第二話 二度目の招待状

文字数 4,182文字

 特殊能力者を対象に緊急会議が執り行われ、特区の広い会議場に約二千人のC級能力者が招集された。
 まず壇上に上がったのは、この基地の最高責任者。オルソー中将だった。
「最初に言っておく。本日の会議内容は極秘だ。命令が解除されるまで決して部隊外に漏らさないように」
 隊員達に釘を刺した中将は、その後、これまで隠していたとんでもない事実を直々に明かした。野太い張りのある声が会場に響き渡る。
「実に遺憾なことだが、特区内部にメーニェに内通している者がいた。今朝方、特定した裏切者を一斉に拘束したが、そのために臨床実験の本当の内容を明かすことが出来なかった」
「彼らはメーニェの統率者であるキース・ブライアントの手先だ。キースの目的はメーニェと我が国の特殊能力者を根絶やしにすることだった」
「先行してシスを投与したリーンの映像は、メーニェを欺くためのものだ。敵は今、特区の能力者の多くがシスによって発狂し、大混乱になっていると思い込んでいる」
「今後、C級能力者をB級に上げることで、能力者部隊を劇的に拡大する計画がある。シスの投与は計画的に行えばリスクは最低限に抑えられるそうだ。その説明は医官に譲る」
 オルソー中将の言葉を引き継いだ医官達が壇上に進み出る。そこで初めて、シス臨床試験の詳しい計画が明かされた。
 ただ、ここまでにオルソー中将の言い放った事実はあまりにも強烈だった。会場の隊員達は自身の感情を必死に抑え込んでいた。中には怒りに肩を震わせる者、蒼白な顔をして歯を食いしばる者もいた。
 彼ら特殊能力者にとって、差別や偏見は日常茶飯事。いちいち目くじらを立てることはない。ただし今回は話が違った。よりによって軍の中枢である特区内部に、自分たちを抹殺しようとした売国奴がいたのだ。
 奴らは敵に自分たちを売った。キース・ブライアントと言えば、妹を特殊能力者に殺された政治家だ。つまりは私怨で自分たちを根絶やしにしようと企んだのだ。
 特区は安全性を高めてシスの臨床試験を行うという。しかし本当に大丈夫なのか。裏切者はまだいるのではないのか。特殊能力者はシャルーにおいても厄介者のバケモノなのだろうか。

 広い会場に不穏な空気が漂うなか、壇上に上がったのはこの基地のトップパイロット。カツミ・シーバル大佐だった。
 十九歳の初陣で特進の栄誉を得て、そのすぐ後に五十余名の能力者を率い、作戦司令官の任に就いた俊英。
 シーバル大佐は、シスの投与を始めてからもう二か月だと話した。

 穏やかな、しかし自信に満ちた彼の口調。式典用の軍服の胸元にずらりと並ぶ、これまでの栄誉を示す勲章。
 広い会議場のスクリーンに、彼の顔が大写しとなる。
 スポットライトに照らされたのは、近寄りがたいほどの秀麗で神秘的な容姿。色の違う双眸の光に誰もが釘付けとなった。
 人の心を射るような、それでいて包み込むような瞳。形のよい唇から、思慮深くしかし強い牽引力のある言葉が紡がれる。
 会場の空気は、彼の絶大な存在感に完全に支配されていた。これまでの不信に満ちた重苦しい空気は一掃され、天から舞い降りた救世主を崇めるように、多くの視線がシーバル大佐のオッドアイに吸い寄せられた。
 そう、アーロンの目論見通りに。

 ◇

 19ミリア少し前に部屋のブザーが鳴った。
 カツミがドアを開けると予期していた人物が立っている。クレイルだった。背の高い彼が、カツミの目の前に上質な封筒をかざした。
 二度目の招待状。もちろん送り主はアーロンだ。十年前は自分とルシファーが招かれたな。ずいぶんと手荒な夜だったけど。

「俺がいつもアポなしで行くのを知ってるのに、わざわざ招待なんてさ」
 デスクの上に放ってある封筒にカツミが視線を送る。
「まあ。私を呼び寄せるには、必要だったということでしょう。クラシックですね。洒落たカードだ」
「洒脱だと言えば聞こえはいいけど、気取ってるだけだって」
 うんざりした口調の中にある親しみ。カツミとアーロンとの微妙な関係にクレイルは思いを巡らせる。
 長い期間、同じ目的に向かい協力し利用しあってきた同志。カツミの特区での地位の確立は、そのままアーロンの利益となる。
 まだ二十歳だったカツミの素養と可能性を見極めた先見の明。リーンやシドへの的確でそつのない対応。
 彼はまだ三十八歳だと聞いた。ということは、二十八の時にはもう、今の状況が見えていたということだ。

「今夜の20ミリアということですが」
「行くよ。もちろん」
 即答したカツミを見て、クレイルがふっと微笑む。
「今日は疲れたんじゃないですか? あれだけの能力者を前にして。私はかなり心配したのですけどね」
「まあ。急を要するんじゃね。今日の参加者。ほぼ全員が被験者に志願すると思う」
 カツミの予測にクレイルが少しばかり睨んでみせた。
「カツミ。ああいうことは先に相談して下さい」
「あ。バレてた?」
「分かりますよ。一気に来られるとシスの精製が間に合わないんです。さすがに二千人は勘弁してもらいたい」
「はははっ」
 今日のカツミは、会場の二千人に対して意識の操作を行っていた。シスの投与開始から二か月。レベルアップした今のカツミにとって、操作対象の二千人は楽々こなせる範囲だった。
 カツミは会場のスクリーンに自分の映像が大写しとなる時を狙った。場内にいる全ての者の視線を惹きつけてから意識下に潜り込んだのだ。その時にシスに対する恐怖心を払拭し、実験志願への動機付けをするという意識操作を行った。

