第三話 束ねるものに出会う

文字数 2,036文字

 導く者は磨きこまれた鏡。人間の本質を炙り出すのです。導く者に対峙した者は、どんなに隠しても本心を暴かれます。子供が残酷に大人の嘘を暴くように。
 多かれ少なかれ人は自己を偽って濁ったなかにいるからこそ、他人の濁りを許せます。しかし透明な鏡は逃げることを許しません。残酷なまでにありのままを映し出してしまうのです。
 己の実像に耐えきれずに逃げる者もいるでしょう。しかし実像と向き合うことで自己を変化させる者もいるのです。
 鏡はなんの評価もしません。ただそこに在るだけです。鏡を見た者が、映し出された自己の真像を正視して行動を決めるのです。

 この星の海や湖を思い浮かべて下さい。水に色はありません。この星の大気も同じ。自在に色を映します。映すためには透明でなければならないのです。
 導く者は他者をそのまま投影します。濁るわけにはいかないのです。それが導く者に課せられた資質です。
 まるで自己がないように見えることでしょう。しかし人は自我を持ちます。自分は自分であると他者と分けるものです。成長するにつれ、それはどんどん強固なものになっていきます。

 貴方は濁ることを許されない定めを持ちながら、濁りを許容しなければならないというジレンマを抱え込んでしまいました。自己を手放すことと保持することを両立させねばならないのです。
 それが、貴方が生死の狭間に自己を置く理由です。矛盾したものを同時に維持していかなければならないのですから。

 それでも貴方は生き残りました。貴方のなかにある半分の濁り。その影はクレイルが持ち去ります。フィーアの代わりに。貴方に纏う穢れを全て引き受けて。

 貴方は透明なままで、この世界の意識の底──束ねるものに会いに行き、透明な鏡で意識の底を照らすのです。霧のなかに一条の光を通すように。
 偽りを暴き出し、真実を突き付け、本心を炙り出す。人々は、真実を映す鏡によって自己を問われます。それによって、ふたつの星はゆっくりと変わっていくのです。

 ◇

 ──その夢は、夢と現(うつつ)の境目にあった。

 シス研究所内にある巨大な水槽。それは青い照明に照らされた氷柱に似ていた。

 直立する円柱の中。硝子の破片のような小さな生物が、時に群れを成し、時にそれを解いて、ひらひらと泳ぎ回っている。
 カツミが柱に手を触れると、そこを中心としてシスの群れがパッと円形に弾けて散った。
 青い光の奥から更に強い光が射し込んでくる。一面が純白に塗りつぶされ、全ての輪郭が曖昧になっていく。

 シスを介し何かが意識の融合を図っている。それを知ると、カツミは身を委ねるように床に座り込んだ。
 言葉はない。ただ何かがずっと遠くにいて、自分がその存在に繋がっているとカツミは感じていた。
 あの夢と同じ光景が脳裏に広がる。白い世界。薄く水の張られた天も地も白い世界。見渡す限り何もない真っ平らなただ中に、カツミは座り込む。

 自分は透明なプリズムだ。カツミはそう思っていた。
 あらゆる所から集められた光が、今彼の中を通って様々な色に変わっていく。
 七色の光の帯。雨上がりの虹。鮮やかに咲き誇る夏の花々。くるくると回転しながらマーブル模様に変化するシャボンの泡。色の洪水。色の放散。
 見えない色が見える色になる。カツミの中を通った光が見える色に変わっていく。やがてその色すら失われる眩い光が満ち溢れた。その温もり、その浮遊感の中に、カツミは溶け込んだ。

『ひとつに』
 カツミは、通じている何かから意識を受け取った。
「ひとつに」
 最初は全てが一つだったのだ。この宇宙の始まりも。この生命の始まりも。その繋がりを忘れた頃から、人は争うようになった。元は自分であったものに刃を向けるようになったのだ。

 ひとつに。それだけで良かった。それさえ叶えば、意識の底は清められた。ひとつに。最も単純なのに、最も難しくなってしまったこと。ひとつに。そのために必要だったのは、自他を信じ、自他を許し、そして愛することだった。

 今、死の砂漠で拾われた一つの種が、命の星の上で実を結んだ。
 ──ひとつに。たったひとつに。
 魂の根源は繋がっている。見渡す限りの白い世界に、薄く張られた水のように。その水に触れる。その水に色を差す。輝きが、波紋が連鎖する。光が、色が、波が広がる。純化された存在は、その透明な世界の中心にいた。全ての、みなもとの中心に。

 それが夢だったのか。どうやってその場所に行って、戻ってきたのか、それすら分からない。
 ただ目が覚めた時、カツミは確信していた。束ねるものに出会えたと。その意識に触れたと。この世界の意識の底が、音もなく静かに清められたと。

 ずっと隣に誰かがいた。自分を守るように光と対になるものが。彼の中にある闇は闇のまま。どんな眩い光の中にあっても変わることがなかった。
 それでもその闇には熱があった。深い安息と静かな叡知があった。星は夜空の中でしか輝けない。闇がなければ、光は存在しないのだ。

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