第三話 やってはならないこと
文字数 3,405文字
「うわっ! すげぇ」
珍しく声を上げたルシファーの前には、最新鋭の戦闘機が駐機されていた。ひと際異彩を放つ機体。これまで見たことのないタイプだった。
ダークグレーに輝く滑らかなフォルム。鎌首を突き出した蛇のような機首。大鷲を思わせる勇ましい両翼。他の機体が無骨で古めかしく見えてしまうほどに美しい。
「間近で見ると、なかなか壮観だな」
そう返したユーリーが、整備班に声をかけると機長席に乗り込んだ。後ろにルシファーが座ったのを確認してキャノピーを閉じる。機体は密閉空間となった。
「この機体、カツミの専用機になるらしいぞ。単独行動の許可はもらった。それから例の組織と連絡を取った。キースがオッジの基地を視察する予定があるんだとさ。直接本人を探れるかもな」
ルシファーがこの機体の使用を申し出たのは、昨日のことである。ユーリーの行動力に彼は舌を巻いた。
「あ、それと」
「はい?」
「私はカツミじゃないからな。あんな操縦は出来ない。その分は経験でカバーする」
ユーリーの発言はルシファーには意外だった。
確かにカツミとルシファーは特区最強のペアであり、彼らの業績は図抜けていた。しかし、ユーリーも決して凡人ではないのだ。
「隊長にそんなこと言われても、俺は困りますけど」
「お前は最初からずっとカツミと組んでるから分からないんだ。私はあいつの後ろに乗ったことがある。正直言って肝が冷えた。とてもじゃないが一緒にはやれないと思ったよ」
「はあ。まあ、確かに」
「お前はよく淡々と乗ってられるな。慣れか?」
慣れはある。だがそれだけではない。ルシファーには確信があった。
「いいえ」
「じゃあなんだ?」
迷いのない声にユーリーが振り返ると、真顔が向けられていた。
「信じてるだけです」
「はあ?」
「信じてますから。だから不安に思ったことなんて一度もないんです。カツミは必ず帰投する。彼の判断は表示より正確で速い。実質、機体性能が追い付いてなかった。これを見たら、きっと喜びますよ」
言葉の最後に付け足された笑顔。それを見て、ユーリーがギッと眉を寄せた。
◇
相部屋に戻ったところでルシファーがユーリーに質問した。この先、一緒に行動する上での確認である。
「隊長。隊長の言う組織って何ですか? もしかして、アレですか?」
ユーリーの顔に最上級の苦笑が浮かんだ。フィーアに対して彼が何をしていたのか。その事実をルシファーが知らないわけがない。
「誤解を解いておく。取引は十年前にやめた。それと、あれは合法だった。依存するのは同じだけどな」
「知らなかったです。すみません」
即座に頭を下げたルシファーに、ユーリーがふっと目を細めてみせた。
「謝る必要はないよ。でも考えてみろ。お前は酒を飲むだろ? あれだって度が過ぎれば依存する。法律なんてそんなもんだ。いつでも変わる可能性のある仮の決まり事だ。枠がなければ抑えられないから仕方なくあるのさ。絶対にやっちゃいけないのは一つしかない」
「ひとつ?」
「殺すことだ。身体だけじゃない、心もだ。他人はもちろん、自分のもだよ。だから私はフィーアにしたことをずっと後悔してきた。殺さないために、この馬鹿げた茶番を早く終わらせたいんだ」
隊長はもう逃げないと覚悟したんだな。そう思いながらルシファーが頷くと、ユーリーがもうひとつ言葉を足した。
「お前は間違ってないと思うけどな。近すぎると愛情は依存に変わるもんだ。お前らの距離はバランスが取れてる。カツミの寂しさには底がないんだ。支えることと抱えこむことは別物だろ? みんな違う道を歩くんだ。隣で同じ方向を見て歩けばいいんだよ。お前の生き方を見てカツミが変わればいいのさ」
「俺の生き方ですか」
「支えたいなら、自分が示せるものがいるだろ?」
「自分が示せるもの……」
「それを増やしていくしかない。お前が行動で示すことを見て、カツミが自分で気付くしかないんだ」
ユーリーの示唆。その中には、ルシファーを認めることと次の課題が同時にあった。
「ありがとうございます。隊長」
ルシファーはユーリーに感謝した。全てが間違っていたわけではないと認められたからだ。
