第2章(4)北洋艦隊
文字数 2,934文字
北洋の南東、キリキア沖。
折からの強風で荒い海を蹴立てて、朝靄の向こうから大艦隊がその姿を現した。
世界連合海軍・北洋艦隊。
集団安全保障による北洋航路の治安維持のために連合政府の要請で組織され、各国がその海軍力に応じて供出した艦艇からなる混成艦隊だが、その中核となるのはやはり、大戦前の世界最強の海軍国ティルス共和国を前身とするティレニア連邦であり、全体の八割を占めている。
もっとも戦後の財政難から近代化は遅れており、艦隊の大半は旧態依然とした木造帆船、軽砲三二門のフレガータ船や重砲七四門のガレオン船で、後方には帆と手漕ぎを併用した年代物のガレアス船まで加わっていた。
その総数は一三一隻、乗員は水兵・海兵隊合わせて三万人以上。わずか一二隻の海賊を掃討するには、十分過ぎると思える戦力である。
また、前述のように大半が老朽化した艦ではあったが、艦隊の中心を行く二二隻の新型艦の威容が、将兵達の士気を高めていた。
ティレニア連邦軍が戦後新たに建造した、三層構造・重砲一四〇門の装甲艦ゴルディート級である。
艦の外側を分厚い鉄板で覆い、全長一一二キュピトと大型であるにも関わらず快速を誇っているのは、これらの艦が動力に『エルデマクト・リアクター』の代替としてティレニア連邦で導入が進む、蒸気機関を搭載しているからだ。
今も煙突からは石炭を燃やした黒い排煙がたなびき、二つの外輪は力強く水しぶきを上げている。
「素晴らしい艦だ!」
ゴルディート級の一隻、旗艦ユーライアスの豪華絢爛な艦尾楼で、艦隊総司令官クインタス・アリウス卿は付き従う艦隊幕僚達を前に感嘆の声を上げた。
「は。本艦の蒸気推進は微風であっても強風時の快速帆船に匹敵する速度での航行が可能です。また一四〇門装備しているカルバリン砲は前装滑空式で、二〇〇口径の徹甲弾を高初速で射出、六〇〇〇キュピトの有効射程で厚さ二〇〇オウ・キュピトの鉄板を貫通できます。この射程距離は各国海軍が採用している重砲の倍以上でして、砲弾の装填に要する時間も……」
「あー、もうよい。その手の話にわしは疎くてな」
素晴らしい艦だという感嘆を戦闘能力への賞賛だと勘違いした艦長の解説を、総司令官はうるさそうに遮った。
「それより宴会場に案内してくれ。この海賊狩りが終わったら参加国の将官を招いた晩餐会を催す予定だからな。今から席順を決めておく必要がある。いつものことだがこれは政治的に非常に厄介な問題だ。そうそう、葡萄酒は上物を積んであるんだろうな?」
「は、はあ……」
「勿論でございます閣下! この日のためにオピミウス年のファレルヌム酒を用意させて頂きました」
「おお素晴らしいな、今からデキャンタージュしておきたまえ。それから料理の献立だがこれも厄介でね、各国の宗教に配慮して……」
腰巾着の幕僚達が艦長を押しのけ、総司令官一行は大名行列をつくってどやどやと宴会場へ下りて行く。
後にはこの艦の艦長と副長がぽつんと残された。
「全く……のんきなもんだな」
「声が大きいですよ、艦長」
苦々しげに呟いた艦長を、副長がたしなめる。
ティレニア連邦海軍の戦艦に、戦闘能力もさることながら、寄航先などでの外交のために、動く迎賓館としての役割も求められているのは確かだ。
このユーライアスの艦尾楼も、一〇〇人以上を招待できる宴会場など豪華客船のような歓待設備を有している。
だが、危険な敵を間近に控えて宴会の相談とは、艦隊司令部に危機意識があまりにも欠けているのではないかと艦長は憂慮せざるを得なかった。
「心配し過ぎではありませんか艦長。確かに魔力兵器は脅威ですが、敵は所詮海賊、総数もわずか一二隻です。対する我が艦隊は十倍以上の一三一隻。鶏を割くに牛刀をもってするとは、まさにこのことです。それはまあ、こちらにも少しは損害が出るかもしれませんが、敵の殲滅にそう手間取るとは……」
「お前は魔力の恐ろしさをわかっていない」
艦長は険しい声で副長の楽観論を否定した。
「俺は先の大戦でティルス島防衛戦に参加した。あの時、ランズベルク公国軍は陸から魔力を使った巨大な大砲で撃ってきた。閃光が走るのと同時に、友軍が目の前で艦隊ごと木の葉のように吹き飛ばされるのを俺は見たんだ」
その時の記憶が甦ったのか、陰鬱な表情で艦長は窓の外に見える後続の姉妹艦群を眺めた。
左右に無数の砲を並べたくろがねの城が、列をなして威風堂々と海を進む光景は壮観だ。
数に頼んだ過信だけではない。風は北北西から吹いており、艦隊の大半を占める帆船にとって戦術的に有利な風上にある。
