第18話 キティアークのヘアピン

文字数 7,156文字

 ”ハピバースデイ。アキアス。”

 2月16日の今日、誕生日を迎えたおれは31歳になった。
 近隣諸国の独裁の国では、マスゲームが催されていることだろう。

 そしてちょうどそのタイミングで、micotoのアカウントに再び問題が生じたということで、おれはこの件に関わらなくてはならなくなった。

 事の発端は言ってしまえばチェインスネアだ。

 新進気鋭で躍進的にスターダムにのし上がったこの男には、前々から業界同業者の___とりわけ面倒くさいだけの連中から一方的に敵性と認識されていたらしいのだが、チェイン本人はそれを完全に黙殺するだけであったため、イチャモンをつけたくて仕方がない馬鹿にとっては、全然取り合ってもらえないという事が、より一層『スマしてんのか?』とか『オレらを見下してんだろ?』だのと言った具合に、お気に召さん結果となっていた。

 状況を悪化させる王道コースに流れるにいいだけ流れ、ついには以前からの付随ターゲットであったmicotoは勿論のこと、彼女のSNSにおいて最近紹介されたアキアス、___つまりおれに対してまで、奴らのイチャモンの範囲が伸びてきたって訳だった。

 確かにおれの方にも、その手の低い文体のものがネット経由でメールの受信フォルダに入ってきている。

 そのイチャモンの中心となっているのは、”ヘヴィキャリー”というラップのコミュニティであり、上下関係にうるさい手合いにありがちな『仲間になるなら仲良くしたい。そうでないならお前の存在は都合が悪い』という黙示録どおりの力学が働き、その煩わしさのボルテージはチェインスネアのセールス記録と比例して上がり続けていた。

 チェインの完全に独行道を行くアーティスト・スタイルは尚も変わらずなので、こいつらとの馴れ合いには依然として関わり合おうとはせず、また大変に人気もあり、ラップアーティストとしてはこれまでなかったような音楽人としてのリスペクトを勝ち得た人物にまでなった、気に障るのも拍車がかかりまくっている。

 自身の創作が芳しくなく時間を持て余し気味な人間にとって、余っている時間を割いてちょっかいを出してやろうという事にも、当然なってくるようだ。

 周辺関係者として話題性のあるmicotoには、アンチによるリンチまがいの炎上は過去にもあり、そのSNSユーザー群とチェインスネアの事実上のアンチに墜落しちまってる”ヘヴィキャリー”、その二者は互いに合流して手を結び合い、頭数に物言わすかのように提携するという状態にいつしかなっていた。

 こいつらの界隈では”同意見者の数”ってのが物事の尺度として重視されているようで、”地球がまわっている訳ねえだろ”という数が多ければ、”まわってねえよ”という世界がそこに在る。___多勢であっても現状は何も変わらないはずなのだが、そういった面倒くさいだけの複合体として出来上がった固まりみたいなものが、どういうわけかおれの方へと向かって、総当たりしてくるという”時期的なもの”に、おれはたまたま居合わせたらしい。

 micotoに嫉妬心満載だったチェインスネアのフリークたちは、micotoとチェインの関係をバッシングし始めたヘヴィキャリーのほうへと、次第に肩入れをし始め、『都合が悪く気に食わないやつ』を否定したいというただそれだけの理由によって、別の誰かを賞賛しては大いに持ち上げ、間接的に気に食わない対象を否定してやろうという、馬鹿がよくやりたがる鉄板も例の如く展開されていた。

 すでに大人になったはずの人々が時折見せるこのような学生っぽい恥ずかしい醜態は、後続世代の視線にも目下晒されている状態であり、おれとしてはこいつらに仕返しをする意味も特になかったのだけれど、恥ずかしいイジメ大人が返り討ちにされるストリーミング映像というのを、現役の学生世代に見せてやる事も実は良いかもしれない、といった考えが2割、喧嘩するのも楽しいから良いよな、といった気持ちが8割、みたいな動機を自己認しつつ、カウンターに着手することになる。


「ネットは絶賛炎上中だから、昨日から見てないよ。体に悪いから」
「そのほうがいい」

 日曜日を利用して小樽に来るのは、これで4度目になる。

 いつものようにmicotoの実家に上がり込み、彼女のお母さんが作った洋菓子めいたものを食べさせてもらった。六花亭の大平原みたいなものだけれど、洋酒が入ってるので少し違う。卵を生地に練りこんだもので色も黄色いし似ているよな___と思っていたら、仕事で菓子製造に関わっていたことがあったらしい。職場で作り方を覚えて帰ってくることはよくある話。

