第29話 RHYME YOUR LIFE.

文字数 4,903文字

 午前中の雨が止むと、昼からは明るい陽が差し込むようになった。
 おれはナミキ先生の自宅に通されている。

 そこは木目調の内装でできたアンティークな空間。レコードプレイヤーや観葉植物があり、黒いネコも2匹、訪問者を遠巻きから静かに見つめていた。

 時折、陽の光は雲に隠れては消え、また明るく差し込む。上空で勢いよく雲が押し流されているのだろう。

 彼女は当時20代の保育士だった。その数年後には結婚をして専業主婦になり、50代になる現在は二人の子供たちもすでに成人している。

 ナミキ先生はにこやかに笑いかけて、おれを見つめる。とても素敵な人だ。急に押しかけて自分のことを名乗り出た形だったけれど、彼女はおれのことを覚えており、懐かしんでくれた。

 突然の訪問者が誰かを知ると、おれの腕に触れ、口に手を当てていた。
 大人に成長したおれを見上げる。何か言おうとした様子だったが、言葉にはならなかった。
 彼女は両手でおれの両腕をぎゅっと握った。おれも「お久しぶりです」みたいな一言を言えただけだった。

 自分は彼女にとって特別な園児だった訳ではもちろんないのだけれど、あのような事件があったから記憶に残ってしまうんだろう。おれは園内で行方不明になった子供だった。


「ここに来るまでに色々なことがあったけど、今はとても落ち着いているんです。ほとんどのことは思い出すことができる。でもあの3日間の出来事をできる限りよく知っておくべきだと思って、今日会いに来ました。___補足してもらえれば嬉しい」


 行方不明になり、姿が完全に見当たらなくなった3日後の朝、おれはボイラー室の隅っこでうずくまるようにして発見された。見つけたのはナミキ先生で、おれを見失った過失があるとされたのも、ナミキ先生だった。

 彼女は警察関係者を除いては、三日三晩、おれを探し回ってくれた唯一の人でもあった。捜索願が出されたその日には、すでに子供は敷地内にはいないだろうと判断され、園外が主な捜索範囲となって展開していたらしい。

 見つかった時、おれは意識がなかったようだ。小さな子がその間、飲まず食わずでいた。いずれ気を失う。

 おれは促されて籐椅子に座る。
「その前にナミキ先生に謝らないと」おれは言った。

 先生は何のことを言っているのか、すぐに分かったようだった。当時おれはナミキ先生によってボイラー室に閉じ込められていた、と大人たちに話していたから。

 彼女は頭を振り、おれの膝に手を乗せてトントンと叩いた。

「私に話せることはあまりないかもしれないわね。だってアキ君じゃないと、わからないことだものね」

 おれも頷いた。

「___だから聞かせてくれる、アキ君。どうして出てこなかったの?」

 おれは目を瞑った。___そうだ、知ってる。おれは隠れていた。大人たちが探し回っていることを知りながら、ボイラー室の隅の暗がりにじっと身を潜めて。
 ボイラー室の中にも彼らは何度か入って来てはおれの名前を呼び、出て行った後も廊下の方から名前を呼ぶ大人たちの声がずっと聞こえていた。

 おれは出ていかない。

 そしてボイラー室のそのドアには、そもそも鍵はついていなかった。『開かないドア』として、おれにつきまとっていた幻影___。開けることができないというあの想い。その全てはボイラー室の隅でうずくまっていた園児だけが知っている。他の誰かが知りようはない。

 おれは静かに言った、

「ナミキ先生をひどく悪い人として、おれは記憶を作り変えていた。おれはあなたが閉じ込めたと思い込んだ。おれはあなたのことを憎みきっていて殺意すら持っていた。___あなたはいつもおれに優しくしてくれた、とても大好きな先生だったのに」

