第一話 本音

文字数 3,123文字

 オッジに向かう巨大な空母の一室。ルシファーの今回のペアはユーリーだった。機体への搭乗も、部屋も同じである。
 退官の機会を逃し続けていたユーリーは、今回の遠征から能力者部隊の隊長を任命されていた。

「ルシファー、お前いつ結婚したんだ?」
 ユーリーが突っ込みを入れたのは、シドから贈られた指輪だった。任務中は手袋をしていたので、ルシファーはその存在を忘れていたのだ。ただ彼の返答は淡々としたもので、ユーリーの期待通りではなかった。
「今日です。ご祝儀は不要です。披露宴はしませんし」
「今日だって?」
「冗談ですよ。これ貰ったんです。レイモンド医師に」
「はあ?」
「ペアリングです。意味は自分で考えろって言われました」
 指輪を見つめるルシファーの表情は冴えない。
 銀色に光る細いプラチナリング。装飾のないシンプルなものだ。
「結婚指輪だな。それ」
「どう見ても、そう見えます」
「帰ったら、カツミに渡すのか?」
 ユーリーの口調にはもう、先ほどまでの茶化すようなトーンはなかった。ふうと息をつくとベッドの下段に腰を下ろす。
「発艦前に渡せなかったってことは、俺は逃げてるんでしょうね」
 溜息をついたルシファーにユーリーが肩を竦めた。
 カツミとルシファーの出会いが最悪だったことは、自称情報通のよく知るところだった。

 ◇

「そう言えば、お前ら同じ時計してたな」
 ユーリーにはルシファーの弱腰が理解出来なかった。出会いの形がどうであれ、それからもう十年も経っている。その間に二人で築き、積み重ねてきたものは幾らでもあるだろうに。
「あ、あれですか」
 ルシファーが回転椅子に跨いで座った。背もたれを両腕で抱いてヘッドレストに顎を乗せ、ユーリーと視線を合わせる。
「カツミの誕生日に俺が贈ったんです。その時に揃いにしたんですよ」
「へぇ、なるほどね」
「とても喜んでくれたんです。それは嬉しかったんですけど、でもちょっと複雑でした」
「複雑? 喜んだんならそれでいいじゃねぇか」
 惚気話など聞いてられるかと言わんばかりに、ユーリーは不機嫌面になった。
 フィーアの一件以来、彼は恋愛ごとを棚上げにしている。償いの気持ちもあるが、臆病になったと言うのが本当のところだろう。
「真面目な話。生まれて初めて誕生日を祝ってもらったみたいに喜んでくれたんです。父親があのシーバル中将ですしね」
 ユーリーは、いつも完璧に仕事をこなす二人しか見てこなかった。
 カツミはもう昔とは違う。ずっと彼に寄り添ってきたルシファーも、十年前とは違うはずだ。なのにルシファーの吐露は嫌でも痛々しいカツミの過去をあぶり出す。フィーアの墓石に取り縋り、人目も憚らず泣いていたカツミの姿を。
 意外だな。ユーリーがわずかに眉をひそめた。仕事で見る二人とプライベートでの二人は、ずいぶん違うらしい。

「隊長、前から聞きたかったことがあるんですけど」
 過去を思い返していたユーリーに、少し引いた様子でルシファーが質問を切り出した。
 ルシファーは遠征の相棒であるユーリーの本音を知りたかったのだ。
「隊長はシス実験に志願するって言ってましたよね」
「ああ。すぐ辞退したけどな。あの映像は酷すぎたよ」
「カツミが残ったこと、どう思いました?」
「危険はあるだろうな。でもカツミは私なんかよりずっと能力レベルが高い。リーンと比べるのは意味のない話だ。カツミは特区にしか居場所がないし、誰かがやる必要があるってんなら適任だとは思ったな。さすがに次からはシスの量を減らすだろうし」
 特区にしか居場所がない。ユーリーの一言はルシファーの訊きたいことに直結していた。機を逃さず一気に核心に切り込む。
「隊長は能力者を道具だと思ってますか?」
 ルシファーの強い詰問口調に、ユーリーの表情が険しくなる。
「特区は能力者を隔離する収容所だと思ってますか? A級の俺たちは特区を出たら道具ですらない害獣なんですか? シスは能力者を根絶やしにする薬なんですか?」

