第16話 黄金トレイル
文字数 6,285文字
「アキアス、来たか」
昼頃に年末休暇中の建設会社の事務所に入ると、レイジーがすでに石油ストーブの火にあたっていた。
「出張が決まったらしいな。場所は?」
おれは上着のフードに被さった雪を叩き落として言った。レイジーもまだ聞いていないらしい。間もなくするとタシさんの黒いエルグランドが到着、張った氷で開きづらくなったドアに文句を垂れながら、タシさんは事務所に入ってきた。
「アキアスと”お坊ちゃん”で、『えりも』に応援に行ってきてくれねえか。向こうの社宅で寝泊りできる。そんなに長くはかからんからよ」
『えりも』か___。ずいぶん遠いな。しかも社宅で泊まり込み。
これを聞いたレイジーは、懲役刑を食らったような顔をした。
雪の積もる地方では一時的に仕事が薄くなる業種がある。おれの籍を置いている建設会社も例外なく閑散期、しかも年末休みに入っていたのだが、他所から仕事を確保すると冬期出張を振られることになった。
指示を受けて各地に飛ばされる要員は他にもいて、おれとレイジーもその内に含まれた。
おれたち二人が、ツインパックとして送られる先は、釧路からえりも岬に通じる国道336号線、つまり『黄金道路』。
その国道は、建設の歴史においてもなかなか悪名高い主要道で、北海道の東南端に面した海岸線をなぞるかのようにして伸びている。つまり、北海道の一番下にある尖ってる部分の”輪郭(アタリ)”にある長い道路の一部だ。
そこは断崖絶壁感あふれる急斜面からの落石、落雪が常習化しているルート。そしてその対策も散々施されてきた場所でもある。ついでに道内で一番長いトンネルもここにあったりする。
昔は迂回するように避けられていたエリアだけれど、国道に変えてしまおうと着工が始まってみると、その建設費用は予算を大幅に上回って馬鹿食いしたために、”まるで黄金を敷き詰めて作ったぐらいの有様ですな”、と誰かが口走った事により、『黄金道路』と呼ばれるようになった。
「しかしひでえ降雪量だよな。まあおかげで仕事ができた。じゃあ頼むわ、お前ら」
チェインスネアと学校のグラウンドで立ち話をした日から降り始めた雪は、気がつくと道内全域にわたる豪雪をもたらしていた。特に太平洋側は完全に警戒区域になっている。
うちの建設会社は、12月の少しの間、暇な時間をぬくぬくとしていたが、千歳空港そして内地にある空港にも数名の除雪要員を飛ばしている。
今回は仲間の同業者からの応援要請ということで、おれとレイジーをパックして東南の一番端っこにある街に送り込むことにしたようだ。
クリスマスはもちろん、仕事の状況によっては正月も向こうで迎えることになる。
おれたち二人は軽いブリーフィングをタシさんから受け、簡単な荷造りを済ませると、二日後には出張先である『えりも』に到着。
仲間の系列会社が用意した社宅に案内され、二人して早々に持参した私物を室内に展開し、一時滞在可能な仮住まいの装いに仕立てた。
この社宅の外観は、外に金属階段が付いているただの二階建てのプレハブ小屋なのだが、内装はもちろん断熱施工もされているし、灯油ストーブもあり、台所や風呂などの水回り設備もある。
ここでの待遇としては、近所の主婦がお手伝いさんとして、朝食の支度をしに平日は通ってくれる。夕飯は外にある指定された近くの食堂で出されたものを食べればいい。だけど昼食だけは自分ら持ちで頼むね、ということになっていた。
基本ルールはそのような感じで、おれたちは二階の広い部屋___間仕切りを抜いた続き部屋___を皆で共有するのだが、ここにはこの会社に雇われた住み込み作業員も、すでに何人か同じく雑魚寝をしていた。
「おたくら、どこから来たの?」
「札幌シティ」おれが応えた。
「都会だな。何でもある。この辺りは店はあまり無いけど、風は沢山あるよ」
外に出れば、風力発電のタービンを回すあの白い風車が、そこら辺に立っているような街だった。
海沿いであり、風は基本強い日が年間通して多い。結局その風というのが、外仕事をする人間にとっても過酷さとして冬場はのしかかってくる事になる。強い風には雪も交じりがち。
そしてすぐ後ろを振り向けば海面がすぐそこに見え、正面には切り立った山の絶壁があるというロケーション。
それが『黄金道路』ということになる。
