第27話 奴隷の兄妹

文字数 1,563文字

 歩いていると、どこからか焼き菓子の匂いがしてくる。

 思わず顔がとろけてしまいそうになるぐらいの甘い香りだった。もちろん焼き菓子という物をネイトは食べたことがない。だけれども、この甘い香りが焼かれたお菓子だということだけは知っていた。

 ネイトは空腹から自分のお腹が鳴るのを感じる。そんな空腹感を辛うじて抑え込みながら、隣を歩く妹のカレンに黒色の瞳を向けた。

 今年で六歳になった妹のカレンは、今にも泣き出しそうな様子で顔を歪めていた。

 それも無理はないとネイトは思う。カレンだって自分と同じようにお腹が空いていて、それを必死で我慢しているはずだった。

 妹だって必死に我慢しているのだ。今年十歳になった自分が我慢できないはずがない。それに、いくら望んだところで焼き菓子が食べられるはずもないのだから。

 そして、一方でネイトは妹のことを思い遣る。まだカレンは六歳なのだ。この匂いを嗅いでおきながら、我慢させるしかないという現実は残酷以外の何物でもないのだろうと思う。

「カレン、お腹が空いたね」

 ネイトが言うと、カレンは一瞬だけ黒色の瞳をネイトに向けて、即座に黒色の頭を左右に振った。

「大丈夫。まだお腹、空いていないから……」

 お腹が空いたと認めたところで、食事ができるわけではない。ましてや、この甘い匂いがする焼き菓子を食べられるわけもない。

 六歳でしかないというのに、それをカレンは自分と同じように理解しているのだろうとネイトは思う。
 そんなカレンの気持ちを考えると妹が不憫で、そんな妹の有様が悔しくてネイトの目尻に自然と涙が滲んでくる。

 ネイトとカレンは奴隷と言われる最下級の身分だった。二年前に死んでしまったが、両親も同じく奴隷だ。死んだ両親から聞いた話では、ネイトたちはゴイル族という民族で真っすぐな黒い髪の毛と黒色の瞳が特徴らしい。

 遥か昔はゴイル族だけの国があったとのことだった。だけれども、その国は世界で大罪を犯して、国は攻め滅ぼされた。国を失ったゴイル族は流浪の民となり、世界各国に散らばった。

 その結果、どの国でもゴイル族は最下層の身分となり、奴隷となる以外に生きていく術がなかった。以来、ゴイル族は主に農奴として、各国で生きてきたのだった。

 奴隷といっても、最低限の暮らしは保証されていた。稀に奴隷たちへの酷い虐待を耳にすることはあったが、奴隷は貴重な労働源なのだ。基本的には生かさず、殺さずといったのが奴隷であるネイトたちの現実だった。

 焼き菓子の匂いを嗅いだことで、必死なまでに空腹を訴える胃袋。それを宥めながらネイトは口を開く。

「さあ、早く買い物を終えて帰ろう。叔母さんが夕御飯を用意してくれてるからね」

 死んでしまった両親に代わって、ネイトとカレンの面倒を見てくれているのは母親の妹夫婦だった。

 叔母夫婦にも二人の子供がいるのだが、分け隔てなく接してくれていて日々の生活自体での不満はなかった。もっとも奴隷などは人として最低限の生活なのだ。だから、それ以下の生活などはきっと存在しないのだろう。

「うん。そうだね。きっと、もうすぐお腹も空くもんね、お兄ちゃん」

 カレンがネイトの言葉に少しだけ微笑んでみせた。
 そんな妹の顔を見ながら、違うなとネイトは思う。お腹はいつだってそれこそ四六時中、空いているのだ。空いていないはずがなかった。

 六歳にして焼き菓子の匂いを嗅ぎながらも、お腹など空いていないと言い張る健気な妹。その心情を思いやると、可哀想で再び目尻に涙が浮かんでくる。

 でも、泣いたところで何も解決しないのはもう知っていた。誰も救ってくれないのは知っていた。妹のカレンにしても、きっと同じ思いなのだろう。

「じゃあ、早く買い物を済ませて帰ろうね」

 ネイトの言葉にカレンは無言で首を縦に動かしたのだった。
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