第25話 不気味

文字数 1,598文字

 変態野郎……。
 イベルダの吐き捨てるかのような言葉に、怒りでシモンの視界が赤く染まって大きく歪んだ気がした。

「黙れ」

 シモンは怒りを込めて吠えるかのように短く叫んだ。

「止めろ、シモン。イベルダに手を出すな」

 シモンの叫び声に対して被せるかの如く発せられたガイルの言葉だったが、動き出したシモンの右手が止まることはなかった。

 銀の筋がイベルダの喉元を通過したように見えた。次の瞬間、その喉元から撒き散らかすかのように鮮血が噴き出た。一瞬だけ遅れて喉元をざっくりと切り裂かれたイベルダが声を立てる間もなく、前のめりで血だまりができつつある床に倒れ込んだ。

「イベルダ、イベルダ」

 ガイルが床に倒れたイベルダの名を必死で呼んでいる。しかし、ガイルの両腕はシモンの配下によって両側から抱えられているため、駆け寄ることも立ち上がることもできない。

「シモン、てめえ、ぶち殺す」

 憎しみがこもった瞳で、同じく憎しみがこもった言葉を吐き出すガイルに、シモンはゆっくりと顔を向けた。

「兄さん、落ち着いてくれ。騒ぐ必要はないんだ。兄さんを誑かしていた売女は俺が始末した。これで大丈夫。俺たちは、また仲のいい兄弟に戻れるさ。俺たちを引き裂く邪魔者はもういやしない」

 状況にそぐわない落着き払ったシモンの表情とその言葉に、ガイルは怒気を抜かれてしまったのか唖然とした表情を浮かべる。ガイルの唇が僅かに震えている。

「お前、何を言ってる。正気か?」

 ガイルの震える唇から、漏れるように流れ出た言葉にシモンは首を傾げてみせた。

 シモンにとってはガイルの方こそ、何を言っているのかが分からなかった。ガイルを誑かしていた売女はいなくなったのだ。自分が殺したのだ。殺してあげたのだ。

 ならば、あの売女が現れる前の仲がよい兄弟に戻れる。それはシモンの中で至極明確な答えだった。そうだというのに、兄のガイルは何を言っているのか。シモンには全く意味が分からなかった。

「誑かしていたあの売女は死んだんだよ。今、俺が殺してあげたんだ。だから早く兄さんも元に戻ってよ」
「ふ、ふざけるな、シモン。イベルダは別に俺を誑かしてなんかいねえ。それに、俺の女を殺しておいて、昔みたいに仲良くも糞もねえだろうが」

 ガイルの言葉にシモンは再び意味が分からないといった顔をして、首を傾げてみせた。そのシモンの顔には狂気が宿っている。

 その顔に恐怖を感じたのか、ガイルは顔を引き攣らせて今度は一気に捲し立てた。

「昔からてめえは不気味なんだよ。何かあればすぐに刃物を持ち出しやがって。餓鬼の頃から人を殺すのも何とも思っちゃいねえ。気味が悪いんだよ」
「兄さん、何を言ってるんだ? それはそうかもしれないけど、だからといって、大切な兄さんを俺は傷つけたりはしないよ。これまでだってそうだったろう。俺が兄さんを傷つけたことがあったかい?」

 シモンの言葉にガイルは更に顔を引き攣らせる。その顔には恐怖の色も浮かんでいるようだった。

「俺を傷つけなければいいってわけじゃねえ。すぐに人を殺しちまうてめえが、餓鬼の頃から気持ち悪いって俺は言ってんだ」
「気持ち悪いだなんて、全く酷いな、ガイル兄さんは……」

 シモンは乾いた笑い声を上げて、言葉を続けた。

「俺たちは裏社会の人間じゃないか。血を見ることなんて日常だろう」
「ふざけるな。荒事は日常だが、殺しは日常じゃねえぞ。俺たちは殺し屋じゃあねえんだ」

 その言葉にシモンは再び乾いた笑い声を上げる。

「何かさっきから変なことばかりを言うね。そうか、分かったぞ。まだあの売女の影響が残っているんだね。大丈夫。あんな売女のことなんて直に忘れるさ。そうすれば、昔みたいな仲のよい兄弟に俺たちは戻れるよ。ね、ガイル兄さん」

 取り付く島もないようなシモンの様子。
 シモンの周囲にいる者たちも不穏なものを感じたのか、唖然とした顔でシモンを見ている。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み