おれたちは到着後の次の日には、『黄金道路』にあるトンネル付近での除雪作業があった。トンネルの内壁補修が仕事のメインになっている。
『黄金道路』のトンネルは定間隔でしつこいほど沢山あり、補修作業をやっていても、海側のトンネル壁は基本外が見えるスリット状態。暴風を防いでくれるような事は特にない。そのまんま外にいるのと同じ寒風に晒されてのトンネル内作業になる。その業務は社宅の雑魚寝仲間とも一緒に組むことになっている。
しばらくして彼らと内輪話をするようになると、それぞれの経歴が多種多様だったため、娯楽なき社宅生活でも退屈することはなかった。
ある人は自分は元受刑者で2年前に出所してきたと言うし、ある人はマグロ漁船に乗っていたことを話している。短期間は身を危険に晒すことになるが、高給取りの海の雇われ乗組員。
そしてある人は家の事情によって姿をくらます目的で、ここに寝泊まりしながら働いていると告白している。
おれたちは互いに、『過去にどういう素性があろうが、目の前にいる相手の存在を感じ取って判断する』タイプの人間であるという意味において共通していたので、割とすぐに打ち解けていった。
重要な判断基準となるものは、世間が貼り付けたラベル等ではなく、自身の主観で察知していきたい。___そういった感受性は、『人の話』に翻弄され始めると失っていく。噂話や定説に当てはまらない事実もまたあるからだ。
一方のおれは、あの悪名高い音楽であるラップをやるつもりである”危険人物”と見なされる訳だし、この中で比較的無害であるレイジーですら、”札幌の社で重役に収まる予定である野郎”となれば、ここにノーマルな奴なんて一人も見当たらない有様になった。
この雑魚寝集団を___適切な表現ではないが___どこか多国籍出身者で構成されたフランスの外人部隊を連想してしまった。
おれたちは基本仲良く協力し合いながら、暴風吹き荒れるこの北海道の南端部において、短期間だけだが仕事を共にした。
彼らは本人たちの意向で、休日出勤も全然良いとする稼ぎタイプの日雇い集団だったために、同じ部屋で寝泊まりしている札幌組のおれたちまでもが、気づけばこの会社から彼ら同様の扱われ方をする格好になった。
だがそれも短期間のことでもあったしで、どちらでも良かったってのが正直なところでもある。
仕事はトンネルの補修工事の補助と近辺の除雪作業。トンネル補修工事は専門職ではないので、テコとなって動いた。
おれもレイジーも時折はモルタルのパテ埋めも冗談で振られたりもしたが、左官の助手として仕事のキャリアをスタートさせた割に、おれは今も上手くは出来ずだった。
思えば少二郎にも、この作業を任されたことはなかった。だから未だにできない。
左官業の技術的な熟練には実技年数を要する。トンネル補修は特に高等技術職なので、おれたちにやれることは少ない。
それでもおれは主に下地を埋めることをしてみて、その上から仕上げ行程を慣れている者がやって、最終的にキメていくという流れ作業も経験できた。
メインの漫画家が黒のべた塗りをアシスタントに振って、時間配分を戦略するような形に似ている。
___ここでの仕事が始まり、数日後には拘束時間が定時8時間を越えると、レイジーは残業手当のパーセント割り増しの話題を持ち出してきた。
そして日雇い組の彼らに付き合う形で、本来なら休みだった日にも仕事に出るとなると、今度は「休日手当って何割増しだったっけか、アキアス」とレイジーは言い始め、「出張手当と混同されて計算がうやむやにされてないよな?」などと、要するに”いろいろ気になって仕方がない”状態になってきた。
おれはもう思い出すことがあまり出来ないのだが、以前はそういうことばかり自分も考えていた頃があったはず。
昼休みに空を仰いで「もう帰りてえ」みたいな黄昏の時も多くあった。
___だがこれは極めて突飛なものの考え方に見なされるんだろうけれど、おれ個人はもう何だか金周りの計算は結構どうでも良くなって、ずいぶん歳月が経っている。
月給与が生活と創作活動費をまかなう必要分あれば、時間を給与で換算するとどうなるのか、という類いのことは結構どうでもいい感じだ。
自分の活動に支障が出るような拘束時間や、金が足りな過ぎて首が回らないような状態は困るけれど、そうでないならば、むしろそれらを考えずに仕事にぶち当たり、時間感覚の喪失が起きるような状態を作り出したい。
