第1章(2)待ち合わせは忠犬マリー像の前で
文字数 2,653文字
「えー何々……涼宮 のどか、身長は三キュピトで小柄、黒い髪と黒い目、東方系だが肌は白っぽくて、髪型はおかっぱ頭だあ? ……おいおいここはビブロスだぜ? 色や髪型だけで特定しろとか、無茶ぶりも大概にしろよ」
ティレニア連邦経済特区ビブロスの陸の玄関、ラフィク・ハリリ駅。
大勢の商人や旅行者でごった返す駅前広場のとある銅像の前で、悪態をつきながらうろつく一人の女がいた。
歳は二〇代の半ばといったところか。
目つきの悪さと乱暴な口調のせいで街のチンピラのように見えなくもないが、日焼けした肌の上にだらしなく着込んだ紺の詰襟は、三年前に設立された世界連合軍の将校用の制服だった。
とはいっても腰には正規の軍刀ではなく、刀身が大きく湾曲した珍しい短刀をさしている。
「あーあ、でもこれで会えませんでしたってことになったら金髪さん怒るだろうしなあ……」
手にした紙切れを見下ろし、頭をぽりぽりとかく。
独り言をぶつぶつと呟く女を怖れて通行人が皆避けて通るため、いつの間にか雑踏の中で女の周りだけ空間ができている。
柄の悪さはさておき、女が今困っていることは至極もっともだった。
ここビブロスは、北洋で三本の指に入る国際都市だ。
特に、先の大戦まで北洋経済の中心として栄えていたティルス市が戦火に見舞われてからは、多くの商人がこちらに拠点を移し、今も世界中からありとあらゆる人種の老若男女が集まっている。
だからこの都市で、大雑把な外見の情報だけで初対面の人間を探すというのはあまり賢明ではない。
例えば東方系で肌がやや白いのは、東の人間でも北部に住まう民族の特徴だが、生憎と世界一人口が多いとされる東方の大国、華国の人民のほとんどがこの分類に当てはまる。
待ち合わせ場所が華人街でなかったことがせめてもの救いだった。
「こうなったら大声で名前を呼んで歩くか? それもみっともねえしなあ……あ、そうだ、旅行会社の案内人みたくでかい板に名前書いて持ってりゃいいじゃねえか! 何でこんなことに気付かなかったんだろあたし」
女がどこかに板があったら拝借しようと辺りを見回した時、ふと遠くの噴水の近くに立ってきょろきょろと誰かを探している少女の姿が目に入った。
重そうな荷物を抱え、東方風の着物姿、黒髪でおかっぱ、そして小柄だ。
「あれ、ひょっとして……」
その少女に、中年の身なりの良い男が近付いて話しかけているのが聞こえる。
「お嬢ちゃんひとりかい?」
「は、はい! あ、あの、ひょっとして『フォレスタ』から迎えに来て下さった方ですか?」
「ん? ……ああ、勿論そうだとも。さ、私について来なさい」
「はい! よ、よろしくお願いします!」
「ちょおおいと待ったあ!」
男が少女の手をとる寸前に、土煙を上げて疾走してきた女が二人の間にずざざざーっと割って入る。
「わわっ!」
「ん? 何だね君は……」
「悪いなあおっさん。この子はあたしに用があるんだ。とっとと消えうせな」
驚いている少女を背に女がそう告げると、温和だった男の顔が豹変する。
「ふん……軍人崩れがいきがるんじゃないぞ。戦争が終わってひもじくなったからって他人様のシノギに手を出すと容赦は……うっ!」
男が喋ることができたのはそこまでだった。
首筋にひんやりとした感触。
いつの間に抜いたのか、短刀を片手に女が冷たく微笑んでいる。
「これ以上そこで交尾中の豚みたいな雑音をあたしに聞かせてっと、あんたの口と胴体とが離れ離れで『ひもじい』思いをすることになるぜ?」
女の声は低く、通行人は誰も気がつかない。
刃先が皮膚に食い込み、男は声にならない呻きを発し脂汗を流した。
「ふふっ、命は大事にしなくっちゃなあ……あばよ」
短刀を構えた逆手の甲で胸をとんと突くと、男は転がるように逃げて行った。
抜いた時と同じように一瞬で短刀を腰の鞘に戻すと、女はおかっぱの少女に向き直る。
「お前が涼宮のどかだな?」
「え……あっ、はい!」
少女は目を丸くしていて、今自分の前で何が起こったかもわかっていない様子だった。
