第15話 2 Assets on the White.
文字数 6,755文字
「異端者である砂依田ケイシーと、正体不明のアキアスというライムアセットの組み合わせを、業界は警戒しているようだ」
未明からしんしんと始まった降雪は、あらゆるものの境界を曖昧にした。まるでどこに立っているのか、わからなくなってくる。
「真新しいキャンバスのようだ」と、チェインスネアは言った。
「俺はもうこういう所には立っていないから、懐かしさがある」と。
「君は今こんな心境なんだろうな、これから書くべきリリックがたくさんある。未知数で楽しい。自分から何が出てくるか。___”自分は何者なのか”、という問いに踏み出す」
今のチェインスネアの曲作りの課題。それは、これまで描いたキャンバスの膨大な数と、まだ描いていないキャンバスの余白を探す問題でもあるようだ。
『レイブン・レコーズ』と『エクスポータル・レコーズ』___。
彼とおれは、互いにリリースするアルバムの売り上げにおいて、レーベル事務所から競争を強いられる形になっている。
チェインにとっては通算6枚目のセルフ・アルバムとなり、おれにとってはデビュー作となる予定のもの。
彼のアルバム制作は、まだスタート地点に立ったばかりの”新人”とは違う心境でやることになるわけだった。
舞い降りる雪は辺り一面を真っ新にしていく。チェインスネアはそれを眺めていた。
「”白い紙”、___つまり”無”の状態を恐れるクリエイト人もいる。君はどうだ? 俺はあの試されている感じが好きだ。結局、”何を描いてもいいんだな”という了解は、神からの祝福に近い自由だと感じる」
「俺たちはもともと何も無いところから、”擬似現実”を創造してきた。何かに似せた陶器は粘土だし、何かを描いた絵画は絵の具の集合体ということになる。___MCはおそらく言葉を原料とするが、それは事実を表す必要だって別にないはずだ。真実をそのまま物語ることは、報道や論文の諸分野に任せておけばいい。俺たちは真実を物語るために、違う仕掛けを作り出す。小箱を開けるとバネ仕掛けが作動して、針が指を刺すような、そういったトリガーを作り出す手法をとる」
「___比喩とは、全く異なる概念を持ち出して何かを説明しようと試みるやり方だ。そしてそれらの事の例えがきちんと機能すると、持ち出された原料である元の言葉はその役割を終え、雲のように空へと溶けて無くなる」
おれたちの頭上に、漆黒の夜空から粉雪がひらひらと降りてくる。
「”sky is the limit.”___俺の好きな比喩だ。『空に限界は無い』。人々を鼓舞する言葉としてそこに在るが、本来ならば空と人々は関連していない。だが語られたその内容はきちんと機能している。俺たちの創作もそういうものなのだと思う。そして俺たちはリリックに、”音感”の概念を持ち込んでいる。”音感”とは言葉の真髄と密接にある。言葉の概念と繋がった”弦”が鳴った時の音色だろう」
「___全世界のあらゆる文化圏の人間が、”キキ”という音感を”尖っている”と感じ取り、”ブーバ”という音感を、”広がりのある”ものだと共通認識すると確認されている。言い表そうとする対象を、唇の動きで再現しながら説明しようとしたことが発端なのだという。ライムは音感を扱う。それはつまり、言葉の真髄となるコア部分に、俺たちはある程度の介入を試みようとしていることを意味する」
「真っ白のキャンバスの上に最初に描いたもの。それを覚えておくといい。それは君にとって意味のある何かである可能性がある。そしてそれが、結局は自分にとってのコアだったと気づく日が来るかもしれない」
そう言ってチェインスネアは、自身の”そのこと”について想いを巡らせている様子を見せていた。
『真っ白のキャンバスの上に最初に描いたもの___』
18歳の時、アトリエで木炭の切れ端を握ったおれの手は、ひと組みの男女の顔を描き出していた。それはまるで、見たことのない両親のようだと、当時錯覚したことを思い出す。
おれたちは自分の脚で踏ん張ってみたところで、結局はそんなものを必要とするのだろうか。どうしてこの種の”欠損”は、人に大きな影響を与え続けるのか・・。それはわからない。
そして、生まれた意味は何か?
