第四話 百年後の邂逅
文字数 4,136文字
カチリ。留め具を動かすと、ピアスはすぐに外れた。
先行して行われていたカツミへのシス投与は終了し、C級能力者への投与も順調に進められていた。
外に向けてのリーン。内に向けてのカツミ。二人はいわば広告塔だった。特区の計画は思惑通りに進み、完遂は時間の問題だった。
今月末、シャルー軍はオッジに向かう。国力の差は歴然としている。派遣軍と入れ替わって戻ってくる駐留艦隊からの報告が、勝利への確信を更に強めていた。
「お疲れ様でした」
そう言ったナートに、カツミは一つ質問をした。
「最近変わったと思ったこと、ありますか?」
「変わったこと……ですか?」
「ええ。何かが満たされたり、何かが欠けたような。そんな変化です」
特殊能力者の感覚はよく分からないと思いながらも、ナートは最近の変化を振り返った。
「そう言えば、このところ色んな情報が開示されている印象です。知っていたと思っていたことですが、知ったことで色々と疑問を持つようになったというか」
「なるほど。そうなんですね」
「欠けたと言えば。突然、リミター中佐が亡くなられて。移民者が最初の一年を乗り切るのは難しいと聞いてましたが、体力のある軍人も例外ではないのですね」
「ええ」
「最近思うんです。この国に欠けていたものを彼はずっと前から知っていたのではと」
「この国に欠けていたもの……ですか」
「抽象的ですが、覆われていたものが取り除かれた感覚なんです。彼に言われたことがあります。わずかな枠に当てはめて物事を判断するなとね。だから、それを分類して名前を与えるのはやめました」
自嘲の笑みを薄く滲ませ、ナートは小さく息をもらした。カツミが静かに探りを入れる。
「ドクターは、シス計画が拡大されると思いますか」
「いえ。今回だけの計画でしょう。能力者は道具ではありませんから」
道具ではない。ナートがさらりと告げたのは、これまでのシャルー星では禁句だった。
特区に赴任して一年未満のナートが、この基地の特異な感覚に疑念を持っていたとしてもおかしくはない。しかしそれでも、抵抗なく口にできる言葉ではなかった。
意識の底は洗われている。カツミはそう悟った。人々が気付かないほど静かに。しかし確かに。
◇
「毎日、騒がしいな」
「騒がしいですね。今日はなんですか?」
ルシファーが問い返すと、にやりと笑ったユーリーが、食堂の大きなスクリーンを顎で示した。
この国は、これまでと変わらないようでいて、これまでとは明らかに違っていた。変わったのは環境ではなく、自己の内面であると気づく者は少なかったが。
「元王家だよ。まだ末端だが議員から降ろされた。中枢に手が伸びるのは時間の問題だろうな」
『隊長。隊長も何かやってるでしょう?』
なにを他人事のようにと意識を送ったルシファーに、ユーリーが舌を出して見せた。
「ま。同じことでも効力が変わってきたってことだな。どういう訳だかね」
「王政廃止から十年ですからね。潮時ですよ」
「そう願いたいところだね」
ルシファーが席に着くと、ユーリーが再びにやりと笑った。三十名弱だった隊員は今や三倍以上に膨れ上がり、束ねるユーリーは執務に忙殺されていた。だがカツミとルシファーには、ユーリーがその状況を楽しんでいるようにすら見えた。
「来週だな」
「ですね。政府交渉も進んでるらしいですし」
「それだよ。やっと仕事をする気になったらしいな」
「はははっ」
「まあ。俺らの出る幕がないのが一番だよ。ミサイルだけだ」
「封じますよ。百二十人ですからね」
のっけから一機で一個艦隊分の戦果を上げたルシファーならではの言い草。この秋に三十歳になったばかりのルシファーは、相変わらず飄々としていた。
「あ。ところで作戦司令官は?」
「それが。新しい恋人に、ぞっこんで」
「なんっ?」
予想通りの反応を見て、ルシファーがくすくす笑う。相変わらずユーリーは、いじられ役らしい。
「新型機ですよ。ごっそり改造したんで、最終メンテに付いて離れないんです」
「まったく。ちゃんと食えって言っとけよ」
やれやれと唇を曲げて見せたユーリーは、予想外の返答にめんくらうことになった。