「アキアス君は歌詞を書くようだけど、私は”菓子”を作るのよ」

 micotoのお母さんから貰った誕生祝いはこれで、micotoからはHIPHOPカラー強めな厳ついネックレスを贈られそうになった。
 けれど、「おれの趣味じゃないよ」と断っておいた。

「ワガママだねえ」とmicotoは言い、それを自分のコレクションの一つに加えることにしたようだ。

 おれは自分のズボンの左ポケットに留めてぶら下げてある金の懐中時計を見せてやった。

「どっちかと言うと、この手のものが好きなんだ。基本は詩人スタイルとしたい」


 リビングから彼女の部屋に入ると、そこは相変わらずHIPHOPカルチャーの濃い空間。いろいろなものがあるのだが、棚のガラスケースの中に、以前からずっと飾られたままになっている白いニット帽があった。

 そいつには金のヘアピンが挟んであり、ヘアピンには『Kitty Arc(キティアーク)』という文字が見える。そして花をあしらった装飾になっていた。

 まるでトロフィーか盾のように、部屋に飾られている。

 ニット帽はもとい、ヘアピンを飾っているのも変だと思っていたが、それらが動いた形跡はない。

「何か意味があるのか」と何気なしに聞いてみた。
 するとこの『キティアークのヘアピン』は、ライブ会場の事故に見舞われた際に、micotoが付けていたヘアピンなのだと判明した。

 そしてこれは言うなれば彼女にとって、夢が途絶えた時期の象徴的な意味合いの帯びたアイテムでもあるらしい。白いニット帽は持ち主の代理の”アタマ役”というわけだ。

 おれはそのヘアピンを見つめた。

「ちなみに見てもいい?」
「いいよ」

 ニット帽から外して手に取って見る。

「もう付ける気はないってことか」

「そうだね。あの頃のわたしがラッパーになれたら、これをトレードマークとしようと思って買ったキティアークだから。つまり今はもう要らないってこと」

 micotoはあくびをしながら、飼っているロシアンブルーの猫、”ゴロニャー”を撫でた。

 おれはこのヘアピンのほうに興味が湧いた。

「正直言うと、さっきの厳ついネックレスよりも、こっちのほうが趣味だな」

 おれはキティアークのヘアピンで前髪をとめてみる。
「金の色がいい。おれに相応しいカラーでもある」

「でもそれ、女子ブランドなんだけどね」micotoは笑う、
「本気でそれ付けちゃう?」

 おれは鏡越しに自分を見た。花細工の装飾のヘアピン。

「そのパターンだな。要らないならおれが貰う。カワイイからな」

 micotoは、おれの頭に乗ったキティアークを見つめる。

「でもそれどうしようかなって、ずっと思ってた。だって捨てるのもなんか嫌だもんね。自分の夢を投げちゃうみたいな気がするし。アキアスが貰ってくれるならあげるよ」

 micotoはまたもや笑う、
「でもマジで付けちゃうわけ? 花咲いちゃってるけど」
 と爆笑している。

「おれって結構、いわく付きの品物を身に付けるのが好きなんだよ。micotoの呪いが込められた髪留めのほうが、店で買った物よりは断然面白い。おれに箔が付く。それに___」

 おれは頭を振る、

「”性別”なんてものの捉え方が、そもそも好きじゃないんだ。もういい加減、”人”で統一すればいいよ。おれらって」

 このヘアピンは貰うことにした。

「この”お花”を飾って、君の描いたものの続きを果たしにいく。その夢は途絶えた訳じゃなくて、形を変えただけって事にしようや。おれからの援護射撃みたいなもんだ」

「アキアスにも呪いのアイテムみたいなものってあるの? ”前妻”の指輪とか元カノのブラジャーとか・・」

「確かにおれは一流の”サノヴァ”だが、そっち方面では極めて律儀な人間だよ。強いて言えば___」

 おれの脳裏に、冷蔵庫の奥にしまい込んだシュガーボックスが浮かんだ。___あるとすれば、これがそうかもしれない。

「その中には何が?」micotoの好奇心の針が振れる。

「おれにとって重要な人物、___ある男の残したボイスレコーダーを入れてある。彼はもう亡くなっているんだけど、おれにメッセージを遺していった。そいつを見えないところに押し込んであるな、そう言えば」