そう考える時期は誰にでもある。
呼ばれて来たものの、誰も待ってはいなかった。そんな境遇にある人間は、自分がここにいる理由を知りたくなる。
自分がここにいることを肯定してほしいと思う。
生まれてきたばかりの頃は特にそうだ。周りにいる人たちに興味があるし、知りたいと思う。だが彼らの誰もが自分に関心を示さない時、緩やかに何かが内側で壊れ始める。
パーティーに招待されたが、相手にされないみたいなことだ。
仕方ないからダークコーナーに突っ立って、彼らを見ているしかない。
そして『自分のいるここは、一体どこなんだ』と思い始める。
おれのスタートもそうだった。
生まれた意味はない。
それ自体に意味は必要ないと気づく。
そして、『生まれたことそのものに意味はないが、生まれたことで何かを結実させることはできるようだ』と知る。
すると世界と自分がコネクトし始め、世界が自分の側に流入してくるようになる。そしていずれは、自分の側からも世界に何かを流し始める。
そして気づくんだ。
おれを待っていた人たちはいたんだ、と。
MCは『相手を振り向かせて、自分の話を聞かせる』種類の人間。パーティーを仕切るような素質が必要になる。
おれたちは招待状を受け取り、出向いて行って誰も待っていなかった時、彼らを振り向かせる役割がまだ残っている。
それは容易いことではないかもしれない。
だが、その境遇にある奴らはその役を掴みにいく。
それぞれに配られた手札___。そいつの意味を考えるんだ。
自分の中をよく見てみると、必ず闘い方が見つかる。そしてそれは、上手く生きることで、バリエーションを増やしていくことができる。
「ここはどこだった?」
チェインスネアが辺りを見渡す、
「待ち合わせ場所だったが、今ではすっかり真っ白だ」
オレンジ色の街灯と、真っ新なキャンバスと、おれたち。
「確かどこかの中学校の第二グラウンドだったはずだ。校舎は見えないところにあると思う」
この日、チェインスネアはmicotoに会いに道内へ来ていた。その帰りに急な呼び出しをおれは受けた形だったけれど、相手が彼なら仕方がない。それに互いに不本意ながら競争し合う間柄。相手側の動向は気になるところだ。
「もし試合うとしたら、どのような勝敗を期するか?」
という部分において、自分自身、興味がないわけでもない。
今回初発であるおれが、どう転ぶなんてわからないと彼は思っているようだけれど、おれがこのグランドマスターに勝つ事は、この先も永遠にないだろうと思われた。
「彼女は元気だったな。君の話もしていたし、君のファンだとも公言していた。___なんでも”弱点克服”を半ば強要させられている、とも言っていたが」
チェインスネアはそう言って含み笑いをする。
おれたちは共通の妹のような存在であるmicotoを心配していた。チェインもまたmicotoはまるで振り子のようにポジティブの反対側へと、いとも簡単に振り切れる危険に気づいていた。
「micotoはあんたのことが本当に好きみたいだ」
おれがそう言うと、チェインも頷く。
「多分そうかもしれない。だが俺は誰かを救えるような、おこがましい自負はないんだ。楽曲を作品としてリリースはするんだが、誰かのためなのか、自分のためなのか、意味が明確に自覚できているわけでもない。願わくば誰かのためにと思ってはいるところも、少しはあるが___」
「チェインスネアの曲は多くの若者を救っていると思う」
おれがそう指摘すると、彼は笑った。
「知らないかもしれないが、アキアス。俺のデビュー曲のリリックは、”自ら死の淵へ向かう”、ダークな内容なんだ。俺に人を救うような資質なんて本来なら無い。だが次第に、それが反骨精神の表れだと解釈されるようになった。___俺はその時から”強い男、チェインスネア”を演じているに過ぎない」
