第41話 百六十年前
文字数 1,582文字
……百六十年前。南東の大陸。
今、アサフ公国の城門前はその喧騒も含めて侵略者たちの異様な熱気で満ちていた。その熱気は戦いが侵略者たちの勝利で終わったこともあって、この時まさにはち切れんばかりであった。
住民が一万人にも満たないような小さな公国。そんなアサフ公国が隣の大国であるガジル教国から何の前触れもないまま、突如として侵攻されたのは僅か一週間前のことだった。
ガジル教国の五千の兵にアサフ公国は圧倒されるだけで為す術がなかった。アサフ公国にとって唯一の希望は本国である帝国からの援軍だったが、その動きも確認できないままにアサフ公国の小さな領土はガジル教国によって瞬く間に蹂躙されることになったのだった。
今、アサフ公国国王グレイの妃であるプレシア、そして愛娘のミアが城門前でそれを取り囲むガジル教国の兵士たちにより、まるで見せつけられるかのように磔にされていた。
「異教徒、よく見ておくのだ。貴様たち異教徒はこうして苦痛を受けて死ぬからこそ、我らの神であるゲオルク様に許されるのだ」
大地にうつ伏せに押さえつけられていたグレイは、ガジル教国の大神官と称しているウルシラに髪の毛を乱暴に掴まれる。
髪の毛を掴まれて強制的に顔を上げさせられたグレイの瞳には、城門前で生きたまま磔にされている妻子の姿が映る。それはグレイにとってまともに正視できるようなものではなかった。
プレシア、ミア……。
グレイは心の中で呟く。磔にされている彼女たちの足下には、それぞれに左右を挟むようにして一人ずつ兵士が立っている。そして、彼らの手には禍々しいまでに穂先が銀色に鈍く光る槍があった。
……苦痛を受けて死ぬことこそ。
グレイの中でウルシラの言葉がまるで呪詛のように何度も蘇ってくる。
小さな公国だったとはいえ、国が敗れて滅びようとしているのだ。その国を王として治めていた者の務めとして、一族も含めた自分たちの死は受け入れる他にはないと思っていた。それが国を治める者としての道理だとグレイは思っている。
プレシアやミアにしても、その道理は王に連なる者として理解しているはずだった。まだ八歳でしかないミアにとってはその道理が酷だとしても。
しかし、その受け入れる死と共に、不要な苦しみを与えられることには何の意味があるというのか。異教徒だからという言葉だけで納得できる話ではなかった。
グレイは辛うじて動く首を捻って、茶色の瞳をウルシラに向けた。
「苦しみを与えることに一体、何の意味がある。女と子供なのだ。頼む……神の名を持ち出すのならば、慈悲の心で楽に死なせてやってはくれないだろうか」
そう言い終えた時、グレイの顔に強い衝撃があった。どうやらウルシラに加減もされないまま、足で蹴られたらしい。グレイの口からは漏れ出た呻き声と共に大地に向かって鮮血が滴り落ちていく。次いでグレイは鮮血に塗れたいくつかの小さな塊を吐き出した。おそらくはその衝撃で折れた歯なのだろう。
「私の話を聞いていなかったのか? 低脳な異教徒め! 貴様ら異教徒は苦痛を受けて死ぬからこそ、我らの神であるゲオルク様に許されるのだ。苦痛を受けるからこそ、その罪が浄化されるのだ」
ウルシラは耳障りな甲高い声で一気に捲し立てる。唇の両端には唾液の白い泡が立っていた。そして、その目はグレイを見ているようで見ていないようにも見えた。
「おお、ゲオルグ様、この異教徒の不敬な言葉をお許し下さい。これより我らが苦痛を与え、彼らの罪を浄化致します。ゲオルグ様の寛大な御心を持って彼らの罪をお許し下さい」
……狂人の目。
その言葉がグレイの中で浮かび上がってくる。一体、自分たちにウルシラが言う何の罪があったと言うのだろうか。ただ異なる神を信仰していただけではないだろうか。グレイにとっては理屈にもなっていない滅茶苦茶な話だった。