情熱と距離。一見相反するもの。しかし共に必要なものだった。
◇
戦闘空中哨戒中の機体を横目に、阻止戦闘空中哨戒空域に向かう。予定通りに途中から味方機と別行動をとり、単機で敵の支配領域のラインに迫っていく。
AWACS(早期警戒管制機)が常に目を光らせる空域を抜け、新型機は漆黒の海を切り進む。
オッジはとっくに目視圏内であったが、この機体のステルス性は宇宙の海で小石を探すくらいに高かった。
真新しいグラスコクピットに表示されるデータ。そこに機長は独自に入手した情報を重ね合わせていた。
ユーリーがオッジに潜り込ませている仲間から得た情報によれば、敵空軍に大量の無人機が導入されたらしい。
パイロットの穴埋めが必要になっているのは、クローン兵士の生産計画が難航している証拠だった。
特殊能力者に対し迫害を続けながらも、完全に支配できる能力者兵器を造る。そんなご都合主義を嘲笑う神がどこかにいるんだろうよ。ユーリーとルシファーはそう言って、愚行を冷笑した。
最初にHUD(ヘッドアップディスプレイ)に表示された敵機は二機。解析ですぐに無人機と判明する。
「なかなかすぐには、お目にかかれないな」
そう言いながら、ユーリーは哨戒ラインの際を旋回する。敵はまだこちらを認識していない。新しい機体の性能の高さが如実に現れていた。
次に表示されたのは単機。しばらく様子を窺っていたものの、表示は変わらなかった。メーニェの標準的な戦闘機で性能的には新型機の方が格段に上回る。
「妙だな。なぜ単機なんだ」
二人には敵機の動きに行動目的があるとは思えなかった。
「何ふらふらしてやがる。こんな危険空域で」
ユーリーが悪態をつく。じっと探りを入れていたルシファーが解析結果を説明した。
「隊長。あれ、例のクローンです。感情がない。空洞だ。機体がオートフライトをしているだけです」
「クローンだって? 空洞?」
「どうします? もう少し近づけば意識を探れますけど、自爆装置がないとも限らない」
ユーリーが舌打ちをした。
「ちっ。囮(おとり)だとしたら目も当てられんが、探りは入れときたい。行くぞ」
「了解」
機長がカツミならば一気に接近してキャノピー・トゥー・キャノピーを試みたかもしれないが、ユーリーは慎重だった。ルシファーが探れる距離を測りながら、敵機の状況を読み解いていく。
「さっきの無人機は消えたな。他のボギーもなしだ」
隊長の言葉に、ルシファーが探った情報を重ねる。
「あの機体、もうミサイルを積んでません。兵装は機関砲だけ。パイロットは失神しています」
「えっ?」
「燃料も残り少ない。機体データの発信もないですし、オッジからのフォローもまるでありません。もう捨てられています」
「ったく! 呆れてものも言えん!」
非人道性に対するユーリーの悪態には、敵味方の区別がなかった。
敵機のモニターを続けてくれと告げると、機長は幽霊のように漂う機体に接近していった。目視圏内に入った敵機は、ルシファーの見立て通り虚しく自動飛行を続けていた。
「気味が悪いな」
そう言いながら、ユーリーがぐいっと機体を寄せた。
機体制御の精度が半端じゃない。謙遜していたけど、やる時にはやるんだな。ユーリーの操縦技術の高さに感心していたルシファーだが、敵機パイロットの意識を読み取ることに集中し直す。
「データ通信はないんだな」
もう一度ユーリーが確認した。ルシファーが質問の意味をすぐに察する。
「全くありません。残留意識は取りました。機体のデータも取り終えました」
「お疲れさん」
ユーリーはミサイルすら必要としなかった。無防備な敵機の心臓部に機関砲を連射するなり、スッとそこから離れる。反転した後方で幽霊機が爆発した。
敵機にこちらの機体情報を抜かれていた場合、そのデータを敵の友軍機に回収されないため。当然の処置ではあるが、ルシファーはユーリーがふっと息を漏らしたのを聞き逃さなかった。
「帰投する」
「了解」
ルシファーは、このくだらない茶番をとっとと終わらせたいと言ったユーリーの決意を思い返す。
キース・ブライアントのオッジ基地視察は、内密の報告によると明後日からとなっていた。
