第三話 追い風

文字数 2,751文字

 ジェイの別邸と同じ大きな樹の下に二人が移動したとたん、邸宅とそのアプローチのいたるところでカチカチと防犯装置の乾いた反応音が響いた。しかし、装置が人物の照合を完了したのか、音はすぐに止んだ。
 攻撃される兆候がないことを確認したクレイルが、ほっと息をついた。クレイルに抱き上げられているカツミは、何が起こったのかをまだ理解できず、目を見開いたまま。

 重厚な玄関ドアが開くと、当主が直々に出迎えに来ていた。長い金髪で長身の男。彼がアーロン・ド・ミューグレーだとすぐに察したクレイルは、会釈をして突然の訪問を詫びた。

「お騒がせして申し訳ありませんでした。ご指定の時間に間に合いそうになかったので、非常手段を取らせて頂きました」
「いや構いませんよ。訪問の仕方までは指定していません。で。取り敢えず、その抱えている彼を下ろしませんか?」

 アーロンの態度は飄々としていた。クレイルはそこに、絶対的な自信と保身のない潔さを感じ取った。
 百年続いたこの国の呪縛を解こうとしている男だ。捨て身に徹しなければ、国の改革など実行してこれなかったのだろう、と。
「ちょっと手に負えなかったもので。このままで」
 笑みを浮かべながら答えたクレイルの、どこ吹く風という表情を見て、アーロンがぷっと吹き出した。クレイルに抱かれているやんちゃ猫は、まだ目をぱちくりとさせている。
 少々のことでは動じないカツミも、クレイルが見せた瞬間移動には驚きを隠せなかった。
 これまで沢山の能力者を見てきたけど、こんな凄まじいやつは一人もいなかった。俺の能力を上回るとは思っていたけど、次元が違うな。

 カツミを抱き上げたまま、クレイルが客間に入った。ここなら子猫を解放しても大丈夫だと思ったのか、カツミをソファーに下ろす。緊張を緩めたカツミが、ふうと一息ついた。
 いつものように人払いをしたアーロンが、磨きこまれたテーブルにカットグラスを置く。
「時間が遅いですが、21ミリアから晩餐の予定にしています。急にお招きして申し訳なかった。特区も本日は大きな進展がありましたし、こちらも色々と変化したので話を通しておきたかったんです。それと貴方に是非とも会ってみたかった」
 今日の会議には、アーロンの意向が反映されていたのか! 驚いたクレイルがカツミに目を向けたが、カツミはいつものことだというように平然としていた。
 クレイルがアーロンに視線を戻すと、グラスを手に取ったアーロンが質問の口火を切った。

「率直にお尋ねします。貴方は何者ですか」
 それは質問というより尋問に近かった。もしアーロンがメーニェの要人だったなら、不用心な質問が彼の命を吹き消していたに違いない。
 これまでクレイルは障害となるものを躊躇なく消し去ってきた。クレイルにとって目的遂行を阻む者は人ではなく、人格を持たない蟻と同等だったのだ。だが……。

 目を細めたクレイルは、率直に問いに答えた。回答がアーロンの納得するものになるかどうかは分からない。クレイルにすら分からない部分があり、そして分かっていることに関しても、常人にどれだけ理解してもらえるのか……それもまた、見通せなかった。

「アーリッカ王女には纏う呪いを清めし者と呼ばれています。カツミが束ねるものに出会い、そして戻るまで、彼を守ることが使命です。カツミのことは夢で知って来ました。シスのことも、亡命のことも、全ては私に課せられたものです」
 クレイルが言葉を紡いでいくうちに、アーロンの表情はどんどん強張っていった。断言されたことが理解できる範囲を遥かに超えていたからだ。しかしアーロンは、クレイルの返答を一片たりとも否定せず、すぐに質問を続けた。

「カツミが聞く『声』についてですが。貴方にも同じ声が聞こえるのですか?」
「束ねる者と出会いなさい。これから連綿と続くこの国を束ねてゆく者と。その者の指し示す事々に従いなさい。この混沌を救う神に出会いなさい。……この言葉を王女に言わせているのは、特殊能力者の残留思念だと私は思っています。超A級以上の、それも複数の特殊能力者でしょう」
 カツミが凝視しているのを視界の隅に感じながら、クレイルが言葉を継いだ。
「私の推測です。その者達は、もうずいぶん前にこの世を去っている。しかし強い思念だけを残した。王女はいわば依り代です。彼女の身体を借りて、その者達はラヴィに予言の言葉を伝えた。驚異的な予知能力を持つ、意識の集合体だと私は思っています」
「驚異的な予知能力……」
「二つの星の意識を浄化することで、特殊能力者への認識を変える。それが束ねるものの望みだと私は思っています」
「意識の浄化。つまりは広い範囲への意識操作だと?」
「はい。それと皮肉な話ですが、穢れを嫌う鏡は浄化を終えれば穢れのなかに戻らないといけません。カツミはずっとその覚悟が出来なかった。そうですよね。カツミには正反対の性質があるのですから。しかし彼は戻ると決めた。私はその言葉を聞くのを待っていたんです」

 スッと息を飲んだアーロンがカツミに視線を向けた。確認するように強く注がれる眼差し。しかし、それを上回る強い眼光がカツミから返される。

 カツミの決意を確認したアーロンが安堵の表情を浮かべ、クレイルに向かって深く頭を下げた。絶大な権力を使える要人が、一私人に敬意を表す? 驚いて目を見開いたクレイルに、アーロンが微笑んでみせた。

 クレイルはアーロンを見直した。彼もまた時の試練を受けて変わっていったのだと。
 目的のために手段を選ばないのは自分と同じだが、冷酷さ非情さだけに支配されているのではない。彼もまたカツミによって自らを炙り出され、鏡を見つめることによって己を再構築したのだろう。

「今朝方、政府でメーニェに内通していた者を拘束しました。時間を置かずに評議会と特区の内通者も同様の処置をした。数名は情報の管理をしながら、まだ泳がせています。メーニェには何の変化もないように見えていることでしょう」
 アーロンは全てを連携させて実施したと語り、さらに言い足した。
「私は、特殊能力者がこの国にとって必要不可欠となるほどの大きなコミュニティを持つことを望んでいます。貴方もカツミも現在は国にとっての道具です。しかし、この国の価値観が変われば、それは一つの個性となる。束ねるものと私の願いは同じだと思っています」
 自らの考えを全て肯定するアーロンの言葉。クレイルは、真の意味で意思の通じ合う人物がいることに安堵し、己の進む道に追い風が吹いたと感じた。
 その時、アーロンの携帯端末がブルリと振動して入電を伝えた。すかさず画面をタップして内容を確認した彼が、わずかに口角を上げる。
 新情報は、特区の方向性を大きく変えるものだった。

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