第2章(2)潜航!?

文字数 3,157文字

 ビブロス沖。『エピメテウス』の上を二機の『ガルーダ』が空を切り裂いて擦過して行く。
 艦首を過ぎて二機がそれぞれ左右に分かれたところで、範囲通信にナターシャの怒声が響く。

〈散開のタイミングがあってないぞメルワ准尉! 隊形距離もムラがあり過ぎる!〉

 間髪を入れずにもう一機を操縦するシャンタニ・ラージ・メルワ准尉の怒声。

〈そなたが妾とずれておるのじゃ、痴れ者めがー!〉

〈うるさい! もう一度、最初のフォーメーションからやり直し!〉

〈なんじゃとー!〉


「もう……あの二人ったら、仲が良いのやら悪いのやら」

 格納庫の通信機から流れる二人の会話を聞きながら、レーネは呆れ顔で呟いた。
 午後からシャンタニも加わった飛行訓練は、普段の二人の口喧嘩をそのまま空に持ち込んだ形で続けられている。
 その横では、着地姿勢で翼を畳んでいる三機目の『ガルーダ』の単座操縦席に座ったのどかが操縦法の基礎を勉強している最中だった。

「それで涼宮さん、『ガルーダ』に乗ってくれる決心はついた?」
「はい。……『ムア』を無くすために役立てるなら、わたし何でもします。『ガルーダ』を飛ばすのに使う魔力は、飛行時間が九〇〇〇日間を超えてようやくハンカチ一枚分だけ『ムア』が拡がる程度、なんですよね?」
「ええ、理論上はね」

 のどかは真剣な顔で、操縦桿の操作を覚えるまで何度も繰り返す。

〈旋回するのが早過ぎる、何度言ったらわかるんだ!〉

 通信機から再び上空のナターシャが怒鳴る声。
 レーネはからかうような声で通話に割って入った。

「あら、私の目には貴女の飛び方に余裕が無いように見えるけど違うかしら、スミルノワさん?」

〈魔女に指図される筋合いは無い!〉

 凄い剣幕でナターシャが怒鳴り返し、レーネは肩をすくめる。

「あの……レーネさん」
 
 レーネが振り返ると、のどかが練習の手を休めてこちらを見ていた。

「どうしたの? 何かわからないところがあった?」
「あ、いえ……そうじゃなくて……レーネさんって、ナターシャさんと仲が悪いんですか?」

 のどかのあまりに単刀直入な質問にレーネは思わず苦笑する。

「あの、ごめんなさい」
「うふふ……貴女が謝ることないじゃない。そうね、私とスミルノワさんはお互いに性格が合わないんだと思うわ。と言ってもスミルノワさんは悪くないのよ、あの子は真面目過ぎるだけ。癖でつい嫌味を言っちゃう私が悪いんだけど、なかなか直せなくてね。ごめんなさいね、嫌な思いさせちゃって」

 ごく軽い口調でそう答えて、レーネは先ほどからやっていた四機目の『ガルーダ』を調整する作業に戻ろうとする。

「でも、『ペーネミュンデの魔女』って……」

 のどかの言葉に、レーネの足が止まった。

「…………ああ、それはね」

 のどかに背を向けて、レーネは四機目の『ガルーダ』の下にしゃがみ込む。
 作業をしながら再び答えたレーネの声は、それまでより少し低くて硬かった。

「私が、悪名高い旧ランズベルク公国親衛隊魔力開発局、ペーネミュンデ研究所の生き残りだからよ」
「え……」

 レーネに言われて初めてその名称の意味を思い出したのだろう、のどかが言葉を失う。
 ペーネミュンデ研究所。
 大戦中、ランズベルク公国で魔力の軍事利用を研究していた機関だ。
 そこで作られた兵器のいくつかは実戦で使用され、その圧倒的な破壊力は兵士ばかりか民間人にまで多数の犠牲者を出し、そして『ムア』を拡大させた。

「戦後共和制に戻ったランズベルクで、研究に関わった者のほとんどが戦争犯罪人として捕まったわ。でも私は、『フォレスタ』への協力と引き換えに刑を免れたの。どう? 貴女も嫌いになったでしょう、私のことが」