おれは以前から『CHAIN SNARE(チェインスネア)』というMCネームが妙だと感じていて、その由来を聞いてみたいと思った。
「可笑しな例えを持ち出すようだけど、『オスプレイが国内で墜落した』数日後に、『人気のある米国の在日大使が震災地を慰問する』報道が流れても、一般的にはそれぞれ単発ニュースとして解釈されているが、この二つの別件の関連に気づくのがライマーの特性だよ。___おれは以前からあんたのMCネームの由来が知りたかった。なぜ、”鎖”と”罠”を掛け合わせているのかと」
「そうか」チェインスネアは頷き、「君は俺がまだ会ったことのない人間なんだな」と言い、少し沈黙した。
そしてパーソナルな部分を語り始めた。
「俺の妹が自殺するまでの物事には、今アキアスが指摘したように、一見別件に見えるが、実は関連する繋がりがあった。その”鎖”の一番最後の輪っかの部分が、妹の”自殺”だっただけだ」
micotoと同い年だという例の妹の話だった。
「俺の妹が患った一連の鎖・・。その最初の輪は、俺たち両親の他界だったはずだ。俺は中学、妹は小学生の時だ。俺たちは寂しさと苦労を越えて、それなりに人生に乗り出していった。親戚の支援もあったから成人して社会に出ることもできた」
「___妹は就職した。だがその職場でオカシな上司が一人いたようだ。妹はとても嫌われ、その理由はよく分からないと言っていた。その上司の個人的な問題でしかないようなのだが、不遇な扱いを受け続ける日々が始まった。極言してしまえば、ただ”気に食わない”という、それだけが理由に違いない」
「ある日、妹は仕事上の失敗をした。するとそれはたちまち、”大いに都合のいい機会”となり変わった。彼女はひどく叱責され、ほとんど異常な状態に追い込まれていった。あまりにも衝撃の強い出来事だったんだろう、彼女はその日の帰り道、その出来事に頭の中が完全に支配されて飲み込まれていた。ひどく散漫な状態にあったんだ」
「___妹は車両との接触事故を起こした。デバイスを見ながら歩いているよりも、もっと状態が悪かったはずだ。信号機が見えていなかったようだし、交差点に差し掛かっていたことも本人は気づかなかった」
おれは頷く。チェインは続ける、
「俺たちには様々なものが降りかかってくる。特に良くない物事、それらにいつまでも絡め取られてしまうと、他の良くない事に連鎖していくだろう。その上司からすれば、妹の接触事故は”自分とは全く関係のないこと”だと当然のようになる。___だが言うまでもなく、彼女本人にとっては一連の繋がりがあって引き起こっている不幸だった。世の中ではこういった悲劇が、たくさん見過ごされているのだろうと思う」
「___車両との接触箇所は右手だ。複雑骨折をし、神経もズタズタに寸断された。治療後も手に痺れは残っているし、慢性的な痛みが残った。彼女はそこから一気に絡めといられて行ってしまった。俺は助けてやる事が結局できなかった。うつ状態から薬物医療へと雪崩れ込み、最期まで飲み込まれて行ってしまった。誰も救えなかった。俺はこのような世の中にある不幸の”鎖罠”のようなもの、そいつを忘れないでおこうと強く思った」
チェインスネアはそう言い、おれと話したのはこれが大体最後になった。___いや、まだその後にひとつだけあったか。
「ケイシーはあんな様子でも、一緒にものを作るBuddy(バディ)を必要としてきた。今は君がいるから内心楽しんでいるはずだ。ケイシーをよろしく頼む、アキアス」
おれは吹き出した、
「そいつはどういうアレなんだかわかんねえけど、頼まれてもかなり困る強力な事案だよな」
そう言って、おれは彼に雪を蹴り上げた。するとチェインは雪玉を作って投げてくる。ポケットに手を突っ込んでいたおれも、素手で雪を集めて投げ返した。おれたちは笑った。
