第19話 微笑

文字数 1,551文字

 これは本当に現実なのだろうか。そう思えるほどに信じられない光景だった。
 人はあのように大きな剣をこれほどまでに素早く動かせることができるものなのだろうか。いま自分が目にした光景は常人離れといった表現の域を軽く超えているとシモンは思う。

「殺すと言ったはずだ」

 この惨状を演出したグレイの低い声が再び周囲に響き渡る。ガイルは明らかに青ざめている顔を引き攣らせながらも懸命な様子で口を開いた。

「ば、化け物か? てめえ、どんな理由でシモンの野郎に手を貸しているかは知らねえが、覚えておけよ。それとシモン、てめえは必ず俺がぶち殺す。俺の配下を二人も殺したんだからな」
「ちょっと待ってくれ。先に粉をかけてきたのは兄さんの方だろう?」

 難癖に等しいようなガイルの言葉にシモンは即座に反論した。だが、ガイルがその反論を受け入れるはずもなかった。

「うるせえ。今日は引いてやる。だが覚えておけよ、シモン。てめえの隣にいつもその化け物がいるわけじゃねえだろう? せいぜい気をつけておくんだな」

 捨て台詞としては陳腐に思える台詞だった。ガイルはイベルダの手を引いて踵を返すと、まるで転がるようにして慌ただしく店内から出て行った。後に残された男たちもここに残されては堪らないとばかりに、ガイルの後を追って次々と店から立ち去って行く。

 シモンはそんなガイルたちの背中を見送った後、床に座り込んでいるクルトに顔を向けて自分の片手を差し伸べた。

「クルト、大丈夫か?」
「何とか大丈夫です。すいません、下手を打ちました」

 顔を顰めながらもクルトはシモンの片手を握って立ち上がると、今度はその顔に苦笑いのようなものを浮かべてみせた。痛みからなのだろう。その額には玉のような汗が浮かんでいる。

 左肩の付け根には深々と矢が突き刺さっていて血も滲んでいたが、幸いなことに致命傷ではないようだった。

 クルトを立ち上がらせた後、シモンは改めて店内を見渡した。店内には無残に両断された二つの死体が転がっていて、床一面が血塗れだ。この惨状をこの男が一人で引き起こしたのだ。

 シモンは無言で佇んでいるグレイに視線を向けた。グレイは未だ鮮血に染まっている幅広の大剣を収めないままで、それを片手に握っていた。そして、その横顔には何の表情も浮かんではいない。

 シモンの視線に気がついたのか、グレイが茶色の瞳をシモンに向けた。グレイに瞳を向けられた瞬間、シモンの背筋に冷たい物が走った。シモンはその怯えにも似たものを押し殺して口を開いた。

「グレイ、助かったぞ。危ないところだった」

 シモンの言葉にグレイは表情を変えないで無言で頷いた。無愛想にもほどがあるだろう。そんな言葉を肚の中で呟きながら、シモンは更に言葉を続けた。

「取り敢えずここを出るぞ。あの様子を見る限りだと、兄さんが直ぐに仕返しに来るとも思えないがな。それに、俺たちが根城にしている屋敷も気になる。俺たちと同時に屋敷が襲われている可能性もあるしな」

 シモンはそこまで言うと、一つ気がついたことをグレイに向けて口にした。

「グレイ、お前も屋敷に娘を置いてきて心配だろう?」
「大丈夫だ。ミアはお前らごときでどうにかできるもんじゃない。ミアはよくも悪くも守られている」

 グレイは先ほどと同じような言葉を再び繰り返した。一瞬シモンは、この言葉がグレイなりの冗談なのではないかとも思ったが、グレイの顔を見る限りでは冗談や強がりの類いを言っているようではなかった。

「……一体、お前らは何者なんだ?」

 グレイから何とも言えないような恐怖を感じたシモンの口から思わずそんな言葉が出た。その言葉にグレイは何も答えなかった。ただ、グレイの口端に微笑のようなものが僅かに浮かんだ気がしたのは、シモンの勘違いだったのだろうか。
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