「……危ないところだったな」
「危なかったんですか? あ、それよりさっきの人は……」
「あいつは人さらいだ! 連合政府が南方のバルバロイを奴隷にするのを禁じたもんだから、今みたいにそこらの女子どもをだれかれ構わず誘拐しちゃあ売り飛ばす犯罪がこの街じゃ横行してるんだよ。そもそも、お前の名前も知らないような男が『フォレスタ』の迎えなわけがねえだろーが! ホイホイついてくなんてどうかしてるぜ」
女は少女を睨んで語気を強める。
もっとも、さっきの男とやりあっていた時のような冷たい声色ではなかったが。
「そ、そうだったんですか……ごめんなさい、わたし……」
「大体、もらった紙に忠犬マリーの像の前で待ち合わせって書いてあったはずだろ? どうしてそこに来なかった?」
「それが……探したんですが見つけられなくて……どこにあるんですか、その犬の像?」
「目の前にあるじゃねーか! ほらあれだよあれ!」
女は先ほどまで自分がいた場所に立つ犬の銅像を指差す。
少女は銅像を一瞥して、怪訝そうな顔をする。
「え……だってあの像、耳が垂れてるじゃないですか。犬じゃなくて何か別の動物ですよね、あれ」
「こっちの犬はみんなああなんだよ! ……もしかして、お前の国には耳がおっ立った犬しかいねえのか?」
「はい。わたしの家のシロも、こんな風に耳がぴんってしてます」
そういって自分の両手で犬の耳を再現してみせる少女に、女はそれ以上怒る気力を失った。
「ったく……まあいい、立ち話もなんだしな。ほら、貸しな」
少女の重い荷物をひったくると、女はさっさと歩き出す。
「あ、ありがとうございます! えっと……」
頭を下げかけて少女が言いよどむ。
そういえば自分の名前をまだ教えていなかったと、今更ながらに女は思い出した。
「おっと悪い、自己紹介がまだだった。あたしはディータ・イル・マヌーク。『フォレスタ』のメンバーだ。ディータって呼んでくれて構わないんだぜ」
「はい、ディータさん! よろしくお願いします!」
何だか聞いているこちらまで元気になりそうな挨拶だ。
「おう! よろしくな、のどか」
にっと笑ってディータは答えた。
ティレニア連邦経済特区ビブロスの陸の玄関、ラフィク・ハリリ駅。
大勢の商人や旅行者でごった返す駅前広場のとある銅像の前で、悪態をつきながらうろつく一人の女がいた。
歳は二〇代の半ばといったところか。
目つきの悪さと乱暴な口調のせいで街のチンピラのように見えなくもないが、日焼けした肌の上にだらしなく着込んだ紺の詰襟は、三年前に設立された世界連合軍の将校用の制服だった。
とはいっても腰には正規の軍刀ではなく、刀身が大きく湾曲した珍しい短刀をさしている。
「あーあ、でもこれで会えませんでしたってことになったら金髪さん怒るだろうしなあ……」
手にした紙切れを見下ろし、頭をぽりぽりとかく。
独り言をぶつぶつと呟く女を怖れて通行人が皆避けて通るため、いつの間にか雑踏の中で女の周りだけ空間ができている。
柄の悪さはさておき、女が今困っていることは至極もっともだった。
ここビブロスは、北洋で三本の指に入る国際都市だ。
特に、先の大戦まで北洋経済の中心として栄えていたティルス市が戦火に見舞われてからは、多くの商人がこちらに拠点を移し、今も世界中からありとあらゆる人種の老若男女が集まっている。
だからこの都市で、大雑把な外見の情報だけで初対面の人間を探すというのはあまり賢明ではない。
例えば東方系で肌がやや白いのは、東の人間でも北部に住まう民族の特徴だが、生憎と世界一人口が多いとされる東方の大国、華国の人民のほとんどがこの分類に当てはまる。
待ち合わせ場所が華人街でなかったことがせめてもの救いだった。
「こうなったら大声で名前を呼んで歩くか? それもみっともねえしなあ……あ、そうだ、旅行会社の案内人みたくでかい板に名前書いて持ってりゃいいじゃねえか! 何でこんなことに気付かなかったんだろあたし」