ではまた。そう言って、その日別れた。
真っ新なキャンバスをおれたちは踏み荒らして帰ってやったもんだ。
* * *
部屋に戻るとライミングをした。現行のラップシーンにおけるグランドマスターであるチェインスネアに会ったその余韻を、エネルギーに変換するように。
おれは退路を断ち、最高のものを作り上げようと躍起になっていた。
micotoたちによってリミックスされたデモテープの『韻フィット』が、ネット上でリリースされたことで、おれのことがヒップホップ界隈に少しばかり知られるようになっていた。
また、砂依田 圭史のプロデュースによる新人だとわかると、突如として注目を浴びるようになっていたからだ。
そのプレッシャーに潰されないように、それでいて今よりもパフォーマンスを出していかなければならなかった。砂依田に”ブースの中へ入れ”と言う気を起こさせるためにも。
米国製の黄色いリーガルパッドに日本製のゲルペンでライムを書き出していった。
「焦した我が身」、「可笑しなWanna Be.」
母音は、o_a_i_a_a_a_i、となる。共に同じで、つまりは韻を踏んでいる言葉を書き殴った。
このようにアルファベットに直しても分かり易いが、おれは声に出して発音することで、ライムする言葉を見つけることが多い。
次にこのように音感がライムする言葉同士を繋ぎ合わせ、意味のある連なりにするために、間に言葉を付け加える作業がある。
「向かい風」、「迂回だぜ」
u_a_i_a_e、となるこの二つは比較的繋げやすいだろう。
「向かい風 も 迂回だぜ」とすれば意味が通じる。
さらに「暗い雨 も Fly away」と続けばリズムが生まれる。
共に、u_a_i_a_e、であり、「も」が共通接続詞なので真ん中の「o」もライムすることになる。一語プラスされて6字が踏まれる。
おれはライムする言葉を探す際に、まず取っ掛かりの言葉をランダムで決めてしまうことが多い。
もし新聞紙を見かけたら「新聞紙」から始めてみるといい。すぐにライムする言葉が見つからなければ、「し」の部分を母音は同じだが、別の平仮名に置き換えてみる。
「い」に換えてみると「韻文詩」となると気づくだろう。
そこで「新聞紙にも載せちゃう、おれの韻文詩」のように、間に文を噛ませてやる。
これをリリックの先頭から終わりまで、意味の通る文章になるように繋ぎ合わせていく作業になる。
* * *
【殴り書きメモ】 作詞:アキアス
さみしさに打たれ 焦した我が身
誰かのためにと 可笑しなWanna Be.
暗い雨も Fly away.
向かい風も 迂回だぜ
time limitに 忙し気味なキミ
指の間から こぼれ落ちた愛だから
心のshamを 撃ち抜くAim
銃身剥き出し こいつが武器だし
この身を放る際 地獄からの hold tight
心のコロニー 逃げ出す子供の頃に
見えない命題 照らしたDaylight
* * *
『真っ白の上に最初に描いたものを覚えておくといい。それは君にとって意味のある何かである可能性がある。』
___チェインスネアはそう言った。
あの木炭で描いた男女の絵とCEOは似ても似つかないものだったけれど、当時のおれはまだ見ぬ両親を心のどこかで引きずっていたのだろうか?
『それが結局は、自分にとってのコアだったと気づく日が来るかもしれない』
本当にそうなのか。
両親が不在だったことが、おれを突き動かしたコアなのか?
それがなければ、おれは創作に向かわなかったのだろうか?
MCは人々を振り向かせて、自分の話を聴かせる役割を担う。
”ダークコーナー”に追いやられた境遇にある奴は、その役を掴みにいく。
おれもあのナックルの友人だったヤクの売人のように、蜃気楼を追って歩んでいる可能性はないか?
もしこの行く末に、何もなかったとしたら・・?
