第3章(4)麦畑
文字数 2,128文字
機首に装備した六銃身回転式機関砲が、乾いた音を立てたきり沈黙する。
ついに残弾が底をついたのだ。
ナターシャ・スミルノワに残された武器は、操縦席に忍ばせた拳銃と手榴弾だけになった。
対空誘導弾を有するスループ船は相変わらずぴったりと張り付いて航行している。
このままトメニア帝国が占領するどこかの港へ入られてしまえば、『フォレスタ』といえども外交ルートを通してでなければ手出しができなくなる。
シャンタニを安心させようとあれこれ言ったものの、実際のところナターシャのおかれた状況は最悪だった。
今更ではあったが、肩に力が入りすぎて向こう見ずになっていたかなと少しだけ反省する。
それに成り行き上とはいえ、部隊の初任務で命令違反を犯してしまった。
リーダー以前に、軍人として失格だ。
ノヴゴロド陸軍に籍を置いていた頃は、上官の命令に逆らうなど職業軍人として考えられないことだった。
『フォレスタ』での今回の任務は、ナターシャにとって単なる任務以上の特別な意味を持っている。
だから、この持ち場を離れるのが嫌だった。
『ムア』との戦いから逃げるのが嫌だった。
後悔は無い……はずだった。
機関砲が弾切れになったことに気付いたのだろう、甲板上の海賊がじわりじわりと近付いてくる。
ナターシャは覚悟を決めた。
どれだけ持ち応えられるかはわからないが、幸い陸軍時代に白兵戦の訓練を受けているし、射撃の腕にも自信がある。
拳銃を取り出そうとしゃがんだ時、胸ポケットから一枚の紙片が落ちた。
何気無く拾い上げてそれを見たナターシャは、目を見開いた。
それは、ナターシャの妹が幼い頃、ナターシャの誕生日にくれた絵だった。
色鉛筆で描かれたやわらかな色彩の中で、四人の家族が楽しそうに手をつないで立っている。
ナターシャと妹、そして父と母。
動物の世話と絵を描くのが大好きな明るい妹だった。厳しくて優しい両親だった。
四人の後ろには夏の入道雲、風車、そして一面の麦畑。
ナターシャの故郷だ。
この絵に描かれた幸せな風景は、もうこの世には無い。
その年の秋、例年豊かな実りで人々の暮らしを支えていた麦畑は何故か全て枯れ果てた。
翌年の秋は、国中の麦畑で同じことが起こった。人も家畜も原因のわからない病に倒れ、町の市場からは食べ物が消えた。
そして冬、遠くの町で働いて食料を家に持ち帰ったナターシャが見たのは、痩せ細った両親の亡骸だった。
母は台所で、父は妹が眠る寝台の横で息を引き取っていた。
家の様子から、二人が残り少ない蓄えを、幼い妹だけに食べさせていたのがわかった。
他の家では生き延びるために親が子を売るのが当たり前の状況だったのに、ナターシャの両親は、最期の時まで妹を守った。
ナターシャは我に返る。
自分は何をやっているんだ。
自分の生命を粗末にして、シャンタニまで危険な目にあわせて。
親の遺体に触れた時のあの冷たくて硬い感触を、ナターシャは忘れる事ができない。
自分を責めなかった夜は無い。食料を持って帰るのが後少し早ければ、父と母は死なずに済んだはずなのだ。
あれから妹は、言葉を話せなくなった。
幸せだった日々を今に留めているのは、もうこの絵だけだ。
「こんなはずじゃなかった」
ナターシャは絵を握り締めた。
こんなはずじゃなかった。
こんなところで死ぬために戦ってきたんじゃない。
いつの日か必ず『ムア』の無い世界を、妹の笑顔を取り戻したくて、戦ってきたのに。
自分の無力さが悔しかった。
結局自分は、何も守ることができなかった……。
遠くから、聞き覚えのあるキィン、という音が響いてきて、ナターシャは顔を上げた。
海賊達も空を指差して騒いでいる。
西の空からゴマ粒のように小さな機影が二つ、こちらに接近してきていた。
ナターシャは自分の目を疑う。
『エピメテウス』に搭載されている『ガルーダ』は全部で四機。
その内シャンタニの二番機は、つい先ほど損傷して撤退したばかりだ。
この短時間で、『エピメテウス』に帰艦して修理を済ませ再び戻ってこられるはずが無い。
となると、あの二機はレーネ・シュタールがよくわからない実験機としていじくっている三番機と、そして新人の涼宮のどかが搭乗する予定の四番機ということになる。
「馬鹿な、どうして……!」
まだ一度も飛行訓練をしていない明るく元気な少女を思い出し、ナターシャは思わず叫んだ。
叫んでから気付く。
決まっている、自分のせいだ。
〈ナターシャさん、聞こえますか?〉
通信機から、のどかの声。
「涼宮准尉か!」
〈良かった、無事で! 待ってて下さいね、今助けますから!〉
四番機が急降下してくるのが見える。
「止せ、引き返すんだ涼宮准尉! 頼む……」
これ以上誰かの生命を危険に晒すのは耐えられない。
〈うふふ、涼宮さんの力を見くびらない方がよろしくてよ〉
もう一機からの通信。
