第三話 欠片

文字数 2,739文字

 現在の特区最高責任者は、エルスト・オルソー中将。カツミが初出兵した時の上官である。
 特殊能力者部隊での初会議の日。硬い表情の隊員達にセメントでも食ったのか? とジョークを飛ばした好漢である。
 柔軟で温厚。だが特区の最高司令官に共通する能力主義者。そして豪胆な急進派でもあった。

 カツミが敬礼をし、司令官室を出た。何度訪れても、この部屋ばかりは居心地が悪い。
 能力者部隊の作戦司令官。カツミへの任命は四度目である。しかし評議会の決議内容は、これまでのものとは違っていた。

 カツミは察した。特区は本気だ。今度こそ本当の独立を勝ち取る気だと。もう茶番の台本はない。百年続いた両星の密約は破棄されたのだ。
 王政の廃止から十年。この国もまた鳥籠を出る時が来たのだとカツミは思う。変わらないものなどない。変化するということだけが、絶対と言えるのだろうと。

 所属部隊に戻ると、さっそくユーリーが声をかけてきた。
「お疲れさん。九十二名に増えた。リストが上がったぞ。これで打ち止めだ」
 シス被験者の経過は順調だった。数は今までの二倍で折り合いがついたようだ。
「編成は?」
「既存の編成は崩せない。新しい者どうしで組んでもらう。編成表だ」
 ユーリーがカツミにファイルを差し出す。
「日程も全て組んだ。とっとと慣れてもらう。成績順に座る椅子を決めるからな」

 その日の撃墜数で座る椅子が変わるというのは、百年前から続く部隊の伝統だった。
 現隊長の高祖父が決めたルールだが、それをユーリーが知っているかどうかは定かではない。

「あ。ルシファーは?」
「駐機場だ。あの新型機、どうだったか?」
 カツミは現場に復帰したばかりであったが、もちろんすぐに新型機に試乗していた。
 飛べなかった期間は、まるで羽をもがれたよう。地上に留め置かれるのはもう勘弁してほしい。それがカツミの偽らざる心情だった。

「ちょっとばかり改造してもらいたいですね。火器を多く積めるように」
「またこれだよ。取り敢えず伝えとく。整備隊にぶつぶつ言われるだろうが、いつものことだ」
「ははっ」
「やっぱ、お前がいないと部隊が締まらないよ。順調で良かった」

 やっとエースが戻ってきた。ユーリーの口調から安堵と期待を感じ取ったカツミは頬を緩め、軽く一礼して駐機場に向かった。
 新型機の中ではルシファーがプログラムをカスタマイズしていた。

「どう? いけそう?」
 カツミの確認に振り向いたルシファーが、さっと答える。
「前の機体よりやり易いですね。探れる範囲分の機器をガッツリ削ってもらいます。短距離ミサイルが二つは増やせますよ」
 能力者が操作することで、索敵関連の電子機器はほとんど不要になる。攻撃に特化した装備にシフトできるのだ。

 前席に乗り込んだカツミが、いつものカードを差し込んだ。十年前にジェイに手渡されたカード。すでに役目を終えていたが、装備するのは彼の習慣となっていた。
 HUDに表示される見慣れた明滅。しかし続いて表示された文字列は、いつもとは違っていた。
「あっ!」
 カツミが声を上げた。カスタマイズの影響ではない。設定した期間後に表示されるプログラムメッセージだった。
 ──カツミ。欠片は見つかったか?
 カツミが頷くと、それを認識して次のメッセージが表示された。
 ──無くすなよ。
 もう一度頷くと表示されていた文字がスッと消えた。
 画面に残ったのはカードを識別出来ないというエラーメッセージのみ。データは自動消去されていた。
「ルシファー。今の見た?」
 自席のHUDから視線を動かさずカツミが呟いた。同じ表示を後席の画面で見ていたルシファーが、静かに応じる。
「見ました。まるでもう、分かってたみたいですね」
「うん。ジェイらしいよ」

 欠片は見つかったかというジェイの語りかけに、カツミは頷いて応えた。ディスプレイを見つめる肩が小刻みに震え、手が瞼を押さえる。
 欠片は──彼のすぐ後ろにいた。

 ◇

「来月の下旬か」
 シドの新居。建てられてから初めての冬を迎え、暖炉に火が入った。まっさらな炉の中で、大ぶりの薪が爆ぜながら火の粉を散らしている。
 さして寒いわけではないが、シドが気に入っているテラスで過ごすには、もう気温が低い。
 夏の夜は星空を。冬の夜は炎の灯りを。サラは何より、居心地の良い環境を整えることに心を砕いていた。

 暖炉に対面して置かれたソファーには、洗い立ての膝掛け。カバーが取り替えられたばかりのクッション。
 気が強く大雑把なようでいて、サラの心配りは細やかだ。ただし料理の腕だけはシドに敵わなかった。
 最近の彼女は、仕事が一段落するとすぐキッチンにこもる。今漂っているのは甘い焼き菓子の匂いだ。一度火がついたサラの熱意と行動力は、誰にも止められない。

 シドが、暖炉の炎を見つめながら思い巡らす。
 軍は来月下旬に大攻勢をかける。カツミが能力者部隊作戦司令官に任命されたと聞く。久しぶりのフライトだ。さぞかし飛びたくて仕方ないことだろう。

 カツミは飛ぶために生まれてきた存在だ。飛び続けていたかったジェイが、未来を託したのは当然だろう。
 束の間の自由。束の間の飛翔。ジェイが特区で飛べたのは、三年にも満たなかった。
 自由の空の向こうにジェイが何を求めていたのか。いつか聞いた言葉をシドは思い出していた。
 ──あの空の向こうに、求める欠片が落ちているような気がする。
 カツミは欠片を見つけた。百年の時を超え、唯一無二の欠片を。彼に訪れた僥倖は、彼だけの力で掴めたものではない。多くの者達が、その命と想いを託したからこそ手にできたのだ。

 パシッと音を立て、赤く燃えた薪がはぜた。
 ジェイが私に託したもの。そして、あんなにも憎んだロイが私に託したもの。私はもう、その意味をはっきりと見つめることができる。
 ロイの言った『唯一の例外』という言葉の意味も。

 カツミを生かすことは、個を超えることだったのだ。能力者でもないのに、ジェイはそれを察していた。
 ロイは、この私を生かすことが、カツミを、ひいては国を生かすことを知っていた。
 全てを引き受けて去らなければならないロイが、この私を生かすために残した言葉。それが唯一の例外という言葉だったのだ。
 欠片。私の求める欠片はジェイだけだった。
 私は、ジェイの想いを受け継ぐことができただろうか。唯一の例外に相応しいことが。

 自らの最期が迫っているのをシドは感じていた。この国の変化を見ることに、どうやら間に合いそうだとも。
「答えは急がないよ。貴方に直接訊ける日も近いからね」
 いのちを燃やし灰となる。その燃焼の先に残せるもの。──自分の生きた証。
 暖炉の炎を見つめ、シドはその証をひとつひとつ数えていた。
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