第二話 読まない訳

文字数 3,420文字

 1ミリア後にカツミは目を覚まし、すぐに起き上がると無表情で軍医に尋ねた。
「どうでした? モニターの結果は」
「平常通りでした。シスは少しずつ濃度を上げる予定です。その都度、血中濃度を調べます」
「了解しました」

 ナートは淡々としたカツミの態度に戸惑っていた。
 初回投与だというのに、カツミの身体には何の変化もない。不安も口にしない。リーンの映像を見ても志願を撤回しなかった人物だ。相応の覚悟はあるのだろう。にしても、全く影響が見られないとは……。

 医務室を出ていくカツミの後に、ナートに目配せしたクレイルが続く。二人の退出を見送ったナートは、椅子にどっかりと腰を下ろして天井を仰ぎ見た。

 ◇

「今日は部屋に入りますよ」
 クレイルの皮肉にカツミは頬を緩めて小さく笑い、自室のドアを開けた。
 昨夜のカツミはエレベーターから一人で降り、クレイルは手を振られてしまっていた。
 一緒にいてほしいと言われたというのに、窘めるような視線でエレベーターに押し戻されたクレイルは、首を傾げた。同時に、自分には恋の駆け引きなど出来ないと思ったものだ。

 簡易キッチンに足を向けたカツミは、室内をぐるりと見まわしているクレイルの感想を先取りした。
「何もないって顔してる」
「何もないですね。部屋は人の心を映すとはよく言ったものです」
「ひどいな」

 酒のグラスを手にカツミがクレイルの向かいに座ると、クレイルは立ち上がってカツミの隣に座り直した。
 カツミは再び思った。まるでジェイみたいだなと。
「あんたみたいな人、知ってた」
「私みたいな?」
「態度がね。よく似てた」
「過去形ですね。ジェイのことを言ってるんですか?」
「知ってるんだね」
 カツミの声には抑揚がなく表情も乏しかった。しかしクレイルには分かっていた。これは導く者の鏡、ぴたりと静寂を保った水鏡だと。シスによる変化は、カツミの本質が強調された形だったのだ。

「貴方のことは王女が夢で見せてくれました。しかし断片的なんです。ジェイのこともあまり知りません」
「そうなんだ」
「嫌でなければ、十年前の記憶を貰っていいですか? 説明が億劫でしょうから。フィーアが亡くなった時期のことをイメージしてくれれば拾います」

 カツミの頷きを確認したクレイルは、その背を抱きしめた。そして、記憶複写を終えたあとも腕を離さなかった。クレイルは感嘆していた。この小柄な身体のどこに、嵐のような日々を乗り越える力が備わっていたのだろうと。
「カツミ。貴方は愛されてきたんですね」
 十年前の試練の冬。クレイルの感想はカツミには意外なものだった。
 多くの人が死に、多くの人が傷ついた冬だったからだ。そしてカツミ自身も多くの傷を負っていた。
「傷ついたけど、全ては貴方を守るためだった。ずっと愛されてきた」
「うん。たくさん失くして、たくさん手に入れたと思ってる」

 腕を解かれたカツミがグラスに手を伸ばした。しかし、それはすぐクレイルに静止された。
「当分、酒は禁止です。シスの反応が未確定ですから」
「それじゃあ眠れないよ」
「明日からしばらく経過観察です。昼寝して下さい」
 カツミの不満げな表情を見て、クレイルが頬を緩めた。
「良かった。そんな顔ができるくらいなら安心です」
「なに言ってもなだめられてしまうとこが、ジェイみたいだ」
「私は、彼のようにできた人間じゃないですよ」
「今の言葉、ジェイが聞いたら困った顔すると思う」

 クレイルはカツミの話を乾いた笑みで聞き流した。ジェイの話を聞かされるのが嫌だったからだ。
 カツミとジェイの姿を夢で見るたびに、クレイルはジェイに嫉妬してきた。もうジェイはこの世にいないというのに、それでも嫉妬した。
 クレイルは自分に言い訳をした。私の印象がジェイに似ている? カツミが最も求めている相手だ。近づきたいと思うのは自然なことだろう。ジェイには嫉妬するけど、同時に理想像でもあるのだから。しかし今の私では、とてもジェイの代わりは務まらないな。