 micotoの目は、”続きを話して”、と要求している。
 ・・おれはまた余計なことを言っちまったよな。

「___彼が何者かって? なんて言うか、指導者みたいな人だった。親戚のジイさんで、彼だけが長らく孤立していたおれに手を差し伸べてくれた。本当の恩人」

「アキアスの指導者(メンター)?」

 おれは頷く。

「皆、大概そうだけれど、おれも元はかなりの愚か者だったし、誰しもが誰かに導かれているものだと思う。おれは彼と2年間、アトリエで暮らして実際的な物事を学んだ。本当はもっと一緒に居たい気持ちもあったけど、少二郎は『そろそろ一人で成り立ってみるといい』と考えたらしい。___おれは放流され、約束の10年後に向こうに戻ってみると、彼はもう他界していた」

「10年間も約束を守って一度も会わなかったの?」

「そうだよ。おれたちは二人とも”変わった”人間なんだ。10年後に会おう、それまでは頑張れよ、となればこっちもそのつもりで10年間を過ごしていたよ。また会えると思っていたし。まさか別れた二ヶ月後に、彼が亡くなっているなんざ、考えもせずに」

「そのボイスレコーダーのメッセージというのは?」

「おれの両親についてだった。元々親がいない施設育ちだったんだけど、親たちが実は何者だったのかを、おれに教えてくれた」

 あのCEOを思い起こす___。

「父親のほうとは、この前に会ったんだよ。興味深い男だった」
 おれは肩をすくめる、
「サイコパスの気があったしな」

 micotoは覗き込むような目でおれを見てくる。

「親がいなくて寂しかった? 正直に言って。私には『本当のことを認めてしまえ』ってあれだけ言ったんだからさ」

 なんだか仕返しを喰らっているようだった。
 おれは、”寂しさを感じる代わりに心がおかしな壊れ方をしていた”、と正直に教えた。
 16歳の頃の夜中の珍行動や『殺戮の森』の話もした。夢に出てきていた『開かないドア』のことも。

 生きづらかった十代の過去も___。
 幻影が付きまとう半生だった。

「アキアスの中には、賢者と子供が共存しているとは思わない? ユングみたいに」

「と言うと?」

「私はさ、障害者になって身体の半分を失ったような気がしている。アキアスの場合は、何かが普通の人よりも”多い”んじゃない? それってきっと、半分足りないのと同じくらい生きづらい原因になると思う」

 micotoは目を細めておれを診る、
「一体何を抱え込んでいるのか?」

 やれやれ、micotoもかよ。____詞折みたいに。

「そんなもんは何もないよ。隠してたら隠してるって言うからさ」
 おれは炎上した彼女のSNSアカウントの話に戻して、この”問診”を躱した。

「その”ヘヴィキャリー”というラッパー集団は、チェインの敵性なのか?」
「あの人たちのことは考えたくないよ」

 micotoはそう言うが、考えて対処しなければならない状態にあった。
 特にイジメというものは、やられっぱなしというのが一番状況を悪化させる。micotoが言うように、すでに”これまでにない”ほど酷い有様になっていた。

「彼らからすれば、チェインがMCバトルに出てこないことも、攻撃材料なんだよね」

「MCバトル?」

「そう。各レーベルから代表者が出てきて、MCを競わせるコンテストみたいなもの。オンラインで全国8カ所のライブ会場からリモート中継して、モニター越しに競い合うっていう。___アキアスのレーベルから今年は誰が出るの?」

「知らない。その話は初耳だよ」

「毎年やっているんだよ」

 そして今年もヘヴィキャリーは、おそらくエントリーして来るだろうとmicotoは教えてくれた。チェインスネアが出てこないのに、わざわざ。

 おそらく、おれに対しても”出てこい”と言ってくるのが明白___。

「確かなことがあるな。敵わない相手の場合は、理由をつけてステージに上がって来ない。倒せる相手だと感じた際は、のこのこエントリーしてくるってことだ」

 おれは続ける、

「こいつらはおれをまだ捉えきれていないだろうから、”もっと出てきやすく”挑発してやったほうがいい」

 micotoは不安そうにしている。おれは楽観的に振舞った。

「炎上が楽しいようなら、油を注いでやるまで」


* * *


 次の日の週始め。仕事上がりの夕方になると、いつものようにレイブンのスタジオに入ってライムを書いていた。
 砂依田が何やら怪訝そうにおれを見ているな、とは思っていた。
 そして言ってくる。