「最近、少しだけマシになったんです。心配いりませんよ。ちょっと安心してます」
「へぇ。どういう風の吹きまわしだ?」
「さあ。どうしてでしょうね」
ルシファーは意味深に目を細めただけで、理由は話さなかった。
◇
「お前ら、この後どうするんだ?」
寮のエレベーターで二人きりになってすぐ、ユーリーがルシファーに訊いた。特区が今の役目を終えたら……ルシファーは質問の真意をすぐに察した。
ルシファーが予想を巡らせる。ユーリーは自分の組織を拡大するのだろう。特区自体は、この国がピオニーと呼ばれていた頃の方針を受け継ぐ。モアナ系の外に資源探索の艦を出すのだ。
「特区は出ます」
ルシファーの即断に驚いたユーリーが、あわてて聞き返した。
「おっ! もう決めたのか?」
「ええ。カツミの欲しいものに俺は付き合います」
「欲しいもの?」
「人の心と飛ぶこと。その二つです。聞く者としての役目が、俺は外にあると思えるんです。百人に一人。この星には助けを必要としてる人達が大勢いますから」
「能力者のための組織を?」
「五大陸、飛び回ることでしょうね。カツミは」
ユーリーが大きな吐息を漏らした。
「アーロンはそこまで考えてたのか。恐れ入ったよ」
「まあ。それが彼なりの兄を超える方法なんでしょう」
「でも、お前は超えただろ?」
「だといいんですけどね」
言いながらルシファーが口角を上げた。バチリと視線が衝突する。
最近、ユーリーはルシファーの確かな変化を実感していた。彼を貫く芯が、微動だにしなくなったことを。
「ちっ。言葉の割には自信満々じゃねぇか。時間は凄いよな」
「出発点が最悪でしたからね。落ちようがないんです」
「お前はほんと真面目だよな」
半分は本気で半分はやっかみ。もちろん、今のルシファーにそんな皮肉など効くはずもない。
「惚れた弱みですよ。それと、カツミの中に俺の探してたものがあったんです」
「探してたもの?」
「この世界の根幹にあるもの。源にあるものです」
「なんだったんだ?」
「それ、言わせるんですか?」
エレベーターがルシファーの降りる階で止まった。箱を出たルシファーにユーリーが仏頂面を向ける。ルシファーは小さく笑ってみせただけ。それ以上何も言わずに立ち去った。
根幹にあるもの。カツミの中に見つけたという源にあるもの。それを探すために、ルシファーはずっと分厚い本を読み漁っていたと?
「んなもん。最初っから決まってるじゃねぇか! 何を今さら。ったく!」
一人取り残された箱の中で、ユーリーが呆れ返っていた。
◇
重い動力源の音。通常航行の空母内。時は0ミリアを指していた。二段ベッドの上で、ルシファーはいつものように本のページをめくっている。文字は視界を通り過ぎていき、頭には入ってこない。
挿絵にある美しい木の実。それが海の泡にも、海岸の砂にも、今まさに航行している宇宙の星々にも見える。
光の粒。単独でいて単独ではない。一つを摘み上げても集めたとしても、その粒は繋がっているように見えてくる。
「ルシファー。添い」
下段にいるカツミが言い終わるよりも先に、ルシファーは梯子を滑り降りていた。
「びっくりした」
カツミが目を丸くしている。
「そうですか?」
「まるで、待ってたみたいだから」
「待ってましたよ」
ルシファーに頬を寄せられたカツミが、笑みを浮かべた。互いの中にあった垣根はもう何一つない。素直な本心に同じだけのものが返る。相手の心をはかる必要など少しもなかった。
それがどれだけの安堵を連れてくるか。どれだけの追い風となるのか。カツミもルシファーも、これまでとは違うものを掴み取っていた。
二人の手の中にあるのは未熟果。やがて熟し、甘い芳香を放つのを待つ果実。
「帰ったら、ドクターに会いに行きたいな。一緒に行ってくれる?」
「御意。もちろんです。行きましょう」
あの海沿いの道を。あの日とは違う二人で。多くの者の意識が溶ける、いのちの水を眺め見ながら。
「俺さ。親父が手に出来なかったもの、全部取れたと思ってる」
「ええ」
「階級だけかな。届かなかったのは。でも今より上だと飛べないもんな」