その方が心身共に苦労と感じずに済ませられる。そういう理由だった。
これをレイジーに打ち明けてもどうせ、「お前大丈夫かよ?」みたいなことを言われるに決まってるので、必要がなければ話題にすることもなかった。
だが、夕飯が終わって皆で敷き布団の上でまったりしている時間帯に、レイジーがこの辺の話題を急に持ち出したことで、ここにいるそれぞれが自身の意見を投げ合って少し盛り上がる事になっていく___。
レイジーは言わば、”労働者”へ鞍替えをしたばかりの時期だった。皆に「体力的に大丈夫なのか」とか「よくやってるよね」とか、つまりその手の疑問を素直に喋っていた。
___「たまに手を抜きたくなっちまう」ということも、ざっくばらんに打ち明けていた。
皆も笑っていたものの、ここにいるのはその辺の時期はすでに越えてきてしまった連中ばかりだった。とりあえずレイジーの隣りにいたおれが最初に自分の事をそれなり喋り出すことになった。
「おれは結構いろんな職種をやってはきたんだけど、どの仕事をやっていても結局は”楽しい部分を見つけていける”体質だった」
そう切り出すと、元船乗りの人は、「それが一番いいパターンなんだよな」と言いながら缶ビールを煽っている。おれは話し続けた。
「いったんそれなりに楽しい属性が仕事に付いちまうと、金のために仕方なくやってる感覚が消えていくよな。ってことはつまり、体感的にも時間感覚が消失し易くなるってことで、総じて楽に行える状態が出来上がってくる」
「___別に意図してそうしてはないけど。で、自分の仕事を賃金の変換ではあまり考えないような、世間一般の働くことへの概念をすっ飛ばしたテロライクな意識の奴にいつしか出来上がってしまった頃、おれは一気に様々な物事が回り始めた感がある」
「つまり何でも大体上手くやっていけるような状態になっていった。これは多分適切な言い回しではない可能性が大なんだけど、”GAME”みたいな感覚が実際にある。この”GAME”ってのは体力的に余力があるような身体コンディションがあって初めて成り立つものではあるんだけど、平日は大いに仕事で暴れて家に帰る。帰ったら残った余力で自分の好きなことをする。休日はもっとリソースを投じて好きなことをする。そのサイクルで稼働しつつ、月一には『それなりの金が口座に振り込まれるから、一応大丈夫』みたいな、正に”GAME”の装いになってる感じか___」
おれが話し終わると、皆が爆笑した。
そこまで気持ちに余裕はないけど、大体近いものは俺にもあるよ、と雑魚寝仲間の一人が言った。「ある程度そういう感覚がないと、やっぱ続いてはいないんじゃないか」と言う者も出てくる。
レイジーは呆れてるのと笑っているのとで、ゴチャ混ぜになっていた。
「___アキアスの、なんだ、動きっぷりっていうかあんま疲れないでやってるあの感じはそういう事かよ。お前はほんと変な奴だな、すげえわ。そんな状態でやってるんなら根本的に俺なんかとは違うし、手に負えねえと思う。どんどん何でも吸収しちまうし、習得すんのも馬鹿早い。バケモンかよ」
「資本主義圏内にいようがいまいが、この世界をどういった”GAME”にするかは、自分で決めたほうがいいとおれは思ってる」
そう思い当たっておれは頷く、
「資本圏の基本ルールは『金の獲得』なんだろうけど、そいつに翻弄された結果、『素敵なこと』をせずに消えていく人たちが最近やたら多いからな」
そして他の一人は自身についてこう話し始めた。
「別に理想とかいう話じゃないんだけど、俺なんかは一回どこかで手を抜いたら、そこからズルズルと手を抜ける場所を考え始めて、結局は自分がただ辛くなっていくっていうのを過去に嫌っちゅうほど経験してきた。だから面倒くせえって時でも、それ以上ひどくはならないように”しっかりやっつけておく”習慣は一応持ってるよね」
彼はテレビで見た『アメリカ西部開拓史』のドキュメンタリー番組を回想して、それを交えつつ話し続ける。
