第2章(1)連合魔力管理委員会

文字数 4,075文字

 北洋の南西部に位置する新興国、カルト・ハダシュト合衆国の中心都市ネオポリス。
 世界連合政府本部の所在地である。
 その一室で、馬蹄形の大きな卓を五人の男女が囲んでいた。

「我が国が得た情報によれば、貴国は昨年だけでも新たに三ヶ所、条約の制限を上回る規模の魔力変換プラントを我々に無届けで建設して稼働させ、しかもそれらを石炭発電所だとごまかす虚偽の報告書まで提出した。違うかね、華国代表?」
「ティレニア連邦の代表が何をおっしゃっているのか、私にはまるでわかりませんな」

 世界連合魔力管理委員会の定例会。
 委員会を構成する委員長を除いた四大国の代表のうち、ティレニア連邦代表と華国代表との間で、この年に入って既に十回以上は繰り返されてきた論争が行われていた。

「とぼけるな! この違反行為によって、世界全体での『エルデマクト』の消費推定値は〇・三パーセントも増加したのだぞ。どれだけ『ムア』を拡大させたと思っているのだ? この委員会の場での合意への背信だけでは済まない、『ムア』に苦しむ世界中の人々に対する卑劣な裏切り行為だ!」
「卑劣な裏切り行為ですと? 私は外交官として、かくも侮辱的な物言いをされるのは初めてですな。今の発言は撤回して頂きたい」
「まあまあ、ここは抑えて。ティレニア連邦代表も、少々発言が一方的過ぎるのでは?」

 怒った表情を作って席を立ちかけた華国代表を横に座るトメニア帝国代表がなだめ、華国代表は、今度はトメニア帝国代表の顔を立てて渋々といった表情を作って再び席に腰を落ち着ける。

「……左様。そもそも『ムア』が何故ここまで拡大したかを思い出して頂きたいですな。魔力変換機関『エルデマクト・リアクター』を発明したあなた方白人が、環境への被害を省みずに野放図に魔力を使った結果が今の有様です。遅れて『エルデマクト・リアクター』を導入した我が国は、自国の平和的発展のための権利を行使しているに過ぎないのです。そもそも、我が国が養わなくてはならない人民の数はあなた方の国全てを合わせた人口よりも多いのに、何故条約では消費可能な『エルデマクト』の割り当てがそれに見合ったものでないのか、私はかねてから問題だと……」
「今は貴国が犯した違反行為について問うているのだ、君の歴史観を語る時間ではない!」
「まあまあティレニア代表、ここはどうか落ち着いて。……華国代表は、委員会の趣旨と無関係な発言は控えた方がいいですよ。委員長も同意見ですよね?」

 いきりたつティレニア連邦代表を横に座るカルト・ハダシュト合衆国の代表がなだめてみせて、婉曲的に華国側を牽制する。
 言うまでも無く、全てが出来レースだ。
 連合魔力管理委員会の設立と合わせて採択されたのが、魔力変換機関拡散防止条約だった。
 この条約では魔力利用の制限と段階的縮小、各国共同での代替動力の早期開発、そして条約批准国で『エルデマクト』の消費を分配することが定められ、条約が機能すれば『ムア』の拡大に歯止めがかかるものと期待されていた。
 しかし、その後の四大国の綱引きで条約は骨抜きにされ、実際に守られたのはわずかな項目に留まり『ムア』は拡大し続けて今日に至っている。

「……過去を振り返って責任を問うのなら、責任の大部分は私の母国ランズベルクのかつての政権にあるといえるでしょう」

 カルト・ハダシュト代表に促されて、委員長席に座る唯一女の参加者が、初めて口を開く。
 よく通る、澄んだ声だった。
 不毛な論争を続けていた両陣営が沈黙し、一同の視線が彼女に注がれる。

「ですがそのことと、現在進行している『ムア』の拡大に私達がどのように対処するかは全く別の議論ではないでしょうか。ティレニア連邦の代表殿が先ほどから指摘されている問題についてもそうです。広い国土と多くの国民を抱え経済が発展途上にある華国が多くの魔力を必要としている事情はここにいる誰もが理解しているはずですし、華国が安心して条約を遵守できる環境を作るために委員会は出来得る限りの支援もするつもりです。例えば技術者を派遣して華国の魔力変換効率を向上させその分『エルデマクト』の消費を低減するなど、実効性のある支援計画を準備しています。勿論、そのためには皆さんの国がこの委員会での合意を尊重し、定められた額の分担金を滞り無く支払って下さる必要がありますが……」

 委員長の話し方は淡々としていて、特別何かの単語を強調はしない。
 だが静聴はそこまでだった。
 彼女が「分担金」に言及するや否や、ティレニア連邦の代表が食ってかかった。

