第2章(8)黒煙の空
文字数 3,660文字
キリキア沖、高度二〇〇〇キュピト。
空と海の間を滑るように、ナターシャとシャンタニの駆る二機の『ガルーダ』は目的地へ急ぐ。
最初に異変に気付いたのは、羅針儀と下の地形とを交互に睨んでいた一番機のナターシャだった。
〈あれは!〉
美しい島々が宝石のように散りばめられた珊瑚礁の向こう、水平線上に、黒い煙がいくつも立ち昇っている。
「……ちと、遅かったようじゃの」
二番機のシャンタニは溜め息をついた。
煙の数から、既に相当な数の船が沈められたようだった。
それも一〇隻や二〇隻ではない。膨大な数の死者が出ているのは間違いなかった。
〈あいつら、よくも!〉
ナターシャが激昂して、機体を一気に加速させる。
「これ、待たぬか!」
ナターシャを追って速度を最高の秒速七〇〇キュピトまで上げながら、シャンタニは出撃前にディータから受けた説明を頭の中で反芻した。
「光線兵器の砲塔は、三六〇度旋回できるようになってる。水平なら全方位を攻撃できるおっかねえ代物だが、唯一の死角は空だ。光ってのは砲弾と違って真っ直ぐに進むから、こいつには普通の大砲みたいな角度を調節する機能が無い」
出撃前。
『エピメテウス』の第一状況説明室で、ディータは『フォレスタ』情報部の報告を元に作成された外観図を指差しながら光線砲の特徴と弱点とを説明した。
「うふふ、そこで『ガルーダ』の出番というわけですね」
レーネが微笑む。
「そういうことだ。強制査察の段取りだが、まずナターシャの一番機が真上から降下して、火器と機械腕で光線砲を制圧。王女様の二番機は上空でナターシャを援護しつつ船体の周りを威嚇射撃、海賊船をこの場所まで誘導してくれ」
ディータは今度は、海図の一点を指差す。
シャンタニは怪訝な顔をした。
「誘導? どうしてじゃ」
「確実にとっ捕まえるための作戦さ。情報によると光線砲は外装が分厚くて、『ガルーダ』の装備じゃ完全な無力化は無理だしな。二人が飛び立った後、『エピメテウス』はここまで進出して潜望鏡深度で待ち伏せする。この辺りは海底の地形が複雑に入り組んでいて、気付かれる危険が少ない。で、問題の海賊船がやってきたら魚雷を発射、近接信管を用いて推進機関の至近で自爆させ、こいつを停船させる。後は付近の無人島で待機させてる『フォレスタ』の陸戦隊が突入して船内の海賊を一網打尽だ」
「中佐殿、光線砲を搭載した海賊船以外の一一隻にはどのように対処すれば?」
ナターシャが挙手して質問する。
「あー、そいつらは基本放置で。『フォレスタ』の実力行使が認められてる強制査察ってのは本来、魔力の不正利用を止めさせる目的に限定されてるからな。それに光線砲さえうちらが押さえれば、残りの雑魚は連合海軍の方で何とかしてくれるだろ。お前達は親玉に集中しろ。情報部によれば一一隻は普通のスループ船で武装も特殊なものは積んでないらしいし」
「了解しました」
「よっし、これで大まかなことは話したな。シュタール博士とのどかは艦内で待機だ。博士は例の用意を頼む。のどかは、そうだな、二人が帰ってくるまでにバーラト名物のカリーを……あ、いや」
シャンタニに睨まれてディータは慌てる。
「じゃ、じゃあヤマト料理を一品頼むぜ、シースーだっけ? 美味いらしいな、あれ」
「え……シースー?」
「うふふ……それはシースーじゃなくてスシですよ、中佐」
のどかが戸惑い、レーネがにこやかにツッコミを入れる。
平和な光景だった。
「そ、そうか。まあ単純な作戦だしちょろいぐらいだと思うが、初任務だし丁度いいか。二人とも気をつけてな!」
ディータは最後にそうまとめてブリーフィングを締めくくったのだった。
〈目標を視認した! 合図をしたら降下するぞ、メルワ准尉!〉
耳朶を打つナターシャの声でシャンタニは我に返った。
前方に海賊の船団が見える。
〈五…三…一…今!〉
ナターシャの一番機が、尖った機首を下げ直線降下に入る。
シャンタニも操縦桿を奥に押し込み、機体を降下させた。
下界はもはや地獄と化していた。
第三戦隊の全滅に続き第二戦隊でも多くの艦が海の藻屑と化し、辛うじて直撃を免れて海上にその原型を留める艦も、光線の熱に炙られて帆柱が燃え甲板は泡立ってささくれ立ち、一面に黒焦げになった水兵達の亡骸が転がっていた。重傷を負った者は海へ飛び込み、そのまま溺れ死んでいく。