カツミの呟きを聞いて、ルシファーがくすりと笑った。これからもカツミはどこまでも飛んでいく。そう思いながら。
言葉を紡ぐ愛しい人。それを遮らないように、優しくついばむ口づけ。
「幸せだと思ってる。幸せってどんなものかよく分からないけど。でも今、すごく幸せだと思ってる」
戦地に向かう艦艇の中では、あまりにも似つかわしくないフレーズ。
しかしそう。過去も未来も全て闇にあり、今だけが光に浮かび上がっている。その今の幸せを謳歌せず、何を得るというのか。
「ありがと。待っててくれて」
「すみませんでした。待たせて」
再会の日の言葉を繰り返すルシファーに、カツミが目を細めた。
温かな想いとともに、二人の腕が互いを包む。
溶けあう意識。溶けあう想い。真っすぐに、ありのままに注がれる情熱。
──百年後の邂逅。
時を超えて出会えた唯一無二の欠片。ひとつになれる人。想いの密度がぴったりと噛み合う、たったひとつのいのち。
この一瞬の邂逅のための百年。この一瞬の光のための闇。実を残し落ちるために咲くいのち。
あの海の泡となっても二人は離れない。決して。
「ねえ。ルシファーの欲しいものは、なに?」
「俺ですか?」
「うん」
「内緒です」
「ええ?」
「カツミの憎まれ口は、けっこう好きですよ」
「むぅ」
この世界の根幹にあるもの。みなもとにあるもの。それは、今ここにある。
──ひとつに。たったひとつに。集約された想いの束は、ここからまた放散するのだ。
パチリと部屋の灯りが落とされた。
二人だけに交わされる意識。二人だけに交わされるぬくもり。交わり、溶け、ひとつになる。万物の全てをひとつに変える。全てはあの海の一部なのだから。許しの鍵はこの手にあるのだから。
漆黒の宇宙に幻想の白い花が落ちてゆく。闇の中でも眩い光を放ちながら。いのちの奇跡を讃えながら。
──了──
先行して行われていたカツミへのシス投与は終了し、C級能力者への投与も順調に進められていた。
外に向けてのリーン。内に向けてのカツミ。二人はいわば広告塔だった。特区の計画は思惑通りに進み、完遂は時間の問題だった。
今月末、シャルー軍はオッジに向かう。国力の差は歴然としている。派遣軍と入れ替わって戻ってくる駐留艦隊からの報告が、勝利への確信を更に強めていた。
「お疲れ様でした」
そう言ったナートに、カツミは一つ質問をした。
「最近変わったと思ったこと、ありますか?」
「変わったこと……ですか?」
「ええ。何かが満たされたり、何かが欠けたような。そんな変化です」
特殊能力者の感覚はよく分からないと思いながらも、ナートは最近の変化を振り返った。
「そう言えば、このところ色んな情報が開示されている印象です。知っていたと思っていたことですが、知ったことで色々と疑問を持つようになったというか」
「なるほど。そうなんですね」
「欠けたと言えば。突然、リミター中佐が亡くなられて。移民者が最初の一年を乗り切るのは難しいと聞いてましたが、体力のある軍人も例外ではないのですね」
「ええ」
「最近思うんです。この国に欠けていたものを彼はずっと前から知っていたのではと」
「この国に欠けていたもの……ですか」
「抽象的ですが、覆われていたものが取り除かれた感覚なんです。彼に言われたことがあります。わずかな枠に当てはめて物事を判断するなとね。だから、それを分類して名前を与えるのはやめました」
自嘲の笑みを薄く滲ませ、ナートは小さく息をもらした。カツミが静かに探りを入れる。
「ドクターは、シス計画が拡大されると思いますか」
「いえ。今回だけの計画でしょう。能力者は道具ではありませんから」
道具ではない。ナートがさらりと告げたのは、これまでのシャルー星では禁句だった。
特区に赴任して一年未満のナートが、この基地の特異な感覚に疑念を持っていたとしてもおかしくはない。しかしそれでも、抵抗なく口にできる言葉ではなかった。
意識の底は洗われている。カツミはそう悟った。人々が気付かないほど静かに。しかし確かに。
◇
「毎日、騒がしいな」
「騒がしいですね。今日はなんですか?」
ルシファーが問い返すと、にやりと笑ったユーリーが、食堂の大きなスクリーンを顎で示した。