「待ちたまえ、分担金のことを取り上げるなら、委員長が提出した予算案も問題にしなければならない。途上国への技術支援や大陸横断鉄道の省魔力化改修はさておき、君の配下に新設されるという特別査察執行部隊『フォレスタ』、あれは何だね? 『ムア』拡大の主要因の一つである『エルデマクト・リアクター』の非合法な技術拡散を実力で阻止する事が目的だそうだが、そんな事は世界連合軍がずっと前からやっている。そもそも、『少し風変わりな輸送船』一隻と『観測気球に毛が生えた程度の飛行機械』四機に、どうしてこれほど莫大な予算が計上されているのか。これを呑めというなら、せめてもう少し誠意のある情報開示をしたらどうなんだ?」

 なおティレニア連邦は委員長が今回の予算案を公にする以前から分担金を滞納していたが、この場で敢えてそれを指摘する者はいなかった。

「北方のノヴゴロドでは今年も『ムア』による大量の難民が飢えと寒さで餓死するのが確実だとか……十分な救済措置を行えない世界連合政府に対する不満は高まる一方です。本委員会としても今は被災者の救済を最優先すべきであって、前例の無い新組織へのこのような高額な出費は慎むべきでは?」
「左様、お遊びに余分に割くような人手も金も、今の世界にはありませんぞ」

 委員長を非難するティレニア連邦代表の発言に、先ほどまで対立していたトメニア帝国代表及び華国代表が悪びれもせずに追随する。
 皮肉な共同戦線だった。

「聞けば、先の大戦で戦犯だった疑いのある君の国の人間が組織に加わっているそうじゃないかね? 事実とするなら由々しき問題だ。君の立場も危ないぞ、リープクネヒト委員長」

 高圧的な物言いを続けていたティレニア連邦代表に、秘書官が歩み寄ってきて何事かを耳打ちした。

「何、本当か。……諸君、審議の途中で申し訳ないが、良い知らせがある」

 ティレニア連邦代表はにやりと笑って勝手に話題を切り替えた。

「例のキリキア沖の海賊についてだ。近頃我が国の船舶が襲撃される事件が相次いでいたが、ついさっき連合海軍が海賊の船団を捕捉したとの連絡が入った。明日にも掃討作戦を開始するそうだから、戦果を楽しみにしていたまえ」
「あの海賊は確か……」

 委員長は眉根を寄せる。

「報告によれば、海賊船の中の一隻は『エルデマクト・リアクター』を応用したと思われる強力な光線兵器で武装しているらしい。たかが海賊ごときが、どこからそんな高額なおもちゃを手に入れたかはわからんがね」

 ティレニア連邦代表は含みのある言い方をしてトメニア帝国代表の方を一瞥する。
 トメニア帝国代表はそ知らぬ顔で黙ったままだ。
 委員長は警告した。

「危険です。海賊が『エルデマクト・リアクター』を保有しているのが事実なら、連合海軍の装備では歯が立たないでしょう。掃討作戦は中止すべきです」
「ご心配には及ばんよ。こちらは海賊の十倍以上の戦力を投入しているのだ。それも、最新式の蒸気機関で動く快速戦艦で編成された、我が国の艦隊を主力にしてな。光線兵器を積んだ海賊船はたったの一隻、怖るに足らん」
「ですが……」
「君の作った『フォレスタ』とやらが活躍できなくて残念だったな、わっはっは!」
「…………」

 閉会後。
 自らの執務室に戻った委員長は、通信機の端末を耳にあてがった。
 『ガルーダ』と似て、魔力を応用して空気中の『エルデマクト』を刺激することで遠距離の音声通信を行う仕組みで、大戦後に世界連合政府が北洋沿岸一帯に整備したものだ。
 中継局を呼び出してから数分後、通信はビブロス沖で待機している特務輸送艦『エピメテウス』の、『フォレスタ』運用部長ディータ・イル・マヌーク中佐につながった。

〈あたしだ。委員会はどうだった?〉

 端末からディータの能天気な声が響く。

「いつも通りひどいものよ。それより適合者・涼宮のどかは、無事そちらで回収できて?」

〈ああ。……『ガルーダ』については、さっきレーネ・シュタールに説明をしてもらったぜ〉

「レーネには、『フォレスタ』で正しいことを為すようにと言ってあるわ。彼女の好きなようにさせてあげて」

〈へいへい。とにかくこれで適合者が全員揃ったわけだ。後は『ガルーダ』の調整と本人達の訓練だが、予定通り二ヶ月ほどあれば何とか……〉

「悪いけど、予定を早める必要がありそうよ」

〈早める? ……どのくらいだ〉

「できれば今日中。キリキア沖に向けて出航して欲しいの。詳しい指示はおって出します」

〈今日中だあ?〉

 端末の向こうでディータの声が裏返る。

「世界は私達を待ってはくれないわ。魔力を不正に利用した兵器で多くの人命が危険に晒されているの。……場合によっては『アパレティエーター』を使用する可能性もあると、レーネに伝えて」

〈毒をもって毒を制すか……〉

 しばらく考えてから、ディータは承諾した。

〈たく、わーったよ。金髪さんがそこまで言うんじゃなあ〉

「だからその呼び方は止めてって、前から言ってるじゃない……ありがとう」

 ディータのつけた渾名の通り、艶やかなブロンドの髪を背中に流した連合魔力管理委員長、セシリア・リープクネヒトは、そう言って苦笑した。
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