第33話 奴隷だからなのだろうか
文字数 1,578文字
辛うじて水を少量だけ飲んだカレンの頭をネイトは優しく撫でた。
「カレン、ちょっと待ってて。お兄ちゃん、医者に診てもらえるようにもう一度、お願いしてくる。医者が駄目なら、せめて薬だけでも貰えるようにお願いするから……」
「お兄ちゃん……」
カレンが寝台の上から瘦せ細った片腕を伸ばして、ネイトの服を掴んでしまう。服の裾を掴むカレンの小さな手。
ネイトがこの場からいなくなってしまうのが、不安なのだろうと思う。その手の上にネイトは静かに自分の手を重ねた。
「もう少しの我慢だよ、カレン。お兄ちゃんがルイーズ様にお願いして、必ず医者に診てもらうようにするから。そうすれば、病気なんて簡単に治るさ」
ネイトの言葉にカレンが小さく頷いた。でも、その頷きはどこまでも弱々しいものだった。
「大丈夫だよ、カレン。きっとすぐによくなるからね……お兄ちゃんが何とかするからね」
その言葉を最後に残してネイトは粗末な部屋を後にしたのだった。
ネイトたち奴隷が暮らす家々とルイーズ一家が暮らす屋敷はそれほど離れていない。月明かりが照らす中、ネイトは息を切らせてその屋敷まで走った。
屋敷の玄関に立ったネイトだったが、少しだけ逡巡する。昼間の願い出た時に冷たくあしらわれたことを思い出したのだった。あの時、ルイーズが浮かべていた冷たい顔を思い出したのだ。
もう一度、心から一生懸命にお願いすれば、聞き届けてくれるかもしれないとネイトは思う。ネイトたち奴隷に優しいと評判のルイーズなのだから。
誠心誠意、心からお願いすれば、きっと聞き届けてくれるはず……。
そう考えながら屋敷の扉を叩こうとしたネイトの手が宙で止まった。
扉の向こうから楽しげな声が聞こえてくる。ルイーズには二人の娘がいる。上の娘はネイトの一つ上になる十一歳で、下の娘はカレンと同じ六歳だったはずだ。
自分たち兄妹と彼女たち姉妹の差は何なのだろうと思う。一方は両親もなく、妹は病気に苦しんでいる。一方は優しい両親の下で今もこうして姉妹が揃って楽しげな声を上げている。
奴隷だからなのだろうか?
奴隷だから両親もいないのだろうか。奴隷だから妹は医者に診てもらえないのだろうか。奴隷だから薬を与えてもらえず、病気に苦しまなくてはいけないのだろうか。
奴隷とは何なのだろうか?
自分にしても、病気で苦しんでいるカレンにしても好きで奴隷になったわけではない。生まれたときから既に奴隷だったのだ。
自分の中で怒りにも似た感情が生まれていることにネイトは気がついた。
しかし、今はそのような得体の知れない感情に関わっている時ではなかった。ルイーズに医者や薬のことを頼まなければならないのだ。
ネイトは大きく扉を叩いて、そのまま扉を開けた。扉を叩く音と共に、それまでは外にまで聞こえていた楽しげな声が止む。
最初に姿を見せたのは、屋敷に住み込みで働いている奴隷のダフネスだった。五十代半ばの柔和な女性で当然、ネイトとも顔見知りだった。
夜にいきなり姿を見せたネイトにダフネスは驚きの表情を浮かべていた。
「ネイト、こんな時間にどうしたの?」
「う、うん。ルイーズ様にお願いがあって……」
「ルイーズ様に?」
ダフネスが軽く眉を顰めた。奴隷から主人へのお願いごと。そこに不穏な物を感じとったのかもしれなかった。
「ダフネス、誰か来たのかい?」
やがてルイーズが姿を現した。そして、玄関にいるネイトを見て表情を凍らせる。しかし、ネイトはそんなルイーズの様子を気にせずに口を開いた。
「あ、あの、ルイーズ様、お願いです。妹を、カレンを医者に診させてあげたいんです。医者が駄目なら、せめて薬だけでも」
ネイトは膝と額を床につけて願い出た。
「ネイト、あなた何てことを……」