おれはこれ以上考えるのをやめた。
ラップのMCをやると決めた。それは少二郎が言葉の才能を推してきたからだ。それ以外の理由なんてないんだ。
隅っこの暗がりに追いやられて、誰にも構われずに寂しい想いなどした覚えもない___。
16歳の時、児童養護施設を抜け出して夜の宅地を彷徨っていたことも、小さな森の中で暴れていたことも、それとは関係がない。
おれはチャーリー・スティールに成りたかっただけだ。
漆黒の闇から、抜け出したかっただけだ。
時刻は0時を回っている。
もう寝ないと明日に差し障りあるな・・。
おれはライムする手を止めた。
未明からしんしんと始まった降雪は、あらゆるものの境界を曖昧にした。まるでどこに立っているのか、わからなくなってくる。
「真新しいキャンバスのようだ」と、チェインスネアは言った。
「俺はもうこういう所には立っていないから、懐かしさがある」と。
「君は今こんな心境なんだろうな、これから書くべきリリックがたくさんある。未知数で楽しい。自分から何が出てくるか。___”自分は何者なのか”、という問いに踏み出す」
今のチェインスネアの曲作りの課題。それは、これまで描いたキャンバスの膨大な数と、まだ描いていないキャンバスの余白を探す問題でもあるようだ。
『レイブン・レコーズ』と『エクスポータル・レコーズ』___。
彼とおれは、互いにリリースするアルバムの売り上げにおいて、レーベル事務所から競争を強いられる形になっている。
チェインにとっては通算6枚目のセルフ・アルバムとなり、おれにとってはデビュー作となる予定のもの。
彼のアルバム制作は、まだスタート地点に立ったばかりの”新人”とは違う心境でやることになるわけだった。
舞い降りる雪は辺り一面を真っ新にしていく。チェインスネアはそれを眺めていた。
「”白い紙”、___つまり”無”の状態を恐れるクリエイト人もいる。君はどうだ? 俺はあの試されている感じが好きだ。結局、”何を描いてもいいんだな”という了解は、神からの祝福に近い自由だと感じる」
「俺たちはもともと何も無いところから、”擬似現実”を創造してきた。何かに似せた陶器は粘土だし、何かを描いた絵画は絵の具の集合体ということになる。___MCはおそらく言葉を原料とするが、それは事実を表す必要だって別にないはずだ。真実をそのまま物語ることは、報道や論文の諸分野に任せておけばいい。俺たちは真実を物語るために、違う仕掛けを作り出す。小箱を開けるとバネ仕掛けが作動して、針が指を刺すような、そういったトリガーを作り出す手法をとる」
「___比喩とは、全く異なる概念を持ち出して何かを説明しようと試みるやり方だ。そしてそれらの事の例えがきちんと機能すると、持ち出された原料である元の言葉はその役割を終え、雲のように空へと溶けて無くなる」
おれたちの頭上に、漆黒の夜空から粉雪がひらひらと降りてくる。
「”sky is the limit.”___俺の好きな比喩だ。『空に限界は無い』。人々を鼓舞する言葉としてそこに在るが、本来ならば空と人々は関連していない。だが語られたその内容はきちんと機能している。俺たちの創作もそういうものなのだと思う。そして俺たちはリリックに、”音感”の概念を持ち込んでいる。”音感”とは言葉の真髄と密接にある。言葉の概念と繋がった”弦”が鳴った時の音色だろう」
「___全世界のあらゆる文化圏の人間が、”キキ”という音感を”尖っている”と感じ取り、”ブーバ”という音感を、”広がりのある”ものだと共通認識すると確認されている。言い表そうとする対象を、唇の動きで再現しながら説明しようとしたことが発端なのだという。ライムは音感を扱う。それはつまり、言葉の真髄となるコア部分に、俺たちはある程度の介入を試みようとしていることを意味する」
「真っ白のキャンバスの上に最初に描いたもの。それを覚えておくといい。それは君にとって意味のある何かである可能性がある。そしてそれが、結局は自分にとってのコアだったと気づく日が来るかもしれない」
そう言ってチェインスネアは、自身の”そのこと”について想いを巡らせている様子を見せていた。
『真っ白のキャンバスの上に最初に描いたもの___』
18歳の時、アトリエで木炭の切れ端を握ったおれの手は、ひと組みの男女の顔を描き出していた。それはまるで、見たことのない両親のようだと、当時錯覚したことを思い出す。
おれたちは自分の脚で踏ん張ってみたところで、結局はそんなものを必要とするのだろうか。どうしてこの種の”欠損”は、人に大きな影響を与え続けるのか・・。それはわからない。
そして、生まれた意味は何か?
