第28話 マザーファッカ、”マザーファクタ”

文字数 7,044文字

『彼女はまさに天賦の才と思うような面白い人だった。ユーモアがあり、人を笑わせるのが上手だった___』


 おれは母親に関しても、もともと無いものとしてきた。けれど実の父親、CEOを介して母がどのような人だったのか、僅かばかり知ることになった。

 母を___部分的なカケラに違いないのだが___知った事で、おれの『笑い』の要素が優勢になった気がしている。

 2ndという変形する補強材もまた、おれの側面の一つだったのであれば、その方法論が急に自分の中から消滅するとも思えない。事実それらが一旦混ざり合い、後に再びマッシュアップされたとしたら?

 2ndの出現とそのやりクチは、非常時の対処法のようなものであったはず。だから人としての正常な感受性の一部が疎外されていたのかもしれない。

 今ではよく似ているとされる母親のほうの遺伝的因子(ファクタ)が、これまで主導権をとっていた2ndを変化させた気がしている。

 まさに変形を繰り返す人格だ。そのメカニズムも、確かなこともよく分からないのだけれど。

 そしておれが4才の時に三日間もボイラー室から発見されなかった理由も依然として不明瞭なままだ。

 しかし今は、差し迫った制作を完遂させなければならなかった。おれとケイシーは最後のセッションを開始していく。

 おれは新たに書き直したリリックをブースの中で吐き出していった。


 * * *


【バターサンド】 作詞:アキアス

へよう
先の大戦 思い出せパイセン
敗戦国が忍ばすハイセンス

核の如しで各国騒乱
ドーラン塗って ヤレンソーラン

ライムの爆弾ちゃっかし着火し
始まるパーティ Saturday Night.
こんなのキチガイ沙汰でない?

ドープ・ラップの感性
湧き上がる歓声に
応えるファンセール

Neo coolな詩を作るMCは
身振り手振りで
先を指し示めしていくってのがエブリデイ

素晴らしい すべり出し
これも韻踏みながらの ダベリだし

刻むリズムに 涙そうそう
Oh so 妄想でもまた言いそうに
かしぐアンバランスなゲームは シーソー

ライムはプリズム 言葉が煌めく
すぐに閃めくその様
ハイ・フィジカルな脳筋
目まぐるしく光る言霊
My ミュージカルにTalkin’

めくるめくFlowで時代を日めくり
デリバリーで繰り出す
楽しいお喋り
そんな羽振りで過ぎてく
おれのエブリデイ

”フワ付いた扇子”で”ふらついたダンス”を
全員帰らす新種のバブリー
利かせた揺さぶり 良識破り
ギャラリー沸かせる多様なキャラに

PTAも頭を抱えるP.T.S.D
「まるでパーティですね」

こんなヒップなホップのクルー達は
みんなヘッズでラップに狂うタチ

”言葉知る”ほどに”ホトバシる”
武闘家のパンチング・ラインに
打たれちまうサンドバッグ

そのreason(リーズン)は葡萄から
レーズン仕立てにバターサンドする
ってのがBetter than(ベターザン).

おれはクララが立ってもハイジを黙らす
羊飼いのアイツは ダグラス?
おじいさんに内緒でチーズをダブらす
そしてこのスタイルでファビュラスMC___



 ケイシーが笑うのをおれは初めて見た気がする。奴は言う、
「いいな。だがこれで終わりじゃねえよな?」


【レンズフレア】 作詞:アキアス

ガールフレンズもメンズフレンズも
理解に苦しむおれの確かなレンズフレア
出所も知れぬクリスタルな光源と
フリースタイルの好演が
シンクロ・ナイトスパークする

「おれも出来るフリしたる」
から始まるファイト・スタンス
まさに踊らす素描きのスタイラス
描画するDRAW(ドロー)に
下書き要らずなアウトロー
凌駕するフロウに
筋書き知らずなアートフロア

ぶっ飛ばすからには
常にGOODヴァース
時に失態もSTUDY(スタディ)の一環と
”いなすだけ”の”イエスタデイ”

”惰性のメッキ”じゃねえから
”磨製の石器”になってる器
頭に宿った魔性の突起
その都度その角 磨いたからに
既に間に合わない猿ぐつわ
Wanna Be(ワナビー)に宿った学びの魂

ただでは転ばね 自分の言葉で
ライムを吐き出す この場で
頼むぜBuddy
ってここにはNobody
可笑しくなったか脳まで
おれはノーマネー

ワン・ツー・スリー・フォー
今宵も夢の中へとFree fall(フリー・フォール)