「___それで、アメリカの西部開拓史で最も使用頻度の高かったルートでもある”オレゴン街道(トレイル)”というものがあるらしい。移民の集団移動や貿易の要となった結構大きな意味合いを持つ長い主要道路で、当時は舗装もされていないような通り道だよ。アスファルト合剤もなにも無い頃だから。それを歩きやすい道として切り拓いて施工するのにもかなり苦労が伴ったはずだけど、一度そいつが出来上がってしまうと、そこを数え切れない程の人や物が通過していく事になったわけでしょ?___どれほど大勢の移民がここ使って移動したものか、大勢の商業者が物を運搬するために貿易路として利用したものか計り知れない、っていう内容の番組だよ。それこそオレゴン街道は、”元を取りまくり”の事業だった訳だ」
そして彼は話をこう結ぶ、
「俺らも例えば、縁石填めようにも下地が斜めっていて上手く填まんねえとかあるじゃん? ”何でこんな所にびっちり舗石を積む必要あるんだよ?”とか、こんな苦労に意味あるのかよって思う事だってあった。でもあのドキュメンタリーを見てからの俺は、オレゴン街道を時々思い出すことがあるよ。要は今やっているこいつだってある程度の、まあそれこそ10年以上は何だかんだここに残っていくよな、って思うとあんま手は抜けなくなるもんね___」
* * *
皆との談笑の後、おれは一人、曲を書いていた。すでにイビキをかいている者もいる。作詞をしながら考えていたことがあった。
たかが2秒や3秒の箇所の編曲作業。パッと見で読み流されてしまうようなコマ絵。
それらも一人の換算で見ればほんの一瞬なのだろう、けれどこれらが膨大な人々が消費するものに成っていく場合、その合計の総時間の方が正規の物差しに成り代わっていくのかもしれない。
”もしここで手加減なんざしてしまったら?”
___考えてみると恐ろしい。『大いなる手抜き仕事』の程になって、後々まで恥を晒していく事態が引き起こってくる。
自分の成すあらゆる所業に、オレゴン街道(トレイル)の例を想定して当たる必要があるのかもしれない。
おれが作ろうとしているものは一曲3、4分のものが、せいぜい数曲ぐらいだろう。手を抜く余地は無い。
手を抜く事と『引き算』をかます英断は、別のものに違いない。
最も効果的に機能するトリガーとして組み立て、仕掛けていく。
それをやらなければ___。
おれは作詞を止めて、眠りについた。
昼頃に年末休暇中の建設会社の事務所に入ると、レイジーがすでに石油ストーブの火にあたっていた。
「出張が決まったらしいな。場所は?」
おれは上着のフードに被さった雪を叩き落として言った。レイジーもまだ聞いていないらしい。間もなくするとタシさんの黒いエルグランドが到着、張った氷で開きづらくなったドアに文句を垂れながら、タシさんは事務所に入ってきた。
「アキアスと”お坊ちゃん”で、『えりも』に応援に行ってきてくれねえか。向こうの社宅で寝泊りできる。そんなに長くはかからんからよ」
『えりも』か___。ずいぶん遠いな。しかも社宅で泊まり込み。
これを聞いたレイジーは、懲役刑を食らったような顔をした。
雪の積もる地方では一時的に仕事が薄くなる業種がある。おれの籍を置いている建設会社も例外なく閑散期、しかも年末休みに入っていたのだが、他所から仕事を確保すると冬期出張を振られることになった。
指示を受けて各地に飛ばされる要員は他にもいて、おれとレイジーもその内に含まれた。
おれたち二人が、ツインパックとして送られる先は、釧路からえりも岬に通じる国道336号線、つまり『黄金道路』。
その国道は、建設の歴史においてもなかなか悪名高い主要道で、北海道の東南端に面した海岸線をなぞるかのようにして伸びている。つまり、北海道の一番下にある尖ってる部分の”輪郭(アタリ)”にある長い道路の一部だ。
そこは断崖絶壁感あふれる急斜面からの落石、落雪が常習化しているルート。そしてその対策も散々施されてきた場所でもある。ついでに道内で一番長いトンネルもここにあったりする。
昔は迂回するように避けられていたエリアだけれど、国道に変えてしまおうと着工が始まってみると、その建設費用は予算を大幅に上回って馬鹿食いしたために、”まるで黄金を敷き詰めて作ったぐらいの有様ですな”、と誰かが口走った事により、『黄金道路』と呼ばれるようになった。
「しかしひでえ降雪量だよな。まあおかげで仕事ができた。じゃあ頼むわ、お前ら」
