第4章(8)喧嘩しないで下さい、お刺身いっぱいありますから!
文字数 2,989文字
〈……北洋キリキア沖の海上で民間船舶の襲撃を繰り返していた海賊に対して今日、世界連合海軍による大規模な掃討作戦が行われました。戦闘に関する詳しい情報は入ってきておりませんが、作戦を指揮したティレニア連邦海軍のマルケルス軍令部議長は先程記者会見を行い、『作戦は成功し、犯罪者の脅威は取り除かれた』と発表しました〉
〈この海賊は魔力変換機関拡散防止条約に違反する兵器で武装しているとされ、これまで海上警察による取締りが難航していましたが、今日の海戦で連合海軍に大きな被害はありませんでした。今後、逮捕した海賊や拿捕した海賊船の調査から、違法な魔力兵器の入手経路の解明が進むとみられています〉
〈なお、当海域では海賊の残存勢力がいないか、連合海軍とトメニア帝国海軍が共同で捜索活動にあたっているため、一昨日世界連合政府が発令した一般船舶の航行規制は未だ解除されていません〉
新聞社の速報を流す通信機にかじりついていたシャンタニは、怒り心頭に達して通信機を壊さんばかりに揺さぶった。
「何故じゃ! 何故に妾たちの手柄だと報道せんのじゃ! これでは何のために危険な目に遭うたかわからぬではないか!」
「……別に褒められるために『ガルーダ』に乗ってるわけじゃないけど、嘘を流すのは気に入らないな」
そのシャンタニの襟首を掴んで通信機から遠ざけながら、ナターシャも顔をしかめる。
「まあまあ……ほら、お食事の用意ができましたよ~」
大皿を運んできたのどかが能天気な声で二人を呼ぶ。
開放され陽光が燦々と降り注ぐ『エピメテウス』の飛行甲板には食卓がしつらえられ、沢山のフォークとのどか用の箸がおいてあった。
「ういー……ひっく、のどかぁ、早く麦酒持ってこ~い」
食卓の横では、既に完全にできあがったディータが大の字になり、くぐもった声で寝言を発していた。
「中佐殿! もう……このままじゃ後で日焼けして痛くなりますよ」
ナターシャは呆れ顔で、近くにあった布を引き寄せる。
「ナターシャ……」
布をかけようとしたところで、声に反応したのか、ディータの寝言にナターシャの名前が混じる。
「なんですか、中佐殿?」
「本当に良かった……生きて帰って……良かった」
それきりディータは本格的にいびきをかき始める。
「中佐殿……ありがとうございます」
ナターシャは優しく布をかけた。
「あれれ、ディータさん寝ちゃったんですか? お刺身楽しみにしてたのに」
のどかが運んできた大皿を食卓に置く。
色彩豊かな鮮魚の切り身が芸術的に盛り付けられている、初めて見る料理にナターシャは目を丸くした。
「おお……見事だなのどか!」
自分にはとてもこんな繊細な包丁さばきは出来そうにない、これがヤマトに伝わるブシドーに違いないと、ナターシャはいささか誤った感慨を抱いた。
「しかし自分の故郷では、川で釣った魚を火を通さずに食べると叱られたが、本当に生で食べて大丈夫なのか?」
「海のお魚は大丈夫ですよ」
「のどかがそう言うなら間違いないだろう。シャンタニ、君もいつまでも怒っていないで……ああっ!」
気付けばいつの間にか席について、先に刺身にありついているシャンタニの姿がそこにあった。
「もぐもぐ……ふむ、魚を生で食す、こういうのもあるのか! とれたてなのは勿論、釣ってすぐに血抜きをせねばこの鮮度は保てん。でかしたの。じゃが、味付けがしてないと沢山は食えんな」
「沢山食わなくていい!」
力いっぱいつっこむナターシャ。
「まあまあ、喧嘩しないで下さい。お刺身はいっぱいありますから」
のどかは今度は、人数分の小皿と何やら黒い液体が入った瓶を運んできた。
「ん、何じゃそれは?」
シャンタニが黒い液体に珍しそうな顔をする。
「船の調理場の方に分けてもらいました。ティレニアの食卓には必ずある魚(ぎょ)醤(しょう)で、ガルムっていうそうです。大きなお魚の内臓を甕に入れて、その上にヒメジやイワシみたいな小魚をいっぱい積み重ね、塩をいっぱい混ぜて発酵させて、後は天日で干すとこの汁が下にたまるんだそうです」
「なんと!」
「これをお醤油の代わりにつけて食べましょう。あ、軽くつける感じでいいですからね」
のどかから差し出された小皿の液体を、言われた通り薄くつけて、シャンタニは鯛の刺身を一切れ口に入れる。
「おほっ! これは旨いのう! まるで口の中を海の潮風が吹き抜けていくようじゃ!」
「誰がうまいことをいえと……」
ナターシャの苦言を無視してシャンタニは感激する。