 更に書き進め、ビートにライムを乗せていく。
「書きやすい上に調子がいい」おれは言う。

「そのようだな、”得意技”なんだ。おまえの」



【ミドルカラー】 作詞:アキアス

毎日ひたすらライムを追求
至高のIQ サンキューベイベ
今日も探求するべ

タイミングを
ちゃんと選ばないのが
おれのライミングよ
ファイティングポーズ?
まるで雷神のよう
見上げた空に、ライトニングショー
くらえおれの、ライミングショット 

稲光に映えるマントの怪盗
そして繰り出した回答
それは一語でFight(ファイト)

街頭を照らすガスマントル
おれはひるがえしたマント取る
中はぶら下げた裸身の”ピストルが一丁”
指し示す羅針盤の”ベクトルがきっと”
マジだから交わる 自信がマシンガンとなり
こんぐらいはコングラチュレーション
されていく人格

このグラデーションの各層は
何を隠そうDarkとLightを
直に”対角線”させようとする
”大作戦”の名案

その明暗のコントラストは
その内で対するDarkとLightをいだく
トライと逃げないその態度だろ

タイトにミドルカラーがみなぎるから
浮き上がる輪郭に
辺りのやつらがアタリを
つけられねえのも当たり前な話で

総当たりするには大層
準備体操が必要だそうな

そんな”小話”も みんな”野放し”
お口にチャックし 
ちゃっかりライムを着火して
心に灯したマントル

おれはまさに狂ったリクルーター
そしておまえを起用する
メジャーの端を持たせて
そのまま置いて行く
重ねたテイクと磨いたテクが弾き出す
”メジャー・スケール”
だからめちゃスゲエ

逆算じゃズリ落ちねえ作戦と
このサスペンダー 
おれもスペンサーな逆三角形で
マジかっけえ

蒔いた分だけ花が咲いた 
そんならおれも誰かを助けんだ


 * * *


 ___そしておれたちは制作を終える。

 この3曲がおれのファーストEPとして世の中にリリースされていった。このEPは「MASH UP(マッシュアップ)」というタイトルがつけられた。

 チェインスネアの遺作も同時期にリリースされ、エスクポータルと砂依田は約束通りにセールス記録で激突する形となる。

 おれはディープな制作期間を終えるとその後、数日間に渡って糸が切れたように眠った。

 そして月日は流れていく___。



 砂依田 圭史の成功を特集した業界のインタヴュー記事がいくつかあり、その中にこのような記述がある。


○アキアスのファニー・ラップのアイディアは、制作のどの辺りから生まれたものだったのでしょうか。

●あれは本当の終盤の頃、一番最後にスタジオ入りした期間の残り3日で全部録ったものだった。あいつは急に、ああいったリリックを書き始めたんで、その路線に切り替えることにした。すでに録ってあった曲はすべて捨てることになるが俺はいいと思った。こんなものでは全然ダメだと再三言っていたんで。あいつはすでに相当数のヴァースを書きまくっていたし、出し切っている感があったんですが、___まあ、技術の貯水みたいなものをすべて抜き切った後で底部から妙なものが見つかる、なんてことが実際にあるらしい。乱暴なやり方ではあったが結果的には良かった。

○ケイシーらしいですね。

●俺はアセットをぬるい環境に置きたくはない、むしろ激流の中に投げ込んでみたい。沈む奴と浮かび上がってくる奴、それぞれ個体差は当然あるだろうが、それでいいと思っている。俺とやらないほうがいいようなら、やらないだけ。