チェインスネアと学校のグラウンドで立ち話をした日から降り始めた雪は、気がつくと道内全域にわたる豪雪をもたらしていた。特に太平洋側は完全に警戒区域になっている。
うちの建設会社は、12月の少しの間、暇な時間をぬくぬくとしていたが、千歳空港そして内地にある空港にも数名の除雪要員を飛ばしている。
今回は仲間の同業者からの応援要請ということで、おれとレイジーをパックして東南の一番端っこにある街に送り込むことにしたようだ。
クリスマスはもちろん、仕事の状況によっては正月も向こうで迎えることになる。
おれたち二人は軽いブリーフィングをタシさんから受け、簡単な荷造りを済ませると、二日後には出張先である『えりも』に到着。
仲間の系列会社が用意した社宅に案内され、二人して早々に持参した私物を室内に展開し、一時滞在可能な仮住まいの装いに仕立てた。
この社宅の外観は、外に金属階段が付いているただの二階建てのプレハブ小屋なのだが、内装はもちろん断熱施工もされているし、灯油ストーブもあり、台所や風呂などの水回り設備もある。
ここでの待遇としては、近所の主婦がお手伝いさんとして、朝食の支度をしに平日は通ってくれる。夕飯は外にある指定された近くの食堂で出されたものを食べればいい。だけど昼食だけは自分ら持ちで頼むね、ということになっていた。
基本ルールはそのような感じで、おれたちは二階の広い部屋___間仕切りを抜いた続き部屋___を皆で共有するのだが、ここにはこの会社に雇われた住み込み作業員も、すでに何人か同じく雑魚寝をしていた。
「おたくら、どこから来たの?」
「札幌シティ」おれが応えた。
「都会だな。何でもある。この辺りは店はあまり無いけど、風は沢山あるよ」
外に出れば、風力発電のタービンを回すあの白い風車が、そこら辺に立っているような街だった。
海沿いであり、風は基本強い日が年間通して多い。結局その風というのが、外仕事をする人間にとっても過酷さとして冬場はのしかかってくる事になる。強い風には雪も交じりがち。
そしてすぐ後ろを振り向けば海面がすぐそこに見え、正面には切り立った山の絶壁があるというロケーション。
それが『黄金道路』ということになる。
おれたちは到着後の次の日には、『黄金道路』にあるトンネル付近での除雪作業があった。トンネルの内壁補修が仕事のメインになっている。
『黄金道路』のトンネルは定間隔でしつこいほど沢山あり、補修作業をやっていても、海側のトンネル壁は基本外が見えるスリット状態。暴風を防いでくれるような事は特にない。そのまんま外にいるのと同じ寒風に晒されてのトンネル内作業になる。その業務は社宅の雑魚寝仲間とも一緒に組むことになっている。
しばらくして彼らと内輪話をするようになると、それぞれの経歴が多種多様だったため、娯楽なき社宅生活でも退屈することはなかった。
ある人は自分は元受刑者で2年前に出所してきたと言うし、ある人はマグロ漁船に乗っていたことを話している。短期間は身を危険に晒すことになるが、高給取りの海の雇われ乗組員。
そしてある人は家の事情によって姿をくらます目的で、ここに寝泊まりしながら働いていると告白している。
おれたちは互いに、『過去にどういう素性があろうが、目の前にいる相手の存在を感じ取って判断する』タイプの人間であるという意味において共通していたので、割とすぐに打ち解けていった。
重要な判断基準となるものは、世間が貼り付けたラベル等ではなく、自身の主観で察知していきたい。___そういった感受性は、『人の話』に翻弄され始めると失っていく。噂話や定説に当てはまらない事実もまたあるからだ。
一方のおれは、あの悪名高い音楽であるラップをやるつもりである”危険人物”と見なされる訳だし、この中で比較的無害であるレイジーですら、”札幌の社で重役に収まる予定である野郎”となれば、ここにノーマルな奴なんて一人も見当たらない有様になった。
この雑魚寝集団を___適切な表現ではないが___どこか多国籍出身者で構成されたフランスの外人部隊を連想してしまった。
おれたちは基本仲良く協力し合いながら、暴風吹き荒れるこの北海道の南端部において、短期間だけだが仕事を共にした。
彼らは本人たちの意向で、休日出勤も全然良いとする稼ぎタイプの日雇い集団だったために、同じ部屋で寝泊まりしている札幌組のおれたちまでもが、気づけばこの会社から彼ら同様の扱われ方をする格好になった。