 レーネはまた自嘲のこもった笑みを浮かべた。
 のどかの顔は見ていなかった。
 真実を知った時、のどかの素直で優しい顔が、自分への憎悪で歪むのがわかりきっていたからだ。
 これまでもそうだったし、そしてレーネ自身が、それを望んでいた。
 だから、のどかの反応は予想外だった。

「……どうしてですか」

 のどかの声が少し震えていた。
 やはり、怒っているようだった。

「何?」
 
 レーネは振り向く。

「どうしてそんなことを言うんですか? わたしがレーネさんのことを嫌いになる、なんて」

 レーネを見つめるのどかの表情は怒っているというより悲しそうで、レーネは戸惑った。

「だ、だってそうじゃない。涼宮さんの故郷の漁村は四年前から洋上の『ムア』の影響で急に魚が獲れなくなって、ご家族も村の人達もみんな苦しい思いをしてるんでしょう? 全部、私のいた機関が作った兵器のせいなのよ」
「わたしの村のこと、調べたんですか?」
「ええ、『ガルーダ』搭乗候補者の経歴は全部目を通したわ。スミルノワさんの経歴も。スミルノワさんが生まれ育ったノヴゴロドの故郷は、戦争中に『ムア』の壊滅的な被害を受けたの。ご両親は栄養失調で亡くなられて、残された幼い妹さんを養うためにスミルノワさんは軍に志願したのよ。……スミルノワさんが私を憎むのは、当然のあの子の権利だわ」
「そんなの間違ってます!」

 のどかは大きく首を横に振った。

「何が間違ってるというの?」
「過去にあったことも大事だとは思います。でもレーネさんは今こうして『フォレスタ』のために働いて下さってるじゃないですか! この『ガルーダ』だって、レーネさんが作ってくれたんですよね? だからわたしは……こんな言い方偉そうですけど……わたしはレーネさんを嫌いになったりしません! というかそういうの、勝手に決めつけるのは良くないです。ナターシャさんとだって、きっと仲良く……」
「ありがとう、優しいのね涼宮さんは」

 微笑んで、レーネは立ち上がる。

「ご覧なさい」

 空を飛ぶナターシャの乗った『ガルーダ』を、レーネは指差した。

「スミルノワさんは、ああやって一日も休むことなく『ガルーダ』に乗って飛行訓練をしているわ。夜も遅くまで私が書いた論文を読んで、少しでも技能を上げようと頑張ってる。私のことも私が開発した『ガルーダ』のこともどれほど憎いかわからないのに。それだけ、『ムア』と戦いたいと懸命なのよ。シャンタニさんもそう、ここにいる人達は、みんな『ムア』に大切な何かを奪われた人ばかり。……私は本来、ここにいるべき人間ではないわ。そんな私が、『許されたい』とか『仲良くしたい』とか考えるのは、とても罪深いことよ」

 空を見上げるレーネの背中を見ながら、のどかは訊ねる。

「……もしかして、わざと意地悪なことを言っているんですか? ナターシャさんがレーネさんの事を嫌いでいられるように」

「うふふ、そんな面倒臭いこと考えるわけないじゃない。嫌味っぽいのは、私の悪い癖よ」

 そう言って肩をすくめるレーネは、いつもの飄々としたレーネに戻っていた。

「おう、まだいたのかお前達!」

 扉が乱暴に開く音と共にディータが格納庫に駆け込んでくる。

「あら、どうなさったんですマヌーク中佐、そんなに慌てて……」
「空に上がってる二人をすぐに着艦させてくれ。この艦はこれから潜航する!」
「了解しました」

 レーネが足早に通信機に向かい、整備士達が回収の準備のため飛行甲板に散らばって行く。
 のどかだけが、事情がわからず取り残されていた。

「え……センコウ?」

 のどかの呟く声を聞いたディータがにっと笑う。

「まだ言ってなかったな。『エピメテウス』はただの輸送艦じゃない。世界初の潜水空母なのさ」
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