いつもの、あの人を小馬鹿にしたような声。
「レーネ・シュタール!」
ついに残弾が底をついたのだ。
ナターシャ・スミルノワに残された武器は、操縦席に忍ばせた拳銃と手榴弾だけになった。
対空誘導弾を有するスループ船は相変わらずぴったりと張り付いて航行している。
このままトメニア帝国が占領するどこかの港へ入られてしまえば、『フォレスタ』といえども外交ルートを通してでなければ手出しができなくなる。
シャンタニを安心させようとあれこれ言ったものの、実際のところナターシャのおかれた状況は最悪だった。
今更ではあったが、肩に力が入りすぎて向こう見ずになっていたかなと少しだけ反省する。
それに成り行き上とはいえ、部隊の初任務で命令違反を犯してしまった。
リーダー以前に、軍人として失格だ。
ノヴゴロド陸軍に籍を置いていた頃は、上官の命令に逆らうなど職業軍人として考えられないことだった。
『フォレスタ』での今回の任務は、ナターシャにとって単なる任務以上の特別な意味を持っている。
だから、この持ち場を離れるのが嫌だった。
『ムア』との戦いから逃げるのが嫌だった。
後悔は無い……はずだった。
機関砲が弾切れになったことに気付いたのだろう、甲板上の海賊がじわりじわりと近付いてくる。
ナターシャは覚悟を決めた。
どれだけ持ち応えられるかはわからないが、幸い陸軍時代に白兵戦の訓練を受けているし、射撃の腕にも自信がある。
拳銃を取り出そうとしゃがんだ時、胸ポケットから一枚の紙片が落ちた。
何気無く拾い上げてそれを見たナターシャは、目を見開いた。
それは、ナターシャの妹が幼い頃、ナターシャの誕生日にくれた絵だった。
色鉛筆で描かれたやわらかな色彩の中で、四人の家族が楽しそうに手をつないで立っている。
ナターシャと妹、そして父と母。
動物の世話と絵を描くのが大好きな明るい妹だった。厳しくて優しい両親だった。
四人の後ろには夏の入道雲、風車、そして一面の麦畑。
ナターシャの故郷だ。
この絵に描かれた幸せな風景は、もうこの世には無い。
その年の秋、例年豊かな実りで人々の暮らしを支えていた麦畑は何故か全て枯れ果てた。
翌年の秋は、国中の麦畑で同じことが起こった。人も家畜も原因のわからない病に倒れ、町の市場からは食べ物が消えた。
そして冬、遠くの町で働いて食料を家に持ち帰ったナターシャが見たのは、痩せ細った両親の亡骸だった。
母は台所で、父は妹が眠る寝台の横で息を引き取っていた。
家の様子から、二人が残り少ない蓄えを、幼い妹だけに食べさせていたのがわかった。
他の家では生き延びるために親が子を売るのが当たり前の状況だったのに、ナターシャの両親は、最期の時まで妹を守った。
ナターシャは我に返る。
自分は何をやっているんだ。
自分の生命を粗末にして、シャンタニまで危険な目にあわせて。
親の遺体に触れた時のあの冷たくて硬い感触を、ナターシャは忘れる事ができない。
自分を責めなかった夜は無い。食料を持って帰るのが後少し早ければ、父と母は死なずに済んだはずなのだ。
あれから妹は、言葉を話せなくなった。
幸せだった日々を今に留めているのは、もうこの絵だけだ。
「こんなはずじゃなかった」
ナターシャは絵を握り締めた。
こんなはずじゃなかった。
こんなところで死ぬために戦ってきたんじゃない。
いつの日か必ず『ムア』の無い世界を、妹の笑顔を取り戻したくて、戦ってきたのに。
自分の無力さが悔しかった。
結局自分は、何も守ることができなかった……。
遠くから、聞き覚えのあるキィン、という音が響いてきて、ナターシャは顔を上げた。
海賊達も空を指差して騒いでいる。
西の空からゴマ粒のように小さな機影が二つ、こちらに接近してきていた。
ナターシャは自分の目を疑う。
『エピメテウス』に搭載されている『ガルーダ』は全部で四機。
その内シャンタニの二番機は、つい先ほど損傷して撤退したばかりだ。
この短時間で、『エピメテウス』に帰艦して修理を済ませ再び戻ってこられるはずが無い。
となると、あの二機はレーネ・シュタールがよくわからない実験機としていじくっている三番機と、そして新人の涼宮のどかが搭乗する予定の四番機ということになる。
「馬鹿な、どうして……!」
まだ一度も飛行訓練をしていない明るく元気な少女を思い出し、ナターシャは思わず叫んだ。
叫んでから気付く。
決まっている、自分のせいだ。
〈ナターシャさん、聞こえますか?〉
通信機から、のどかの声。
「涼宮准尉か!」
〈良かった、無事で! 待ってて下さいね、今助けますから!〉
四番機が急降下してくるのが見える。
「止せ、引き返すんだ涼宮准尉! 頼む……」
これ以上誰かの生命を危険に晒すのは耐えられない。
〈うふふ、涼宮さんの力を見くびらない方がよろしくてよ〉
もう一機からの通信。
いつもの、あの人を小馬鹿にしたような声。
「レーネ・シュタール!」