珍しく声を上げたルシファーの前には、最新鋭の戦闘機が駐機されていた。ひと際異彩を放つ機体。これまで見たことのないタイプだった。
ダークグレーに輝く滑らかなフォルム。鎌首を突き出した蛇のような機首。大鷲を思わせる勇ましい両翼。他の機体が無骨で古めかしく見えてしまうほどに美しい。
「間近で見ると、なかなか壮観だな」
そう返したユーリーが、整備班に声をかけると機長席に乗り込んだ。後ろにルシファーが座ったのを確認してキャノピーを閉じる。機体は密閉空間となった。
「この機体、カツミの専用機になるらしいぞ。単独行動の許可はもらった。それから例の組織と連絡を取った。キースがオッジの基地を視察する予定があるんだとさ。直接本人を探れるかもな」
ルシファーがこの機体の使用を申し出たのは、昨日のことである。ユーリーの行動力に彼は舌を巻いた。
「あ、それと」
「はい?」
「私はカツミじゃないからな。あんな操縦は出来ない。その分は経験でカバーする」
ユーリーの発言はルシファーには意外だった。
確かにカツミとルシファーは特区最強のペアであり、彼らの業績は図抜けていた。しかし、ユーリーも決して凡人ではないのだ。
「隊長にそんなこと言われても、俺は困りますけど」
「お前は最初からずっとカツミと組んでるから分からないんだ。私はあいつの後ろに乗ったことがある。正直言って肝が冷えた。とてもじゃないが一緒にはやれないと思ったよ」
「はあ。まあ、確かに」
「お前はよく淡々と乗ってられるな。慣れか?」
慣れはある。だがそれだけではない。ルシファーには確信があった。
「いいえ」
「じゃあなんだ?」
迷いのない声にユーリーが振り返ると、真顔が向けられていた。
「信じてるだけです」
「はあ?」
「信じてますから。だから不安に思ったことなんて一度もないんです。カツミは必ず帰投する。彼の判断は表示より正確で速い。実質、機体性能が追い付いてなかった。これを見たら、きっと喜びますよ」
言葉の最後に付け足された笑顔。それを見て、ユーリーがギッと眉を寄せた。
◇
相部屋に戻ったところでルシファーがユーリーに質問した。この先、一緒に行動する上での確認である。
「隊長。隊長の言う組織って何ですか? もしかして、アレですか?」
ユーリーの顔に最上級の苦笑が浮かんだ。フィーアに対して彼が何をしていたのか。その事実をルシファーが知らないわけがない。
「誤解を解いておく。取引は十年前にやめた。それと、あれは合法だった。依存するのは同じだけどな」
「知らなかったです。すみません」
即座に頭を下げたルシファーに、ユーリーがふっと目を細めてみせた。
「謝る必要はないよ。でも考えてみろ。お前は酒を飲むだろ? あれだって度が過ぎれば依存する。法律なんてそんなもんだ。いつでも変わる可能性のある仮の決まり事だ。枠がなければ抑えられないから仕方なくあるのさ。絶対にやっちゃいけないのは一つしかない」
「ひとつ?」
「殺すことだ。身体だけじゃない、心もだ。他人はもちろん、自分のもだよ。だから私はフィーアにしたことをずっと後悔してきた。殺さないために、この馬鹿げた茶番を早く終わらせたいんだ」
隊長はもう逃げないと覚悟したんだな。そう思いながらルシファーが頷くと、ユーリーがもうひとつ言葉を足した。
「お前は間違ってないと思うけどな。近すぎると愛情は依存に変わるもんだ。お前らの距離はバランスが取れてる。カツミの寂しさには底がないんだ。支えることと抱えこむことは別物だろ? みんな違う道を歩くんだ。隣で同じ方向を見て歩けばいいんだよ。お前の生き方を見てカツミが変わればいいのさ」
「俺の生き方ですか」
「支えたいなら、自分が示せるものがいるだろ?」
「自分が示せるもの……」
「それを増やしていくしかない。お前が行動で示すことを見て、カツミが自分で気付くしかないんだ」
ユーリーの示唆。その中には、ルシファーを認めることと次の課題が同時にあった。
「ありがとうございます。隊長」
ルシファーはユーリーに感謝した。全てが間違っていたわけではないと認められたからだ。