「お前、それ間違って買ってきたのか?」
 奴はアゴでおれの頭部をしゃくった。

 ___ああ、キティアークのヘアピンな。

「貰いもんだよ。なんか女子ブランドらしいな。そんなに有名なのか」

「普通誰でも知っているんじゃねえか? 俺でさえ何故か知ってるぐらいの知名度はある」

「プロデューサー的に、おれが金ピカのヘアピン付けてると問題ありなのか? 要するにアーティスト業という意味で」

 砂依田は早々に興味を失うと回転チェアをまわし、背を向けてビートの編曲に戻る。

「別に好きにしていい。お前が知らずに付けてんのかと思っただけだ」

 そしてしばらくすると再度、砂依田はこっちに椅子を回転させて言う。

「___そういや、ネットのストリーミング・ライブ配信でMCの小競り合いがあるって話をお前にまだしてなかったよな。この手のカルチャーの慣例みてえな行事なんだが、各レーベルからラップ系のアーティストを一人出さないとならねえ。最近はずっと居咲がやりたがって出ていたんだが、あいつは今自ら休止状態に入っているから、アセットはお前しかしない」

「わかった」おれは言った、
「時期は?」

「来週らしいな、そこに紙がある。適当に頑張っておけ。だが作中のライムは使うな、それは分かってるよな?」

 そして奴はついでのように言う、
「___まあ本気でやり合いたいならそれでもいい。支障ないようにやれ」

 おれはストリーミング配信されるMCコンテストの告知を紙面で見た。
他所のレーベルから、micotoの炎上に関わっている”ヘヴィキャリー”の面子の名前があることを確認した。

 少し考えたのち、「じゃあそうする」と砂依田に言った。

 古い話題だが、ナックルの幼馴染だったヤクの売人の件はどうなったのかと聞いてみた。あれは無事に片付いたと砂依田は言う。

 ナックルは今、レーベルでの活動を自ら止めている。それはおれとの喧嘩がきっかけだった。違法薬物の売人の件ではない。

 ナックルの近況をあえて聞かないでおいた。そもそも砂依田もそこまで詳しく把握はしていない気がする。
 奴にとって、”重要な知るべき部分”と、”そうではない部分”。そいつが明白に線引きされていることは、すでにおれもよく分かっていた。

「キティアークを付けて出場すんのも、”オツ”かもな」

 おれがライムを書きながらボヤくと、デスクの向こうから砂依田が、
「そいつは地味に海外ブランドの品物だから値段はするらしいな、誰がそういったもんをお前にくれるんだ?」と聞いてきた。

「例の炎上してる女の子だよ。___チェインスネアと付き合いのある」

「ああ、お前のデモが上がっちまったアカウントのな」と奴は言いつつ、モニターで編曲作業をしながらジッポライターをカチカチ鳴らす。

「やっぱたまに吸いたくなんだよな、クソめが」

 そう言えば___とおれも思い出す。

「”キティアークは高い買い物だった”って彼女も言ってたな。渋谷じゃなくてフランスの女子ブランド品だったのか?」などと適当に言い、

「でも『減るものじゃない』から買ったんだよって事も言ってたな。____クソ! マジか」

 ここである事に気づくと、そのままスタジオを飛び出した。


 * * *


 おれは自分の部屋に戻り、冷蔵庫の奥からシュガーボックスを引っ張り出した。中には少二郎のあのボイスレコーダーが入っている。
 電源を入れて、最後のメッセージの吹き込まれたRECの日付表示を確認した。

 おれは目を瞑り、何かを思い起こそうとした。
 ___何を?

 おれが引っかかっているのはなんだ___?

 声がする、___CEOの声だ。
『誰のことを言ってるのか分からんが、面倒を見てくれた者がいたんだな。今もそれと一緒に暮らしてるのか?』

 おれの声。
『親戚にいるアーティストのジイさんだ。なんで知らねえ?』

 頭を振った。全然わからねえ___。
 ボイスレコーダーの蓋を開けて『電池』を取り出した。


「少二郎、あんた一体誰だったんだ?」


 CEOの表情を思い起こしてみるけれど、嘘を言っているようには感じられなかった。

 そしてこの手の中にある『電池』は10年前のものではない。そんなものは劣化して、とっくに中身が無くなっているはずだ。
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