第3章(2)理想筐体

文字数 4,592文字

〈久しぶりですね、レーネ〉

 通信機から聞こえてきたのは、いかなる時も静謐で泰然とたたずむあの人の声だった。

「セシリア様」

 まるで目の前に本人がいるかのように、レーネ・シュタールはぴんと背筋を伸ばす。

〈トメニア軍が動いたとの情報が入りました。もうあまり時間がありません〉

「はい」

〈『アパレティエーター』の準備はできていますね?〉

「はい」

〈では、使用を〉

「…………」

 心から尊敬する上司、新しい人生を与えてくれた恩人の言葉であるにも関わらず、レーネは返答を一瞬躊躇った。

 攻性魔力変換装置・『アパレティエーター』。

 それは、『フォレスタ』が誇る『ガルーダ』を筆頭とした正面装備をもってさえ解決困難な事態を想定して極秘裏に用意された、文字通りの最終兵器だ。
 使用すれば光線砲を積んだ海賊船は、周囲の船団、そして残されている『ガルーダ』一番機もろとも、一瞬でこの世から消滅する。
 そこに乗っているナターシャ・スミルノワも、例外ではない。

〈気の毒ですが、『ガルーダ』を敵に渡すわけにはいかないのです。軍人のスミルノワ少尉なら、恐らく覚悟はできているでしょう〉

 黙り込んだレーネの心境を察したのか、セシリア・リープクネヒトは諭すように言った。
 これにはレーネも同意せざるを得なかった。
 『ガルーダ』は『フォレスタ』技術部の魔力技術の粋を集めて開発した、機動性において画期的な飛行機械だ。
 その技術が、人命を奪うことに全く躊躇せず『ムア』の被害も顧みない人間達の手に渡ればどのような悲劇をもたらすか、想像するのも恐ろしい。
 今、シャンタニの二番機は損傷して離脱し、ナターシャと一番機は海賊に包囲されて動けない。
 そして海賊船は、連合政府も『フォレスタ』も容易には手が出せないトメニア帝国の勢力圏に入ろうとしている。『エピメテウス』が全力で追いかけても間に合わないだろう。
 こうなってしまった以上、一番機は破壊するべきだった。セシリアの言うことは正しいと、レーネの理性が告げている。
 しかし一方で、それを受け入れることを拒む感情があった。

〈スミルノワ少尉は、友達だったのですか?〉

「いいえ……」

 予想していなかったセシリアの質問に戸惑いながらレーネは否定して、それから何故かふと、涼宮のどかの言っていたことを思い出し、小声で付け加えた。

「……ですが、これから友達になれるかもしれない人でした」

〈そうですか〉

 通信機の向こうで、セシリアが立ち上がる衣擦れの音がした。

〈それでも、私達は世界に対して責任を負っているのです〉

「……はい」

 レーネはうなだれ、静寂が訪れる。
 姿は見えないが、セシリアは彼女が考え事をする時いつもそうするように窓辺に立って外を眺めているのだろうなと、レーネは思った。
 数秒後、再びセシリアの声がした。

〈問題の海賊船が、最短の航路でトメニア占領下の南キリキア沿岸を目指すとして、後四〇分です。それまでに事態が解決されていることを期待します〉

 通信はそこで切られた。
 レーネは通信機……司令塔に設置された大型のものではなく、レーネが技術部から出向する時に密かに持参したセシリアとのホットライン……をたたんで元あった寝台の下にしまうと、自室を出て格納庫に向かう。
 格納庫では、既に発進準備を終えた『ガルーダ』三番機がレーネを待っていた。
 他の『ガルーダ』は機首がとがっていて胴体もしなやかな流線型をしているのに、その機体は装甲が分厚くずんぐりとしていた。
 機関砲や噴進弾筒のような火器装備も無く、その代わりに使い捨ての魔力備蓄管の束と、長い槍のような奇妙な物体が胴体下に吊り下げられている。
 『アパレティエーター』を運用するために自らが試作した不恰好な機体を、レーネは醜いと思った。

 ほんの少し前、この場所でナターシャと言葉を交わした時の記憶が甦り、レーネの心を深くえぐる。
 他に道は無い。
 世界を『ムア』から守る、戦犯であるはずのレーネ・シュタールが刑を猶予されてここにいる理由はそれ以上でも以下でも無かった筈だ。
 そう言い聞かせて自分を律した。
 与えられた任務に集中しようとした。
 今から自分がやろうとしているのが仲間の命を奪うことで、あの憎まれ口をもう聞けなくなってしまうことで、そして本当の気持ちも伝えないままもう二度と会えなくなってしまうことだと考えないようにした。
 レーネはいつも着ている白衣を脱いだ。
 下にあらわれたのは、『ガルーダ』の操縦士のためにつくられた黒い防護服だ。
 操縦席へとたてかけられた梯子に足を乗せる。
 その時後ろから、誰かの呼び声がした。

「レーネさーん!」

 レーネが振り向くと、涼宮のどかが息を切らしてこちらへ駆けて来る。

「あら、涼宮さん……見送りにきてくれたの?」

 レーネは努めて普段と同じようにのどかに話しかける。

「ナターシャさんを助けに行くんですか?」

 のどかの黒い瞳が真っ直ぐにレーネを見ていた。
 レーネは一瞬躊躇ってから、首を横に振った。
 隠してもどうせすぐにわかることだ。

「いいえ。残念だけど、スミルノワさんはもう助からないわ。任務を最後まで遂行するために、海賊の中に取り残されてしまったの。けれど私達は、『フォレスタ』の機密が詰まった『ガルーダ』とスミルノワさんを彼等に渡すわけにはいかない」

