生き物なんだよ。それに蓋をするのが、肉食なんだ。肉を食らうことによって、動物を殺し、血を啜り、肉を噛み切ることで、命を奪って生きるという実感を感じて、脳が満足して、攻撃性を抑えることができるんだ。殺しの代替え行動とも言える。焼肉食べてイライラしている人はいないだろ?人は、何かを殺すことによって自分を生かしている。それは栄養のためでもあるが、それ以上に、本能的なものだ。食べる、寝る、殺すは同じ基本階層行動だ。だが、殺し合えば、人類は減るから、肉を食べて、人を殺さないようにした。だとすると、橘家が肉を食べ続けるのは、間違いなように思えるが、それは違うんだ。殺道は生活の一部ではなく、仕事なんだ。仕事で食べるとか寝る人はいないだろう?だから、生理的な殺意で殺道を行ってはダメなんだ。戦争や戦国時代とは違うんだ。中世で一番凶暴だったのは、間違いなく日本人だ。戦国時代、常に刀を持って、ちょっとのことで相手の首を切り飛ばすなんて、世界中に日本だけだった。小さな島国で何百年も殺し合いをし続けた。責任の撮り方は腹を切って、首を落とす。そんなのは日本だけだ。耳や鼻を削ぐのも日本だけだ。なんで、日本が攻撃的で、それが日常だったかた言えば、肉を食わなかったからだ。米と野菜が中心、魚の血は冷たい。恒温動物の肉を食べる習慣がなかったから、誰しもがイライラして攻撃的で、戦ばかりだったんだ。その中で、冷静に人を仕事として殺す必要があった橘家では、肉を隠れて食べ続けていた。だから橘家の人間は猫のように常に温暖で、落ち着いて獲物を捕ることができた。狂乱の祭り騒ぎの戦国時代の大量殺人と違って、職人の仕事のごとく、無駄なく正確に落ち着いて殺道を行ってきた。それは肉食による精神安定の賜物だ。だから肉を欠かしてはダメだ。イライラした時は肉を食べるべきだ。菜食主義なんて、人間の一番汚いものが噴き出している。凶暴、攻撃的、無責任。菜食主義者なんて、付き合うべきではない。あいつらは自制心がない。今でも戦国時代で、誰かと戦わないと、攻撃性を吐き出さないと、胸が焼きつく厄介な連中だ。昔の肉を食べてなかった頃の日本って、喧嘩ばっかりだったからな。昭和も中頃すぎて、ようやく肉食が広がり、みんなの心が落ち着いてきた。まあ、橘家は千年近く平常心でいられたけどね。お前は橘家の嫡男だ。それは忘れるな。イラついたら肉を食え。」

圭の言っていたことを思い出すと、イラつきの原因はよくわかったが、解消する術は、焼肉屋に行くことも理解したが、手持ちのお金がなかった。街中では野生動物を捕まえて食べるわけにもいかない。質問してきた宇梶刑事に頼んで肉を食わせてもらえば良かったが、宇梶は尾行も止めて帰っていた。このまま知世の家に帰ったとしても、肉は絶対出てこない。家に帰ったところで、何もない。居心地の良かった稲尾泉の家を思い出した。稲尾泉は必ず肉料理を振舞ってくれていた。やはり、稲尾が母親だったのだろうか?稲尾泉を殺さないといけないのは、確かに辛い話だが、その前に誰かに殺されてしまった。この場合は、作戦失敗となるので、継承の権利がなくなるのでは?その場合は圭から連絡がありそうなものだが、そんなものは無い。なんで圭は連絡をよこさない?大我はそんなことでイライラし始めていた。小銭はポケットの中にあるのでとりあえずファミマに入って、ファミチキを購入した。コンビニから出ると、そとの駐車場で立ったまま急いでファミチキを食べようとした。
「大我くん、待ちなさい!」
大きな声で呼びかけられた。仕事帰りの知世だった。知世は大我の手からファミチキを取り上げると、車が行き交う国道に向けてファミチキを遠投した。黄色い袋がくるくる回りながら放物線を描いて飛んでいく。そのうち、空中分解して、離脱したチキンが回転しながら道路に落ちて、大きなトラックが踏みつけた。平たくなったファミチキは湯気を出していたが、次々と走り来る車がチキンをすりつぶしていく。
大我の体の中は冷え切るように空っぽになり、酸素が足りない怒りが充満していた。飢えと渇きが心を捻り潰すなんてことは、普通ではないが、たんぱく質が枯渇した大我にとっては、怒り、衝動のハードルは低いどころか取り払われていた。怒りはそのまま行動になろうとしていた。

大我は知世の周りをらせん状に駆け上がるように飛びかかり、知世の首を直角に曲げて両手で掴む。知世の首が軸となり、その軸を中心として、飛び出した大我の直線の慣性力は、知世の首を中心にして、回転力に変わる。大我の初動、勢いと体重が上向きのネジ切る力に変わり、ひねり切った知世の首を捻切るように素早く回転しようとする、知世の細い女の首は、その力に最後まで耐えることができなく、さらに四十五度回転したところで、筋肉の筋が切れ、神経は伸びきり根元から千切れ、血管も引っ張りによる収縮に耐え切れず、引きちぎれた。生命を維持するために繋がっていた線が、回転力という外圧に負けた。

大我は衝動により突き動かされた後を綿密に想像し、溜飲を下げた。歯を食いしばり我慢した。たかが、肉が食えないことで、人が残忍に成れるだろうことがよくわかった。我慢はしたが、知世のことは許せない。
「なんてことするんだ、クソババア!」
虚を突かれたように、知世の眉が一瞬全体的に上がったが、すぐに眉は釣り上がり、眉間に皺がよった。
「クソババアって、何よ!あんた、何様のつもり!」
「人の食い物投げやがって、酷いじゃないか!」
「あなたが、肉なんて食べようとしているからよ!せめてパンにしなさい!買ってあげるから!」
「人の食い物の事でいちいち口出するなよ!」
「あなたが間違っているから、注意したのよ!感謝してほしいぐらいだわ!」
お互いが一歩も引かないで、大きな声での言い争いが続く。周囲に人だかりだ出来はじめていた。
「おい、息子、とりあえず母ちゃんの言うこと聞けよ。」
「母さんの方も、ちょっと、熱くならないで。」
「親子ゲンカは家でしなよ!」
見かねた観覧者がなだめる声を掛ける。大我と知世は人だかりに気がついて、急に恥ずかしくなった。知世が顔を赤くして大我の袖を引っ張ると、
「さあ、家に帰るわよ。」
 とそこから抜け出した。引っ張られる大我は分からず屋の知世に対して感情をぶつけたことが、少し面白くなっていた。圭とでは親子ゲンカ、感情的な言い合いなんてしたことがなかったので、その自由さを感じていた。おなじく知世も感情的な言い合いに関して、少し反省しながらも、固く閉ざしていた心を、少し砕かれたようで、身軽さを感じていた。大我と知世、二人して駆け足で逃げながら、表情は穏やかだった。
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