この国は、これまでと変わらないようでいて、これまでとは明らかに違っていた。変わったのは環境ではなく、自己の内面であると気づく者は少なかったが。
「元王家だよ。まだ末端だが議員から降ろされた。中枢に手が伸びるのは時間の問題だろうな」
『隊長。隊長も何かやってるでしょう?』
なにを他人事のようにと意識を送ったルシファーに、ユーリーが舌を出して見せた。
「ま。同じことでも効力が変わってきたってことだな。どういう訳だかね」
「王政廃止から十年ですからね。潮時ですよ」
「そう願いたいところだね」
ルシファーが席に着くと、ユーリーが再びにやりと笑った。三十名弱だった隊員は今や三倍以上に膨れ上がり、束ねるユーリーは執務に忙殺されていた。だがカツミとルシファーには、ユーリーがその状況を楽しんでいるようにすら見えた。
「来週だな」
「ですね。政府交渉も進んでるらしいですし」
「それだよ。やっと仕事をする気になったらしいな」
「はははっ」
「まあ。俺らの出る幕がないのが一番だよ。ミサイルだけだ」
「封じますよ。百二十人ですからね」
のっけから一機で一個艦隊分の戦果を上げたルシファーならではの言い草。この秋に三十歳になったばかりのルシファーは、相変わらず飄々としていた。
「あ。ところで作戦司令官は?」
「それが。新しい恋人に、ぞっこんで」
「なんっ?」
予想通りの反応を見て、ルシファーがくすくす笑う。相変わらずユーリーは、いじられ役らしい。
「新型機ですよ。ごっそり改造したんで、最終メンテに付いて離れないんです」
「まったく。ちゃんと食えって言っとけよ」
やれやれと唇を曲げて見せたユーリーは、予想外の返答にめんくらうことになった。
「最近、少しだけマシになったんです。心配いりませんよ。ちょっと安心してます」
「へぇ。どういう風の吹きまわしだ?」
「さあ。どうしてでしょうね」
ルシファーは意味深に目を細めただけで、理由は話さなかった。
◇
「お前ら、この後どうするんだ?」
寮のエレベーターで二人きりになってすぐ、ユーリーがルシファーに訊いた。特区が今の役目を終えたら……ルシファーは質問の真意をすぐに察した。
ルシファーが予想を巡らせる。ユーリーは自分の組織を拡大するのだろう。特区自体は、この国がピオニーと呼ばれていた頃の方針を受け継ぐ。モアナ系の外に資源探索の艦を出すのだ。
「特区は出ます」
ルシファーの即断に驚いたユーリーが、あわてて聞き返した。
「おっ! もう決めたのか?」
「ええ。カツミの欲しいものに俺は付き合います」
「欲しいもの?」
「人の心と飛ぶこと。その二つです。聞く者としての役目が、俺は外にあると思えるんです。百人に一人。この星には助けを必要としてる人達が大勢いますから」
「能力者のための組織を?」
「五大陸、飛び回ることでしょうね。カツミは」
ユーリーが大きな吐息を漏らした。
「アーロンはそこまで考えてたのか。恐れ入ったよ」
「まあ。それが彼なりの兄を超える方法なんでしょう」
「でも、お前は超えただろ?」
「だといいんですけどね」
言いながらルシファーが口角を上げた。バチリと視線が衝突する。
最近、ユーリーはルシファーの確かな変化を実感していた。彼を貫く芯が、微動だにしなくなったことを。
「ちっ。言葉の割には自信満々じゃねぇか。時間は凄いよな」
「出発点が最悪でしたからね。落ちようがないんです」
「お前はほんと真面目だよな」
半分は本気で半分はやっかみ。もちろん、今のルシファーにそんな皮肉など効くはずもない。
「惚れた弱みですよ。それと、カツミの中に俺の探してたものがあったんです」
「探してたもの?」
「この世界の根幹にあるもの。源にあるものです」
「なんだったんだ?」
「それ、言わせるんですか?」
エレベーターがルシファーの降りる階で止まった。箱を出たルシファーにユーリーが仏頂面を向ける。ルシファーは小さく笑ってみせただけ。それ以上何も言わずに立ち去った。
根幹にあるもの。カツミの中に見つけたという源にあるもの。それを探すために、ルシファーはずっと分厚い本を読み漁っていたと?