 おれはこの”出来事”をきっかけに、自分自身を『枝分かれ』させてもいた。そう、2ndの出現___。

 現在のナミキ先生の眼差し。それはあの若い保育士だった女性のものではなく、二人の実子を育てた母のものとなって、こちらに向けられている。

「私が悪かった部分もあると思うの。だから自分ばかりを悪く思わないようにね」

 彼女は語る、

「覚えてないかしら。アキ君はとても私のことを好きでいてくれて、そのことを私も今でもよく覚えているくらい。最初は普通の甘えん坊な子だと思っていた。だけどねアキ君、あなたはある時から私のことを『お母さん』と呼ぶようになったの。___覚えていない? アキ君にご両親がいないことは知っていたし、施設から保育園に通っていることも知っていた。私は、___やり方が悪かったのかもしれない、けれどあなたが私を『お母さん』と呼ぶことはやめさせるべきだと思ったの。だってそれはいつか、あなたをとても傷つけることになるはずだから」

 目を伏せて、おれは俯いた。___そうか。

「少し距離を取るようにして、そんなに他の子たちよりも特別にベタベタさせないようにと。そう、___距離を置き、あなたを遠ざけた。アキ君はそういうことにすぐ気付くものね。そういう子」

 おれはボイラー室に隠れ続け、三日三晩、何も口にしないという飢餓状態の中で意識がおかしくなっていただろうと思う。その時にナミキ先生のその思いやりを理解できないまま子供ながらに解釈しようとし、大好きな先生に突き放されたという想いが、___怒りへと。

 その幻影は”記憶”の形で定着したのだろう。けれど、ナミキ先生はおれを一番探し回ってくれた人だったはずだ。声も何度も聞こえていたはず。

 ___なのにどうして。

 卒業アルバムで見かけた園児の頃のアキアスが、目の前に現れてしゃがんで座っている。

 おれはこの子を見る、


 おまえはどうして、そこから出ていかないんだ・・?


 その様子を見ていたナミキ先生が静かに話し始めた。そしてそれは、おれの内に残されていた最後の何かを、氷解させていく。

「居残り組だったもんね、アキ君。みんなはお母さんがお迎えに来てくれるけど、アキ君は施設の人が迎えに来るばかり。___隅っこでうずくまって、隠れて___」

「ずっと待ってたんだもんね。お母さんがお迎えに来てくれるって」


 * * *


 おれはチェインスネアの眠る墓を一人で訪れた。どの花を手向けるべきかと散々花選びに迷っていたのだけれど、結論として水を差しただけの花瓶をおれは彼に手向けた。ここを訪れた人たちが花を挿していけるように。

 チェインスネアの遺作はセールスチャートで1位となり、彼はその最後の仕事でもしかとキメていったことにより、レーベル間の競争においてはエクスポータルが勝利を収めた。

 デビュー作として初めて舞台に上がった形となったおれは、ダウンロードチャートのほうで2位と3位に、EPの収録曲を食い込ませることはしてやった。

 おれはチェインとは対極にあるオフザケのような曲調のものを世間にぶちまけたけれど、それは多くの人々の関心を惹きつける結果となった。そうでもなかったら、おれも埋もれてしまう大勢の中の一人に入っていたことだろう。

 それに一番自身が闘いやすいやり方をするしか、術はなかったとも言える。客観的な立場として、砂依田がいた。自身の主観のみでは気づき得ない物事を指摘される。それは得難いことになる。

 チェインスネアはCDアルバムという、質量のあるパッケージの形で人々の手に渡らせるということを相変わらずやってのけ、彼はこの世界を後にしていった。

 おれは辺りを見渡す___。
 チェインスネアの姿は、どこにも見当たらない。

 彼は多くの人たちと同じく、咲き終えた花として姿を消した。その後の世界は残された土壌のように、いつもここに在る。

 けれど彼らを育んだ『この場所』に、おれたちはもっと希望を持つといい。


「寂しかったのかもな」おれは笑った。
「___いや、あんたのことを言ったんじゃない」

 彼の墓の前に座る。

「おれは独りでも平気な人間、孤独を感じない、そのような感性がないのだと、ずっと思っていた。だけどおれは厳密には”一人”で居た試しがなかったんだ。絶えず誰かに見守られ、恵まれていた。自分の立っている暗がりをダークコーナーだと思い込み、誰からも必要とされてないかのように感じていたのだと思う。十代の頃なんかは、特にそうだった」