○今回のアキアスの2番目のトラックでは、あなたのご両親のクラシックレコードからのサンプリングが印象的でした。普段もこのようなことはされていたのですか。

●今回が初めてで今後は多分もうしない。俺はあの時ヘンな気を起こしていたらしい。___だがトラックは良いものに仕上がったのも事実なんで、そこは重要な点だと感じた。

○___ヒップホップとクラシックピアノの融合、ですか。

●いやそうではなく、俺がヘンな気を起こし、それが結果良いほうへ向かったという部分が。

○ちなみに数あるご両親の名盤の中からあの曲を使用した理由は何かありましたか、『Peat , la ,bit(ピータ・ラ・ビット)』ですが。

●わからない、その時思い浮かんだからだった。___あれは確か、俺が一番最初に習った曲だった気がする。

○それも当時のピアノ教師から習ったものですね。

●弾き始めは5歳からだったから俺に家庭教師はまだついていなかった。だから教わったのは・・


 * * *


「おれのような事例は以前にもあったのか?」
「いや、初めてのケースだった。だがどの子の大変だったさ」

 少二郎は当時すでに退職していたのだが、おれの件で呼び戻され、そしてそれを機にもう少し仕事をするのも悪くないと考え直したらしい。

 余した人生の時間で休暇をある程度過ごしていたらしいのだけれど、それらには大体飽きがきていたようだ。今もあの児童養護施設で非常勤職員として出てきている。

 少二郎はおれを「ブラザー」と言った。おれたちは仲間だということだ。

 彼は言う、

「時々会いにくるのはいい、だが俺たちの間柄はこれが事実なんだ。つまり生徒と職員。俺の手を離れた後、アキアスはここからの卒業ということになる」

「俺たちは偶然同じ時代を生き、偶然すれ違い、一時的に関わり合った。そのことを俺は有り難く思っている。本当だ。お前は”いい奴”だった。周りからすればクソ生意気で横暴ですらあるだろうが、芯の部分は誰よりも誠実で優しい男だ」

「お前は色々あっただろうが、自分の根っこは決して腐らせなかった立派な人間でもある。証書代りじゃないが、そんな言葉を贈りたい。すれ違った者たちはまた、それぞれが自分の向かうべき方へと歩んでいくものだ。俺たちも例外ではない。___そしてお前はまた違う誰かと出会っていくことになる。そのためにも、ここから踏み出して行かなければならないだろう。俺だってそうさ」

 少二郎はニカッと笑った。おれは彼と握手を交わし、職員室の彼らは拍手をして送り出してくれた。


 おれは恵まれた人間だった。
 恩はバトンのようなものだ。
 渡されたバトンは誰かに渡すことができる。
 彼らに返すためではない、
 次の誰かに渡すべきものとして受け取ったのだろうな。


 何人かの職員もいた。そこにはおれが覚えていないだけで、当時からいた職員もいる。おれは彼らに深々と頭を下げた。
 おれはすっかり人の世話になって成り立った人間だった。予定にはなかったが、おれはこの時がっつり泣いていた。

 ___世の中には人を救いあげる人間がいて、その利害や意味がどうであれ、それは問題ではないと感じる。

『救いあげる人間がいる』という紛れもない事実がそこにある。命を繋ぎとめられた者にとってはそれが全てで、それだけで十分だ。___願わくばおれもそんな人間に成りたいと思う。


「お世話になりました」
「元気でな、アキアス」


 施設の門のところで振り返り、その建物を見る。夜中に抜け出して見た月明かりの児童養護施設は、当時のおれの目に拘留施設のようなものに映っていたことを思い出す・・。
 あれから然るべき歳月が流れ、おれはここまで来たんだなと思うと、胸に込み上げてくるものがあった。

『目の前が暗闇でしかない時、人は挫かれる。おれたちは本当にもうどうにもならないのか__?』

 闇の中にいる時、闇に気を取られている。「Sky is the limit.」という言葉が好きだと言っていた男、チェインスネアを思い出す。

 曇天の暗がりの向こう側へ抜けてしまうと、そこには青く広がる景色があり、その先には宇宙だってある___。


 * * *


 おれはレコードを出したことによって、これまでやってきた建設の土方仕事を月末で終えることになっていた。
 あの会社の株を持って経営陣の側へ行くことになったレイジーとも、日常的な関わり合いはなくなることになる。
 そして創作畑で共に仲間であるナックルの方とは、レイブン・レコーズの事務所で会う機会は増えるようになった。

 レイジーとナックル___。この二人は別々の仲間だったのだけれど、今回おれに呼ばれて二人は引き合わされる羽目になり、互いに初対面だったにも関わらず、歳も離れていないこともあって打ち解けないことも特になかった。

 おれは二人の友人を伴って詞折に会いに行く。

 MCバトルのステージのあったあの日、彼女はおれにカウンセラーとしての助言を残し、そのライセンスを自分から切り離して暗がりから明るい方へ抜けて去っていった。

 『金の紙ヒコーキ』___詞折の機影を完全に見失っていたおれが、今更追いかける筋合いなんて本来ならないのだけれど。


 おれの運転する白のスカイラインに乗せられたレイジーとナックルは、一体何事なんだとしきりに喚いた。

「一人で会いに行く勇気がないってことかよ、アキアス」とナックルは言って笑い、
「これの時間給はいくらなんだ、俺まだタイムカード押してない」とレイジーも言いながらウケていた。