後方に布陣しており唯一無傷だった第一戦隊は全滅を免れようと左右に散開したが、その後の三度目の攻撃によってやはり多数の艦が焼かれていた。
「……わしの失策だ」
ユーライアス艦橋。
艦隊総司令官クインタス・アリウス卿は力無くうなだれた。
「わしが判断を誤ったせいで、かけがえの無い多くの将兵を死なせてしまった」
取り巻きだった幕僚達は、態度を一変させて沈黙していた。
彼等の頭にあったのは、本国に帰ってからこの哀れな司令官独りに敗北の責任をとらせることだった。
失脚する運命にある人間を擁護すれば、自分の身も危うくなる。
ユーライアス艦長だけはそういう考え方をしていなかった。
「いえ閣下、我々は風上から敵に接近していました。視認可能な距離まで来ている段階で退却を命じていたとしても、反転に時間がかかり、受けた被害にさほど変化は無かったかもしれません。強いていうならば、会敵した時点で我々は負けていたのです」
「そうか……そうかもしれんな」
「閣下、どうかご決断を」
艦長の諫言に、司令官はついに頷いた。
「……撤退だ、敵兵器の射程より離脱する。全艦に伝えよ。傷付いた艦を艦隊の中央へ。殿はこのユーライアスが務める」
「はっ!」
発火信号が伝えられ、残存艦隊が反転を始める。
しかし。
「敵が速度を上げました!」
見張り員の悲痛な叫び。
海賊船団が加速して追撃を始めたのだ。
中でも、光線兵器を積んだ大型船の速さが突出している。
「恐らく『エルデマクト・リアクター』の力を推進機関にも使えるのでしょう。閣下、残念ですがこのままでは追いつかれます」
悔しいが、魔力推進に対して蒸気機関の出力では到底歯が立たない。
司令官はゆっくりと顔を上げ、艦長を見た。
「すまない艦長……ユーライアスのみ反転中止、針路を戻してくれ。それから、総員に退艦命令を。艦長、君もだ」
「何ですって?」
もしも艦が沈むような時は本来艦長が艦と運命を共にして責任をとるのが、旧ティルス共和国海軍以来の不文律だった。軍にとって貴重な人材である指揮官を失うという欠点からこの古い慣習は現ティレニア連邦の軍法では表向き明文化こそされていないが、それでもあくまで慣習に従うならば、誰かが『けじめ』をつける必要があった。
「責任をとるのはわし一人で十分だ。この艦を囮にする。稼げるのは一瞬だけだろうが、やってみる価値はあるだろう」
「閣下、どうか考え直して下さい」
「止めないでくれ、艦長。わしは生まれが貴族というだけで、気がついたら今の地位まで来てしまった無能な男だ。これまで一度も人の役に立ったためしなんてない。……上層部が、わしをこの作戦の指揮官に任命したのは、つまりはそういうことだったのかもしれん」
クインタス・アリウス卿は自嘲気味に笑う。
艦長は声を荒げた。
「責任を感じておられるなら、生きて本国に帰って二度とこんな馬鹿げた作戦が繰り返されないよう働いて下さい。閣下にはそれをやれる地位があるじゃないですか。大体、閣下がなさろうとしているのは自殺です。無駄に死んでいい人間なんて一人もおりません!」
その時だった。
見張り員が何かに気付いた。
「おい、あれは何だ?」
「見ろ、上を何か飛んでるぞ!」
艦橋の士官だけではない、甲板の水兵達にもざわめきが広がっていく。
艦長は何事かと艦橋から身を乗り出して空を仰いだ。
「艦長! 鳥のような奇妙なものが二体、本艦の上空を通過します!」
見張り員の上擦った声。
艦長は目を凝らして、否定の言葉を口にする。
「いや……鳥じゃない。あれは人工物だ」
それはとても小さくて、大戦中に造られたという噂の飛空艇には見えなかったが、しかし紛れも無く機械だった。
胴体から張り出した両翼が、陽射しを浴びて白銀に輝いている。
飛行機械が艦長達の頭上にあったのは、ほんの一瞬だった。
二機は一直線に海賊船団に向かい、そして一機が光線兵器を据え付けた海賊船めがけて急降下する。
直後、橙と白の二色の信号弾がそこから上がった。
「……あれは?」
顔を上げたクインタス・アリウス卿が信号弾を見て訝しげな顔をする。
見張り員が答えた。