主力艦の砲撃を浴びせ、残った敵はガレアス船による触角攻撃と接舷しての白兵戦で掃討する、仮に海戦の定石通りに進めば確かに赤子の手をひねるようなものだ。
先ほど総司令官と幕僚達の間から漏れ聞こえた話では、この作戦は海賊の掃討そのものより、新造艦のお披露目と、連合海軍への参加を拒んでいるトメニア帝国への示威を狙ったものらしい。
しかし、行く手に待ち受ける魔力兵器と対峙した時、果たしてそんな余裕が残っているのか怪しいものだが…………
「先行する第三戦隊より発火信号! 敵船団を視認!」
艦橋見張り員の声が響き、艦長は我に返る。
副長と共に走って艦橋に向かい、部下の双眼鏡をひったくると、艦長は前方の水平線に目を凝らした。
いた。二時の方向。
数は情報通りおよそ一二隻。
その内一一隻は、ごく普通のスループ船だった。小型で足が速く、海賊が好んで使う類の船だ。
だが、問題なのは残りの一隻だった。
それは、艦長がこれまでに見たことの無い形をした船だった。
平たくて大きい。恐らくはこのゴルディート級の三倍はあるだろう。
船の上には帆柱のようなものは無く、その代わりに、傘を広げたような大きな機械が甲板に据え付けられている。
「おや、あちらからお出ましとは都合が良い」
遅れてやってきた艦隊総司令官が満足げな笑みを浮かべる。
「閣下、危険です。敵の能力がまだ十分に明らかになっていません。ここは艦隊を後退させ、作戦を立て直すべきでは」
艦長は、分をわきまえていないことを承知で具申した。
「貴様、閣下に意見するつもりか!」
「海賊ごときを相手に怖気付いたのかね!」
作戦幕僚達が艦長の進言を一蹴する。司令官は大袈裟な手振りで命令した。
「各戦隊に砲撃準備命令を。第三戦隊は針路そのまま、第一・第二戦隊は取り舵、三日月の陣形で敵船団を半包囲するのだ」
「…………。右砲戦用意! 取り舵!」
「了解! 右砲戦用意! とーりかーじ!」
やむなく艦長が指示を出し、操舵手が艦首を左に向ける。
総員戦闘配置の鐘が艦内に鳴り響く。
「第三戦隊、まもなく敵船団を射程にとらえます!」
その時だった。
海賊船に据え付けられた傘のような機械が、翠色に発光した。
光は徐々に大きくなり、そして。
目のくらむような閃光と、耳をつんざくような轟音がユーライアス艦橋を襲った。
折からの強風で荒い海を蹴立てて、朝靄の向こうから大艦隊がその姿を現した。
世界連合海軍・北洋艦隊。
集団安全保障による北洋航路の治安維持のために連合政府の要請で組織され、各国がその海軍力に応じて供出した艦艇からなる混成艦隊だが、その中核となるのはやはり、大戦前の世界最強の海軍国ティルス共和国を前身とするティレニア連邦であり、全体の八割を占めている。
もっとも戦後の財政難から近代化は遅れており、艦隊の大半は旧態依然とした木造帆船、軽砲三二門のフレガータ船や重砲七四門のガレオン船で、後方には帆と手漕ぎを併用した年代物のガレアス船まで加わっていた。
その総数は一三一隻、乗員は水兵・海兵隊合わせて三万人以上。わずか一二隻の海賊を掃討するには、十分過ぎると思える戦力である。
また、前述のように大半が老朽化した艦ではあったが、艦隊の中心を行く二二隻の新型艦の威容が、将兵達の士気を高めていた。
ティレニア連邦軍が戦後新たに建造した、三層構造・重砲一四〇門の装甲艦ゴルディート級である。
艦の外側を分厚い鉄板で覆い、全長一一二キュピトと大型であるにも関わらず快速を誇っているのは、これらの艦が動力に『エルデマクト・リアクター』の代替としてティレニア連邦で導入が進む、蒸気機関を搭載しているからだ。
今も煙突からは石炭を燃やした黒い排煙がたなびき、二つの外輪は力強く水しぶきを上げている。
「素晴らしい艦だ!」
ゴルディート級の一隻、旗艦ユーライアスの豪華絢爛な艦尾楼で、艦隊総司令官クインタス・アリウス卿は付き従う艦隊幕僚達を前に感嘆の声を上げた。
「は。本艦の蒸気推進は微風であっても強風時の快速帆船に匹敵する速度での航行が可能です。また一四〇門装備しているカルバリン砲は前装滑空式で、二〇〇口径の徹甲弾を高初速で射出、六〇〇〇キュピトの有効射程で厚さ二〇〇オウ・キュピトの鉄板を貫通できます。この射程距離は各国海軍が採用している重砲の倍以上でして、砲弾の装填に要する時間も……」
「あー、もうよい。その手の話にわしは疎くてな」
素晴らしい艦だという感嘆を戦闘能力への賞賛だと勘違いした艦長の解説を、総司令官はうるさそうに遮った。