女がどこかに板があったら拝借しようと辺りを見回した時、ふと遠くの噴水の近くに立ってきょろきょろと誰かを探している少女の姿が目に入った。
重そうな荷物を抱え、東方風の着物姿、黒髪でおかっぱ、そして小柄だ。
「あれ、ひょっとして……」
その少女に、中年の身なりの良い男が近付いて話しかけているのが聞こえる。
「お嬢ちゃんひとりかい?」
「は、はい! あ、あの、ひょっとして『フォレスタ』から迎えに来て下さった方ですか?」
「ん? ……ああ、勿論そうだとも。さ、私について来なさい」
「はい! よ、よろしくお願いします!」
「ちょおおいと待ったあ!」
男が少女の手をとる寸前に、土煙を上げて疾走してきた女が二人の間にずざざざーっと割って入る。
「わわっ!」
「ん? 何だね君は……」
「悪いなあおっさん。この子はあたしに用があるんだ。とっとと消えうせな」
驚いている少女を背に女がそう告げると、温和だった男の顔が豹変する。
「ふん……軍人崩れがいきがるんじゃないぞ。戦争が終わってひもじくなったからって他人様のシノギに手を出すと容赦は……うっ!」
男が喋ることができたのはそこまでだった。
首筋にひんやりとした感触。
いつの間に抜いたのか、短刀を片手に女が冷たく微笑んでいる。
「これ以上そこで交尾中の豚みたいな雑音をあたしに聞かせてっと、あんたの口と胴体とが離れ離れで『ひもじい』思いをすることになるぜ?」
女の声は低く、通行人は誰も気がつかない。
刃先が皮膚に食い込み、男は声にならない呻きを発し脂汗を流した。
「ふふっ、命は大事にしなくっちゃなあ……あばよ」
短刀を構えた逆手の甲で胸をとんと突くと、男は転がるように逃げて行った。
抜いた時と同じように一瞬で短刀を腰の鞘に戻すと、女はおかっぱの少女に向き直る。
「お前が涼宮のどかだな?」
「え……あっ、はい!」
少女は目を丸くしていて、今自分の前で何が起こったかもわかっていない様子だった。
「……危ないところだったな」
「危なかったんですか? あ、それよりさっきの人は……」
「あいつは人さらいだ! 連合政府が南方のバルバロイを奴隷にするのを禁じたもんだから、今みたいにそこらの女子どもをだれかれ構わず誘拐しちゃあ売り飛ばす犯罪がこの街じゃ横行してるんだよ。そもそも、お前の名前も知らないような男が『フォレスタ』の迎えなわけがねえだろーが! ホイホイついてくなんてどうかしてるぜ」
女は少女を睨んで語気を強める。
もっとも、さっきの男とやりあっていた時のような冷たい声色ではなかったが。
「そ、そうだったんですか……ごめんなさい、わたし……」
「大体、もらった紙に忠犬マリーの像の前で待ち合わせって書いてあったはずだろ? どうしてそこに来なかった?」
「それが……探したんですが見つけられなくて……どこにあるんですか、その犬の像?」
「目の前にあるじゃねーか! ほらあれだよあれ!」
女は先ほどまで自分がいた場所に立つ犬の銅像を指差す。
少女は銅像を一瞥して、怪訝そうな顔をする。
「え……だってあの像、耳が垂れてるじゃないですか。犬じゃなくて何か別の動物ですよね、あれ」
「こっちの犬はみんなああなんだよ! ……もしかして、お前の国には耳がおっ立った犬しかいねえのか?」
「はい。わたしの家のシロも、こんな風に耳がぴんってしてます」
そういって自分の両手で犬の耳を再現してみせる少女に、女はそれ以上怒る気力を失った。
「ったく……まあいい、立ち話もなんだしな。ほら、貸しな」
少女の重い荷物をひったくると、女はさっさと歩き出す。
「あ、ありがとうございます! えっと……」
頭を下げかけて少女が言いよどむ。
そういえば自分の名前をまだ教えていなかったと、今更ながらに女は思い出した。
「おっと悪い、自己紹介がまだだった。あたしはディータ・イル・マヌーク。『フォレスタ』のメンバーだ。ディータって呼んでくれて構わないんだぜ」
「はい、ディータさん! よろしくお願いします!」
何だか聞いているこちらまで元気になりそうな挨拶だ。
「おう! よろしくな、のどか」
にっと笑ってディータは答えた。