鯛の身はよく締まっていて歯応えが良く、淡白な味の中にも脂の旨味がある。それにガルムをつけたことで、旨味が舌の上で一層豊かになったのだ。
「えへへ、気に入ってもらえて良かったです! 白身魚にはお好みでレモン汁もつけて、光物は摩り下ろした生姜と一緒にガルムにつけて召し上がって下さいね」
「ほほう、薬味にまでこの細やかな気配り! 材料も限られておったろうに大したものじゃ、そなたをバーラトの宮廷料理長に推挙するぞ!」
「だから、勝手に一人で食べるんじゃない! 中佐殿やレーネの分も……あれ、レーネはどこへ行った?」
ふとレーネがいないことに気付いて、ナターシャが辺りを見回す。
「ちょっとお部屋に用事があるみたいです。すぐ戻るって言ってましたよ」
のどかが答えた。
「そうか、なら良い。こらシャンタニ、いい加減にしないか!」
「やかましい。ものを食す時はの、誰にも邪魔されず自由でなんというか救われていなければいかんのじゃ、独りで静かで豊かで……」
「海に叩き落とされたいか貴様!」
「もう、喧嘩は止めて下さい! 喧嘩する人には、お魚のアラ汁あげませんよ!」
盛り上がる三人がすっかり忘れ去った通信機は、けなげに報道を流し続けている。
〈……次のニュースです。ネオポリスで開かれていた世界連合魔力管理委員会の定例会は、ランズベルク共和国のリープクネヒト委員長が提出した補正予算案を全会一致で可決し閉会しました。今回、華国の魔力使用削減努力に依然不透明な部分が多いとしてティレニア連邦が示唆していた拒否権の行使は無く、この補正予算案可決によって特別荒廃現象拡大地域、通称『ムア』に指定された被災国家への追加支援計画に加え、技術革新による魔力使用量削減のための研究開発費、違法な魔力使用を摘発するための活動を専門に行う常設の多国籍部隊の設立などが正式に認められることとなり、『ムア』問題解決に向けた世界連合政府の取り組みは大きく前進することになりそうです〉
〈また、委員会閉会後に行われたリープクネヒト委員長とティレニア連邦代表との会談でティレニア連邦代表は、同国がこれまで難色を示してきた世界連合政府の加盟国分担金支払いについて、今後は遅滞なく履行するよう本国政府が調整に入ったことを明らかにし、リープクネヒト委員長はこれに感謝の意を表しました。計画負担割合が加盟国全体のおよそ二五パーセントを占めるティレニア連邦が仮に支払いに応じれば、現在資金面から実施が危ぶまれているバーラトやノヴゴロドなど被災国への本格的な支援が可能に……〉
〈この海賊は魔力変換機関拡散防止条約に違反する兵器で武装しているとされ、これまで海上警察による取締りが難航していましたが、今日の海戦で連合海軍に大きな被害はありませんでした。今後、逮捕した海賊や拿捕した海賊船の調査から、違法な魔力兵器の入手経路の解明が進むとみられています〉
〈なお、当海域では海賊の残存勢力がいないか、連合海軍とトメニア帝国海軍が共同で捜索活動にあたっているため、一昨日世界連合政府が発令した一般船舶の航行規制は未だ解除されていません〉
新聞社の速報を流す通信機にかじりついていたシャンタニは、怒り心頭に達して通信機を壊さんばかりに揺さぶった。
「何故じゃ! 何故に妾たちの手柄だと報道せんのじゃ! これでは何のために危険な目に遭うたかわからぬではないか!」
「……別に褒められるために『ガルーダ』に乗ってるわけじゃないけど、嘘を流すのは気に入らないな」
そのシャンタニの襟首を掴んで通信機から遠ざけながら、ナターシャも顔をしかめる。
「まあまあ……ほら、お食事の用意ができましたよ~」
大皿を運んできたのどかが能天気な声で二人を呼ぶ。
開放され陽光が燦々と降り注ぐ『エピメテウス』の飛行甲板には食卓がしつらえられ、沢山のフォークとのどか用の箸がおいてあった。
「ういー……ひっく、のどかぁ、早く麦酒持ってこ~い」
食卓の横では、既に完全にできあがったディータが大の字になり、くぐもった声で寝言を発していた。
「中佐殿! もう……このままじゃ後で日焼けして痛くなりますよ」
ナターシャは呆れ顔で、近くにあった布を引き寄せる。
「ナターシャ……」
布をかけようとしたところで、声に反応したのか、ディータの寝言にナターシャの名前が混じる。
「なんですか、中佐殿?」
「本当に良かった……生きて帰って……良かった」
それきりディータは本格的にいびきをかき始める。
「中佐殿……ありがとうございます」
ナターシャは優しく布をかけた。
「あれれ、ディータさん寝ちゃったんですか? お刺身楽しみにしてたのに」
