第三話 鍵はこの手に

文字数 2,922文字

 標準時間の2ミリア。ルシファーは仮眠室から出てきた新人隊員に声をかけた。
「ちょっと艦内を見回ってくる」
 眠らなくていいのかと聞かれたが、ルシファーは小型無線機を軍服のポケットに入れると、軽く手を上げて部屋を出た。一人で思索したいと思っていたのだ。ルシファーは待機所を出て空母の下層に向かった。
 艦首側。その最下層から三階上までは武器庫である。兵器課の管理下にあるそこは、馴染みの隊員が多い。しかし真夜中の時間帯は当直室に一人いるだけ。声をかけるとすぐにドアを解放してくれた。ルシファーが夜間待機の時に来るのは、いつものことだからだ。
 広大なようでいて常に誰かと出くわす可能性のある空母の中で、真夜中の武器庫は一人の時間を確保できる数少ない場所だった。

 ここに来るたびにルシファーは思う。どういうわけだか落ち着く場所だと。そして、どういうわけだか気持ちがざわつく。ざわつくというのか高揚するというのか。安堵の中の高揚とは、よく分からない気持ちである。
 大型のミサイルがぎっちりと格納されていた。
 キャニスターに納められ、弾頭とモーターそして信管は使用直前に組み立てられる。その後、弾薬用エレベーターに乗せられてフライトデッキの真下にある戦闘機の駐機場に上げられる。
 航空燃料庫も武器庫のすぐ隣である。艦内の壁面という壁面は、血管のような配管で埋め尽くされていた。
 ルシファーが広い武器庫の一角に腰を下ろす。中型のレーダー誘導弾が納められた格納庫の前である。彼は、そこが監視カメラの死角であることを知っていた。
 鈍く光る非常灯が金属の森を照らす。誰かとここで会ったような気がする。そんな記憶はないのに、そんな気がする。遺伝子が覚えているような微かな感情の揺れ。それをかたわらに置いて、ポケットから手帳を取り出した。思索の時には書くに限る。ルシファーは、白紙のページにペンで記した。

 ──アーロン。
 自分はカツミとアーロンの関係をずっと静観してきた。嫉妬しなかったわけではない。つい最近までカツミがあの邸宅に行く度に、それを探っては苛立っていた。なのにカツミを咎めることはなかった。
 アーロンとの関係を黙認してきたのは、自分の負担を減らすためだった。カツミには誰一人肉親がいない。つまりは病気になっても死んだとしても、誰も面倒を見ないということだ。今は特区にいるからこそ、カツミは組織に守られている。しかし一歩ゲートの外に出れば、彼を守る者は誰もいない。
 アーロンがパトロンとなったのは、カツミの能力を利用するためだった。しかし彼はカツミの後ろ盾でもあるのだ。何かがあれば、必ずアーロンが引き受ける。
 自分もまたアーロンを利用していたのだ。だからカツミを束縛できなかった。できるはずもなかった。

 この十年。カツミはシドを手元に置き、残酷な生を与え続けてきた。そんな彼に、自分は心の中で恐れを抱いていた。自分だけでは到底カツミを守れないと。
 ユーリーは十分やれていると言ってくれた。しかし、シドは情熱が足りないと言った。そしてアーロンは覚悟が足りないと思っているのだろう。

 規則的に唸り声を上げる動力源の音が武器庫にも響いていた。ルシファーは、続けて手帳に記す。
 ──これまで、と。
 この十年。自分はカツミに何を言い続けてきただろう。シドを解放しろと促し続けてきた。カツミの孤独を受け止める覚悟もないというのに、最後の拠り所から手を放せと言い続けた。
 そしてもうひとつ言い続けてきたことがある。ずっと傍にいる。離れないと。
 カツミを生かすこと。自由を守ること。彼が自他を受け入れ、より生きやすくなること。それが自分の願いだった。

 ずっと見つめていく。自分の態度をカツミはどう思っていたのだろう。冷たく感じていたのだろうか。それとも心地よく思える日もあったのだろうか。
 カツミは寂しい時に寂しいと、一人になりたい時に、距離を置いてほしいと言ってくれない。
 自分はカツミに合わせて立ち位置を動かすことは出来ない。彼の全ての欲求に応えることなど出来ない。
 カツミは自分の中にある寂しさや孤独にどこかで折り合いをつけて、そして言葉によって欲しいものを伝えていかなければならないのだ。
 ただ、情熱が足りないというシドの指摘は認めるしかない。自分は逃げていた。覚悟と対話が足りなかった。
 ジェイはカツミにいのちを与えた。ならば自分は、カツミに情熱と距離を与えたい。自分の情熱で彼の孤独を癒し、彼の戻る場所で在り続けたい。
『お前の生き方を見てカツミが変わればいいのさ』
 ユーリーはそう言ってくれた。他人は自分の鏡だ。自分が変われば他人も変わっていく。与えるだけじゃない。同じものが戻ってくるのだ。
 鏡──。
 磨きこまれた武器庫の金属の壁に自分の姿が映っていた。そのままの自分が目を見開いてこちらを見ている。
「そうか……」
 ルシファーは思わず呟いた。
 そうか。カツミは人を映す鏡なのだ。向けられたものをそのまま受け入れ、それを自分とする。ジェイはそれに気付いた。だから彼にいのちを吹き込めたんだ。

 カツミが自分に甘えられなかったのは、自分が彼に甘えなかったからだ。カツミが自分に話さないのは、自分が本当の対話を避けてきたからだ。
 自分は常に少し引いてカツミの求めに応じていた。なりふり構わずに奪うことが支配になると恐れて、逃げ回っていた。
 自分の保身と逃げを、カツミはそのまま映していた。全て見抜かれていたのだ。見抜いていながらもカツミは言った。──きっと戻ってくる、と。
「そう言えば……」
 喰いたいと噛みつかれたことがあった。拗ねていたのかもしれない。しかしあの時、自分は彼とひとつになりたいと思っていた。カツミの安堵の表情は、それが伝わったことを意味していたのだ。

 一体どれだけ捻じれてしまっていたのだろう。二人の願いは。発端は憎しみだった。それが疑問に変わり、興味に変わり、驚愕に変わり、羨望に変わった。あっという間に心を奪われた。
 しかしその発端がブレーキをかけていたのだ。彼を深く傷つけた自分には求める資格などないと。ジェイを超える日などくるわけがないと。心のどこかに鍵がかかっていた。

 支えていると自負する日もあった。自惚れる日も、喜びを覚える日も。ユーリーが認めてくれたように、自分の態度や言葉の全てがカツミを傷つけたわけではない。しかし。しかし、もうそれだけでは駄目なのだ。
 自分が変わること。その変化がそのままカツミに映る。彼の人生を代わってあげることは出来ない。しかし、自分の生き方を見せて本気で向き合うことで、彼の背を押せるのかもしれない。それが、本当の意味でカツミを生かすということなのだろう。
 二人はひとつになれる。きっとひとつになれる。想いが、望みが溶け合え、互いが互いの生きる力になる。
 そんな存在は、この世にカツミだけだ。

 巨大な棚に背中を預けていたルシファーが床から立ち上がる。その時、ひとつの言葉が脳裏に降ってきた。

 ──鳥籠の鍵は、この手の中にある。
 なぜだかは分からない。分からないが、その言葉はルシファーをほっとさせていた。

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