「それより宴会場に案内してくれ。この海賊狩りが終わったら参加国の将官を招いた晩餐会を催す予定だからな。今から席順を決めておく必要がある。いつものことだがこれは政治的に非常に厄介な問題だ。そうそう、葡萄酒は上物を積んであるんだろうな?」
「は、はあ……」
「勿論でございます閣下! この日のためにオピミウス年のファレルヌム酒を用意させて頂きました」
「おお素晴らしいな、今からデキャンタージュしておきたまえ。それから料理の献立だがこれも厄介でね、各国の宗教に配慮して……」
腰巾着の幕僚達が艦長を押しのけ、総司令官一行は大名行列をつくってどやどやと宴会場へ下りて行く。
後にはこの艦の艦長と副長がぽつんと残された。
「全く……のんきなもんだな」
「声が大きいですよ、艦長」
苦々しげに呟いた艦長を、副長がたしなめる。
ティレニア連邦海軍の戦艦に、戦闘能力もさることながら、寄航先などでの外交のために、動く迎賓館としての役割も求められているのは確かだ。
このユーライアスの艦尾楼も、一〇〇人以上を招待できる宴会場など豪華客船のような歓待設備を有している。
だが、危険な敵を間近に控えて宴会の相談とは、艦隊司令部に危機意識があまりにも欠けているのではないかと艦長は憂慮せざるを得なかった。
「心配し過ぎではありませんか艦長。確かに魔力兵器は脅威ですが、敵は所詮海賊、総数もわずか一二隻です。対する我が艦隊は十倍以上の一三一隻。鶏を割くに牛刀をもってするとは、まさにこのことです。それはまあ、こちらにも少しは損害が出るかもしれませんが、敵の殲滅にそう手間取るとは……」
「お前は魔力の恐ろしさをわかっていない」
艦長は険しい声で副長の楽観論を否定した。
「俺は先の大戦でティルス島防衛戦に参加した。あの時、ランズベルク公国軍は陸から魔力を使った巨大な大砲で撃ってきた。閃光が走るのと同時に、友軍が目の前で艦隊ごと木の葉のように吹き飛ばされるのを俺は見たんだ」
その時の記憶が甦ったのか、陰鬱な表情で艦長は窓の外に見える後続の姉妹艦群を眺めた。
左右に無数の砲を並べたくろがねの城が、列をなして威風堂々と海を進む光景は壮観だ。
数に頼んだ過信だけではない。風は北北西から吹いており、艦隊の大半を占める帆船にとって戦術的に有利な風上にある。
主力艦の砲撃を浴びせ、残った敵はガレアス船による触角攻撃と接舷しての白兵戦で掃討する、仮に海戦の定石通りに進めば確かに赤子の手をひねるようなものだ。
先ほど総司令官と幕僚達の間から漏れ聞こえた話では、この作戦は海賊の掃討そのものより、新造艦のお披露目と、連合海軍への参加を拒んでいるトメニア帝国への示威を狙ったものらしい。
しかし、行く手に待ち受ける魔力兵器と対峙した時、果たしてそんな余裕が残っているのか怪しいものだが…………
「先行する第三戦隊より発火信号! 敵船団を視認!」
艦橋見張り員の声が響き、艦長は我に返る。
副長と共に走って艦橋に向かい、部下の双眼鏡をひったくると、艦長は前方の水平線に目を凝らした。
いた。二時の方向。
数は情報通りおよそ一二隻。
その内一一隻は、ごく普通のスループ船だった。小型で足が速く、海賊が好んで使う類の船だ。
だが、問題なのは残りの一隻だった。
それは、艦長がこれまでに見たことの無い形をした船だった。
平たくて大きい。恐らくはこのゴルディート級の三倍はあるだろう。
船の上には帆柱のようなものは無く、その代わりに、傘を広げたような大きな機械が甲板に据え付けられている。
「おや、あちらからお出ましとは都合が良い」
遅れてやってきた艦隊総司令官が満足げな笑みを浮かべる。
「閣下、危険です。敵の能力がまだ十分に明らかになっていません。ここは艦隊を後退させ、作戦を立て直すべきでは」
艦長は、分をわきまえていないことを承知で具申した。
「貴様、閣下に意見するつもりか!」
「海賊ごときを相手に怖気付いたのかね!」
作戦幕僚達が艦長の進言を一蹴する。司令官は大袈裟な手振りで命令した。
「各戦隊に砲撃準備命令を。第三戦隊は針路そのまま、第一・第二戦隊は取り舵、三日月の陣形で敵船団を半包囲するのだ」
「…………。右砲戦用意! 取り舵!」
「了解! 右砲戦用意! とーりかーじ!」
やむなく艦長が指示を出し、操舵手が艦首を左に向ける。
総員戦闘配置の鐘が艦内に鳴り響く。
「第三戦隊、まもなく敵船団を射程にとらえます!」
その時だった。
海賊船に据え付けられた傘のような機械が、翠色に発光した。
光は徐々に大きくなり、そして。
目のくらむような閃光と、耳をつんざくような轟音がユーライアス艦橋を襲った。