第53話 人ごとき
文字数 1,557文字
オバールがそう言った時だった。横手からオバールを襲う黒い影があった。オバールも素早く反応してそれを長剣で受け止めようとする。
流石、王国内で随一の使い手であると言われている者の動きだった。その動作には一切の無駄がないように思えた。
だが、その一撃はあまりにも規格外なものだった。通常ならば、その洗練された適格な動きには何の問題もなかっただろう。しかし、オバールを襲った影は不幸なことに通常の者ではなかった。オバールが受け止めようと両手で差し出した長剣の刀身ごと、オバールは両断されてしまう。
勢い余って大地にめり込んだ長剣を引き抜きながら、グレイが茶色の瞳をイザークに向けた。
「早く済ませろ。国外に逃げられなくなるぞ」
グレイは短くそれだけを言う。グレイの人外じみた能力にもう驚くことはないと思っていたイザークだったが、内心では信じられない思いで一杯だった。
人は長剣ごと人を斬れるものなのか。そうだとすれば、そのような者などは人ではないのではないか。
そんな思いを飲み込みながらイザークは馬車の中に向かって長剣を突き立てのだった。
「お前、子連れだったのか?」
驚いた声を上げたイザークだったが、その声にも当のグレイは表情を一つも変えることがなかった。表情を変えないと言えば連れている娘も同様だった。こちらは表情を変えないというよりも、表情が全くないように見え、その端正な顔立ちとも相まってまるで綺麗な人形とも言うべき印象だった。
「そんな子供を残して傭兵なんぞをしていたのか」
呆れるイザークに向けてグレイが少しだけ口元を綻ばせたように見えた。
「心配はない。俺は人ごときでどうにかできる相手じゃない」
……人ごとき。
言っている意味がよく分からなかった。人外じみたように見えるといっても自分だって人だろうと思ったイザークだったが、何故かそれを口にする気にはなれなかった。
それを口にしなかったからというわけではなかったが、イザークは別のことを口にした。
「前に言っていた代償の向こう側とやらは見ることができたのか?」
その言葉にグレイは少しだけ考えるような素振りを見せた。
「そうだな。代償を払い望むものを手に入れられることも時にはあるのさ……」
代償の向こう側とやらの意味も分からないし、その答えもやはり意味が分からなかった。金という代償を払ったのだから、望む物を手にするのは当たり前なのではないか。
まあいいとイザークは思う。きっと自分には関係ない話なのだ。そう思いながらイザークは口を開いた。
「何にせよ、礼は言わせてもらう。お前のお陰で仲間たちの仇をとることができた」
「礼はいらない。代償として金は貰っているからな」
グレイの素っ気ない物言いにイザークは少しだけ肩を竦めてみせた。
「さて、俺はもう行くぜ。お前も早いところこの国を出たほうがいい。何せ俺たちは王太子殺しの極悪人だからな」
そんなイザークの言葉に笑うわけでもなく、グレイは軽く鼻を鳴らした。そして、それがそれぞれの別れの合図となったのだった。
黒い影が二つあった。一つは大きくて、一つは小さい。彼らの姿を俯瞰で見ることができる者がいれば、首を捻ることだろう。本格的な冬の訪れも近く、既に周囲には雪が散らついている。そんな山道を二人は歩いているのだから。
小さな影が大きな影に語りかけた。
「父 様、あの方は父様にお礼を述べていました」
「そうだな」
「父様はあの方によいことをしたのですね」
「……よいことが分かるのか?」
「いえ、お礼を述べていたから、よいことをしたということです」
「……そうだな」
大きな影の言葉が僅かに掠れて震えたようだった。
周囲はどこまでも静かで獣たちの鳴き声ひとつも聞こえなかった。周囲にある音は二つの黒い影が歩む足音だけだった。
流石、王国内で随一の使い手であると言われている者の動きだった。その動作には一切の無駄がないように思えた。
だが、その一撃はあまりにも規格外なものだった。通常ならば、その洗練された適格な動きには何の問題もなかっただろう。しかし、オバールを襲った影は不幸なことに通常の者ではなかった。オバールが受け止めようと両手で差し出した長剣の刀身ごと、オバールは両断されてしまう。
勢い余って大地にめり込んだ長剣を引き抜きながら、グレイが茶色の瞳をイザークに向けた。
「早く済ませろ。国外に逃げられなくなるぞ」
グレイは短くそれだけを言う。グレイの人外じみた能力にもう驚くことはないと思っていたイザークだったが、内心では信じられない思いで一杯だった。
人は長剣ごと人を斬れるものなのか。そうだとすれば、そのような者などは人ではないのではないか。
そんな思いを飲み込みながらイザークは馬車の中に向かって長剣を突き立てのだった。
「お前、子連れだったのか?」
驚いた声を上げたイザークだったが、その声にも当のグレイは表情を一つも変えることがなかった。表情を変えないと言えば連れている娘も同様だった。こちらは表情を変えないというよりも、表情が全くないように見え、その端正な顔立ちとも相まってまるで綺麗な人形とも言うべき印象だった。
「そんな子供を残して傭兵なんぞをしていたのか」
呆れるイザークに向けてグレイが少しだけ口元を綻ばせたように見えた。
「心配はない。俺は人ごときでどうにかできる相手じゃない」
……人ごとき。
言っている意味がよく分からなかった。人外じみたように見えるといっても自分だって人だろうと思ったイザークだったが、何故かそれを口にする気にはなれなかった。
それを口にしなかったからというわけではなかったが、イザークは別のことを口にした。
「前に言っていた代償の向こう側とやらは見ることができたのか?」
その言葉にグレイは少しだけ考えるような素振りを見せた。
「そうだな。代償を払い望むものを手に入れられることも時にはあるのさ……」
代償の向こう側とやらの意味も分からないし、その答えもやはり意味が分からなかった。金という代償を払ったのだから、望む物を手にするのは当たり前なのではないか。
まあいいとイザークは思う。きっと自分には関係ない話なのだ。そう思いながらイザークは口を開いた。
「何にせよ、礼は言わせてもらう。お前のお陰で仲間たちの仇をとることができた」
「礼はいらない。代償として金は貰っているからな」
グレイの素っ気ない物言いにイザークは少しだけ肩を竦めてみせた。
「さて、俺はもう行くぜ。お前も早いところこの国を出たほうがいい。何せ俺たちは王太子殺しの極悪人だからな」
そんなイザークの言葉に笑うわけでもなく、グレイは軽く鼻を鳴らした。そして、それがそれぞれの別れの合図となったのだった。
黒い影が二つあった。一つは大きくて、一つは小さい。彼らの姿を俯瞰で見ることができる者がいれば、首を捻ることだろう。本格的な冬の訪れも近く、既に周囲には雪が散らついている。そんな山道を二人は歩いているのだから。
小さな影が大きな影に語りかけた。
「
「そうだな」
「父様はあの方によいことをしたのですね」
「……よいことが分かるのか?」
「いえ、お礼を述べていたから、よいことをしたということです」
「……そうだな」
大きな影の言葉が僅かに掠れて震えたようだった。
周囲はどこまでも静かで獣たちの鳴き声ひとつも聞こえなかった。周囲にある音は二つの黒い影が歩む足音だけだった。