そう考える時期は誰にでもある。
呼ばれて来たものの、誰も待ってはいなかった。そんな境遇にある人間は、自分がここにいる理由を知りたくなる。
自分がここにいることを肯定してほしいと思う。
生まれてきたばかりの頃は特にそうだ。周りにいる人たちに興味があるし、知りたいと思う。だが彼らの誰もが自分に関心を示さない時、緩やかに何かが内側で壊れ始める。
パーティーに招待されたが、相手にされないみたいなことだ。
仕方ないからダークコーナーに突っ立って、彼らを見ているしかない。
そして『自分のいるここは、一体どこなんだ』と思い始める。
おれのスタートもそうだった。
生まれた意味はない。
それ自体に意味は必要ないと気づく。
そして、『生まれたことそのものに意味はないが、生まれたことで何かを結実させることはできるようだ』と知る。
すると世界と自分がコネクトし始め、世界が自分の側に流入してくるようになる。そしていずれは、自分の側からも世界に何かを流し始める。
そして気づくんだ。
おれを待っていた人たちはいたんだ、と。
MCは『相手を振り向かせて、自分の話を聞かせる』種類の人間。パーティーを仕切るような素質が必要になる。
おれたちは招待状を受け取り、出向いて行って誰も待っていなかった時、彼らを振り向かせる役割がまだ残っている。
それは容易いことではないかもしれない。
だが、その境遇にある奴らはその役を掴みにいく。
それぞれに配られた手札___。そいつの意味を考えるんだ。
自分の中をよく見てみると、必ず闘い方が見つかる。そしてそれは、上手く生きることで、バリエーションを増やしていくことができる。
「ここはどこだった?」
チェインスネアが辺りを見渡す、
「待ち合わせ場所だったが、今ではすっかり真っ白だ」
オレンジ色の街灯と、真っ新なキャンバスと、おれたち。
「確かどこかの中学校の第二グラウンドだったはずだ。校舎は見えないところにあると思う」
この日、チェインスネアはmicotoに会いに道内へ来ていた。その帰りに急な呼び出しをおれは受けた形だったけれど、相手が彼なら仕方がない。それに互いに不本意ながら競争し合う間柄。相手側の動向は気になるところだ。
「もし試合うとしたら、どのような勝敗を期するか?」
という部分において、自分自身、興味がないわけでもない。
今回初発であるおれが、どう転ぶなんてわからないと彼は思っているようだけれど、おれがこのグランドマスターに勝つ事は、この先も永遠にないだろうと思われた。
「彼女は元気だったな。君の話もしていたし、君のファンだとも公言していた。___なんでも”弱点克服”を半ば強要させられている、とも言っていたが」
チェインスネアはそう言って含み笑いをする。
おれたちは共通の妹のような存在であるmicotoを心配していた。チェインもまたmicotoはまるで振り子のようにポジティブの反対側へと、いとも簡単に振り切れる危険に気づいていた。
「micotoはあんたのことが本当に好きみたいだ」
おれがそう言うと、チェインも頷く。
「多分そうかもしれない。だが俺は誰かを救えるような、おこがましい自負はないんだ。楽曲を作品としてリリースはするんだが、誰かのためなのか、自分のためなのか、意味が明確に自覚できているわけでもない。願わくば誰かのためにと思ってはいるところも、少しはあるが___」
「チェインスネアの曲は多くの若者を救っていると思う」
おれがそう指摘すると、彼は笑った。
「知らないかもしれないが、アキアス。俺のデビュー曲のリリックは、”自ら死の淵へ向かう”、ダークな内容なんだ。俺に人を救うような資質なんて本来なら無い。だが次第に、それが反骨精神の表れだと解釈されるようになった。___俺はその時から”強い男、チェインスネア”を演じているに過ぎない」
おれは以前から『CHAIN SNARE(チェインスネア)』というMCネームが妙だと感じていて、その由来を聞いてみたいと思った。
