第34話 懇願

文字数 1,544文字

「ネイト、私は先日も言ったかと思うがな。それが分からない年齢ではないだろう。それとも、あれは私の記憶違いだったのかな?」

 額を床につけたネイトの頭の上からルイーズの冷たい声が降り注いでくる。

「で、でも、妹の熱がまだ下がらなくて。このままでは妹が、カレンが死んでしまうかもしれなくて……」

 ネイトは顔を上げて下からルイーズの顔を見る。あの時と同じようにルイーズの顔には何の表情も浮かんでいなかった。

「ネイト、仮にカレンが死ぬ。それで一体、私に何か関係があるのかい?」
「で、でも……」
「同じことを何度も言わせるな、ネイト。君たちは奴隷だ。今以上の恩恵を受けることなどできないと。そんなことが許されるはずがないとね」
「でも、このままじゃあ……」

 ネイトは最後まで言うことができないまま、顎に衝撃を受けて背後に引っくり返る格好となった。ダフネスの悲鳴がそれに重なる。

 視界にある天井が揺れていた。口の中には鉄の味が広がってくる。
 顎の痛み……。
 どうやらルイーズに顎を下から蹴られたようだった。

「ルイーズ様、子供の言うことです。お願いです。どうかご容赦を……」

 床に仰向けで引っくり返ったネイトを助け起こして、ダフネスは再びネイトに両膝と額を床につけさせる。そして、ダフネス自身もネイトの隣で両膝と額を床につけて言葉を続けた。

「ネイトの両親は既に亡くなっています。彼に取っては妹が唯一の残された家族なのです」
「それがどうしたのかな。私には全くもって関係ない話だ」

 ルイーズは冷たく言い放つと、更に言葉を続けた。

「そもそもだ。労働力にもならないような幼児に高額な医療を受けさせるはずもない。いいか、お前たちは奴隷だ。代えはいくらでもいる。幼児の奴隷であれば、医者代よりも安いぐらいなのだからな」
「はい、おっしゃる通りでございます。よく分かっております」

 ダフネスは床に額を擦りつけたままで必死に言葉を続けた。

「ですが、ネイトはまだ十歳。そのあたりの理屈が分かっていないのです。後でよく言って聞かせますので、どうかルイーズ様のお怒りを静めて下さい。どうか、ご容赦を……」

 ダフネスの必死な言葉をルイーズは鼻で笑う。

「私が奴隷を相手に怒る? この低脳が。やはり奴隷はどこまでいっても奴隷なのだな。今、私は物の道理を説いているだけだ。この低能な奴隷にな!」

 ネイトは床につけていた顔を上げる。上方からルイーズの見下ろし、見下すような視線を受け止めながらも口を開いた。

「でも、ルイーズ様、妹がこのままじゃあ……」
「貴様、まだ言うか!」

 ルイーズの怒声が響き渡った。次いで下顎に再び衝撃がある。再度、ネイトは仰向けに引っくり返ってしまう。再びダフネスの短い悲鳴が周囲に響いた。

 仰向けになりながらも、加減はされているのだろうとネイトは思う。大人の力で蹴り上げられたのだ。普通であればこの程度で済むはずがなかった。

 ネイトはふらつく頭を叱咤しながら辛うじて上半身を起こす。赤い液体と一緒に口から白く固い物が幾つか吐き出された。これは何なのだろうか。ネイトは頭の隅でそんなことを思った。

「ルイーズ様、お願いします。妹に医者を……せめて薬だけでも」

 ネイトは上半身を起こしただけの格好で尚もルイーズに訴えた。両膝を揃えて頭を地面につけたかったのだが、下半身に力が入らず立ち上がれなかったのだ。

「貴様、本当にいい加減にしろ。しつこいぞ!」

 ルイーズの怒声が重なった。再び顎に衝撃がある。

 一瞬、カレンの顔が脳裏に浮かんだ。まだ病でやつれてしまう前の元気だった頃の顔だ。笑顔を浮かべた可愛らしい顔だった。

 ……もう少しだけ頑張ってね、カレン。僕がきっと……。

 次の瞬間、頭の奥でぷつんという音をネイトは聞いた気がした。
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