第五話 それだけでは寂しい

文字数 3,028文字

 呪いの予言は代々受け継がれ、最後の生け贄があなたの父親、ロイでした。
 ロイは自分の能力を武器と捉えていました。武器である自分が束ねるものの道具となるなど、彼には許せないことでした。
 この国の真の独立はロイの目指すもの。そして束ねるものが与える浄化も、国の本来の精神を取り戻すこと。目標は同じです。しかしロイは自分の力で変えたかったのです。
 ロイが幼い頃に受けた不条理な虐待は、一族の試練である呪いの予言が起こしたことです。ロイが無力だった自分の心を立て直すには、自分に力があると証明するしかなかったのです。
 ラヴィもまた不条理な虐待を受けましたが、彼は自分が道具となってでも国を変えたいと考えました。けれどロイは、自分が武器となることでこの国を変えようと考えたのです。

 本当は貴方が子供の頃に予言は結実するはずでした。
 導く者と纏う呪いを清めし者。貴方とフィーアはコインの表裏。一対なのです。
 透明な鏡に纏う穢れ。それを清めるのがフィーア。導く者が混沌を洗い清めた後、二人ともが意識の海──束ねるものに還るのが本来の道筋だったのです。

 しかしロイは、自分が単なる道具ではないと証明することに拘り続けました。束ねるものは、貴方──導く者を与えてくれました。予言を実現してくれました。それなのに私は意識の底を洗う手段を失ったのです。
 大きな誤算でした。しかし私もまた、父の元に残るのを嫌って逃げたのです。それが国の混乱を招きました。私は父の道具になりたくなかったのに、ラヴィの一族を道具にしようとしたのです。
 人は大義の為だけに生きるわけではない。ロイはその事実を私に突き付けました。

 ◇

 その日もカツミはミューグレー邸を訪れていた。
 邸宅の窓から琥珀色の灯りがもれる黄昏時。
 この屋敷の敷地には、大きな湖を抱きこむようにして深い森が巡らされていた。そこからもたらされる爽やかな風が、湖面を撫で上げてから屋敷の窓へ忍び込む。

 夏の虫が庭園に配された樹々から命を叫ぶ。天空に輝く細い環(リング)が、その声を受け止めて揺らぐ。
 儚く消えるものと永遠にすら見えるものは、そうしていつも惹かれ合い、しかし交わりは一瞬で終わる。違う時を生きながらも同じ時を刹那に共有し、そしてまた離れていく。
 落ち切ってしまうモアナを留めようとでもするように、大気は世界の全てを黄金色に染めていた。
 森も湖も、はち切れんばかりに叫ぶ夏の虫も同じ色を映す。やがてそれらが薄れて闇の中に戻っていくのを惜しみながら。
 シスの臨床実験に志願した隊員は全部で十九名。しかしそれに先立ち被験者となったリーンの映像は、特区の会議室に集まった志願者を戦慄させた。

 リーンに牙を向けてきたのは幻覚と言い換えられる。シスによって彼の中にある聞く者の能力が解放され、それを制御できない状態になったのだ。

 リーンは病室の中で怯えたように逃げ惑い、叫び続け、全く眠ることもなく、当然食事も摂らない。分厚いドアやガラスに体当たりを繰り返し、そのたびに鎮静剤で眠らされたが、薬剤の効果はすぐに切れた。
 自傷的な破壊行動を抑えるためにベッドに拘束されたものの、見えない何かが襲ってくるのだろう。襲撃者を追い払うために解放されている片腕を闇雲に振り下ろし続け、その腕は瞬く間に傷だらけになっていった。

 引き裂かれるような叫び声が会議室に響き渡る。誰もが顔を強張らせ、リーンの狂気に圧倒されていた。
 選考を待つまでもなく、十三名が志願の辞退を申し出た。後日さらに数名が辞退し、最後まで残ったのはカツミ一人だった。
「リーンはあの結果を知ってて引き受けたのか?」
 説明を求めたカツミに、隣に横たわったアーロンが頷いた。監視カメラのないこの寝室だけは、何も警戒せずに話ができる場所なのだ。

「そう。リーンのなかにある破滅願望が選んだことだ」
「破滅願望?」
「彼に残っていたオリジナルの感情だ。あれはリーンが望んだこと。私が強いたのではない」
 ホウと、ひと声。窓の外から鳥の啼く声がした。

「超A級のお前のことだ。リーンのようなことにはならないだろう。しかし危険はある。お前はあの映像を見てどう感じた? 私は恐ろしくなった。もしお前を壊してしまうようなことになったら、取り返しがつかない」

 カツミは自らに問うた。束ねるものの道具となってでも、国を変えることを希求したラヴィ。自分を武器として、この国を変えようとした父。では自分は?
「アーロンは俺のことを道具だと思ってる? 自分のことは?」
 カツミの鋭い問いが、アーロンの口を塞いだ。
 この国を真の独立国家にする。それがアーロンの最終目標だった。シャルーは母星メーニェを離脱しなければならない。開拓者であったかつての志を取り戻して。
 そのために避難船事故で五千人を葬り、十年かけて政府や軍に働きかけてきた。特権階級に支配された社会に対し、情報という武器を使って。全ては目標達成のための道具。カツミもまた道具だった。

 しかし、そこでアーロンは自身を鏡に映されていた。問われていたのだ。自分もまた道具なのかと。
 親や兄を見返すために、周りを道具としてきた自分。
 必要とされなかった過去。愛されてこなかった過去。自分はそれを呪うことで前に進んできた。
 しかし、国の独立さえ叶えば自分はそのための道具でいいのか。自分が欲しいものはそれだけなのか。

 大義のために己を道具にたとえるカツミ。その乾いた態度は、これまでのアーロンにとって都合のいいものだった。なのに今では、どうしても違和感が拭えない。
 アーロンの抱いた違和感は、すでに抑え込める領域を超えていた。ただの道具だと思っていたカツミが、どうしても失いたくない存在に変わっていたからだ。
 カツミが優秀な道具だからか? 強大な力を持っているからか。いや、違う。アーロンにはもう、違和感の理由が分かっていた。今ではもう、苦笑に置き換えるしかない理由だったが。
「そう思ってきたよ。お前を道具だと思ってきた。自分のこともな」
「過去形なんだね」
「私はもう人を道具として割り切れない。確かに人は他人を利用し、自分も利用される。何かを達成するためには、道具のように人を扱う必要もあるんだろう。でも、人はどうしても道具にはならないんだ。お前もそう思ってるんじゃないのか?」
「必要と言われるなら、それでいいと思ってきた。他人にとっての物だとしても、必要とされてる間は生きていけるって。でも、なんだろう。やっぱりそれだけじゃ、寂しかったのかもしれない」
「……そうだな」

「束ねるものに会うことで俺が死ぬとしたら、アーロンはどうする?」
 国の改革を目指してきた者にとって、カツミの問いは究極の二択。だが、アーロンは即答した。
「嫌だな。お前を差し出してまで急ぐことはない。他の方法を取る」

 ──人は大義の為だけに生きるわけではない。ロイはその事実を私に突き付けました。

 カツミは思う。父もまた、自分とフィーアを差し出すことが嫌だったのだろうか。自分のことを所有物として扱いながらも。フィーアのことを捨てておきながらも。
 父は自分が武器だと証明しようとしたのではなく、人だと証明したかったのではないのか。

 それだけでは足りない。それだけでは寂しい。
 父のなかにも、自分やアーロンのような気持ちがあったのかもしれない。
 ただ。それはもう、訊きたくても訊けないことであった。

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