第二話 深い溝

文字数 3,161文字

 轟音を立てて哨戒機が飛び去るのを眺めていたカツミは、その騒擾(そうじょう)とはまるで対照的な墓地の一角に佇んでいた。

 あたりに静寂が戻ると、彼はジェイの墓石の前に座りこみ、平らな石に手を乗せてから瞼を閉じた。
 気持ちを整理したい時、カツミはいつもこの場所を訪れていた。もう十年もの間、彼の思索の場所はここである。
 静かだった。ここには滅多に人が来ない。しかし今日の静けさはすぐに破られた。
 ザクザクと敷石を踏む音を聞きカツミが顔を上げると、黒髪の人物がこちらに近づいてくるのが見えた。ああ彼か。そう思いながら、カツミが立ち上がる。
 ライアン・クレイスン。実質初対面であったが知っている人物だった。
「こんばんは、大佐。ルシファーに、貴方がここによく来るって聞いてたので」
「探した?」
 カツミの返事に人懐こい笑みを浮かべたライアンだったが、どこか緊張した様子だった。
 階級名で声をかけるライアンと、旧知の友人に向けるようなラフな返事をするカツミ。カツミの方が通常とは違う応じ方だが、それには理由があった。

「探しました。時間とれますか?」
「もちろん。基地の食堂じゃなんだから、どっか食べにでも行く?」
 カツミの提案にライアンが頷いた。
「だったら自分が車だします」
「俺の運転だと怖い? それとカツミでいいよ。遠慮してる?」
「……両方とも認めます」
「はははっ」

 困ったような表情のライアンが、歩きだしたカツミに続いた。カツミは察していた。こうして会いに来るということは、彼はセアラを射止めたんだな、と。
 ライアンが自分に伝えたいこと、確認したいことはなんだろうか。思いを巡らせながら、カツミは墓地の門を抜けた。

 足を向けたのは寮への近道だった。カツミは前にこの細道を歩いた日のことを鮮明に思い出せた。踏みしめた雪の音すらくっきりと。
 あの時。悔しそうに謝罪したルシファーの顔は、今でも忘れない。
 ルシファーはあの時、憎しみだけではない他の感情に支配されていた。疑問だったか、興味だったか、まるで分からないと言いたげな。その解を彼はまだ探しているのだろうか。それとももう超えたのか。

「ライアン。君は居住区に引っ越すのか?」
 カツミの質問は、ライアンとセアラの結婚生活を前提にしたものだった。あっさりと本題に入られたライアンは慌てた。しかしカツミが優しく微笑んだのを目にすると、ふぅと息を吐いてから頷いた。
「ええ。引っ越します。彼女の父親にも挨拶してきました」
「そっか。セアラも片親だったもんな」
 カツミの母もカツミを出産してすぐに亡くなっていた。しかしセアラとの共通点は、それだけである。

 セアラは父親にたっぷりと愛情を注がれて育ったが、カツミは父親から放置されていた。
 カツミの世話は使用人の仕事。複数の家庭教師もつけられ、幼い頃から徹底した英才教育を施された。
 ロイは週末に帰宅してもカツミの存在を無視していた。口を開く時は会話ではなく命令だった。
 カツミが自分の感情を麻痺させて心の崩壊を防いだのは、当然の成り行きだったのだ。

 カツミが幼いなりに考えていたのは、自分は父親に扶養されているという現実だった。衣食住、生を繋ぐ根幹を握っているのは父親なのだ。父に見捨てられてしまえば、絶望しか残らない。だから、今以上のものを求めてはいけないと。
 幼年学校に併設された寮に移る、ひと月前。カツミはロイに酷い虐待を受けた。もう、あの日の詳細は覚えていない。心に鍵をかけて忘れようとした。
 憎まれている。ただそれだけを感じた。そして痛みの記憶だけが、ずっと身体の奥に残った。
 カツミには、なぜこんな目にあうのかという疑問ではなく、やはりこうされてしまうのかという諦観や運命感が刻み込まれた。
 思春期を迎えるまでカツミはずっと思っていた。自分は望まれて存在しているわけではない。感情を支配され抑圧されることと引き換えに生かされているだけ。父にとっての自分は疎ましいだけの存在なのだ、と。
 捨て置かれる恐怖が怒りに変化していったのは、彼が特区に入り父親の扶養から外れた後だった。

