第56話 心からの祈り

文字数 1,564文字

 そう言ったシヴァルにレズリーが厳しい顔を向けて口を開いた。

「こいつらが逃げ出した責を残った者たちが取らされるようなことになったらどうする。逃げ出した奴らのせいで、残った者たちが罰せられたらどうするつもりだ?」

 周囲から声は小さかったが、レズリーに同調するような声が上がった。

「それは分からない。もし、そうなってしまったのなら、俺たちとしては謝る以外に術がない」

 レズリーに言われるまでもなく、それはきっとネイサンも考えていたことなのだろう。ネイサンが苦しげに吐き出すかのように言う。

「ふざけるな。逃げ出した奴のために、真面目に残った者が犠牲になれというのか!」

 レズリーは声を荒げる。それはもっともな反応だった。だけれども、そんなレズリーをシヴァルはやんわりと制した。

「レズリーの言うことは分かるけど、残った者たちに罪が及ぶと決まったわけじゃない。どちらかと言えば、その可能性は低いと俺は思っている」
「それはそうかもしれないが、その可能性はあるわけで……」

 尚も納得する様子のないレズリーに向かってネイサンが冷たい口調で口を開いた。

「俺だって逃げられない奴に引きずられて、この村で死ぬのは御免だ。それが嫌だから俺は逃げる。その方が希望はあると俺は思っているんだからな」

 ネイサンの言葉ももっともだとシヴァルも思う。結局はお互いさまなでしかないのだ。残るものたちを気遣って村に残ったところで、助かる見込みなどはどこにもないのかもしれないのだから。

 助かる見込みがなかった時に皆で村に残ることを望んだ者たちが、村を出ることを望んでいた者たちに謝る術などはないのだから。

「レズリー、皆もだ……聞いてくれ」

 シヴァルはそこで言葉を切って車座に座る村人たちの顔をゆっくりと見渡した。誰もが判断に迷っているのだろう。厳しい生活が続いてやつれたその顔には苦渋の色が濃く浮き上がっていた。

「逃げたい者は逃げればいい。残りたい者は残ればいい。誰かに判断を強制されるものじゃない。そして、避難される筋合いの話でもない。結局、逃げるにしても残るにしても、その先がどうなるのかなんて分からないんだ。ならば、自分たちの好きにした方がいい……」

 結局、シヴァルのこの言葉に反対をする者は出なかった。逃げたところで助かるとは限らない。残ったところで助かるとは限らない。シヴァルが言ったように誰もがそれを分かっているのだ。

 ならば、結局は各々の判断に従うしかなかったのだった。




 話し合いから一週間後、百人にも満たない村人の内、三十名ほどがネイサンを中心として村を後にした。その者たちの中には乳飲み子や五歳にも満たない幼児を連れた者、そして七十歳を超えた両親を連れていく者もいた。

 冬を迎えようとしている中、彼らが二か月以上を超えるような厳しい長旅に果たして耐えることができるのか。耐えられたとしても、ルーサー侯の下で望む生活を手に入れられるのか。そのような保証はどこにもなかった。
 そう考えると、村に残るシヴァルとしては祈る他にできることはなかった。
 
 シヴァル自身にしても、年老いた両親と共に村に残るとした決断が結果としてどうなるのかなどは分からない。冬を越せたところで来年の種籾はどうするのか。借金をして種籾を買って、来年も今年同様の不作だったらどうなってしまうのか。

 そのどれもが祈る以外にできることはないものばかりだった。更に言えばレズリーが言っていたように、村人たちが逃げ出したことの責が自分たちに及んでしまう可能性だってあるのだ。

 別れに涙を流す者もいた。レズリーのように村を出て行く者たちを裏切りだと憤る者たちがいた。村を出ていくネイサンの背中を見ながら、それでもシヴァルは村を捨てる決意をしたネイサンたちに幸があるようにと心から祈るのだった。
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