「は、『我、敵拠点を制圧せり』との信号です」
空と海の間を滑るように、ナターシャとシャンタニの駆る二機の『ガルーダ』は目的地へ急ぐ。
最初に異変に気付いたのは、羅針儀と下の地形とを交互に睨んでいた一番機のナターシャだった。
〈あれは!〉
美しい島々が宝石のように散りばめられた珊瑚礁の向こう、水平線上に、黒い煙がいくつも立ち昇っている。
「……ちと、遅かったようじゃの」
二番機のシャンタニは溜め息をついた。
煙の数から、既に相当な数の船が沈められたようだった。
それも一〇隻や二〇隻ではない。膨大な数の死者が出ているのは間違いなかった。
〈あいつら、よくも!〉
ナターシャが激昂して、機体を一気に加速させる。
「これ、待たぬか!」
ナターシャを追って速度を最高の秒速七〇〇キュピトまで上げながら、シャンタニは出撃前にディータから受けた説明を頭の中で反芻した。
「光線兵器の砲塔は、三六〇度旋回できるようになってる。水平なら全方位を攻撃できるおっかねえ代物だが、唯一の死角は空だ。光ってのは砲弾と違って真っ直ぐに進むから、こいつには普通の大砲みたいな角度を調節する機能が無い」
出撃前。
『エピメテウス』の第一状況説明室で、ディータは『フォレスタ』情報部の報告を元に作成された外観図を指差しながら光線砲の特徴と弱点とを説明した。
「うふふ、そこで『ガルーダ』の出番というわけですね」
レーネが微笑む。
「そういうことだ。強制査察の段取りだが、まずナターシャの一番機が真上から降下して、火器と機械腕で光線砲を制圧。王女様の二番機は上空でナターシャを援護しつつ船体の周りを威嚇射撃、海賊船をこの場所まで誘導してくれ」
ディータは今度は、海図の一点を指差す。
シャンタニは怪訝な顔をした。
「誘導? どうしてじゃ」
「確実にとっ捕まえるための作戦さ。情報によると光線砲は外装が分厚くて、『ガルーダ』の装備じゃ完全な無力化は無理だしな。二人が飛び立った後、『エピメテウス』はここまで進出して潜望鏡深度で待ち伏せする。この辺りは海底の地形が複雑に入り組んでいて、気付かれる危険が少ない。で、問題の海賊船がやってきたら魚雷を発射、近接信管を用いて推進機関の至近で自爆させ、こいつを停船させる。後は付近の無人島で待機させてる『フォレスタ』の陸戦隊が突入して船内の海賊を一網打尽だ」
「中佐殿、光線砲を搭載した海賊船以外の一一隻にはどのように対処すれば?」
ナターシャが挙手して質問する。
「あー、そいつらは基本放置で。『フォレスタ』の実力行使が認められてる強制査察ってのは本来、魔力の不正利用を止めさせる目的に限定されてるからな。それに光線砲さえうちらが押さえれば、残りの雑魚は連合海軍の方で何とかしてくれるだろ。お前達は親玉に集中しろ。情報部によれば一一隻は普通のスループ船で武装も特殊なものは積んでないらしいし」
「了解しました」
「よっし、これで大まかなことは話したな。シュタール博士とのどかは艦内で待機だ。博士は例の用意を頼む。のどかは、そうだな、二人が帰ってくるまでにバーラト名物のカリーを……あ、いや」
シャンタニに睨まれてディータは慌てる。
「じゃ、じゃあヤマト料理を一品頼むぜ、シースーだっけ? 美味いらしいな、あれ」
「え……シースー?」
「うふふ……それはシースーじゃなくてスシですよ、中佐」
のどかが戸惑い、レーネがにこやかにツッコミを入れる。
平和な光景だった。
「そ、そうか。まあ単純な作戦だしちょろいぐらいだと思うが、初任務だし丁度いいか。二人とも気をつけてな!」
ディータは最後にそうまとめてブリーフィングを締めくくったのだった。
〈目標を視認した! 合図をしたら降下するぞ、メルワ准尉!〉
耳朶を打つナターシャの声でシャンタニは我に返った。
前方に海賊の船団が見える。
〈五…三…一…今!〉
ナターシャの一番機が、尖った機首を下げ直線降下に入る。
シャンタニも操縦桿を奥に押し込み、機体を降下させた。
下界はもはや地獄と化していた。
第三戦隊の全滅に続き第二戦隊でも多くの艦が海の藻屑と化し、辛うじて直撃を免れて海上にその原型を留める艦も、光線の熱に炙られて帆柱が燃え甲板は泡立ってささくれ立ち、一面に黒焦げになった水兵達の亡骸が転がっていた。重傷を負った者は海へ飛び込み、そのまま溺れ死んでいく。