「んなもん。最初っから決まってるじゃねぇか! 何を今さら。ったく!」
一人取り残された箱の中で、ユーリーが呆れ返っていた。
◇
重い動力源の音。通常航行の空母内。時は0ミリアを指していた。二段ベッドの上で、ルシファーはいつものように本のページをめくっている。文字は視界を通り過ぎていき、頭には入ってこない。
挿絵にある美しい木の実。それが海の泡にも、海岸の砂にも、今まさに航行している宇宙の星々にも見える。
光の粒。単独でいて単独ではない。一つを摘み上げても集めたとしても、その粒は繋がっているように見えてくる。
「ルシファー。添い」
下段にいるカツミが言い終わるよりも先に、ルシファーは梯子を滑り降りていた。
「びっくりした」
カツミが目を丸くしている。
「そうですか?」
「まるで、待ってたみたいだから」
「待ってましたよ」
ルシファーに頬を寄せられたカツミが、笑みを浮かべた。互いの中にあった垣根はもう何一つない。素直な本心に同じだけのものが返る。相手の心をはかる必要など少しもなかった。
それがどれだけの安堵を連れてくるか。どれだけの追い風となるのか。カツミもルシファーも、これまでとは違うものを掴み取っていた。
二人の手の中にあるのは未熟果。やがて熟し、甘い芳香を放つのを待つ果実。
「帰ったら、ドクターに会いに行きたいな。一緒に行ってくれる?」
「御意。もちろんです。行きましょう」
あの海沿いの道を。あの日とは違う二人で。多くの者の意識が溶ける、いのちの水を眺め見ながら。
「俺さ。親父が手に出来なかったもの、全部取れたと思ってる」
「ええ」
「階級だけかな。届かなかったのは。でも今より上だと飛べないもんな」
カツミの呟きを聞いて、ルシファーがくすりと笑った。これからもカツミはどこまでも飛んでいく。そう思いながら。
言葉を紡ぐ愛しい人。それを遮らないように、優しくついばむ口づけ。
「幸せだと思ってる。幸せってどんなものかよく分からないけど。でも今、すごく幸せだと思ってる」
戦地に向かう艦艇の中では、あまりにも似つかわしくないフレーズ。
しかしそう。過去も未来も全て闇にあり、今だけが光に浮かび上がっている。その今の幸せを謳歌せず、何を得るというのか。
「ありがと。待っててくれて」
「すみませんでした。待たせて」
再会の日の言葉を繰り返すルシファーに、カツミが目を細めた。
温かな想いとともに、二人の腕が互いを包む。
溶けあう意識。溶けあう想い。真っすぐに、ありのままに注がれる情熱。
──百年後の邂逅。
時を超えて出会えた唯一無二の欠片。ひとつになれる人。想いの密度がぴったりと噛み合う、たったひとつのいのち。
この一瞬の邂逅のための百年。この一瞬の光のための闇。実を残し落ちるために咲くいのち。
あの海の泡となっても二人は離れない。決して。
「ねえ。ルシファーの欲しいものは、なに?」
「俺ですか?」
「うん」
「内緒です」
「ええ?」
「カツミの憎まれ口は、けっこう好きですよ」
「むぅ」
この世界の根幹にあるもの。みなもとにあるもの。それは、今ここにある。
──ひとつに。たったひとつに。集約された想いの束は、ここからまた放散するのだ。
パチリと部屋の灯りが落とされた。
二人だけに交わされる意識。二人だけに交わされるぬくもり。交わり、溶け、ひとつになる。万物の全てをひとつに変える。全てはあの海の一部なのだから。許しの鍵はこの手にあるのだから。
漆黒の宇宙に幻想の白い花が落ちてゆく。闇の中でも眩い光を放ちながら。いのちの奇跡を讃えながら。
──了──