第48話 罠
文字数 1,563文字
イザークは軽く舌打ちをする。致命傷ではないようだったが、もう二度と戦場でバルテルは剣を持てなくなるかもしれない。
そう思う一方で、先のことを考えている場合ではないともイザークは思う。先のことはこの危地を超えてから訪れてくる事柄なのだから。
イザークは隣にいるグレイに視線を移した。この危機的な状況にもかかわらず、その横顔は焦りの色を見せることもなく無表情で何を考えているのかは分からない。あれだけ化け物じみた強さを見せているのだ。自分ひとりでもこの戦場を斬り抜けられるとでも思っているのかもしれない。
「イザーク、どうする?」
ドルチェがイザークの判断を求めてくる。イザークは少しだけ黙した後で口を開いた。
「じきに日も暮れる。それを待って、闇に紛れて逃げ出すのが妥当だろうな」
その言葉に他の皆も同意したように頷く。
「グレイ、お前はどう思う?」
一応は客人扱いとして、グレイの意見もイザークは聞いておこうと思ったのだ。それに何よりも人外の者であるかのようなグレイの戦闘能力は大いに頼りになる。
「そう上手くいくかな?」
あまり感情がこもっていない声でグレイが返答をする。
「どういう意味だ」
「どういう理由かは知らないが、敵は相当にやる気を見せていた。そうでなければ、あれほどまで執拗に逃げ出そうとしている俺たちを追っては来ない」
確かにグレイが言うことはイザーク自身も感じていたことだった。彼らに妙なやる気があったことも、執拗なまでに敵が追ってきたこともイザークとしては大いに同意できることだった。
「だったら何だと言うんだ?」
「確かにもう夕暮れだが、そのようにやる気を見せている奴らが、暗くなるまで呑気に待ってくれるのかということだ」
「だから、どういうことだ?」
イザークは少しだけ苛立ったような声を上げる。
「敗走する俺たちがこの森に逃げ込むことぐらいは、考えればすぐに分かること。ならば、俺だったらこの森に罠をしかけるな」
……森に罠。
イザークは心の中でグレイの言葉を繰り返した。グレイの言葉を否定できる要素はなかった。血の気が下がった顔をイザークは仲間たちに向ける。
「おい、周りを……」
周りを確認してくれ。イザークがそう言おうとした瞬間だった。大気を切り裂く音が聞こえてくる。上空を仰ぎみると、いくつもの火矢が飛来していた。
「おい、周囲に油を撒かれてるぞ! 走れ。走るしかねえ!」
実際、油を撒かれているかは分からなかったが、火矢が放たれている以上はその可能性が高かった。
「行くぞ!」
とにかく風上に向かって走るしかなかった。風上には敵兵が配置されているかもしれない。そんな考えも浮かんだが、選択の余地はなかった。敵兵であれば突破できる可能性もあるが、火が相手ではどうにもならない。
それに北の蛮族と言われている者たちが、そこまでの二重、三重にも及ぶような策を講じているともイザークには思えなかったのだった。
……自分を納得させるためだけの前向きな予想は大概裏切られちまうものだ。
昔、傭兵仲間がもっともらしく言っていた言葉をイザークは思い出していた。これを言った奴は誰だったか。
現実逃避ではないのだろうが、イザークはそんなどうでもいいことを頭の隅で泳がしていた。そして、並走しているグレイの横顔にイザークは視線を向ける。
グレイの横顔にはそれまでと同様に焦りの色などが浮かんでいるようには見えなかった。この男が焦ることなどはあるのだろうか。そんな感想を抱いてしまうぐらいに表情が変わらない。そんなグレイが不意に丸太のような腕をイザークの前に差し出した。
「伏兵だ。止まれ」
その言葉に足を止めて身を屈めてみたが、イザークには敵兵の存在は感じられなかった。しかし、この男が言うのであれば素直にそれを信じていい気がしていた。
そう思う一方で、先のことを考えている場合ではないともイザークは思う。先のことはこの危地を超えてから訪れてくる事柄なのだから。
イザークは隣にいるグレイに視線を移した。この危機的な状況にもかかわらず、その横顔は焦りの色を見せることもなく無表情で何を考えているのかは分からない。あれだけ化け物じみた強さを見せているのだ。自分ひとりでもこの戦場を斬り抜けられるとでも思っているのかもしれない。
「イザーク、どうする?」
ドルチェがイザークの判断を求めてくる。イザークは少しだけ黙した後で口を開いた。
「じきに日も暮れる。それを待って、闇に紛れて逃げ出すのが妥当だろうな」
その言葉に他の皆も同意したように頷く。
「グレイ、お前はどう思う?」
一応は客人扱いとして、グレイの意見もイザークは聞いておこうと思ったのだ。それに何よりも人外の者であるかのようなグレイの戦闘能力は大いに頼りになる。
「そう上手くいくかな?」
あまり感情がこもっていない声でグレイが返答をする。
「どういう意味だ」
「どういう理由かは知らないが、敵は相当にやる気を見せていた。そうでなければ、あれほどまで執拗に逃げ出そうとしている俺たちを追っては来ない」
確かにグレイが言うことはイザーク自身も感じていたことだった。彼らに妙なやる気があったことも、執拗なまでに敵が追ってきたこともイザークとしては大いに同意できることだった。
「だったら何だと言うんだ?」
「確かにもう夕暮れだが、そのようにやる気を見せている奴らが、暗くなるまで呑気に待ってくれるのかということだ」
「だから、どういうことだ?」
イザークは少しだけ苛立ったような声を上げる。
「敗走する俺たちがこの森に逃げ込むことぐらいは、考えればすぐに分かること。ならば、俺だったらこの森に罠をしかけるな」
……森に罠。
イザークは心の中でグレイの言葉を繰り返した。グレイの言葉を否定できる要素はなかった。血の気が下がった顔をイザークは仲間たちに向ける。
「おい、周りを……」
周りを確認してくれ。イザークがそう言おうとした瞬間だった。大気を切り裂く音が聞こえてくる。上空を仰ぎみると、いくつもの火矢が飛来していた。
「おい、周囲に油を撒かれてるぞ! 走れ。走るしかねえ!」
実際、油を撒かれているかは分からなかったが、火矢が放たれている以上はその可能性が高かった。
「行くぞ!」
とにかく風上に向かって走るしかなかった。風上には敵兵が配置されているかもしれない。そんな考えも浮かんだが、選択の余地はなかった。敵兵であれば突破できる可能性もあるが、火が相手ではどうにもならない。
それに北の蛮族と言われている者たちが、そこまでの二重、三重にも及ぶような策を講じているともイザークには思えなかったのだった。
……自分を納得させるためだけの前向きな予想は大概裏切られちまうものだ。
昔、傭兵仲間がもっともらしく言っていた言葉をイザークは思い出していた。これを言った奴は誰だったか。
現実逃避ではないのだろうが、イザークはそんなどうでもいいことを頭の隅で泳がしていた。そして、並走しているグレイの横顔にイザークは視線を向ける。
グレイの横顔にはそれまでと同様に焦りの色などが浮かんでいるようには見えなかった。この男が焦ることなどはあるのだろうか。そんな感想を抱いてしまうぐらいに表情が変わらない。そんなグレイが不意に丸太のような腕をイザークの前に差し出した。
「伏兵だ。止まれ」
その言葉に足を止めて身を屈めてみたが、イザークには敵兵の存在は感じられなかった。しかし、この男が言うのであれば素直にそれを信じていい気がしていた。