だがそれも短期間のことでもあったしで、どちらでも良かったってのが正直なところでもある。
仕事はトンネルの補修工事の補助と近辺の除雪作業。トンネル補修工事は専門職ではないので、テコとなって動いた。
おれもレイジーも時折はモルタルのパテ埋めも冗談で振られたりもしたが、左官の助手として仕事のキャリアをスタートさせた割に、おれは今も上手くは出来ずだった。
思えば少二郎にも、この作業を任されたことはなかった。だから未だにできない。
左官業の技術的な熟練には実技年数を要する。トンネル補修は特に高等技術職なので、おれたちにやれることは少ない。
それでもおれは主に下地を埋めることをしてみて、その上から仕上げ行程を慣れている者がやって、最終的にキメていくという流れ作業も経験できた。
メインの漫画家が黒のべた塗りをアシスタントに振って、時間配分を戦略するような形に似ている。
___ここでの仕事が始まり、数日後には拘束時間が定時8時間を越えると、レイジーは残業手当のパーセント割り増しの話題を持ち出してきた。
そして日雇い組の彼らに付き合う形で、本来なら休みだった日にも仕事に出るとなると、今度は「休日手当って何割増しだったっけか、アキアス」とレイジーは言い始め、「出張手当と混同されて計算がうやむやにされてないよな?」などと、要するに”いろいろ気になって仕方がない”状態になってきた。
おれはもう思い出すことがあまり出来ないのだが、以前はそういうことばかり自分も考えていた頃があったはず。
昼休みに空を仰いで「もう帰りてえ」みたいな黄昏の時も多くあった。
___だがこれは極めて突飛なものの考え方に見なされるんだろうけれど、おれ個人はもう何だか金周りの計算は結構どうでも良くなって、ずいぶん歳月が経っている。
月給与が生活と創作活動費をまかなう必要分あれば、時間を給与で換算するとどうなるのか、という類いのことは結構どうでもいい感じだ。
自分の活動に支障が出るような拘束時間や、金が足りな過ぎて首が回らないような状態は困るけれど、そうでないならば、むしろそれらを考えずに仕事にぶち当たり、時間感覚の喪失が起きるような状態を作り出したい。
その方が心身共に苦労と感じずに済ませられる。そういう理由だった。
これをレイジーに打ち明けてもどうせ、「お前大丈夫かよ?」みたいなことを言われるに決まってるので、必要がなければ話題にすることもなかった。
だが、夕飯が終わって皆で敷き布団の上でまったりしている時間帯に、レイジーがこの辺の話題を急に持ち出したことで、ここにいるそれぞれが自身の意見を投げ合って少し盛り上がる事になっていく___。
レイジーは言わば、”労働者”へ鞍替えをしたばかりの時期だった。皆に「体力的に大丈夫なのか」とか「よくやってるよね」とか、つまりその手の疑問を素直に喋っていた。
___「たまに手を抜きたくなっちまう」ということも、ざっくばらんに打ち明けていた。
皆も笑っていたものの、ここにいるのはその辺の時期はすでに越えてきてしまった連中ばかりだった。とりあえずレイジーの隣りにいたおれが最初に自分の事をそれなり喋り出すことになった。
「おれは結構いろんな職種をやってはきたんだけど、どの仕事をやっていても結局は”楽しい部分を見つけていける”体質だった」
そう切り出すと、元船乗りの人は、「それが一番いいパターンなんだよな」と言いながら缶ビールを煽っている。おれは話し続けた。
「いったんそれなりに楽しい属性が仕事に付いちまうと、金のために仕方なくやってる感覚が消えていくよな。ってことはつまり、体感的にも時間感覚が消失し易くなるってことで、総じて楽に行える状態が出来上がってくる」
「___別に意図してそうしてはないけど。で、自分の仕事を賃金の変換ではあまり考えないような、世間一般の働くことへの概念をすっ飛ばしたテロライクな意識の奴にいつしか出来上がってしまった頃、おれは一気に様々な物事が回り始めた感がある」