「可笑しな例えを持ち出すようだけど、『オスプレイが国内で墜落した』数日後に、『人気のある米国の在日大使が震災地を慰問する』報道が流れても、一般的にはそれぞれ単発ニュースとして解釈されているが、この二つの別件の関連に気づくのがライマーの特性だよ。___おれは以前からあんたのMCネームの由来が知りたかった。なぜ、”鎖”と”罠”を掛け合わせているのかと」
「そうか」チェインスネアは頷き、「君は俺がまだ会ったことのない人間なんだな」と言い、少し沈黙した。
そしてパーソナルな部分を語り始めた。
「俺の妹が自殺するまでの物事には、今アキアスが指摘したように、一見別件に見えるが、実は関連する繋がりがあった。その”鎖”の一番最後の輪っかの部分が、妹の”自殺”だっただけだ」
micotoと同い年だという例の妹の話だった。
「俺の妹が患った一連の鎖・・。その最初の輪は、俺たち両親の他界だったはずだ。俺は中学、妹は小学生の時だ。俺たちは寂しさと苦労を越えて、それなりに人生に乗り出していった。親戚の支援もあったから成人して社会に出ることもできた」
「___妹は就職した。だがその職場でオカシな上司が一人いたようだ。妹はとても嫌われ、その理由はよく分からないと言っていた。その上司の個人的な問題でしかないようなのだが、不遇な扱いを受け続ける日々が始まった。極言してしまえば、ただ”気に食わない”という、それだけが理由に違いない」
「ある日、妹は仕事上の失敗をした。するとそれはたちまち、”大いに都合のいい機会”となり変わった。彼女はひどく叱責され、ほとんど異常な状態に追い込まれていった。あまりにも衝撃の強い出来事だったんだろう、彼女はその日の帰り道、その出来事に頭の中が完全に支配されて飲み込まれていた。ひどく散漫な状態にあったんだ」
「___妹は車両との接触事故を起こした。デバイスを見ながら歩いているよりも、もっと状態が悪かったはずだ。信号機が見えていなかったようだし、交差点に差し掛かっていたことも本人は気づかなかった」
おれは頷く。チェインは続ける、
「俺たちには様々なものが降りかかってくる。特に良くない物事、それらにいつまでも絡め取られてしまうと、他の良くない事に連鎖していくだろう。その上司からすれば、妹の接触事故は”自分とは全く関係のないこと”だと当然のようになる。___だが言うまでもなく、彼女本人にとっては一連の繋がりがあって引き起こっている不幸だった。世の中ではこういった悲劇が、たくさん見過ごされているのだろうと思う」
「___車両との接触箇所は右手だ。複雑骨折をし、神経もズタズタに寸断された。治療後も手に痺れは残っているし、慢性的な痛みが残った。彼女はそこから一気に絡めといられて行ってしまった。俺は助けてやる事が結局できなかった。うつ状態から薬物医療へと雪崩れ込み、最期まで飲み込まれて行ってしまった。誰も救えなかった。俺はこのような世の中にある不幸の”鎖罠”のようなもの、そいつを忘れないでおこうと強く思った」
チェインスネアはそう言い、おれと話したのはこれが大体最後になった。___いや、まだその後にひとつだけあったか。
「ケイシーはあんな様子でも、一緒にものを作るBuddy(バディ)を必要としてきた。今は君がいるから内心楽しんでいるはずだ。ケイシーをよろしく頼む、アキアス」
おれは吹き出した、
「そいつはどういうアレなんだかわかんねえけど、頼まれてもかなり困る強力な事案だよな」
そう言って、おれは彼に雪を蹴り上げた。するとチェインは雪玉を作って投げてくる。ポケットに手を突っ込んでいたおれも、素手で雪を集めて投げ返した。おれたちは笑った。
ではまた。そう言って、その日別れた。
真っ新なキャンバスをおれたちは踏み荒らして帰ってやったもんだ。
* * *
部屋に戻るとライミングをした。現行のラップシーンにおけるグランドマスターであるチェインスネアに会ったその余韻を、エネルギーに変換するように。
おれは退路を断ち、最高のものを作り上げようと躍起になっていた。