 おれは説明しない訳にもいかない気がしてきたので、訳を話す。

「詞折は子供の頃の家族旅行中に、あるトラブルに見舞われてるんだ。野郎3人組のならず者がその日、彼女に心の傷を負わせた。___今日は彼女が大切なものを取り戻す日になってほしい。だからおれたち野郎3人で行く必要があるんだ」


 詞折は保育園で働いていた。まだ園内にいて居残り組の子ども達の世話をしている。おれはまだ消していなかった着信履歴から彼女の番号に電話した。問題は向こうが出るかどうかだった。

 しばらくのコールの後、声が聴こえた。

「見覚えのある番号だけど?」
「出てくれてどうも。今近くに来てるんだ、入り口まで出てきてくれないか」
「___ここに来てるの?」
「そう。正門のところにいる」

 おれたちは悲しいことにガラの悪い見てくれの野郎たちなので、無為に門をくぐらないほうがいいと判断した。

 少し待つと、彼女は保育園の入り口の所まで出てきてくれた。水場で何か仕事をしていたようで袖をたくし上げ、素足にサンダル履き、髪を後ろで一本に束ねていた。

 彼女からはあの暗がりの時に嗅いだ爽やかなオーデコロンの香りがしている。

 彼女は驚いた顔をして、おれたち3人を交互に見た。そこには見知らぬレイジーとナックルがいて、『ニセモノ』のアキアスがいる。

「どうしたの?」詞折は言った。

「教えて欲しいことがある。___あの日、車の外に出て落としたクマのぬいぐるみ、名前は何だったんだ?」おれは聞いた。

 詞折は不意の質問に戸惑った様子を見せたが、答えてくれた。

「シーちゃんだよ、私も子供の頃にシーちゃんって呼ばれていたから。人間のシーちゃんと、クマのシーちゃん___」

 彼女の顔に哀しみが少し陰った。

 おれは茶色のテディベアを差し出した。当時彼女が落としてしまったクマと同じ型のテディベアだ。

「うそ!___どうして」

 おれは安心する、「やっぱこっちでいいんだな」と言って笑った。

「生まれた日にテディベアを贈られるなんてイギリスの風習らしいよな。お祖母さんが英国人でクォーターだもんな。ただのクマのぬいぐるみじゃなくて、テディベアだろうとは思っていた」

 おれは一人で頷く、

「当時製造されていたテディベアを調べてみた。君の生まれた頃に作られていた品型は幸いなことに一種類のベアだったけれど、カラーのバリエーションが二種類あった。つまり白と茶色。___それで気づいたんだけど、君はいつもブラウンのものを身につけていることが多かった。カーディガン、ショルダーバッグ、スマートフォンのカバー。___茶系統のものばかりだ。おそらく心理が反映されているんだろう、だから当時クマは茶色だった可能性が」

 おれはテディベアを手渡す、詞折はうつむいてウンウンと頷いた。細い白い手がスッと伸びてベアを掴む。

 おれは後ろに退いて言う、

「元の自分、___それがどんなだったか、おれはもはや思い出すことすらできなくなっている。何かを失うとそうなるんだ。”何を失ったのか”すら分からなくなる。それが本当に”失った”ということなんだと思う」

「大切なものを無くさないでほしい。こんなふうにならないでほしい。君は取り戻せる。シーちゃんが戻ってきて、シーちゃんはひとつになる。”本物”のシーちゃんになれる」

 彼女の探していた『私のカケラ』がその手の中に戻ったと、おれは思いたかった。おれそのものは『カケラ』には成り得なかった。だからせめて・・。

 友人たちが車に乗り込む。おれは彼女に振り返る、

「___すまない、大幅に出遅れた後で『金の紙ヒコーキ』を探し回ったんだけど、おれは見つけることができなかった。ごめん、詞折」

 おれも車に乗り込むとすぐに発進した。彼女が泣いていた気配を感じたまま、おれは直視せずに走り去った。

 春になり新緑の季節になっていた。木漏れ日の折り重なる街道に差し掛かった時、おれはアクセルを踏み倒して加速する。走り抜けていく白いスカイラインはまるで、選ばれなかった方のホワイトベアのように感じた。

 ___おれはこのまま行くしかない。でも君はそうはならない。
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