 のどかは何を言われているのかよくわかっていない様子だった。
 レーネは紅を引いた唇の端を吊り上げ、わざと酷薄な笑みを浮かべてみせる。
 いつもそうしてきたように。それが自分の役割だから。

「私の機体は特殊な装備を積んでいるの。対空誘導弾のはるか射程外から攻撃ができて、標的を中心に半径三〇〇〇キュピトにある物は全て跡形も残らないわ。スミルノワさんは可哀想だけど、仕方が無いことよ。……それじゃ」
「待って下さい!」

 梯子を登ろうとしたレーネの肩を、のどかのそこはかとなく魚臭い手が掴んだ。

「今の、どういう意味ですか! ナターシャさんが死んじゃうってことですか!」
「そうよ」
「そんな……そんなの嫌です! レーネさんは平気なんですか、ナターシャさんが死んじゃっても!」
「別に。他にもう打つ手が無いし、それに、知っての通り私はスミルノワさんとはあまり仲良くなかったから個人的にも特に思うところは無いわ」
「……だったらレーネさん、どうして泣いてるんですか」
「え? 何を言って」

 のどかに指摘されて初めてレーネは、自分の目から冷たいものが頬を伝っているのに気付き、言葉を失った。
 慌てて手でぬぐう。
 しかし、抑えようとすればするほど、涙はとめどなく溢れてくる。
 まるで、心の中にいるもう一人の自分が抗議しているかのようだった。

「ど、どうしちゃったのかしら、私……悲しくなんかないのに……そう、きっと花粉症ね……」

 経験したことの無い現象に、レーネはうろたえた。

「お願いします、わたしも『ガルーダ』で行かせて下さい! ナターシャさんを助けたいんです!」

 のどかは今度はレーネの手を握り締めて懇願する。
 真っ直ぐだな、とレーネは思う。
 まだ幼くて分別がついていないと笑うのは簡単だ。
 でも、まだ出会って間もない人のためにここまで懸命になれるのどかが、涙で霞んだレーネの目にはまぶしかった。

「無理よ……操縦の基本をちょっと学んだだけで、実際に飛ばしたことも無いのにいきなりなんて……。私だって技術畑の人間だから、飛んで帰ってくるのが精一杯で複雑な戦闘機動は自信が無いわ」
「そんなの、がんばれば何とかなりますよ!」
「精神論ではどうにもならないわ。海賊が優れた対空誘導弾を装備しているのは聞いたでしょう? 貴女は知らないだろうけど、シャンタニさんは運動神経抜群で、単機での『ガルーダ』の操縦にかけては隊で一番の才能があるの。その彼女でも避けきれなかったのよ、空から行くのは、自分から餌食になるようなものよ」

 思いとは裏腹に、レーネの理性はのどかを否定する。
 それでものどかは引き下がらない。

「じゃあ、空から行かなければいいんですよね?」
「空から行かなければいいって、一体何を……」

 困惑するレーネに、のどかは自分が思いついた案を話した。
 話を聞いて、レーネは目を丸くした。

「……正気?」
「理論上はできるはずです」
「……そ、それはまあ確かに『エルデマクト』は自然界のどこにでも流れてるわよ? この艦の高速推進の原理もそれだわ。でも……『ガルーダ』はそんなことができるようには設計されていないの、機体が保たないわ」

 『ガルーダ』を開発した責任者としてはとても承知できない無謀な案だったが……。

「やってみなければわかりません!」

 そう言うとのどかは、三番機の横に駐機してあった『ガルーダ』四番機に勝手に乗り込んだ。

「無茶よ!」

 止めさせようとして近付いたレーネは、四番機に偶然つないであった観測機器のメーターに気付いて驚愕する。

(生体同期率が十割以上?)

 魔力防壁の展開など緊急時の制御を補助するため搭載してある生体同期装置の計測器が、測定できる値の上限を振り切っている。
 レーネは『適合者』としての規定値ぎりぎりの五割、ナターシャで六割三分、あのシャンタニでも六割九分だというのに。
 最初は観測機器の故障を疑ったが、調べても異常は見当たらない。
 レーネの脳裏を、ある言葉がよぎった。
 『理想筐体』。
 そもそも、『ガルーダ』の操縦士が女性に限定されている理由は何か。
 体重が軽いことは機体の軽量化のために必要だが男性を排除する決定的な要因ではないし、また世界連合政府が推進する女性の社会進出促進のためでもない。
 理由はひとえに戦闘時における『ガルーダ』の機動性と生存率の向上のため、生体同期装置を最大限有効に使える操縦士を求めているからだ。
 生体同期とは人体が発する『エルデマクト』の振動の伝播を信号として読み取ることであり、筋肉が少ない女性の方が信号の読み取りに誤差が生じない。
 それも、女性なら誰でも良いというわけではない。
 魔力技術の出発点である『エルデマクト・リアクター』は、その両極にかける圧力と発生する熱量との複雑な関係式から、『エルデマクト』が魔力に変換される臨界圧力を紡ぎ出す。関係する数値に一つでも狂いがあれば、求める魔力を引き出すことはできない。
 人体が発する信号を読み取るプロセスもまた単純ではなく、信号である以上どこかに不都合な歪みがあれば雑音が生じる。しかも何がどうして不都合なのかは未解明なところが大きい。
 生体同期は、未だ不完全な技術なのだ。
 だがもし、そうした歪み無く、完璧に自分の意識を生体同期に反映させられる体格、『理想筐体』の持ち主が、机上の空論でなく本当にいたとしたら。
 魔力防壁を自在に張り巡らし、操ることができたとしたら。

「……いける!」

 レーネの小さな呟きに、のどかは首を傾げた。
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