第50話 結末の代償

文字数 1,539文字

 腰に下げている鞘の中にある長剣の柄を握り締めながら、イザークは以前の出来事を思い返していた。遠い昔のような気がするが、囮にさせられたあの時の撤退戦からはまだ一か月も経っていない。

 長剣の柄を握る手の平が汗ばんでいることに気がついて、イザークはそれを服で拭う。同時に横にいるグレイにイザークは視線を向けた。グレイの横顔はいつもと同じで無表情だった。

 どうやら自分とは違って緊張とは無縁のようだった。そして同時に、この男とも奇妙な縁だなとイザークは思う。

 傭兵団「黒い羽」が自分を除いて全滅したあの戦いからこの男とは行動を共にしている。あの時の撤退戦はまるで昨日のことのように今も脳裏に強く残っている。

 火に追われるようにして森林を抜け出したまではよかったが、そこで敵の待ち伏せにあった。当初はそれほどの兵が置かれているとは思っていなかったが、実際は予想を裏切ってかなりの兵数が配置されていた。

 どうやら敵であった北の蛮族は、森に逃げ込んだ自分たちその全てを殺しつくす目論見のようだった。あの時、グレイがそう言ったように、イザークたちを含む逃げる兵とそれを迎え撃つ敵兵とで戦場は乱戦の様相を示したのだったが、敵が展開していた陣営は思いのほかに厚いものだった。

 化け物じみた強さを発揮するグレイとイザークを先頭にして敵陣を斬り裂いて行ったのだったが、敵陣を突破するのに時間がかかり過ぎた。

 幾度となく囲まれそうになり、その囲いを突破する度に「黒い羽」の仲間が一人、また一人と倒れていった。

 自分が生き残ったのは単にグレイの傍にいて、しかも運がよかったからだとイザークは単純にそう思っている。それ以上でもそれ以下でもない。

 戦場で死ぬことは傭兵なんて商売をしている以上は仕方がないとイザークも常日頃から思っていた。だがあの時、残った最後の仲間だった副長のドルチェが倒れた時、イザークの中で強い怒りが生まれた。

 傭兵とはいえ今まで、ここまであからさまに囮に使われたことはなかった。あの時、全軍で首尾よく撤退する方法もあったはずだった。

 正規兵が自分たち傭兵を囮にしたのは、自分たちが確実に安全な状態で撤退するために他ならなかったとイザークは思っている。

 自分たちが安全に逃げるために。そのためにイザークたちは戦場に取り残され、仲間たちは死んでいったのだ。

 仇を取るなどと殊勝なことを言うつもりはない。だが、この怒りをぶつけたかった。傭兵とはいっても一人で戦場に立てるものではい。そんなことをすれば、たちまち戦場で死ぬはめになる。背後や左右を守ってくれる仲間。傭兵にとっては必ずそのような仲間が必要となるのだ。

 だからこそ、皆、小さな傭兵団を作って戦場を渡り歩くのだ。ある意味では家族以上に信頼できる仲間を殺された。その怒りによって振り上げた拳の落としどころをイザークは探していた。

 もうイザーク自身も四十歳となる。後数年で傭兵稼業も引退だと思っていた。実際、副長を務めていた同じ歳のドルチェともそんな話をしていた。家庭を持つのもいいし、どこかで用心棒まがいのことをするのもいい。

 そんな未来を漠然と描いていた矢先の出来事だった。危機に陥った時、切り捨てられるのは傭兵から。傭兵を職業としている以上、それも十分に理解していた。だからこそ、それなりの報酬も得ているのだ。しかし、そう思っても尚、あの時の行為は簡単に許せるものではなかった。

 あの時、囮として残された傭兵たちの中で生き延びることができたのは何人だっただろうか。
 仇をとりたいなどと甘ったるく感傷的な思いではない。だが、この舐められてふざけた結末の代償は、あのぼんくら王子に払わせなければいけないというのがイザークの本心だった。
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