「根絶やしだって?」
 苦虫を咬み潰したような顔で聞いていたユーリーは、最後の詰問を聞くなり弾かれたようにベッドから立ち上がった。
「どういうことだ?」
 ルシファーの推測は、情報通のユーリーにすら寝耳に水の話だった。
「特区が能力者を利用しつつ隔離するための檻だというのは、隊長も認めてるんですね? この国や特区の考えに疑問を持ってるんですね?」
「認めざるを得んだろう? 私やお前はまだいい。退官したって帰る場所があるからな。特区なら、仕事をこなしている限りは評価される。だから辞めそびれてきたんだ。どこもかしこも歪んでるんだ。その中で自分を生かせる場所があるなら、それにしがみつくもんだよ。俺たちだけじゃなく、誰でもそうすると思うぞ」
 ユーリーの返答には、人を欺こうというあざとさが混じっていなかった。それを確かめたルシファーは、ユーリーの抱いた疑念に踏み込むことにした。
「シスを送り込んだ奴は、特区の能力者すべてをリーンのようにしようと企んでたんです。最初から多くの能力者に大量投与させるつもりだった。あの映像はそいつに向けたパフォーマンスですよ。黒幕は俺たちを騙すつもりが逆に騙されたんです」
「黒幕ってのは、キース・ブライアントのことだよな?」
 ルシファーの耳に、怒りを抑えたユーリーの声が届いた。もうキースのことを調べていたんだな。そう推察させる素早さだった。
 ユーリーの怒りの意識が、ルシファーに突き刺さる。人間をなんだと思ってるんだ! 日頃の彼からは想像もつかない激しさだった。
 ルシファーは思った。俺はどうやらユーリーのことを誤解していたと。情報の入手が驚くほど早いわりには出世欲も見せず、早く隠居したいが口癖の冷めた人物。
 そのユーリーの内側に、こんな熱さがあったとは。
「キースの情報、共有させて下さい。それと」
「それと?」
「隊長は、この百年戦争をどう思ってるんですか?」
 ルシファーが、真意をえぐり出そうとするようにユーリーを凝視した。その圧に押されて大きく息を吐き出したユーリーは、もう隠したところで意味がないとばかりに腹蔵をぶちまけた。
「全く、くだらない茶番だよ!」
「茶番……ですか」
「カツミは、さっさと和平を結ぶべきだと言ってたな。私もそう思う。今まで私腹を肥やしてきた連中は、相応の罰を受けやがれとも思ってるよ。この戦争でどれだけ死んだと思ってんだ。百年だぞ。百年!」
 堰が切れたユーリーの激情はとどまるところを知らなかった。呆気にとられたルシファーを置き去りにしたまま、とんでもない行動計画まで暴露する。
「私は退官して反戦組織を作ろうと思ってる。特区の中にも、ゲートの外にだって、疑問を持つ奴はいくらでもいるんだ。ただアーロンのような大きな組織は作れない。ゲリラ的なものだが仮組織は出来てる」
 ルシファーは驚いていた。疑問を持ち、それを行動につなげている人物がこんな身近なところにいたのかと。
 そして疑念や批判を表に出せない社会が、どれだけ奇妙かということを、あらためて思い知らされていた。
 偽の情報に支配され疑問を持ったとしても行動に移せない。行動を起こすと社会から排除されてしまう。実態は独裁政治となんら変わらないのだ。

 この国の歪み。自分はそれを知っていたはずだ。事実とは違う報道に何度罵声を浴びせたか分からない。しかしそれは、天に唾を吐くことだったのだ。歪みを看過し続けた自分も、歪みをもたらす当事者だった。
 何も行動していない。自分は目の前に火の手が迫っているのに、他人事のように眺めていただけだ。
 悔しさに支配されるルシファーに、今度はユーリーが容赦ない疑問をぶつけてきた。
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