「つまり何でも大体上手くやっていけるような状態になっていった。これは多分適切な言い回しではない可能性が大なんだけど、”GAME”みたいな感覚が実際にある。この”GAME”ってのは体力的に余力があるような身体コンディションがあって初めて成り立つものではあるんだけど、平日は大いに仕事で暴れて家に帰る。帰ったら残った余力で自分の好きなことをする。休日はもっとリソースを投じて好きなことをする。そのサイクルで稼働しつつ、月一には『それなりの金が口座に振り込まれるから、一応大丈夫』みたいな、正に”GAME”の装いになってる感じか___」
おれが話し終わると、皆が爆笑した。
そこまで気持ちに余裕はないけど、大体近いものは俺にもあるよ、と雑魚寝仲間の一人が言った。「ある程度そういう感覚がないと、やっぱ続いてはいないんじゃないか」と言う者も出てくる。
レイジーは呆れてるのと笑っているのとで、ゴチャ混ぜになっていた。
「___アキアスの、なんだ、動きっぷりっていうかあんま疲れないでやってるあの感じはそういう事かよ。お前はほんと変な奴だな、すげえわ。そんな状態でやってるんなら根本的に俺なんかとは違うし、手に負えねえと思う。どんどん何でも吸収しちまうし、習得すんのも馬鹿早い。バケモンかよ」
「資本主義圏内にいようがいまいが、この世界をどういった”GAME”にするかは、自分で決めたほうがいいとおれは思ってる」
そう思い当たっておれは頷く、
「資本圏の基本ルールは『金の獲得』なんだろうけど、そいつに翻弄された結果、『素敵なこと』をせずに消えていく人たちが最近やたら多いからな」
そして他の一人は自身についてこう話し始めた。
「別に理想とかいう話じゃないんだけど、俺なんかは一回どこかで手を抜いたら、そこからズルズルと手を抜ける場所を考え始めて、結局は自分がただ辛くなっていくっていうのを過去に嫌っちゅうほど経験してきた。だから面倒くせえって時でも、それ以上ひどくはならないように”しっかりやっつけておく”習慣は一応持ってるよね」
彼はテレビで見た『アメリカ西部開拓史』のドキュメンタリー番組を回想して、それを交えつつ話し続ける。
「___それで、アメリカの西部開拓史で最も使用頻度の高かったルートでもある”オレゴン街道(トレイル)”というものがあるらしい。移民の集団移動や貿易の要となった結構大きな意味合いを持つ長い主要道路で、当時は舗装もされていないような通り道だよ。アスファルト合剤もなにも無い頃だから。それを歩きやすい道として切り拓いて施工するのにもかなり苦労が伴ったはずだけど、一度そいつが出来上がってしまうと、そこを数え切れない程の人や物が通過していく事になったわけでしょ?___どれほど大勢の移民がここ使って移動したものか、大勢の商業者が物を運搬するために貿易路として利用したものか計り知れない、っていう内容の番組だよ。それこそオレゴン街道は、”元を取りまくり”の事業だった訳だ」
そして彼は話をこう結ぶ、
「俺らも例えば、縁石填めようにも下地が斜めっていて上手く填まんねえとかあるじゃん? ”何でこんな所にびっちり舗石を積む必要あるんだよ?”とか、こんな苦労に意味あるのかよって思う事だってあった。でもあのドキュメンタリーを見てからの俺は、オレゴン街道を時々思い出すことがあるよ。要は今やっているこいつだってある程度の、まあそれこそ10年以上は何だかんだここに残っていくよな、って思うとあんま手は抜けなくなるもんね___」
* * *
皆との談笑の後、おれは一人、曲を書いていた。すでにイビキをかいている者もいる。作詞をしながら考えていたことがあった。
たかが2秒や3秒の箇所の編曲作業。パッと見で読み流されてしまうようなコマ絵。
それらも一人の換算で見ればほんの一瞬なのだろう、けれどこれらが膨大な人々が消費するものに成っていく場合、その合計の総時間の方が正規の物差しに成り代わっていくのかもしれない。
”もしここで手加減なんざしてしまったら?”
___考えてみると恐ろしい。『大いなる手抜き仕事』の程になって、後々まで恥を晒していく事態が引き起こってくる。
自分の成すあらゆる所業に、オレゴン街道(トレイル)の例を想定して当たる必要があるのかもしれない。
おれが作ろうとしているものは一曲3、4分のものが、せいぜい数曲ぐらいだろう。手を抜く余地は無い。
手を抜く事と『引き算』をかます英断は、別のものに違いない。
最も効果的に機能するトリガーとして組み立て、仕掛けていく。
それをやらなければ___。
おれは作詞を止めて、眠りについた。