第21話 匂い

文字数 1,614文字

 シモンが根城にしている屋敷は、育ての親であるガジナールが使っていた屋敷であると同時に、シモンとガイルが育ち暮らしていた屋敷でもあった。

 ガジナールが死去してからガイルはこの家を出て行ったのだが、ガイルの部屋は当時と同じままにしてあった。

 シモンは一人、かつてガイルが使っていた部屋に入ると、そのまま寝台の上に寝転がった。

 改めて何でこんなことになってしまったのだろうと思う。以前は、ガジナールが生きていた頃は血の繋がりがないだけで、本当に仲がよい兄弟のはずだった。

 自分はそれこそ幼い時から弟として常に兄のガイルを立てていた。ガイルにしても兄として弟の自分を何かと目をかけてくれて、可愛がってくれていたはずだった。

 やはり根っこの部分はガジナールの遺産とも言うべき、裏社会の支配地域を等分させられたのがガイルとしては気に入らなかったのだろうか。兄であれば全部とまでは言わないが、半分以上は己の物でないとおかしいと思ったのかもしれない。

 その不満を上手いことイベルダに焚きつけられたということなのだろうか。そう思うとイベルダへの憎しみと怒りの感情が再び湧き上がってくる。

 やはり、あの売女は殺す。それも早く死なせてくれと泣き喚かせながら。

 シモンは懐にある短剣に手を伸ばした。短剣の扱いには昔から自信があった。その扱いで言えば、誰にも負けたことがない。短剣同士の戦いに限って言えば、あの常人離れした強さを見せたグレイにも勝つ自信がシモンにはあった。

 十代前半の頃から幾人となくこの短剣で他人を傷つけ、時には殺めてきたのだ。この短剣で他人を傷つけ殺めることにシモンは何の躊躇いもなかった。

 まるで食材に短剣を突き立てるように、人の体へ短剣を突き立てることができた。生まれる時に、その躊躇いを忘れてきてしまったのだろうかと自分でも思えるほどに。

 寝台の上で横になったままで、シモンは短剣をイベルダに突き立てる自分の姿を想像した。もう殺してくれと懇願するイベルダの姿を想像した。

 そうすると少しだけ自身の中にある怒りが収まってくる気がした。

 それを感じながら、シモンはかつてガイルが使っていた寝台の上で横たわったまま、大きく鼻腔に空気を吸い込んだ。そんな訳があるはずもないのに、ガイルの匂いが感じらる。

 ガイルの匂い……。
 それを感じたシモンは自身の股間が熱くなってくるのを自覚するのだった。




 「俺にもその襲撃について来いと?」

 グレイが表情を変えずにシモンの言葉を繰り返した。娘は全く表情というものがないが、こいつも殆ど表情をかえることがないとシモンは改めてそう感じていた。

「そうだ。ガイル兄さんとイベルダの売女が屋敷にいる知らせが入り次第、襲撃する。だが、ガイル兄さんは絶対に殺すな。そして、イベルダの売女は必ず殺すんだ」
「兄さんに売女か。そして、兄さんは殺すなと」

 呟くグレイが薄く笑ったように見えた。すぐさまシモンの頭に血が昇る。

「怒るな。揶揄ったわけじゃない」

 そんなシモンの様子を見たからなのか、グレイはシモンを宥めるような言葉を口にした。グレイがそんな言葉を口にするのは少々意外だった。

「構わんさ。お前は俺に代償を払ったのだからな。ならば、その代償の向こう側にある物を見せてもらおうか」

 代償の向こう側。
 また意味不明の言葉を口にしやがったとシモンは思う。ことが終わったら、更に金を分捕ろうとでも思っているのか。

 まあいいと思う。いずれにしても、グレイの化け物じみた強さは心強い。全てが終わって、追加の金だの何だのと言われて邪魔になれば、背後から短剣で首を切り裂いてやればいいだけだ。

 グレイがどれだけ強かろうが、味方だと思っている奴から背後から襲われれば、避ける術はないだろう。グレイを殺して、あの薄気味悪い娘は奴隷としてどこかに売ってもいい。喋らなければ見た目だけはよい娘だ。それこそ高く売れるといったところだろう。
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