第63話 不死の男が望むこと

文字数 1,793文字

「娘のことだけだ」
「……娘のこととは?」

 彼女がグレイと同じ言葉を繰り返す。

「娘を元に戻したい」
「ふむ……娘と離れることになってもよいと?」
「ああ。そいつは自然の摂理だ」
「貴様自身はどうする?」
「どちらでもいいさ。これまでのように娘と暮らせるのであれば、それが一番だが……」

 グレイはそう言って彼女の瞳にある物を読み取ろうとした。しかし、その青色の瞳からは何も読み取れなかった。

 そんなグレイに対して彼女は口を開いた。

「やはり貴様は何か勘違いをしているな。私は神でも、そして慈悲深くもない」
「そうでもないさ。少なくとも俺はそう思っていない。お前は慈悲深いのさ。お前が再び俺の前に現れたのがその証拠だよ」

 そこでグレイはひと呼吸を置いて言葉を続けた。

「……さあ、時を戻してもいい頃合いだ。俺は滅びてやる」
「勝手に話を先に進めるな。馬鹿者が……」

 彼女がそう言った瞬間だった。周囲から失われた音が戻り、色彩が戻って時が進む。

 グレイはミアに視線を移した。ミアはその視線に気がつかないままで、正面を見据えている。その顔にはそれまでと変わらずに、何の表情も浮かんではいないのだろう。

「耳長種の女……いや、終焉の魔女……後は任せた」

 グレイは呟いた。
 神の力によって与えられたこの体。そして、神の力を持つこの剣。その剣で胸を貫けば……。

 長剣の刃を両手で握ると、グレイはそれを力任せに自身の身に突き立てた。
 血は流れない。痛みもなく、あるのは剣を突き立てた衝撃だけだった。

 しかしその一瞬後、両足に力が入らなくなりグレイは両膝を大地につけた。グレイとミアを囲っていた兵士たちは、何が起こったのかを咄嗟には理解できていないようだった。その誰もが唖然とした顔で、いきなり自らの手で自身の胸に剣を突き立てたグレイを見ている。

 ……再び、音が失われ、色彩が失われる。

 先程と違うのは、娘のミアもその中で色彩を失ってはいないことだった。

「……無茶をする」

 再び彼女が姿を現した。両膝をつけたままでグレイは唇の端を曲げて笑ってみせた。

「……ミアを頼む。」

 グレイがそう言うと、ミアがグレイに明るい空色の瞳を向けた。

(とと)様、剣が胸に刺さっています」

 グレイはミアの柔らかな茶色の頭に片手を伸ばした。

「ああ、そうだな。すまなかった、ミア。最初からこうしていれば、もっと早くにお前を元に戻せたのかもしれない」

 言われた意味が分からないのか、ミアがグレイに言葉を返すことはなかった。硝子玉のような瞳でグレイを見続けているだけだった。

 グレイは彼女に視線を向けた。

「神がいるにしては、この世は悲しみと悲哀で満ちている。だが、神はいるのだろう? ならば、目の前にある悲しみぐらいは拾ってくれ」
「やれやれだな。言っただろう? 私は神ではない。それに世の中には、貴様たち親子よりも不幸な者などが、それこそ数えきれないぐらいに存在している。それは貴様もこの長い時間の中でいくつも見て来たはずだ。あるいは、自らがそれを作り出してきたはずだ。それでも、貴様は自分たちを救えと?」
「人とはいつだって利己的なものなのさ。それに大丈夫だ。お前は慈悲深い。終焉の魔女……奇跡を起こして人を救う魔女の話を俺は各地で幾度か耳にした」

 グレイがそう言った時だった。自分の胸に突き立てた剣を握る指先が、砂のようにさらさらと崩れ落ちていくことに気がついた。指先だけではなかった。それはやがて指先から手へ。手から腕へと止まらずに次々と砂に変わり崩れ落ちていく。

 ……滅びの時は近いようだった。

「父様、体が砂になっていきます」

 ミアの淡々とした言葉にグレイは頷いた。そして、ミアに顔を向けた。

「ミア、すまなかった。お前を巻き込んでしまった。人としての生を全うしてほしい。それが、父としての願いだ」

 ミアは黙ったままでグレイを見つめている。グレイは既に肘の先まで砂となってこぼれ落ちてしまっている腕を伸ばして、ミアの頬をそっと触れた。

 既に感覚がなくなってしまっているのだろうか。そこからミアの体温を感じることはできなかった。

「父様は砂になるのですね」

 事実をただ事実として淡々と述べるだけのミア。その事実が今更のように消え行くグレイの心に重くのしかかった。

「慈悲深き終焉の魔女よ……娘を頼む」

 それが全身を砂に変えて崩れ落ちたグレイの最後の言葉だった。
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