のどかが運んできた大皿を食卓に置く。
色彩豊かな鮮魚の切り身が芸術的に盛り付けられている、初めて見る料理にナターシャは目を丸くした。
「おお……見事だなのどか!」
自分にはとてもこんな繊細な包丁さばきは出来そうにない、これがヤマトに伝わるブシドーに違いないと、ナターシャはいささか誤った感慨を抱いた。
「しかし自分の故郷では、川で釣った魚を火を通さずに食べると叱られたが、本当に生で食べて大丈夫なのか?」
「海のお魚は大丈夫ですよ」
「のどかがそう言うなら間違いないだろう。シャンタニ、君もいつまでも怒っていないで……ああっ!」
気付けばいつの間にか席について、先に刺身にありついているシャンタニの姿がそこにあった。
「もぐもぐ……ふむ、魚を生で食す、こういうのもあるのか! とれたてなのは勿論、釣ってすぐに血抜きをせねばこの鮮度は保てん。でかしたの。じゃが、味付けがしてないと沢山は食えんな」
「沢山食わなくていい!」
力いっぱいつっこむナターシャ。
「まあまあ、喧嘩しないで下さい。お刺身はいっぱいありますから」
のどかは今度は、人数分の小皿と何やら黒い液体が入った瓶を運んできた。
「ん、何じゃそれは?」
シャンタニが黒い液体に珍しそうな顔をする。
「船の調理場の方に分けてもらいました。ティレニアの食卓には必ずある魚(ぎょ)醤(しょう)で、ガルムっていうそうです。大きなお魚の内臓を甕に入れて、その上にヒメジやイワシみたいな小魚をいっぱい積み重ね、塩をいっぱい混ぜて発酵させて、後は天日で干すとこの汁が下にたまるんだそうです」
「なんと!」
「これをお醤油の代わりにつけて食べましょう。あ、軽くつける感じでいいですからね」
のどかから差し出された小皿の液体を、言われた通り薄くつけて、シャンタニは鯛の刺身を一切れ口に入れる。
「おほっ! これは旨いのう! まるで口の中を海の潮風が吹き抜けていくようじゃ!」
「誰がうまいことをいえと……」
ナターシャの苦言を無視してシャンタニは感激する。
鯛の身はよく締まっていて歯応えが良く、淡白な味の中にも脂の旨味がある。それにガルムをつけたことで、旨味が舌の上で一層豊かになったのだ。
「えへへ、気に入ってもらえて良かったです! 白身魚にはお好みでレモン汁もつけて、光物は摩り下ろした生姜と一緒にガルムにつけて召し上がって下さいね」
「ほほう、薬味にまでこの細やかな気配り! 材料も限られておったろうに大したものじゃ、そなたをバーラトの宮廷料理長に推挙するぞ!」
「だから、勝手に一人で食べるんじゃない! 中佐殿やレーネの分も……あれ、レーネはどこへ行った?」
ふとレーネがいないことに気付いて、ナターシャが辺りを見回す。
「ちょっとお部屋に用事があるみたいです。すぐ戻るって言ってましたよ」
のどかが答えた。
「そうか、なら良い。こらシャンタニ、いい加減にしないか!」
「やかましい。ものを食す時はの、誰にも邪魔されず自由でなんというか救われていなければいかんのじゃ、独りで静かで豊かで……」
「海に叩き落とされたいか貴様!」
「もう、喧嘩は止めて下さい! 喧嘩する人には、お魚のアラ汁あげませんよ!」
盛り上がる三人がすっかり忘れ去った通信機は、けなげに報道を流し続けている。
〈……次のニュースです。ネオポリスで開かれていた世界連合魔力管理委員会の定例会は、ランズベルク共和国のリープクネヒト委員長が提出した補正予算案を全会一致で可決し閉会しました。今回、華国の魔力使用削減努力に依然不透明な部分が多いとしてティレニア連邦が示唆していた拒否権の行使は無く、この補正予算案可決によって特別荒廃現象拡大地域、通称『ムア』に指定された被災国家への追加支援計画に加え、技術革新による魔力使用量削減のための研究開発費、違法な魔力使用を摘発するための活動を専門に行う常設の多国籍部隊の設立などが正式に認められることとなり、『ムア』問題解決に向けた世界連合政府の取り組みは大きく前進することになりそうです〉
〈また、委員会閉会後に行われたリープクネヒト委員長とティレニア連邦代表との会談でティレニア連邦代表は、同国がこれまで難色を示してきた世界連合政府の加盟国分担金支払いについて、今後は遅滞なく履行するよう本国政府が調整に入ったことを明らかにし、リープクネヒト委員長はこれに感謝の意を表しました。計画負担割合が加盟国全体のおよそ二五パーセントを占めるティレニア連邦が仮に支払いに応じれば、現在資金面から実施が危ぶまれているバーラトやノヴゴロドなど被災国への本格的な支援が可能に……〉