 自嘲を隠すように、クレイルがさっと話題を変えた。
「貴方が眠ってる時にドクターに訊かれたんです。特殊能力者の安らぎはどこにあるんだと」
「安らぎ?」
「私たちは無意識下で力を制御し続けている。眠っていても抑えてますよね」
「確かにそうだけど、考えたこともなかったな」
「それが当たり前ですからね。でもドクターには驚きだったようです。安らげる時はあるのかと問われました」

 能力者以外にはそう見えるのかと、カツミは逆に驚いていた。それ以上に、能力者の苦悩を思いやるナートの心配りがとても意外だった。
 これまで能力者の疎外感に気づいてくれた人などほとんどいなかった。生まれつきの能力で、無くすことも変えることも出来ない。その曲げようも隠しようもない事実を、ずっと無視され続けてきたのだ。

「ふぅん。俺はオッドアイだけど、それと同じだね。他人に変に見られるからって、取り換えるわけにはいかない。安らぎは他で求めるしかないよ」
「カツミの瞳は綺麗ですよ。それは個性です。特殊能力も個性の一つだと私は思いたいですね。使い方さえ間違わなければ」
「個性か。なんか皮肉みたいだ」
 恐れられる個性。利用されるだけの個性。カツミにとっての能力は価値のあるものではなかった。しかし特区では、それを使ってこそ価値が与えられる。
 特区に来るということは、その皮肉を利用する意思があるということ。だからこそ今回の実験に志願する者がいたのだ。
「貴方の能力も瞳も捉え方次第です。避ける者もいれば魅了される者もいる」
「褒められてんのか、けなされてんのか、分からなくなってきた」
「私は魅了された側ですよ。その魔力にね」
「それも褒めてるように聞こえない」
 カツミ自身が自分の価値や美しさを最も過小評価していた。彼が今、クレイルの意識を読んだとしたら、自分の認識との差に驚いたことだろう。

 クリムゾンとトパーズの瞳。その瞳がクレイルを見つめていた。長い時の中でずっと求めていた光。それがこんなに近くにあることにクレイルは陶酔すら覚える。
 生死の狭間を思わせるその色。鮮やかに咲く花も、朽ちゆく花も、どちらも美しい。
 モアナの陽を受け燃えるように咲き、同じ陽のもとで枯れ落ちる。生の絶頂と死の瞬間は地続きで、次の蕾のための変化でしかない。全ては循環し生死を繰り返す。その接点にカツミはいる。
 この想いを言葉になどできるはずがない。クレイルはそう感じていた。

「言葉は無力ですね。カツミは言葉をどれくらい信じていますか」
「半分かな」
「私の意識も読んでいいんですよ。できるでしょうに」
「そうだね。でも読みたくない」
 読みたくない? クレイルには意外な言葉だった。
「どうして読みたくないんですか?」
「あんたが、もし嘘をついてたら嫌だから」
 カツミの返答は、クレイルの価値観とは違っていた。普通は逆だろう。嘘を見破るため、自分を守るために読む。それが当然ではないのか?

「そう思うのなら、普通は読みませんか?」
「失くしたくないものは、触れるのが怖いんだ」
 触れるのが怖い? それも意外だったが、失くしたくないという言葉をなんのてらいもなく告げるカツミに、クレイルは驚きを覚えた。
「私が貴方を騙そうとしてるなら、手にしていても仕方ないでしょう?」
「違うよ。どう言ったらいいの? 騙されても利用されても、それでも手を離したくないって思ったらいけないの?」

 クレイルは納得した。先ほどのドクターの言葉は、ある意味正解なのだと。カツミは見捨てられる恐怖を感じずにすむように、聞く能力を封印したのだろうと。
 ただクレイルは、カツミには聞く能力だけでなく他人と『同化』する能力があると信じていた。
 ──同化。相手の今とこれまでの全てを自分の中に映す能力。その能力を発動すると、自分が相手そのものに成り代わったような感覚になる。
 導く者の透明な鏡には、他人の心は薄汚く映ったことだろう。恐ろしく、醜いものに見えたことだろう。

 カツミは『聞ける』のに『聞かない』。騙され、危害を加えられるリスクより、人の内面を知る方を恐れる。
 それは、封印さえ解けば他人などあっという間に殺せるという前提があるからか。孤独のまま生き続けることを死よりも恐れるからなのか。

 クレイルは、ロイがカツミに残した傷の巧妙さを思った。カツミが導く者に覚醒しない方法を、ロイは誰よりも知っていたのだ。
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