第一話 束ねるものの願い

文字数 2,403文字

 貴方が得たいものは、武器を手にすることや、この星の浄化ではないのでしょう。
 道具ではなく一個人として接してくれる人、自分を自分のままで受け入れてくれる人が欲しい。それが貴方の一番の願い。貴方はルシファーに全受容を求めているのではないでしょうか。

 たったひとりのひとつになれる相手。
 ひとつになる──意識を同化させることができるものなど、貴方たちしかいません。
 知らない方が確かに幸せなのかもしれません。他人の全てを知りたいなどと誰が思うでしょう。一点の曇りもなく自分を想ってくれる人物など、この世には存在しません。人は、想いの濁りを許容することによって繋がりを保っていくのです。
 人は誰しも、物ではなく人として愛されたいと願うのです。父親からずっと物扱いされてきた貴方は、ことさらその想いが強いのでしょう。
 しかし、そんな貴方でも人を道具扱いすることがあります。自己矛盾を残らず解消することは、貴方だけではなく誰にもできません。愚かしい部分も含めて自他を許すことが、心の解放となるのです。

 そうでしょう。シドを道具にしておきながら、自分は人として愛されたい。それが人の持つエゴです。貴方は常に生死と清濁の間で揺れてきた。しかしもう、貴方の拠り所はあるのです。貴方を人として愛する人がいるのです。

 貴方はひとつになった時に、ルシファーのなかにある多くの矛盾を知るでしょう。
 彼の貴方への想いは決して揺るぎません。しかし彼もまた、貴方同様に常に揺れているのです。誠実さもあれば狡さもある。ひとつになるというのは、全てを共有すること。受け入れることなのです。

 貴方は、全てを受け入れること、自らの全てが受け入れられることをずっと忌避してきました。しかし、もうお分かりでしょう。受容は自他を許すこと。許しの鍵を手にすれば、貴方は鳥籠を出られるのです。

 ◇

 周りの変化は鏡であるカツミ自身の変化。カツミにはもう鳥籠の扉を開ける時が来ていた。そこから出ることで自他を解放する時が。
 王女の夢を見た朝にカツミはいつも思っていた。時は満ちたのだと。

 カツミは、十年前に黄昏の墓地で生死の間(はざま)に立たされたことを思い返していた。その時に感じ、葛藤し、出した答えを。
 あの頃は、自分を生かすか殺すか、それだけに固執していた。他に何かあるなんて思えなかった。
 しかし十年間、自分のエゴでシドの時間を止めて分かったことがある。この世は生と死だけじゃない。その間に大きく横たわっているのは、灰色のグラデーションなんだ。
 十年前に自分は思った。生きることは死に向かって歩を進めることだと。過去という死の淵は、いつでも背後に控えている。未来には必ず死が待ち受けている。過去と未来に挟まれた刹那の今だけが、生を燃やす時なのだと。
 いのちの燃焼。その燃焼は、多くのいのちの死でもあるんだ。生きていくために他の命を食べるように。歩を進めれば野の草を踏み散らすように。
 そして、わずかな燃焼の先で自分が死ぬ時、今度はその灰の上に新しい命が芽生える。
 生きていく場所。自分の戻る場所。それは灰色の場所なんだ。それが本来の姿だ。

 許しの鍵。自分は許されて生きながらも、他人のことは決して許せないと言い張ってきた。自分もまた球体の鏡に映った世界を見ていたから。

 ラヴィは知っていた。全てが繋がっていることを。自分が大海に浮かぶひとつの泡だということを。だからこそ、この星の未来を知った時に、迷うことなく予言を受け入れた。

 一族に課せられた呪いは、ラヴィが断れば他の誰かに降りかかるようになっていた。全ては『ひとつ』であることを知っていたラヴィは、呪いの予言を超えれば授けるとされた未来を信じた。知ってしまった未来を変えたいと願っていた。
 その時。カツミの脳裏に束ねるものの意識が届いた。否。カツミの内側から、その言葉は滲み出ていった。

 ──愚かで尊く愛おしい泡よ。それを束ねて大海となれ。隔たりを捨て、波になり海の一部となって、この水の星を駆けろ。意識の海には自他の区別がない。全てはひとつに溶けるのだ。

 ◇

 その夜もカツミは夢を見ていた。
 目の前にいるのはルシファーだった。彼が黙って差し出したものを受け取り、はっとする。
 鍵だった。小さく錆びかけた鳥籠の鍵。こんな華奢なもので自分は自分を守ろうとしていたのかと、ひどく驚く。
「ルシファー?」
 呼びかけたが、ルシファーは何も話さなかった。いつものように静かな微笑を浮かべると、スッと霧のように姿を消した。
 鍵の意味は、もう分かってますよね? そう言われたとカツミは感じていた。
 夜明けの青い光のなか、カツミは瞬きもせず思いを巡らせる。
 導くことで導かれる。導かれることで導く。他人は自分の鏡で、自分は他人の鏡なんだ。この世界には沢山の鳥籠がある。この双子の星は鳥籠の中にある。
 鍵を開けて出ることが全ての解放に繋がる。自分の意識が変化することで全ての意識が変化する。
 基点。それは自分の目だ。信じ、許し、開け放つ。必要なのは覚悟だけなんだ。

 カツミはみずからに問うた。今、自分が心の底から願っていることは何かと。
 願っていること。心の底から願っていること。答えは、たったひとつだった。

「戻りたい」
 カツミの小さな呟きが、静かな部屋の空気に溶けた。
 戻りたい。彼の元に。ずっと傍に居続けてくれた、その枝先に。
 白い小鳥は小さな羽根で空を舞う。でも、どんな風をも切る力強さを持っている。白い羽根に朝焼けも黄昏の色も映し、深い森の木漏れ日を纏う。
 そのさえずりに誘われて木々も歌う。羽根を休める枝と、雨を凌ぐ葉を伸ばして。ざわざわと風に揺れながら。きらきらと光を愛でながら。外の世界に広がるのは、眩い光を満たす緑の森。白い小鳥の戻る場所。
 鳥籠の鍵は手の中にある。後はもう、それを回すだけだった。

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