ダフネスはそれ以上の言葉を失ったかのように、両手を口に当てたままで絶句してしまう。
「カレン、ちょっと待ってて。お兄ちゃん、医者に診てもらえるようにもう一度、お願いしてくる。医者が駄目なら、せめて薬だけでも貰えるようにお願いするから……」
「お兄ちゃん……」
カレンが寝台の上から瘦せ細った片腕を伸ばして、ネイトの服を掴んでしまう。服の裾を掴むカレンの小さな手。
ネイトがこの場からいなくなってしまうのが、不安なのだろうと思う。その手の上にネイトは静かに自分の手を重ねた。
「もう少しの我慢だよ、カレン。お兄ちゃんがルイーズ様にお願いして、必ず医者に診てもらうようにするから。そうすれば、病気なんて簡単に治るさ」
ネイトの言葉にカレンが小さく頷いた。でも、その頷きはどこまでも弱々しいものだった。
「大丈夫だよ、カレン。きっとすぐによくなるからね……お兄ちゃんが何とかするからね」
その言葉を最後に残してネイトは粗末な部屋を後にしたのだった。
ネイトたち奴隷が暮らす家々とルイーズ一家が暮らす屋敷はそれほど離れていない。月明かりが照らす中、ネイトは息を切らせてその屋敷まで走った。
屋敷の玄関に立ったネイトだったが、少しだけ逡巡する。昼間の願い出た時に冷たくあしらわれたことを思い出したのだった。あの時、ルイーズが浮かべていた冷たい顔を思い出したのだ。
もう一度、心から一生懸命にお願いすれば、聞き届けてくれるかもしれないとネイトは思う。ネイトたち奴隷に優しいと評判のルイーズなのだから。
誠心誠意、心からお願いすれば、きっと聞き届けてくれるはず……。
そう考えながら屋敷の扉を叩こうとしたネイトの手が宙で止まった。
扉の向こうから楽しげな声が聞こえてくる。ルイーズには二人の娘がいる。上の娘はネイトの一つ上になる十一歳で、下の娘はカレンと同じ六歳だったはずだ。
自分たち兄妹と彼女たち姉妹の差は何なのだろうと思う。一方は両親もなく、妹は病気に苦しんでいる。一方は優しい両親の下で今もこうして姉妹が揃って楽しげな声を上げている。
奴隷だからなのだろうか?
奴隷だから両親もいないのだろうか。奴隷だから妹は医者に診てもらえないのだろうか。奴隷だから薬を与えてもらえず、病気に苦しまなくてはいけないのだろうか。
奴隷とは何なのだろうか?
自分にしても、病気で苦しんでいるカレンにしても好きで奴隷になったわけではない。生まれたときから既に奴隷だったのだ。
自分の中で怒りにも似た感情が生まれていることにネイトは気がついた。
しかし、今はそのような得体の知れない感情に関わっている時ではなかった。ルイーズに医者や薬のことを頼まなければならないのだ。
ネイトは大きく扉を叩いて、そのまま扉を開けた。扉を叩く音と共に、それまでは外にまで聞こえていた楽しげな声が止む。
最初に姿を見せたのは、屋敷に住み込みで働いている奴隷のダフネスだった。五十代半ばの柔和な女性で当然、ネイトとも顔見知りだった。
夜にいきなり姿を見せたネイトにダフネスは驚きの表情を浮かべていた。
「ネイト、こんな時間にどうしたの?」
「う、うん。ルイーズ様にお願いがあって……」
「ルイーズ様に?」
ダフネスが軽く眉を顰めた。奴隷から主人へのお願いごと。そこに不穏な物を感じとったのかもしれなかった。
「ダフネス、誰か来たのかい?」
やがてルイーズが姿を現した。そして、玄関にいるネイトを見て表情を凍らせる。しかし、ネイトはそんなルイーズの様子を気にせずに口を開いた。
「あ、あの、ルイーズ様、お願いです。妹を、カレンを医者に診させてあげたいんです。医者が駄目なら、せめて薬だけでも」
ネイトは膝と額を床につけて願い出た。
「ネイト、あなた何てことを……」
ダフネスはそれ以上の言葉を失ったかのように、両手を口に当てたままで絶句してしまう。