 ◇

 カツミとライアンが腰を据えたのは、いつかユーリーと行ったリストランテだった。

「俺、シチューね。後は任せる」
 短く注文を伝えたカツミがメニューをライアンに押し付けた。もともと食事に興味がないカツミと異なり、ライアンは食に貪欲だった。
 軍務で心身を酷使するライアンにとって食事は単なる栄養補給ではない。欠かせないストレス発散手段なのだ。
 カツミのオーダーがあまりに貧相なことを気にしたライアンは、注文の追加を訊いた。しかし幻想的な瞳を細められるだけ。結局、ライアン側だけがかなり重めの注文になった。

「そんなに食える?」
「食べますよ、これくらい。全然いけます」
「すげぇ」
「大佐が食べなさすぎなんですよ」
「カツミでいいって。ライアンの方が年上だってのに」
「階級だけじゃないですよ。遠慮の理由は」
「まあね。分からないでもないよ」

 初対面の相手であってもカツミは自分のペースを崩さない。他人が自分に対して、多かれ少なかれ引いてから接することは良く分かっていた。
 見た目、階級、父が特区の最高責任者であったこと。そして何より、自分が特殊能力者であるということ。
 過去のカツミには本心で向き合える相手は限られていた。特殊能力者であるというだけで他人との交流は一気に狭まってしまう。それは今も変わらない現実だった。

 赤ワインがサーヴされ、同じ色の瞳がなにかを見通すようにライアンを見つめた。
「ハーブ」
 カツミが口にした人名を聞き、ぎょっとしたライアンが目を見開く。
「なんで知ってるんですか?」
「分かるよ。前から知ってたけど、いま確信した」
「え?」
「能力者の感覚なんて説明するのは難しいよ」
 突き放すでも、卑下するでもない。それはカツミにとっての事実だった。
「確かに俺もルシファーに説明を求めなくなりました。酷く困った顔されるんで」
「あいつが?」
「してましたよ、昔は。俺がなんでってしつこく聞くと、凄く嫌そうにして。言っても分からないし否定するだろって。そんなつもりは、なかったんですけどね」

 カツミは泰然としているライアンを見てしみじみ思う。ライアンからは能力者への偏見が感じられない。それだけルシファーへの信頼があついということなのか。彼の正義感が強いためか。
 しかしライアンのような人物はとても少ない。ジェイやシド、セアラ。自分のことを、ありのままに受け入れてくれる人など数えるほどしか出会っていない。というよりも、それが能力者にとっての『普通』だ。

「浅いようで深い溝だよな。それって」
「深い溝ですか?」
 カツミの独白に、ライアンが思案顔になった。

「そう。俺がなんでって思うのは、特殊能力者が百人にひとりの確率で存在してること。考えてみたら多いよね。メーニェみたいに全てを排除しようとすれば、社会は成り立たないよ。でもA級能力者だとどうかな。情報は開示されてないけど、ほんのひと握りしかいないと思う。となると俺は異端者だよね。特区では使い物になるから優遇されてるけど、ゲートの外では違う」

 特区にいると自分が異端者だという感覚が麻痺していく。能力者部隊が編制され、能力者専用の機体までもが整えられているからだ。
 当然、全ての能力者が軍人になれるわけではない。軍務に就けない多くの能力者が社会に適応するには、本来の自分を隠さなければならないのだ。無駄な争いと迫害を避け、社会の片隅にひっそりと紛れ込むために。

「だから、最初から結婚なんて考えられないと?」
 ライアンが分かりやすい直球の質問をカツミに投げた。しかしカツミが投げ返したのは、意外性を二乗したような変化球だった。

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