micotoたちによってリミックスされたデモテープの『韻フィット』が、ネット上でリリースされたことで、おれのことがヒップホップ界隈に少しばかり知られるようになっていた。
また、砂依田 圭史のプロデュースによる新人だとわかると、突如として注目を浴びるようになっていたからだ。
そのプレッシャーに潰されないように、それでいて今よりもパフォーマンスを出していかなければならなかった。砂依田に”ブースの中へ入れ”と言う気を起こさせるためにも。
米国製の黄色いリーガルパッドに日本製のゲルペンでライムを書き出していった。
「焦した我が身」、「可笑しなWanna Be.」
母音は、o_a_i_a_a_a_i、となる。共に同じで、つまりは韻を踏んでいる言葉を書き殴った。
このようにアルファベットに直しても分かり易いが、おれは声に出して発音することで、ライムする言葉を見つけることが多い。
次にこのように音感がライムする言葉同士を繋ぎ合わせ、意味のある連なりにするために、間に言葉を付け加える作業がある。
「向かい風」、「迂回だぜ」
u_a_i_a_e、となるこの二つは比較的繋げやすいだろう。
「向かい風 も 迂回だぜ」とすれば意味が通じる。
さらに「暗い雨 も Fly away」と続けばリズムが生まれる。
共に、u_a_i_a_e、であり、「も」が共通接続詞なので真ん中の「o」もライムすることになる。一語プラスされて6字が踏まれる。
おれはライムする言葉を探す際に、まず取っ掛かりの言葉をランダムで決めてしまうことが多い。
もし新聞紙を見かけたら「新聞紙」から始めてみるといい。すぐにライムする言葉が見つからなければ、「し」の部分を母音は同じだが、別の平仮名に置き換えてみる。
「い」に換えてみると「韻文詩」となると気づくだろう。
そこで「新聞紙にも載せちゃう、おれの韻文詩」のように、間に文を噛ませてやる。
これをリリックの先頭から終わりまで、意味の通る文章になるように繋ぎ合わせていく作業になる。
* * *
【殴り書きメモ】 作詞:アキアス
さみしさに打たれ 焦した我が身
誰かのためにと 可笑しなWanna Be.
暗い雨も Fly away.
向かい風も 迂回だぜ
time limitに 忙し気味なキミ
指の間から こぼれ落ちた愛だから
心のshamを 撃ち抜くAim
銃身剥き出し こいつが武器だし
この身を放る際 地獄からの hold tight
心のコロニー 逃げ出す子供の頃に
見えない命題 照らしたDaylight
* * *
『真っ白の上に最初に描いたものを覚えておくといい。それは君にとって意味のある何かである可能性がある。』
___チェインスネアはそう言った。
あの木炭で描いた男女の絵とCEOは似ても似つかないものだったけれど、当時のおれはまだ見ぬ両親を心のどこかで引きずっていたのだろうか?
『それが結局は、自分にとってのコアだったと気づく日が来るかもしれない』
本当にそうなのか。
両親が不在だったことが、おれを突き動かしたコアなのか?
それがなければ、おれは創作に向かわなかったのだろうか?
MCは人々を振り向かせて、自分の話を聴かせる役割を担う。
”ダークコーナー”に追いやられた境遇にある奴は、その役を掴みにいく。
おれもあのナックルの友人だったヤクの売人のように、蜃気楼を追って歩んでいる可能性はないか?
もしこの行く末に、何もなかったとしたら・・?
おれはこれ以上考えるのをやめた。
ラップのMCをやると決めた。それは少二郎が言葉の才能を推してきたからだ。それ以外の理由なんてないんだ。
隅っこの暗がりに追いやられて、誰にも構われずに寂しい想いなどした覚えもない___。
16歳の時、児童養護施設を抜け出して夜の宅地を彷徨っていたことも、小さな森の中で暴れていたことも、それとは関係がない。
おれはチャーリー・スティールに成りたかっただけだ。
漆黒の闇から、抜け出したかっただけだ。
時刻は0時を回っている。
もう寝ないと明日に差し障りあるな・・。
おれはライムする手を止めた。