情熱と距離。一見相反するもの。しかし共に必要なものだった。
◇
戦闘空中哨戒中の機体を横目に、阻止戦闘空中哨戒空域に向かう。予定通りに途中から味方機と別行動をとり、単機で敵の支配領域のラインに迫っていく。
AWACS(早期警戒管制機)が常に目を光らせる空域を抜け、新型機は漆黒の海を切り進む。
オッジはとっくに目視圏内であったが、この機体のステルス性は宇宙の海で小石を探すくらいに高かった。
真新しいグラスコクピットに表示されるデータ。そこに機長は独自に入手した情報を重ね合わせていた。
ユーリーがオッジに潜り込ませている仲間から得た情報によれば、敵空軍に大量の無人機が導入されたらしい。
パイロットの穴埋めが必要になっているのは、クローン兵士の生産計画が難航している証拠だった。
特殊能力者に対し迫害を続けながらも、完全に支配できる能力者兵器を造る。そんなご都合主義を嘲笑う神がどこかにいるんだろうよ。ユーリーとルシファーはそう言って、愚行を冷笑した。
最初にHUD(ヘッドアップディスプレイ)に表示された敵機は二機。解析ですぐに無人機と判明する。
「なかなかすぐには、お目にかかれないな」
そう言いながら、ユーリーは哨戒ラインの際を旋回する。敵はまだこちらを認識していない。新しい機体の性能の高さが如実に現れていた。
次に表示されたのは単機。しばらく様子を窺っていたものの、表示は変わらなかった。メーニェの標準的な戦闘機で性能的には新型機の方が格段に上回る。
「妙だな。なぜ単機なんだ」
二人には敵機の動きに行動目的があるとは思えなかった。
「何ふらふらしてやがる。こんな危険空域で」
ユーリーが悪態をつく。じっと探りを入れていたルシファーが解析結果を説明した。
「隊長。あれ、例のクローンです。感情がない。空洞だ。機体がオートフライトをしているだけです」
「クローンだって? 空洞?」
「どうします? もう少し近づけば意識を探れますけど、自爆装置がないとも限らない」
ユーリーが舌打ちをした。
「ちっ。囮(おとり)だとしたら目も当てられんが、探りは入れときたい。行くぞ」
「了解」
機長がカツミならば一気に接近してキャノピー・トゥー・キャノピーを試みたかもしれないが、ユーリーは慎重だった。ルシファーが探れる距離を測りながら、敵機の状況を読み解いていく。
「さっきの無人機は消えたな。他のボギーもなしだ」
隊長の言葉に、ルシファーが探った情報を重ねる。
「あの機体、もうミサイルを積んでません。兵装は機関砲だけ。パイロットは失神しています」
「えっ?」
「燃料も残り少ない。機体データの発信もないですし、オッジからのフォローもまるでありません。もう捨てられています」
「ったく! 呆れてものも言えん!」
非人道性に対するユーリーの悪態には、敵味方の区別がなかった。
敵機のモニターを続けてくれと告げると、機長は幽霊のように漂う機体に接近していった。目視圏内に入った敵機は、ルシファーの見立て通り虚しく自動飛行を続けていた。
「気味が悪いな」
そう言いながら、ユーリーがぐいっと機体を寄せた。
機体制御の精度が半端じゃない。謙遜していたけど、やる時にはやるんだな。ユーリーの操縦技術の高さに感心していたルシファーだが、敵機パイロットの意識を読み取ることに集中し直す。
「データ通信はないんだな」
もう一度ユーリーが確認した。ルシファーが質問の意味をすぐに察する。
「全くありません。残留意識は取りました。機体のデータも取り終えました」
「お疲れさん」
ユーリーはミサイルすら必要としなかった。無防備な敵機の心臓部に機関砲を連射するなり、スッとそこから離れる。反転した後方で幽霊機が爆発した。
敵機にこちらの機体情報を抜かれていた場合、そのデータを敵の友軍機に回収されないため。当然の処置ではあるが、ルシファーはユーリーがふっと息を漏らしたのを聞き逃さなかった。
「帰投する」
「了解」
ルシファーは、このくだらない茶番をとっとと終わらせたいと言ったユーリーの決意を思い返す。
キース・ブライアントのオッジ基地視察は、内密の報告によると明後日からとなっていた。