 おれは暗がりで赤く光るあの『星の砂』の小瓶を取り出す、

「でも、おれが迷子にならないようにと想ってくれる人たちもいた。間違った方へと行かないようにと導いてくれる人もいた。周りにはたくさん居たのにな。全然見えていなかった。自分だけが暗がりに追いやられていた訳じゃない。厳密にはみんな暗がりの中を手探りで生きていて、ある時出会ったり、別れたりしているんだと思う。___そいつを楽しめないと」

 おれは立ち上がり、方角を決め、アスファルトを踏みしめて歩き出した。大地と面する時に感じる自分の重み、___それは実在する自分そのもの。

 花のことをあれこれ考えていてもあまり意味はない。実際に赴いて目の当たりにする、それが花だ。まだそこに在ると思っていても、本当はもう無くなっているかもしれない。

 同じく人との出会いも儚いものだと思う。気づいた頃には消えてしまう、そこに居たかもしれなかった”自分自身”の姿さえも。


 * * *


「___それで、分からないままだと可哀想かなと思うから、教えておくけど」

 歩きながら思い起こしていた。詞折の声がする、

「アキアスはたまに私の家に遊びに来ていてね、私のおばあちゃんは出身が英国の人だから、私たちも一緒にティータイムに混ざったりしてた。その時、ビスケットをもらって食べたりして」

 二人は、”大きくなったら一緒に、広い世界を見に行こう”と話していた。

 言わばその『Plan(計画)』を『Plane(飛行機)』にして飛び立たせる、という意味合いで折られた紙のヒコーキ。でも重要だったのはそれでだけではなかった。あの大きなクッキー缶を思い起こす。


「中に入ってた紙ヒコーキに気を取られてたな。容れ物のほうもか?」

「それとねアキアス、あれクッキーじゃなくて”ビスケット”の缶だから。”Take the biscuit.(あきれた)”」

「なんて? 英語を使うなよ」

「自分を"Smart cookie.(頭のきれる人)”とでも思ってた?」

「___なんて?」

「私のセラピーはここで終わり。”君のメンター”によろしくね」


 その後、詞折は身内のいる大陸に渡り、彼らの輸入関連事業に加わっていった。詞折がおれの『皇帝チャーリー・スティール』の愛読歴を知っていることからも、今回の件は少二郎が仕掛け、詞折が実行した”セラピー”だったのだろう。

 暗がりの中でアキアスの中の『悪しきナイト』を成敗する、という。

 その過程でおれの方も、彼女に対してある程度のことはしてやることが出来たと思う。micotoも後から事情を知らされて協力していたようだ。


* * *


 砂依田から電話がきた。奴がテキストではなく、通話をしてきたのは初めてのことだ。

「今、レイブン・レコーズではお前の次回作をやろうかって話が持ち上がってきている」

 少し間、奴は黙っていた。

「最近姿をくらませていたな」
 とケイシーが言う。

「詳しいことは知らねえし聞くつもりもない。だがもし何処にも行くところがないんなら、こっちに来るといい。お前のような有り得ねえアクロバットをかます奴を、俺たちの世界では歓迎している。___この場所に放り込まれたお前もまた、ここで何をするべきかもう気づいてるだろ。”アキアス”」


 空を見上げて、空気を吸い込む。
 この世界と対峙しているという、この感じが好きだった。

 この先自分に何が待ち受けていて、たとえ次にどんなものが来たとしても、そいつを上手く繋いでパンチラインに仕立てることだって、おれたちにはできるよな。


 空に溶けていく比喩や、咲き終えた花のようなものに想いを馳せれば。
『次』に繋がる。

 ライムみたいにな。

 おれは再び歩き出した。





 FADE OUT.


『ライムアセット』
©️MASARI (Story / Rhymes)
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