今、アサフ公国の城門前はその喧騒も含めて侵略者たちの異様な熱気で満ちていた。その熱気は戦いが侵略者たちの勝利で終わったこともあって、この時まさにはち切れんばかりであった。
住民が一万人にも満たないような小さな公国。そんなアサフ公国が隣の大国であるガジル教国から何の前触れもないまま、突如として侵攻されたのは僅か一週間前のことだった。
ガジル教国の五千の兵にアサフ公国は圧倒されるだけで為す術がなかった。アサフ公国にとって唯一の希望は本国である帝国からの援軍だったが、その動きも確認できないままにアサフ公国の小さな領土はガジル教国によって瞬く間に蹂躙されることになったのだった。
今、アサフ公国国王グレイの妃であるプレシア、そして愛娘のミアが城門前でそれを取り囲むガジル教国の兵士たちにより、まるで見せつけられるかのように磔にされていた。
「異教徒、よく見ておくのだ。貴様たち異教徒はこうして苦痛を受けて死ぬからこそ、我らの神であるゲオルク様に許されるのだ」
大地にうつ伏せに押さえつけられていたグレイは、ガジル教国の大神官と称しているウルシラに髪の毛を乱暴に掴まれる。
髪の毛を掴まれて強制的に顔を上げさせられたグレイの瞳には、城門前で生きたまま磔にされている妻子の姿が映る。それはグレイにとってまともに正視できるようなものではなかった。
プレシア、ミア……。
グレイは心の中で呟く。磔にされている彼女たちの足下には、それぞれに左右を挟むようにして一人ずつ兵士が立っている。そして、彼らの手には禍々しいまでに穂先が銀色に鈍く光る槍があった。
……苦痛を受けて死ぬことこそ。
グレイの中でウルシラの言葉がまるで呪詛のように何度も蘇ってくる。
小さな公国だったとはいえ、国が敗れて滅びようとしているのだ。その国を王として治めていた者の務めとして、一族も含めた自分たちの死は受け入れる他にはないと思っていた。それが国を治める者としての道理だとグレイは思っている。
プレシアやミアにしても、その道理は王に連なる者として理解しているはずだった。まだ八歳でしかないミアにとってはその道理が酷だとしても。
しかし、その受け入れる死と共に、不要な苦しみを与えられることには何の意味があるというのか。異教徒だからという言葉だけで納得できる話ではなかった。
グレイは辛うじて動く首を捻って、茶色の瞳をウルシラに向けた。
「苦しみを与えることに一体、何の意味がある。女と子供なのだ。頼む……神の名を持ち出すのならば、慈悲の心で楽に死なせてやってはくれないだろうか」
そう言い終えた時、グレイの顔に強い衝撃があった。どうやらウルシラに加減もされないまま、足で蹴られたらしい。グレイの口からは漏れ出た呻き声と共に大地に向かって鮮血が滴り落ちていく。次いでグレイは鮮血に塗れたいくつかの小さな塊を吐き出した。おそらくはその衝撃で折れた歯なのだろう。
「私の話を聞いていなかったのか? 低脳な異教徒め! 貴様ら異教徒は苦痛を受けて死ぬからこそ、我らの神であるゲオルク様に許されるのだ。苦痛を受けるからこそ、その罪が浄化されるのだ」
ウルシラは耳障りな甲高い声で一気に捲し立てる。唇の両端には唾液の白い泡が立っていた。そして、その目はグレイを見ているようで見ていないようにも見えた。
「おお、ゲオルグ様、この異教徒の不敬な言葉をお許し下さい。これより我らが苦痛を与え、彼らの罪を浄化致します。ゲオルグ様の寛大な御心を持って彼らの罪をお許し下さい」
……狂人の目。
その言葉がグレイの中で浮かび上がってくる。一体、自分たちにウルシラが言う何の罪があったと言うのだろうか。ただ異なる神を信仰していただけではないだろうか。グレイにとっては理屈にもなっていない滅茶苦茶な話だった。