 この意識操作はアーロンの指示であり、特区の上層部には一切知らされていなかった。
 意識操作は究極の武器と言えるかもしれない。カツミに対して永続的にシスを投与する必要性があるにしても、広範囲に意識操作を行う能力を使えばアーロンとカツミがシャルー星を乗っ取ることも難しくないのだから。
 彼らが特区や政府に敵意を持っていれば、意識操作の能力がどう応用されるか分からなかった。
 しかしカツミは今でも地位や栄誉にまるで興味がなく、これまでと変わらないマイペースをずっと貫いていた。

「皆、蛇に睨まれた蛙みたいでしたよ」
「たいしたことじゃないよ。礼服が重かった」
 クレイルの感嘆をさらりと流したカツミは、クローゼットの前に掛けた軍服にのんびりとブラシをかける。
 軍服の襟から胸にかけて、徽章と勲章が所狭しと並んでいた。将官の中には栄誉を誇示するように賑々しい典礼用の制服を常に身につけている者もいたが、カツミは式典の時にしか持ち出さなかった。
 可視的な権威は、ひけらかすほど効果を失う。権威を武器にするのなら、顕示するタイミングを見計らう必要があるのだ。納得顔のクレイルが軽口を飛ばした。

「貴方より勲章の方が重そうですね」
 そういうクレイルの軽い揶揄を、苦笑いしながらカツミがかわした。
「こんなの見ると、やっぱ軍人なんだって思うな」
「何をいまさら」
「階級や功績で、心が満たされればいいんだけどね」
 カツミの嘆きにも似た呟きに、クレイルは黙すしかなかった。軍人というのは階級章のラインが増えるたびに心が満たされる人種ではないのか? 特区は国家最高位の基地だ。その特区のトップパイロットに権威を否定されるとは。だが、カツミの欲しいものが地位や栄誉でないことは明確に理解できた。

「皮肉なものですね。この招待状の送り主も、国の解放と共に心の解放も望んでいるのでしょう。それが難しいことを知っていながら」
「同時に掴まないといけないのは分かってる。でないと戻って来れないから」

 ──戻る。
 カツミの口調はとても強かった。クレイルが表情を引き締める。
 戻ると口にした直後、カツミを中心として部屋の空気が一瞬で変化した。磁場なのか、オーラなのか。意思というものに重さがあるのなら、こういう状態のことを言うのだろう。
 風に煽られ揺らいでいた花が、ふいに訪れた無風のただなかでぴたりと動きを止める。凛と空を仰ぐ花。しかし繊細であるはずの花から放散される圧倒的な存在感。
 揺らぎ迷って熟考したとしても、一度決めたらカツミは決して後に引かない。定まった彼の意思は、誰にも変えることは出来ないのだ。

 カツミが本性を見せる時。
 アーロンは過去にその瞬間を見ていた。そしてルシファーは戦場でいつも見ている。
 カツミはこれだと決めた直後に、パチリとスイッチを切り替える。そして、誰にも追いつけないほどの跳躍と飛翔を見せる。飛び立つ先に共に行けるのはこの世にただ一人、ルシファーだけなのだ。

「束ねるものに会う。そして混沌を洗って戻る。必ず」

 クレイルは改めて思い知る。カツミが飛び立ち、帰ってくる場所は、空の彼方にいる唯一無二のパートナーのところなのだ。彼らは離れていても常に繋がっているのだと。
 並外れた能力と知性。それとはあまりにアンバランスな未熟で閉じたこころ。しかし、それらが高次で統合される時は約束されていた。だからこそ彼らが選ばれたのだろう。

「なんかまた、難しいこと考えてる?」
 思いのほか近くにカツミの顔が迫っていた。クレイルは慌ててカツミの頭をかき抱く。
 息詰まるような空気はすっかり消え失せていた。腕の中にいるカツミは、甘えて飼い主を翻弄する子猫に変貌していた。

「もお。時間がないんだから。キスくらいさせてよ」
「だ、め、で、す」
 この小悪魔を十年繋ぎ止めたもう一人の人物。アーロン・ド・ミューグレー。
 自分の両親もろとも五千人の要人を葬り去った男。ジェイの弟。この国の情報企業の頂点にいる男。
 クレイルのアーロンに対する興味は膨らみ続けていたが、その好奇心をしっかり満たすためには、腕の中でジタバタしている子猫をなんとか手なずけなくてはならない。
 壁の時計は指定時間の30ミリオン前をさしていた。車を飛ばせば指定時刻ギリギリにアーロン邸に着けるが、渋滞は考慮していない。仕方ないな。クレイルは、わがままな子猫にちらりと目を遣った。

「カツミ」
 クレイルが耳元で名前を呼んだ。一瞬動きを止めたカツミを軽々と抱え上げる。
「なに?」
 驚いたカツミに、頬を緩めたクレイルが告げた。
「跳びます。目を瞑って」

 訳が分からず瞼を閉じたカツミが、どこかに飛び降りたような軽い衝撃を感じて目を開けると、既にアーロン邸の前庭だった。

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