後方に布陣しており唯一無傷だった第一戦隊は全滅を免れようと左右に散開したが、その後の三度目の攻撃によってやはり多数の艦が焼かれていた。
「……わしの失策だ」
ユーライアス艦橋。
艦隊総司令官クインタス・アリウス卿は力無くうなだれた。
「わしが判断を誤ったせいで、かけがえの無い多くの将兵を死なせてしまった」
取り巻きだった幕僚達は、態度を一変させて沈黙していた。
彼等の頭にあったのは、本国に帰ってからこの哀れな司令官独りに敗北の責任をとらせることだった。
失脚する運命にある人間を擁護すれば、自分の身も危うくなる。
ユーライアス艦長だけはそういう考え方をしていなかった。
「いえ閣下、我々は風上から敵に接近していました。視認可能な距離まで来ている段階で退却を命じていたとしても、反転に時間がかかり、受けた被害にさほど変化は無かったかもしれません。強いていうならば、会敵した時点で我々は負けていたのです」
「そうか……そうかもしれんな」
「閣下、どうかご決断を」
艦長の諫言に、司令官はついに頷いた。
「……撤退だ、敵兵器の射程より離脱する。全艦に伝えよ。傷付いた艦を艦隊の中央へ。殿はこのユーライアスが務める」
「はっ!」
発火信号が伝えられ、残存艦隊が反転を始める。
しかし。
「敵が速度を上げました!」
見張り員の悲痛な叫び。
海賊船団が加速して追撃を始めたのだ。
中でも、光線兵器を積んだ大型船の速さが突出している。
「恐らく『エルデマクト・リアクター』の力を推進機関にも使えるのでしょう。閣下、残念ですがこのままでは追いつかれます」
悔しいが、魔力推進に対して蒸気機関の出力では到底歯が立たない。
司令官はゆっくりと顔を上げ、艦長を見た。
「すまない艦長……ユーライアスのみ反転中止、針路を戻してくれ。それから、総員に退艦命令を。艦長、君もだ」
「何ですって?」
もしも艦が沈むような時は本来艦長が艦と運命を共にして責任をとるのが、旧ティルス共和国海軍以来の不文律だった。軍にとって貴重な人材である指揮官を失うという欠点からこの古い慣習は現ティレニア連邦の軍法では表向き明文化こそされていないが、それでもあくまで慣習に従うならば、誰かが『けじめ』をつける必要があった。
「責任をとるのはわし一人で十分だ。この艦を囮にする。稼げるのは一瞬だけだろうが、やってみる価値はあるだろう」
「閣下、どうか考え直して下さい」
「止めないでくれ、艦長。わしは生まれが貴族というだけで、気がついたら今の地位まで来てしまった無能な男だ。これまで一度も人の役に立ったためしなんてない。……上層部が、わしをこの作戦の指揮官に任命したのは、つまりはそういうことだったのかもしれん」
クインタス・アリウス卿は自嘲気味に笑う。
艦長は声を荒げた。
「責任を感じておられるなら、生きて本国に帰って二度とこんな馬鹿げた作戦が繰り返されないよう働いて下さい。閣下にはそれをやれる地位があるじゃないですか。大体、閣下がなさろうとしているのは自殺です。無駄に死んでいい人間なんて一人もおりません!」
その時だった。
見張り員が何かに気付いた。
「おい、あれは何だ?」
「見ろ、上を何か飛んでるぞ!」
艦橋の士官だけではない、甲板の水兵達にもざわめきが広がっていく。
艦長は何事かと艦橋から身を乗り出して空を仰いだ。
「艦長! 鳥のような奇妙なものが二体、本艦の上空を通過します!」
見張り員の上擦った声。
艦長は目を凝らして、否定の言葉を口にする。
「いや……鳥じゃない。あれは人工物だ」
それはとても小さくて、大戦中に造られたという噂の飛空艇には見えなかったが、しかし紛れも無く機械だった。
胴体から張り出した両翼が、陽射しを浴びて白銀に輝いている。
飛行機械が艦長達の頭上にあったのは、ほんの一瞬だった。
二機は一直線に海賊船団に向かい、そして一機が光線兵器を据え付けた海賊船めがけて急降下する。
直後、橙と白の二色の信号弾がそこから上がった。
「……あれは?」
顔を上げたクインタス・アリウス卿が信号弾を見て訝しげな顔をする。
見張り員が答えた。
「は、『我、敵拠点を制圧せり』との信号です」